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実春 ②

 

          4


 開戦から一年近く経った。

 局地的に戦闘が起きて、大国間の膠着状態が続いている。電子新聞の見出しに、『星の砂』の子供達は話題になった。

「東京のある街が爆撃されたらしいよ」

「爆撃って、爆弾を落とされちゃったの。ここは大丈夫かな」

「大丈夫、大丈夫。このあたしがいるから」

 最年長の実春は胸を張って宣言する。相変わらず元気な女の子だ。

「それよりさ、テロリストの方が気になるな。かっこいいじゃん」

 雄大が言った。昨日のドッチボールで実春に反撃された大柄の男の子である。彼の隣にいるメガネの女子、育美は首を振った。

「でもあの人達はテロリストでしょ? 雄大も気をつけないと、テロリストをほめただけで共謀罪にされちゃうぞ。捕まると取調室でボコボコにされて死刑だ」

「ひええ……」

 自分の頃にあれほど問題視された法律が、十数年経った今でもまだ存在しているのだから、歩は呆れるしかなかった。

「みんな、大ニュース!」

 小柄な男の子が飛び込んできた。雄大と気の合う大地は、団地からの通い組の子だった。

「何だよ、血相を変えて」

「今日、ここに政府の偉い人が視察に来るらしいよ」

「政府の偉い人?」

「そう言えば、テレビのニュースで全国の学校を視察しているとか言ったな。でも、ここも学校になるのか?」

「一応、勉強を教えているからね。あんたも気をつけなよ」

 実春に指で脇腹を突かれ、雄大は驚いた。

「政府の連中の前で『反政府活動万歳!』なんて言ってよ。すぐに連れていかれて、電気ショックとか、脳ミソをいじられちゃうかもね」

 大きな男の子は顔色が蒼白になっていた。

 大地の言った通り、その日の午後に黒塗りの車が『星の砂』にやって来た。車から降りてくる役人達に、純と職員が出迎える。

「今日は、貴園の教育風景の視察に参りました」

 事務的に命じる役人の後ろで、後部座席から一台の車いすが出てきた。数人が一人の老婆を介助して車椅子に乗せた。

 純の横にいた歩は、咄嗟に建物の陰に隠れた。

 その老婆は左目に眼帯をつけていた。まっすぐに下した白髪に痩せこけた顔、ギラギラと品定めするような右のまなざし。

 見間違えるはずがなかった。累だ。昔、不幸こそが幸せとか教えを広めながら、座敷わらしを捕まえていた怪女だ。まだ生きていたなんて……。

「こちらの方は鳳来寺累様です。教育思想統制委員会の理事をしておられます」

 純は少しこわばりながらも握手を交わすのを遠巻きに眺めながら、気をつけつつ彼らの動向を観察した。車いすに乗った累は、数十年前にあの大ホールにいた頃よりもやせ衰えたように見える。未だにぎらつく瞳は、老獪さが加わって危なく思えた。

 彼らはまず教室に通された。実春達がいつものように授業を受けている。

「ここには、外の子供も授業を受けていると聞きましたが?」

「この周辺は貧しい家がたくさんあります。満足に学校にいけない子が多いのです。少しでも、学べる場所があればいいと思い、登園は学校としても機能しています」

 女性の先生が説明している傍らで、役人は頷いたり、メモを取ったりする者もいた。累が薄ら笑いを浮かべながら、一人の役人を指で呼んだ。何かを耳打ちする。

「ここの生徒は愛国教育を受けていますか?」

 一人の役人が聞いた。

「もちろん」

 先生は皆に時間割を見せた。

「他の教科と比べて、愛国教育の時間が少ないですね。普通の学校では、一日二時限というのが決まりになっています。来年度には三時間が義務付けられています」

「しかし、他の教科をする時間が減ってしまいます」

「優先順位が変わったのです。今、我が国の教育で大事なのは、知識よりも愛国心を養うことですから。認可には愛国教育を増やしていただくのがいいかと」

 彼らの話を聞きながら、歩は納得のいかない成り行きに腹を立てた。他の大事な授業を削ってまでやるほど大事とは思えなかった。

「ここの児童は、成人後の進路は決まっていますか?」

「ご支援をいただいている企業などへの就職を」

「なるほど。軍への志願を考える子はいますか?」

「いえ。今のところは」

「現在、全国の学校の卒業生の四割が軍需企業、または軍へ志願します。強制ではありませんが、来年度の補助金制度にも反映されます。国に貢献する子供と企業、学校にはそれなりの優遇措置が受けられるのです」

 役人は淡々と説明していく。純は何か複雑そうな顔を浮かべながら、事の次第を見守っている。施設の広場に行くと、役人たちは壁にかけられた絵に注目した。

 純の代表作である壁画だ。砂浜に描かれた老女と、一緒に寄り添う髭の男。彼らと一緒に歩く犬。明らかに三重子、父の真一郎、そして、メリーを参考にしている。この絵は全国の公園に飾られて久しい。

 壁画を眺めながら、先頭に立つ年長の役人が感嘆を漏らした。

「これは素晴らしいですな。世界を代表する画家、平純の代表作『星の砂』ですな」

「そうです。ここの施設の名の由来です」

「平純?」

 彼を知らなさそうな若い役人が首をかしげる。

「君、平純を知らないのか。盲目の天才画家で国外とも高い評価を受けている画家だ。同盟の合衆国では、名前にちなんでヘイ・ジュン(Hey JUN。やあ、ジュンと呼び掛けている意味らしい)と親しまれている。目の手術を受けて見えるようになってからも、今でも絵を描く時は敢えて目隠しをするらしい」

「詳しいのですね。実は、当園の園長なんです」

 役人は初めて覚える動作のごとく驚きを見せた。そして、感激に変わる。どうやら、先頭の役人は純のファンのようだ。

「やや、あなたが平純さんでしたか」

 眼鏡の役人の口調は少し親しげになったおかげか、その後の審査は難なくクリアしていった。帰り際にはこっそりサインを求めるくらいだった。

「いやあ、まさかにあなたに出会えるなんて感激です。私は、実は若い頃はあなたを目指して美大に進もうと思ったくらいなんです」

「そうでしたか」

「ここの課題は愛国教育の授業を増やすくらいですね。仕方ないですよ。お上の方針でして。今の時代、大昔みたいに徴兵なんて大っぴらにできない者ですから、こうやって、意図的に志願させるみたいです。そうじゃないと国軍では不足しているのです」

「戦争は長引くようですね」

「一方が勝つか負けるか以外は、如何ともしがたい問題です」

 累が前触れもなく大きな咳を出して、なごみかけていた場が白けた。

「では、視察の結果は追って報告します。本日はご協力ありがとうございました」

 役人達と累が帰っていく。解除されながら車に乗り込むまで、累は頭だけを動かして建物を眺めていた。

 歩はこっそりと、外車の後ろに忍び込んで指を社会に差し込んだ。指先を伝って、車内の声が聞こえてくる。

「ここの園は愛国教育が少ないが、それ以外に問題はありませんね」

「まさか、あの平純が園長だったとは驚きだな。まあ、愛国教育を増やす課題をクリアすれば、それで良しとしよう」

 さっき、純に話していた年長の役人が弾んだ声で言った。なんせ、別れ際にこっそり純からサイン入りの絵葉書をもらったのだから無理もない。賄賂と言えばそれまでだが、今日の視察を乗り越えればそれも仕方ないのかもしれない。

「先生はいかがでしたか?」

 役人が後部座席に一人座る累に聞いた。

 ゆっくりと首を動かして、白く濁った右目で施設を睨んでいた。

「ここの子供達は、みんな、笑っていた。陽気に、明るく」

「ええ。他の学校より明るく元気な子供達でよかったですね」

「あれではいけない」

 累の乾いた声が車内にこもった。

「なぜ、子供が笑ってはダメなのですか?」

「この国はこれから戦争でどんどん変わっていく。なのに、ここだけが幸せそうにしているじゃないか。アレはいけない。決して許されることじゃない。子供の思想教育に悪い影響がかかってしまうじゃないか!」

「しかし、先生――」

「私には権限がある。だから、同行させているのでしょうが。いいですか、我が国の国民どもは、もっと不幸にならないといけない。不幸の中でこそ、連帯感が生まれる。連帯感は敵国への敵愾心に向かい、最終的に愛国精神に結びつく。彼らはそこからはみ出ようとする、いわば、非国民だよ」

 累の畳みかける物言いに、一同は黙り込んだ。

「あの子供達の笑顔、なんら覚悟も感じない。不幸ですらない。あれではいけない。いけないよ。いけない、いけない……」

 呪文を念じるように、累の声は車内に重苦しい空気を淀ませていた。

 純に友好的だった役人でさえ、「確かにその通りですな」と苦々しく答えた。


          5


 山の頂上で叫んだ大声がこだまとなって響き渡った。その日、子供達は遠足で郊外の山へハイキングに出かけた。歩も子供達に混じりながら、昔に戻った気分を味わった。

「あれが学校だよね。すごく小さい」

「あっ電車が走ってる」

 はるか遠くに見える町を指さす実春。今年から中学生に上がる彼女は、園で育った中で最年長になった。その自覚もあってか、小さな子供の引率をこなしていた。

「自然の中にいると落ち着くな、ホント」

「そう思うだろ?」

 純がベンチに腰かけて、タオルで汗を拭った。心地よい風が吹いている。

「時にはこうして自然の中にいるのも悪くない」

「でも、山登りをしている人は少ないね」

 確かに、今日は土曜日の昼下がりだ。ハイキングコースや広場もある有名なスポットなのに、頂上にいるのは『星の砂』の児童達くらいだった。

「余裕がなくなっているせいだよ。余裕がないからこそ、休みのある日にこうして楽しむことも大事なんだ」

「でもさ、テレビで偉い人が言ってたよ、贅沢は敵だって。国民一丸になって耐え忍ぶ時期に、娯楽は不謹慎だって」

 守という名前の子が言った。一年生の彼は通い組だが、純を本当の祖父みたいに慕っている。

 確かに、開戦当時から言われていた法令のあおりを受けて、国内のテーマパークをはじめとする娯楽施設は、軒並み臨時休業を余儀なくされた。物品はもちろん、映画も戦意高揚を目的とする作品が多くつくられ、その鑑賞が推奨されるようになった。もちろん、愛国教育の一環となりつつあった。

「なるほどな。不謹慎か。だが、守は山登りをしてどうだった」

「楽しかったよ」

「じゃあ、友達と遊んだりするときはどうだい?」

「楽しい」

「じゃあ、友達がある日突然いなくなったらどう思う?」

「もちろん悲しい」

「そう思うのが正しい。うれしい時は笑い、悲しい時は泣く。それと大事になのが、自分で考えるということなんだ。今の時代だからこそ、人は自分で考なくてはいけない。たとえ、周りが同じ事をしていても」

「うん」

「よし、偉いぞ」

「ねえ、純じいの時代のどうだったの? 戦争とかなかったの?」

 実春が聞いた。

「僕の時代にはね、教科書に戦争のことはきっちり書いてあったよ。昔、この国は同盟国と戦争をしていた時があった。確か、昭和十六年から二十年だ。一五十年くらい前だ」

 子供達は驚いた顔を一様に見せる。今の教科書には載っていないせいだ。戦争を知らない世代ではない。戦争を教えられなかったのだ。図書館の本にもないし、ましてや、テレビでも一度も聞いた事もないせいだった。

「日本は一度、戦争に負けた。僕は君達くらいの頃、焼け野原になった街の様子を写真で見せられたことがある。何もかもなくなっていた。店も家も公園も瓦礫に変わっていた。お金は全部紙切れになってしまって、食べ物がなかった。それでも、懸命に生きるしかなかったんだろうね。そうして、この国は豊かさを取り戻していったはずだった。しかし、これだけの年月が経てば、平和の有難みが薄まった。僕が若い時でさえもそうだった。歴史を受け継ぐことがどこかで途切れてしまったせいだろうね」

 子供達は静かに聞いていた。特に実春の瞳は真剣そのものだった。先日、戦争反対のデモに参加していた時と同じく、そこには特別な意志をのぞかせていた。

「実は、僕は過去の戦争に関する本を持っている。だから、今の戦争は昔と一緒だ。大半の国民は戦争と祭りの区別もつかずにはしゃいでいる。このまま長引けば、自分達の暮らしはますます厳しくなるのに、そこまで考えがいかない。国は国民の監視をますます強める。敵国の言葉を話しただけでもスパイ扱いをされる」

「怖い。そんなことにならないよね」

「なるよ」

 実春はいつもと違う真剣な顔で言った。

「うちの親父がそうだから」

「そうか。実春のお父さんも辛かっただろうな」

「あたしは絶対忘れない。お父さんはいつも言ってた。人の心と自由を約束できない奴は自分も身を亡ぼすって」

 純は実春の頭をやさしくなでた。

「君のお父さんは、正しい物の考えを持っていた。そんな人はどんどん減っていく」

「あたしもそうならない。この山の頂上が好きだし、ここから見る風景も好き」

 団地が立ち並ぶ街の向こうに夕焼けが差し込んで、淡いオレンジ色に染まる。今日から明日へと変わるまで黄昏を子供達は眺め続けた。

 輝く夕日は今、沈もうとしていた。

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