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実春 ①

 

          1


 正午の街をアラームが引き裂いた。

(速報です。本日正午、我が国はC国に対し、宣戦を布告しました)

 街を行き交う無数の足が止まった。世界から時計の針が消えたように。

(本日、首相官邸において、総理大臣が発表……我が国の戦争参加、C国への宣戦布告、総員法令の施行……領海に向けて同盟国との共同攻撃を開始。繰り返します。我が国は同盟国との先制攻撃を開始しました。これより、我が国は一六七年以来、外国との戦争に踏み切りました。本日より、国内は戦時状態に移行します。国民の皆様は総員法令に従い、銃後の生活を心がけてください。繰り返します――)

 スクランブルの交差点は赤信号に変わろうというのに、通行人が立ち止まったまま、電光のテレビにくぎ付けになっていた。歩道橋の上でも誰もが呆然とした面持ちで眺めている。まるで、足し算引き算を習う時の幼児のようだ。

「ねえ、タクミ、アレなんて意味なの?」

 近くにいたカップルの彼女がとぼけたような顔で聞いた。

「日本は戦争を始めたみたいだよ」

「総動員法令って何だったけ?」

「去年、つくられた法律さ。これからはぜいたくな生活もできないし、成人になったら、兵隊になるかもしれない」

「じゃあ、わたし達はヤバいじゃん。来年に十八歳になっちゃうよ」

「多分大丈夫だと思う。戦争ってだいたい一週間くらいで終わるんじゃないかな」

 能天気な会話を続けるカップのいる歩道橋。その真下の歩道では、デモの行列が連なっていた。各々がプラカードを掲げ、シュプレヒコールを合唱する。

「戦争反対! 私達の暮らしは国家のためにあるのではありません。現政権を打倒せよ。戦争反対!」

 すると、どこからともなく通りかかってきた黒塗りのワゴン車数台が、行進の真横で徐行しつつ、車体に設置されたスピーカーから弩声が響き渡った。

「やかましいッ売国奴どもが! おどれらはC国の回しモンか、コラァッ!」

 互いの応酬は永遠に続かなかった。行進する人々を、灰色の制服を着た集団が取り囲んだ。その手は警棒や盾を備えている。

「ただちに違法な集会を解散して下さい」

「国家の横暴だ!」

 誰もが口々に叫んだ。

 灰色の連中のリーダー格が無線で何事か話すと、彼らに言い放った。

「総員法令に従い、軽内乱罪の現行犯であなた達を逮捕します」

 連中は警棒を持って、次々とデモのメンバーを無理やり捕らえていく。抵抗した中年男性が殴られ、額から血を流す。暴れる人は皆、警棒の先を突かれるや否や、体を痙攣させてその場に倒れてしまった。棒の先に電流が流れるようになっているのだ。

「全員を確保しました。これより、治安所へ連行します」

 その時、遠くの電光テレビにノイズが走った。砂嵐に混じって声が響いた。

(国民の皆さん、目を覚ましてください。このまま戦争になれば、この国は大昔のように再び焼け野原に変わります。戦争に反対する人は非国民と差別され、犯罪者として逮捕されます。ご覧ください、これがこの国の未来です)

 砂嵐にモノクロの画面に切り換わった。焼け野原と建物の残骸。国民服を着た男が満載のリヤカーを引いて、子供を背負うモンペ姿の女性がうつろな目を向ける。昔、学校の平和学習で見たような、戦後の風景だった。

 治安隊は動揺を隠さず、各々がどこかへ無線している。流れている動画は、今の時代では捏造とされて放送禁止になっている。

(この映像はこの国が参加した先の大戦の末路です。家や建物は壊れ、大勢の人が命を落としました。今ならまだ引き返せます。あなた達の暮らし、家族、未来を殺し合いで壊していけません。あなた達が立ち上がる時、必ずや、あなた達の矛と盾になります。どうか、わたし達を信じて。すべては明日のために――)

 砂嵐が止んで、液晶はニュースのアナウンサーの顔に戻った。手元の原稿を慌ててめくり、明らかに狼狽しているのが分かる。彼の後ろではスタッフが走り抜け、怒号が飛び交っている。

(ええと、申し訳ありません。先ほど画面が乱れて、不適切なものが流れてしまいました)

 画面越しでも死相が浮かぶ。あの番組の関係者はただでは済まないだろう。

「連行しろ」

 さっきのデモをした人が連れていかれてしまう。

 歩は座っていたベンチから飛び出すと、死んだ日から着たままの学校の制服のポケットから黄色い球を取り出すと、それを握り潰した。粉状になった黄色の粒々を逮捕された人達の周りに振りかけた。

 代わりに治安隊の連中の足には、ないのに困らない灰色の球を粉にしてかけた。ついでに、全員の靴ひもを互いに結んでおいた。手間はかかるが、これで愉快な奇跡が起こる。さらに、彼らの手錠に触って溶かしていく。

 ふと、大人に混じって、十一、二歳の少女が歩の目に入った。

 勝気そうな瞳で治安隊をにらみつける顔立ちは中性的で、反抗的な少年にも見える精悍さを見せる。髪を赤く染めて、ショートヘアにしているから余計にそう思えた。健康的な足は駆けっこが得意そうだ。

 歩は彼女の手錠も破壊すると、耳元でささやいた。

「逃げて」

「え?」

 少女は驚いて回りに首をめぐらせる。

「今なら逃げられるよ。皆で逃げるんだ」

 生きた人間からすれば、姿なき声は幽霊にしか思えないだろう。だが、少女の決断は早かった。手元が自由になっているのと確認すると、近くの保安隊の足を蹴りつけた。

「皆、逃げて!」

 少女はものすごい速さで駆け抜けた。彼女の声に応えるかのように他の人も方々に散った。逮捕者が一斉に逃げ出し、保安隊は追いかけようとしたが、皆が同時に足を絡ませて、その場で一様に転倒した。コメディさながらの光景に通行人から爆笑が漏れる。

「何してんだ! 早く追わんか!」

 治安隊が態勢を整えた頃には、デモをしていた人は雑踏に消えていた。

 歩は、少女の残した光りの線を追った。懐かしい絵の具の匂いを辿った。


          2


 太陽の日差しを覆い隠す高層団地の群れ。貧民や不法移民が隠れ住むスラム街と化した棟が乱立する中、その小さな建物はひっそりと残っていた。学校を思わせる二階建ての外装。ミルク色の壁面には子供の落書きが目立つ。

 門の表札には『児童保護施設 星の砂』とある。

 あの少女もここに入ったようだ。歩は塀を通り抜けると、アスレチックや砂場、子供が遊べる遊具が転がる庭を移動した。建物のそばまで来ると、前にどこかで見たような壁画が目に入った。砂浜を駆ける犬、そして、老婆を連れそう男。

 沸き立つ興奮を抑えながら、建物の中に入った。下駄箱のある玄関を進むと、騒がしい声の聞こえる教室に入ると、やはり、子供達が大勢いた。彼らは椅子に座って勉強をしていた。彼らの前には、小太りの女性が黒板に計算式を書いている。

 入り口の扉がゆっくりと開いた。その隙間から、さっきの少女が顔をのぞかせ、こっそりと腰をかがめながら入る。どうやら、授業に遅刻してきたようだ。

「この問題が分かる人はいる? いないのね。じゃあ、先生が指名するわよ。遅刻をしてこっそり入ってきた実春」

 先生に見つかっていた実春という少女は、すんなりと答えを出した。

「ゴメンね。ちょっと、野暮用で」

「忙しい用事のようね。とにかく、席に着きなさい」

 先生も呆れながら言った。どうやら遅刻の常習犯のようだ。

「先生」

 一人の生徒が手を上げた。

「今日のニュースで、日本が戦争をするって言っていました。本当なんですか?」

 不安げな顔を見せる生徒に、先生はその子の頭をなでた。

「皆は何も心配しなくてもいいの。大人が勝手にやっているだけだから、あなた達は何も関係ないわ」

「いや、関係あるね」

 実春が遮った。

「戦争が長引けば、子供も戦争に行かされるよ。兵隊になる勉強をさせられてから、戦地に送られる。で、爆弾に吹っ飛ばされてバラバラにされて死ぬ。最期は骨壺に入れられて帰ってくんの」

「実春、滅多なことを言ってはいけないわよ! 子供は戦争に行くなんて、そんなデタラメなことがあるわけないの」

 先生は慌てて注意する。実春という子は涼しい顔を崩さない。

「兵隊にならなくても同じ事だよ。敵の飛行機が爆弾を落として、やっぱり生きたままバラバラになる」

「実春、デタラメを言うのは止めなさい!」

「彼女の言っていることはほぼ正しいよ、京子さん」

 いつの間にか教室の戸口に立つ老人が、そう言った。歩の目は輝いた。

「園長先生」

「僕がこの子達と同じ頃に、社会の授業で太平洋戦争のことを習ったよ」

「太平洋戦争?」

 京子という名の二十代後半の教師は、初めて聞く言語を耳にしたように困惑した。

 歴史教科書には、三十年前くらいから近現代の戦争が削除されている。図書館でもその関連の本は、絶版という理由で存在していなくて、歴史のフィルムも現存しない。戦争ができるシステムに作り変える際に、憲法が改正される以前から亀の歩みのように着々と行われた政策だった。

 歩が人間だった頃は、確か、平和学習とかで習っていたはずだ。今の時代、子供から若い大人まで本当の戦争を知らない。

「その戦争ではね、十五歳くらいの子供が戦争に駆り出されていた。女性も学校に行けずに毎日軍需工場で兵器を作らされた。工場の多い町は敵の空爆にさらされた。一国が戦争に巻き込まれたら、必ず、国民は不便を強いられるのだよ」

「ほら、あたしの言う通りだろ。純じいは何でも知ってるね」

 老人の顔立ちに面影が残っている。薄い白髪をかきながら、「授業中に失礼した。続けなさい」と笑顔で返すところとか特に。

 この人は、間違いなく純だった。

 彼は三重子の遺産を譲り受け、海外で目の手術を受けた。その後、彼の作品は欧州を中心に認められ、日本国内でも各地に彼の絵がいた絵の壁画が建てられたほどであった。まさか、ここの園長をしているとは知らなかった。声をかけたい衝動を抑えながら、歩は純の横を歩いた。

 施設の中にある円形の広場。コロセアムみたいに階段状に広がり、段差のある蹴上げは棚になっていて、絵本や読み物が収まっている。そこには、三歳から五歳くらいの幼児が数人くらい遊んでおり、保育士が絵本を読み聞かせしている。純が来ると、みんなが「純じい」と呼んで元気な声で呼びかけた。純は一人一人に名前で呼びかけ、しわあのある手で頭をなでていく。泣いていた子も彼を見ると大抵は泣き止んで笑顔を浮かべた。

「本当にこの子達は園長が好きなんですね」

「ここの子供達のほとんどは親を知らない。大人は子に希望を与える義務がある。彼らが将来、自分の子供に愛情を与えられる手伝いをしているだけさ」

 純は施設の中を巡っていく。そこにいる子供は、戦前の大不況で親に捨てられたり、死別したりした子供達が多く引き取られている。中には、近くの団地から通っている子供もいるようだ。

 館内に『蛍の光』のメロディが流れ始めると、通い組の子らが帰っていく。広場には、さっきの少女、実春や他の児童がやって来る。歩は面白いことを思いついた。幸子から聞かされた力の一つを発動させてみようと思った。

 深呼吸して、子供の中にいる自分の姿を頭に思い描く。そして、当たり前のように、彼らの中に混じっていった。

 室内のドッジボールが始まった。

「これでも喰らえ!」

 こちら側の陣地にいる大柄な男子が大きな枕を投げた。

 それをすんなりとキャッチする実春。ニヤリと歯をむき出しにして、投げ返したボールは相手の顔面に直撃した。

「雄大、アウト。お次は――お前だ」

 もう一度ボールを拾うと、獲物を狙うように意地悪い目を向け、「お前だ!」とこちらに飛んできた。

 長い間、精霊として生きてきた体には、久しぶりに化けた人間の体は重すぎた。避ける間もなく、ボールが顔面に当たった。

「よっしゃあ。歩、アウト」

 自分の耳を疑った。今、彼女は自分の名前を呼んだのだ。外野に出たところで体が疲れたので、もう一度精霊に戻った。

 今は亡きさちが言うには、『紛れ込む』という術らしい。精神を集中させて、子供達の中に生きた人間として紛れることができる。その間、他の子供は自然と友達の一人として気づかない。

 妖怪図鑑の『座敷わらし』の逸話を思い出す。子供達が学校で遊んでいる。いつも、一人多いことに気づくのだが、その一人が誰なのか分からない。しかし、野球をするのにチーム分けをするとなぜか偶数だったのに奇数になっていたという。

 もっとも、短い時間でもかなりの力を消費するため、長くは使えない。だから、ここぞという時にしか使わないという気持ちからか、今回が初めて使った。短い間でも人間に戻れたのが少しうれしく思えた。

「さあ、みんな、夕食の時間よ。早く、食道に集まりなさい」


          3


 子供達が夕食の場に集まると、純が杖をつきながら、皆に手を叩いた。

「今日、この国が戦争を再び始めた。この日は、いずれ、皆が勉強している歴史の教科書に載るだろう。これから起こることを、どうか、しっかりと目と耳に焼き付けてほしい。その肌にひりひりした感触を覚えておいてほしい。そして、いつか戦争が終わった時、その口で戦争が間違いだと言えるように。僕は、もう年だから、その頃には生きているかどうか分からない」

「そんなことない!」

 実春がそう叫んだ。

「純じいは百まで生きろ」

「いや、百二十だ」

「二百」

 子供達が騒がしくなっていくのを先生が止めた。

「ありがとう。君達は、僕の孫だ。先生達にとっては息子や娘であり、孫でもある。これから起こる戦争で、みんなの暮らしは少し窮屈になっていくだろう。しかし、どんな時でも笑顔を絶やさないでおくれ。どうか――」

 歩は壁をつたい、天井から屋根に出ると、わずかにある幸運の白い球を細かくちぎり、空から降らせてみた。一人が、窓の方を指さした。

「雪だ! 雪が降ってるよ」

 子供達が窓に集まってくる。十二月の頭にしては少し早い雪。星一つない空から舞い落ちる粉雪は、園の庭を薄く輝かせた。明日の朝にはかなり積もっているだろう。雪遊びをするにはうってつけだ。

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