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メリー ④

 

          6


 一時間後、累による悪趣味なショーは閉幕した。

 屈強な男達によって、三人を入れた檻は舞台裏から倉庫へ移される。

「なあ、お前は見えるか?」

「いや。だが、本当にこの中に座敷わらしがいるらしい」

「あの人にしか分からない。客達は完全に信じているようだが」

「客とか言うな。我々は商売をしているわけじゃない」

「そうだ。累様の言葉は絶対だ。この中にいる邪悪な存在は、あの方の聖なる心眼でしか映らん。俗人には到底及ばない領域だ」

 彼らは口々に話しながら、檻を倉庫に置くと、厚い扉を外から南京錠で施錠した。

 倉庫にある檻の中では、小三太が恨めしそうに、外にいる歩を睨んだ。

「遅いぞ、ノタバリコ!」

「ごめん。でも、こうして会えたのも縁じゃないか」

「縁もクソもあるか。とっとと助けろ、ノタバリコ」

「僕には歩という名前がある。名前を名乗るのが礼儀じゃないのか、小三太くん」

 少年は自分が不利なのを知り、悔しそうに格子を叩いた。

「おれ様はな、お前なんかよりもずっと昔に座敷わらしになった先輩だ」

「ずっと昔って昭和?」

 小三太は胸を張って答えた。

「華の江戸だ。テメエみたいなモヤシとは年季が違う」

「そのモヤシの僕に助けてもらうのは、どんな気分?」

 余計な一言だと思ったが、檻の中にいる小三太は、動物園の猿にしか見えなかったので、歩のささやかな意地悪な心がうずいた。悪いのは自分のせいじゃない。助けに来たのに、偉丈高にものを言う先輩のせいである、と思った。

「うるせえ! さっさと出しやがれ、畜生め」

「江戸生まれなら、人に頼む時の言葉があるんだよ。先輩なら分かるよね」

「テメエ、檻を出たら覚えてろ。お願いします。助けて下さい」

 歩は、檻に貼られたお札を取っていった。触る度に手が熱くなる。焼けた鉄板を触るのと同じで、気をつけて取るようにした。最後に残ったのは、この大きな南京錠だけだった。真一郎がいたら、得意の鍵破りで開けただろう。

 歩は南京錠を持つと、何度もひねった。南京錠の先がひしゃげて、あっけなく鍵は外れた。格子の扉を開ける。

「大丈夫だった?」

 小三太がこぶしに息を吹きかけている。さっきの言葉に後悔しても遅い。歩は目をつぶったが、代わりに手を差し出してきた。

「恩に着るぜ、ノタバリコ」

「どういたしまして」

 握手したのはよかったが、異常な握力に骨が砕けるかと思った。

「他の子は大丈夫?」

 小三太の他にも、女の子と小さな男の子がいた。

「私は、大丈夫でございます」

 着物姿をした細面の少女が、か細い声で答えた。頭を団子のように束ねている。年のころは歩と同じぐらい。何となくであるが、江戸時代より古くはないが、現代の子供ではないと分かった。雰囲気がなんだか大人びている。

「僕は歩です。君はなんていうの?」

「私は、奥代寺珠代を申します。生まれは明治。奥大寺家の三女です。十二の頃、心にもない相手の縁談に抗議するために、入水してしまい、今はこのような身で現世をさまよう次第でございます」

「すごい経歴だね」

「おれなんざ、親父と一緒に飛脚をしていた。今でいうところの宅急便だ。そしたら、山賊どもに切り殺されちまった。座敷わらしになる奴は、ろくな死に方をしてねえ」

 歩は、檻の奥で弱っている幼い男の子を助け起こした。服装は今のものではない。小三太の着物よりもずっと古い。歴史の授業に出てきた、平安時代の貴族に似ている。

「大丈夫かい、ぼうや」

 小さな顔がこちらを向いて、歩は思わず息を飲んだ。

 色素を落とした純白の肌、紅く薄い唇に小さな鼻、輝きを閉じ込めたつぶらな瞳。光沢を放つ黒髪は、左右に輪っかにして結ってある。六、七歳くらいで幼いながらも、美少年を思わせる顔立ちだった。

「この方は座敷わらしの中でも上位、チョウピラコ様だ」

「チョウピラコ?」

「長い年月を務めた方は、座敷わらしの中で、チョウピラコと呼ばれるのです。しかも、この方は、生前はやんごとなき家系の子息だったようです」

「おれらやド素人のお前よりも、ずっと上の人だ」

 確かにその幼子から漂う風格はどこか違った。しかし、今は丁寧に扱っている場合ではない。早くここから逃げるのが先決だ。

「僕の背中に乗って」

 幼子はコクリと頷くと、背中におぶさった。瞬間、海のイメージが浮かんだ。怒号と何かが破壊される音の応酬。風景は海原に浮かぶ無数の木船。鎧武者が刀で切り合っている。まるで時代劇に出てくる合戦だった。

「おい、ノタバリコ!」

 小三太にせかされて、歩は束の間の幻から覚めた。

「外に出よう」

 倉庫の扉から透けて出ようとした時、扉が開いて、一人の女が行く手を遮った。

「やはり、もう一人いたか」

 女の横から現れた男が大きな網を投げつけた。上からかぶさった網は鉛のように重く、歩は幼子をかばうように床に倒れた。

「私の念を込めている。逃げることはできない」

 累は歯をむき出しにした笑みを浮かべた。

「どうして、こんなことをするんだ。お前は一体何者なんだ?」

「舞台で言った通り。この世から、幸せというものを根こそぎ消すため、私は何度も生まれては死んでは、輪廻を繰り返す」

 累は左の眼帯を外した。瞳のない眼窩が見下ろしてくる。

「この目には不思議な力がある。見えざるものが見える。代々、この目を受け継いできた祖先は、今の私と同じように富を築いてきた。教えを広めて、座敷わらしを狩り出してきた。お前達は害毒だ。この世に、まやかしの幸福を与え、他方では不幸をまき散らす」

「仕方ねえだろ! 幸福ばかりがこの世界にあるわけないじゃないか!」

 累は、吠えた小三太に左目を向けると、彼は急に頭を押さえた。

「幸せになる者、そうでない者がいれば、そこに差別が生まれる。お前達は、自分達の力のとばっちりを受けた者の苦しみを知っているか。持たざる者を助けるという大義名分の下で、一体どれだけの人間を傷つけたと思う。幸せにした人間に対してもそうだ。最後は本人次第と勝手に切り捨てる。私の信者は皆、お前達を憎んでいるぞ」

 珠代は泣きそうな顔で耳を塞いだ。

「私は、この世を不幸で満たす。みんなが不幸になれば、差別は生まれない。その力を実現するために、少しばかりのお布施はもらっているがな」

 あのホールにいた人達が幸せだったとは到底思えない。彼らにまとわりついていた黒い線は、いずれ本人達の身を滅ぼしてしまう。

「嘘だ」

「ほお、嘘か」

「あなたに何があったかは知らない。だけど、その不幸を他人に連帯させているだけだ。そうすれば、自分の現実に向き合わずに済むから」

 空白の左目が告げた。

「物の怪よ、私の目をのぞけ。私の祖先が受けた苦しみを味わうがいいさ。さあ、のぞけ、のぞけ、のぞけ――」

 累の左目の奥に何かが見えた。見てはいけない。警告する自分の内なる声、小三太らの怒声が押しつぶされ、歩の意識は風景の底へ吸い込まれていった。


          7


 荒れた田畑。枯れた稲穂が首を垂れる。溝の水は干上がり、イナゴが湧いている。

「今年も駄目だ。畑は全滅だ」

「困ったものじゃな」

 農民達が腕を組みながら、目の前の惨状に頭を悩ませる。大昔のどこかの村のようだ。そこでは、数年にわたって蝗害による凶作が続いていた。

「こうなったら、庄屋の旦那様に頼むしかねえ」

「そうだな。これでは村は全滅する。昨日はもう、新兵衛とこの子が危ないって聞いた。女房のおるいは毎日のように神社に参っているらしい」

「誰もが同じだ。童が先に死んでいくなんざ、誰も見たくねえ」

 農民達は、村で一際大きな屋敷にやって来た。村を統括する庄屋の屋敷である。出てきたのは、大柄で強面の主人だった。金色の着物姿は強欲さを醸し出す。

「おねげえです、庄屋様。少しだけでも、米を分けて下せえ。このままじゃあ、村がやっていけねえです。お願えでございます」

「どうか、お願えです」と腰の曲がった老人まで頼み込んだ。

 彼らの頼みに、庄屋は煙管から紫煙を吹きかけた。

「ならん。こちらの米は殿様に上納するためのものだ。一粒たりとも出せん。この世は今、天下統一を目指す戦国の世じゃ。国の殿様には天下の頂に立ってもらわねばならぬ。そのために、この米はお前達にはやれん」

 上滑りの大義名分。しかし、主人の腹は米の食べ過ぎで膨れている。

「さあ、帰れ、百姓ども。わしに構う暇があれば、イナゴでも食っておればよいのじゃ」

 その時、農民をかき分けて、一人の女が出てきた。その手には小さな赤ん坊が抱かれている。若い百姓の新兵衛が、「おるい」と呼んだ。

「庄屋様、後生でございます! どうか、どうか、この子に米を、かゆ一杯だけでも、どうか」

 庄屋が屋敷に入ろうとするのを、おるいがしがみついた。

「お願いでございます。この子だけでも、この子だけでも」

「放せ。えい、放さんか!」

 お累を突き飛ばした庄屋は、あろうことかの煙管の先で彼女の顔に叩きつけた。誰もが息を飲む中、顔から血を流すお累は自分の子供に異変に気づいた。息をしていない。小さな手がだらりと下がっていた。

 左目から血を垂らしたまま、おるいは嗚咽を漏らした。顔が上がり、庄屋、そして、その後ろにいる子供をにらみつけた。座敷わらしだ。おるいの潰れた左目には、精霊の姿が見えている。

「おのれ、忘れぬッ。私は忘れぬぞぉ。祟って、祟って、祟り抜いてやるわ」

 呪詛を唱えるお累の目を通し、座敷わらしの顔が映った。歩は大きく叫んだ。

 座敷わらしの顔は自分と瓜二つだった。

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