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歩 ②

 

          2


「おはよう、歩。散々泣いたおかげで、昨晩はよう眠れたようじゃな」

 部屋にはサチがいた。ベッドの上の足元で正座していた。

「夢じゃなかったんだ。どうして、そこにいるの?」

「死に神がここへ来ても、わしはお前の足元にいれば、おぬしが助かるかもしれんと思うてな」

「ホントに?」

「本気にするな。おとぎ話じゃ」

 歩はため息をつきながら、頭を枕の上に戻した。

「早う学校へ行く支度をせい。そろそろ、道子が声をかけてくるぞ」

「歩、早く起きなさい」下から母親の声がした。「学校に遅れるでしょ」

「ほらな」

 もうすぐ死ぬかもしれないというのに、当たり前に学校に行けるはずもない。歩はベッドに丸まった。

「今日は休む。明日は土曜日だ。明日まで家の中にいればいい」

「天井から石ころが降ってくるか、いや、雷が落ちるやもしれぬ。はたまた、家が火事になるか。それとも、祖父譲りのポックリ病か。いずれにしても、お前の運命はとうに決まっておる」

「僕はどうやって死ぬの?」

「知らん」

「じゃあ、どうして、僕が死ぬって分かるんだよ」

「色じゃ」

「色?」と、毛布から顔をのぞかせた。

「この世にある万物には色がある。そのものの本質を現す色がな。無論、並の人間の目には映らん。わしのような人外には、まるで蛍の尻が光るように、色を教えてくれる。例えば、渉には金色の光りが見える。目が痛くなる黄金は金銭の色じゃ。外を見てみい」

 歩はゆっくりベッドから出ると、日差しのかかった窓から外を眺めた。家の前の道を会社員が歩いていた。ちょうど、反対側から歩いてきた女性が何かを落とした。男性は慌てて拾い、彼女に渡した。何かを交わして、また違う方に歩いて行った。

「あの二人、またどこかで会う。勤め先が一緒か、旅先で偶然再会するか、家が隣か」

「どうして分かるのさ。他人同士なのに」

「赤い色の糸が互いに結びついておる。わしの目にはそう見える。いずれ、あの二人は夫婦になるだろうな。袖振り合うも他生の縁とはよく言ったものじゃ」

「僕には全然見えない」

「当たり前じゃ。生身の人間には見えん」

「僕にはどんな色があるの?」

「無色透明じゃ。形あるもので、色のない存在など、この世にはそうそうない。わしの知る限り、色のない人は死期が近い」

 歩はベッドの中に戻った。今日を乗り切れば、土日は休みだ。外に出なくていい。もしかすると、来週になれば死なないかもしれない。こんな奴の言うことなんかでたらめに決まっている。

 その時、階段を上がる足音が聞こえた。だんだん大きく、早いスリッパの踏みしめる音は近づいてくる。お母さんだと思った矢先、ドアが勢いよく開いた。

「何をしているの、歩! 学校を遅刻しちゃうわよ」

「ゴホッ、ゴホッ。今日は、体の調子が悪いから休む」

「あら、そうなら早く言えばよかったじゃない。風邪でもひいたの?」

 ずる休みなんか今まで一度もしたことないおかげか、母親は簡単に信じてくれた。歩はわざとらしくせきをまた出そうとした。

 サチの顔が潜り込んでいた。大きな口をほころばせる。

「歩、親に嘘をつくのはよくない。嘘をついて死んだら、地獄で閻魔大王に舌を抜かれるぞ。きっと、痛いぞ。引っ張り出されて、引っこ抜かれるのだからな。お前はもうすぐ死ぬ。最期ぐらい正直者でいれば、極楽浄土へ行けるやもしれん。まあ、このままだと風邪が元で肺を患って、労咳で死ぬかもな」

「うるさいな! 僕は風邪ぐらいで死なないぞ!」

 歩は吠えながら布団を蹴った。後悔するには遅すぎた。サチはニヤリと笑い、その後ろには母が無表情で立っていた。

「元気そうでよかった。それなら学校に行けるわよね」

「いや、実はね、お母さん、僕は本当に――」

「今晩、お父さんにみっちり怒ってもらうからね」

 結局、いつものように学校へ行く羽目となった。下り坂の住宅街を抜けて、いつも一度は止まる駅近くの踏切の前まで走り続けた。

 家と学校の境目にある踏切を、一年生の頃から毎日通っている。近くに駅があるせいか、遮断機の下りている時間が長い。電車もひっきりなしに左右の線路を通過していく。おかげで道路には自動車がいつも列をなしている。

 開かずの踏切を過ぎて、歩道橋の手前で足を止めた。隣にある信号の前に立った。青に変わり、童謡の『通りゃんせ』のメロディが流れる中、普段はしない左右の確認を重ねながら、速足で交差点を横断した。

「今日は橋を渡らんのか」

「何が起こるか分からないからね」

「用心深いな。のお、歩。人はいつか死ぬのじゃ。早いか遅いかの違いじゃ。だが、わしと出会ったのは、えにしを感じるとは思わぬか」

「思わない。ねえ、えにしって何?」

「ものを知らぬ童だな。あの棚の分厚い本は無駄な買い物じゃ。縁というのはな、人と人の見に見えぬつながりを意味する。今朝の男女も出会うまでは赤の他人だった。お前の父母も元は他人同士じゃった。わしも、たまたまお前の祖父の家を通りかかったにすぎん。つまりな、すべての出会いには、何かしら意味がある」

「アホらしい」

 交差点を通り過ぎ、住宅街を抜けると学校はすぐそこだった。

「せっかく、耳寄りな知らせがあるのに」

「うるさい。死に神の座敷わらしなんか信じないから」

「では、黙っておくぞ。あとで聞いてないよお! なんて情けないことを言うでないぞ。では――」

 サチはずっと真横にいたが、ガマ口を一文字に閉じたままでいた。


          3


 チャイムの鳴る寸前、歩は教室に駆け込んだ。荒れた息を整えながら席に座る。

「ギリギリセーフだね、実ノ森くん。なんかあったの?」

 同じ班で前の席にいる和田敦が、横縦に太った体を椅子に乗せながら傾ける。彼の父親が経営しているスポーツジムは、全国で数十店舗を展開している。テレビのCMでもよく目にするが、歩の見たところ、敦にはいかんせん効果がない。

「実ノ森くんだって、たまには朝寝坊するんじゃない。そうだよね?」

 隣の席で坂本秋乃が薄い端末機をいじっていた。彼女の親が地元で代々続く歯医者である。ただの歯医者じゃなく、町の名士、芸能人、果ては政治家御用達だ。こちらは、親の指導のおかげか、歯並びはピアノの鍵盤みたいに光って並んでいる。

「おれは昨日も遅刻しそうなった。大体、授業が始まるのが早いんだよ。昼間でいいじゃん。どっかの外国もそうらしいぜ」

「一輝の場合は、夜遅くまでゲームをしているでしょ?」

「そうかもしんねえ」

 面倒くさそうに言ったのは、班のリーダー、田崎一輝だった。ぼさぼさの頭でやんちゃな感じがメンバーの中では一見浮いているが、親は国立大学の教授をしている。親族は政治家や企業家が多い。おそらく、三班はおろか、この教室、学校の中で一番ステータスが高い。塾をいくつも掛け持ちさせられている上に、土日も家庭教師と殺人的なスケジュールの持ち主である。成績は中の上くらい。

「うちの親がさ、中学は私立以外ゆるさんってうるさくてさ。おれを博士にさせるつもりなんだぜ」

「イグノーベル賞でも取ったら、言ってね」

「おれは家出してやる。絶対だ。だいたい、おれは三男だから、兄貴らに任せるよ。おれは外国で悠々自適に暮らすぞ。ハワイもいいな。六本木かな」

 眠たそうにあくびをする一輝に、皆は呆れていた。歩は落ち着いて腰を椅子に沈めることができた。いつもの班の和気あいあいぶりに、昨日から今朝までのおかしな出来事を忘れられると思った。

「さもしい連中じゃ」

 サチが一輝の机の上に腰かけていた。

「黙れよ」

 思わず漏らした言葉に、三人が同時に首を傾げた。

「ごめん。独り言。ねえ、ものすごくバカな質問するんだけど、この世界に幽霊とか妖怪っていると思う?」

 秋乃が信じられないとばかりに目を細めた。敦もどう反応すべきか迷っているようだ。こんなテーマを普段からしてなかったせいだった。

 一輝は吹き出した。二人も遅れて倣った。

「実ノ森が冗談を言うなんてすごいな。どこの本に書いてあるの、そのネタ」

「いると思う? ちなみに僕はいないと思う」

「いるかどうかは別として、もしもいたら面白いかもね」

「わたしは信じない派。そんなの非現実的なじゃないもの。大丈夫?」

「ごめん。変な質問したよ。今日の僕は少し変みたい」

「変なのはこいつらも同じじゃ。砂を食らうがごとき薄っぺらい話を、よくもまあ朝からしていられる」

「少し静かにしてよ」

「ごめんなさい」

 自分が言われたのかと勘違いしたのか、秋乃が謝った。

「実ノ森、なんか今日は変だぞ」

 その時、教室のドアが開いた。先生ではない。クラスメイトの注目を浴びながら、一人の女子が入ってきた。教室の空気が変わった。ぞわぞわと一気に広がるように小さな笑いが漏れる。その生徒が近くを通っただけで、わざとらしく鼻をつまむ者もいた。

 歩も酸っぱい臭いに顔をしかめた。嗅いだことはないけれど、冷蔵庫に生ゴミを入れて一年はほっていたら、こんな感じかもしれない。

 その子は顔を下に向けたまま、早歩きで窓際の席に座った。ランドセルにも、それを置いた机にも無数の落書きが目立つ。ほぼ毎日着ている半袖からは、かさぶただらけの細い腕がのぞく。そして、今日も上履きもくつ下も履いていなかった。

「花川のやつ、上履きが見つからないままみたいだな」

「とろいな。新しいのを買ってもらえばいいのに」

「それができたら、皆から浮いてないよ。彼女のせいじゃないから仕方ないけど」

 花川天音は、五年二組の教室で最底辺の存在だった。いつもぼさぼさに伸ばしきった髪をたらし、誰とも話しかけようとしない。近くによるといやな臭いがする。家は団地らしいが、親がパチンコばかりして働いてもいない様子を目撃したクラスメイトは少なくない。

 数人の女子が天音のところまでわざわざ通りかかるふりをして、殺虫スプレーや消臭剤を振りかけた。天音は苦しげにせき込むが、抵抗せず我慢していた。

 他のクラスとメイトと同じように、歩も天音を嫌っていた。あの目がいやだった。まるで、死んでいるような、生気もなくよどんだ瞳を避けていた。

 天音をいじめているグループは、女子のリーダーで、学級委員の木村美香子だった。母親は本を何冊も出して、テレビにも出ている教育評論家。もちろん、人を差別するのに十分なほど裕福な家に住んでいる。

 早苗とその取り巻き達は、誰が早く天音を不登校にできるか競い合っているようだ。

「花川を見てるとさ、つくづく、どんな親の家で生まれるかで、人生が決まるんだなってつくづく思うよ」

「そうそう。いわゆる親ガチャだよね。こっちは選べないから、宝くじみたいなものだ。お金持ちで、大会社とか有名人の親」

「でも、それはそれで荷が重いよ。一輝の家のハズレに近いんじゃない?」

「うるせえな、秋乃。あいつと比べたら、当たりの方だって。あいつさ、近くに寄っただけでもくせえしよ。風呂にも入ってねえぞ、あれは。いてっ!」

 サチが一輝の頭を正面から叩いた。

「馬鹿者めが。歩! こんな奴らとつるむな。頭が腐るぞ」

 担任が教室に入って来ると、天音の惨状に気づかないふりをしながら、淡々と授業を始めていく。歩は何もないように過ごそうと思った。

 その日一日、休み時間のトイレ、掃除以外に、歩のお尻が椅子から離れることはなかった。体育は、仮病を使って見学した。自分の死がどうやって起こるのか考えながら、ほとんど余裕がなかった。

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