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純 ①

 

      1


 三重子の家には、たくさんの弔問客が来ていた。ほとんどが彼女の元教え子だった人達だ。生前に学校の先生をしていたと知った時は驚いた。

 真一郎が逮捕されてから六年後、三重子は亡くなった。死因は永眠らしい。

 途切れ目のない弔問客を観察しながら、歩は縁側に腰を掛けていた。

 枯れ葉が覆う庭には、メリーが所在なげに座っている。明るい毛並みにはくすんだ色に変わり、目の周りには垢が張り付いていた。

「お前も年を取ったんだな」

 こちらが手を伸ばすと、乾いた鼻をつけてくる。

「ごめんね。僕も早くここに着けばよかったんだけど」

 この町を離れてから六年の間、三つ先の県まで移動しながら、行く先々で色々な家を訪ね歩いた。やっていることはなんということはない。足の止まった家に上がり込み、住人の毎日をつぶさに観察して、力を使ってその人の希望を叶えてはささやかな幸せを配って、また別の家に移動する。大抵の家は三日くらいで済んだが、ひと月かかった家もあった。あまり長居しないようにしたのは、座敷わらしの力が周りに影響してしまうからだ。取り憑く家が幸福に恵まれるということは、周りが少し不幸になるのだ。

 不幸と言っても、大層なものではない。学校に遅刻したとか、道端の犬の糞を踏んでしまったとか、買い物の卵を落として割ってしまったとか、車を塀に擦ってしまったとか、普通の人がたまにやってしまう内容ばかりだ。

 そんな歩だったが、ここ数日前になって、三重子のことを思い出した。虫の知らせに久しぶりの稲葉町に帰ってきて、近所の電柱にかけられた葬式の案内で悪い予感が的中した。

 幸子にも知らせようと、九州にある母方の実家へ向かおうと思ったのだが、留守の間にメリーがどうなるのか心配だったので、残念ながらあきらめた。

 最後の弔問客が帰ると、家の中がやっと静かになった。

 喪主の茂が息をついた。

「やっと、終わったな」

「そうね。お義母さんも案外長生きしたわよね」

 以前よりも少し太った早苗は、気だるそうに言った。彼らの子供も別の部屋でゲームをしたり、スマホをいじったりして時間を潰している。

 祖母が亡くなったのに、涙一つ流さないのは薄情だと思ったが、考えてみれば、彼らにはいい思い出のない家だ。

 和室に飾られた小さな祭壇には、三重子の遺影が飾られていた。とぼけたような顔がこちらに向いているのが懐かしかった。結局、一度も会話をしたことはなかったが、本人が亡くなった今となっては知り合いがいなくなった気分だった。今頃、一良さんとあの草原で再会していることだろうか。是非そうであってほしいものだと、歩は願ってやまなかった。

「昔、ここに越してきた時にお化けが出たなんて言ったけど、あれは気のせいだったのかもな」

「嫌なこと思い出させないでよ。やっとこの土地を売ることができるわ。相続の手続きが終われば、ここを売って、少しは暮しの蓄えにできる。遺産もそこそこあったことだし、あと残るは……」

 早苗は面倒くさそうにメリーを指さした。

「アレどうすんの?」

「捨てるのか?」

「当り前じゃない。うちに犬を飼う余裕なんてないわ。というか犬猫嫌いなの」

「しかし、飼わないわけにはいかないぞ」

「なんでよ?」

「遺言を最後まで読んでなかっただろ。おふくろは、遺産を相続する条件として、メリーの面倒を最後まで見るというのがある。それをしなければ、0円とは言えないが、減らされてしまう」

「そんなバカげてる。ただでさえ、思っていたより少ないのに。この土地くらいしかないのよ。いくら見晴らしのいい一等地だからって、家建てるお金もない。固定資産税だってバカにならないわ。この不景気でいつまで売れるか分かったもんじゃないわよ」

「まあまあ、たかだか犬の面倒だろ。ここを売るなっていうよりはマシだ。それに見たところ年寄りの犬だ。数年我慢すればいい」

「確かにそうよねえ」

 メリーは不安そうに細長い顔を上げた。

「大丈夫だよ。捨てられる心配はないから」

 ここにいれば、万が一、真一郎が帰ってくるかもしれない。裁判の結果、真一郎は十年の懲役刑となった。あと四年もメリーが長生きできるかどうか分からない。だからと言って、この家族に老犬のメリーを預けて終わるのも心もとない。

「僕も一緒にいるよ。お前のもう一人の飼い主が帰ってきたら、連れて来てあげるから」

 歩は、老犬の問いかける瞳を直視できなかった。


      2


 メリー(そして、彼についてきた歩)は谷原家に引き取られ、東京の新居にやって来た。白塗りの壁に大きなドアに外から見えない大きなガラス窓。小ぶりの庭には芝生とガレージがある。家のつくりは白い積み木を組み合わせたような形だった。周辺には、その家をコピーしたように同じ建物が並んでいる。

 メリーは家のガレージで暮らすとこととなった。三重子の家の庭に比べるとずいぶん狭い。ガマガエルのいた池もないし、生垣も松の木もない。あるのは、アスファルの地べただけ。犬小屋も一応与えられたものの、首輪をつけられていた。

「いい、お情けで世話しするんだから、大人しくしてよね」

 早苗の言いつけは歩には理解できなかった。優しさは微塵もなかった。

 メリーは一日中、犬小屋の中で寝るか、茂と散歩するか、ドッグフードをゆっくり食べるぐらいだった。初めて会った頃の三重子を思い出す。歩はそんな彼を見守るしかなかった。自分の意志で入った家でなければ、力が発動しないらしい。連中に幸福をもたらす気もなかった。

「そうだ!」

 歩は狭い犬小屋に入った。

「狭いけど、ちょっと我慢してね」

 メリーは丸くなりながら寝息を立て始めた。歩はそこらを漂う小さな球を弾いた。年を取っても、この子が元気で長生きできるように願いを込めた。

 メリーの願いは何だろうか。歩は眠っている老犬の頭に手をさすった。メリーの小さな頭に浮かんでいるのは、今は更地になった三重子の家で、亡くなった家主と真一郎が並ぶ光景だった。

「ダメなんだよ。それは無理なんだ。ごめんね」

 歩はどうしようもなく、自分の頭を抱えた。今の自分はどうしようもなく無力だ。犬一匹の夢を叶えさせることはできない。

 さらに、メリーの記憶の深いところに意識を潜らせてみた。歩に会うよりも捨て犬になる前のものだ。

 小さな女の子が目の前に立つ。骨のおもちゃを持って微笑む姿を見上げている。きっと、子犬の記憶だ。楽しい思い出が映画のように過ぎ去っていく。きっと、数年の時間だが人ではなくなった歩には短い時間に思えた。

 少女は大人に近づくにつれて、メリーと一緒にいる機会が減っていった。友達と携帯で話している。近づこうとすると、あっちへ行けと言わんばかりに手で払われた。広い家の中で飼われていたが、メリーに心の居場所はなかった。

 別れは唐突に訪れた。少女が両親に話している。スマホに映る小型犬を指さし、この子が欲しいとせがんでいる。

 数日後、メリーは飼い主に車に乗せられて、どこかへ連れていかれる。そこはきっと、きれいな海に違いない。少女との楽しい思い出にあった青い海。静かなさざなみが耳をくすぐり、柔らかい砂浜を踏みしめながら駆け巡る楽しさ。

 近づくにつれて、そうではないことに気づいた。強烈な臭いがした。初めて嗅ぐのだが、何となく不吉なものを感じた。やがて、見えてくる大きな建物。突き出した煙突から立ち上る煙から漂うわずかな臭いは同じものだ。

 メリーはその時、同類の死臭だと分かった。自分は殺される。メリーは飼い主の隙をついて、逃げ出した。息が上がるまで走り続けた。もうダメと思った時、見知らぬ土地の公園にいた。そこで何日も過ごした。空腹と喉の渇きで、もう体中の力が出てこない。

 そんな時だった。おぼろげに映る子供の姿があった。歩はメリーの目を通じて、自分の姿を見た。あれは人ではない。けれど、悪い奴でもない。きっと、どこかへ連れていってくれる。そう、懐かしいあの海へ。

 ふと、歩は老犬の心象風景から意識を離した。現実の世界で物音がしたためだった。メリーは飛び起きた。

 歩は不審に思って、犬小屋から外を見回ってみる。

 道端に誰かが倒れていた。若い男だ。手には白い杖を持っている。青年はむくりと起き出した。

「あれ、すみません、誰かいませんか?」

 困っているようには聞こえない能天気な声が誰何する。暗闇の中で目は閉じたまま頭だけを振ってこちらを探していた。

「目が見えないのかな」

「ん、そこに誰かいるんですか?」

 歩は思わず口を閉ざした。自分の声が人間に聞こえるはずがない。元座敷わらしであった幸子ならともかく、目の前にいるのは盲目の青年である。

「もしかして、僕の声が聞こえるの?」

「少し聞こえるよ。子供だね。小さな声だ。悪いけど、手を貸してくれないかい?」

 歩は言われた通り、青年に手を添えて助け起こした。

「まるで氷のように冷たいね」

「お兄さんはどうしてこんなところで倒れているんですか?」

「そうだった。忘れていたよ」

 青年はとぼけた声で答えた。

「実はね、僕はとてもおっちょこちょいなんだ。近くのコンビニへ買い物に行くつもりが、こうして迷子になってしまった。道順はちゃんと聞いていたんだけど、覚えが悪くてね」

 恥ずかしげもなくボサボサの頭をかく青年。思いのほか明るいが、少しずぼらな感じがする。

「あなたの家はどこですか?」

「ええとね。おしら町の三丁目の九番地のアパートなんだけど」

「ここは、不知火町ですよ」

「そうか。じゃあ、二つ離れた町まで来てしまったんだな」

 この人を一人にしておくのも危ない気がする。歩は迷った挙句、メリーにすぐ戻ると告げると、青年に道案内を買って出た。メリーは悲しげにすすり鳴いたかと思うと、青年の臭いを嗅いだ。そして、首を傾げた仕草をした。

「本当にいいのかい。だが、君は子供じゃないのか? こんな遅い時間に一人で外に出て、親御さんは心配するかもしれない。僕が誘拐犯だったらどうする?」

「心配には及びません。僕は親のいない幽霊なんです」

 青年はクスリと笑った。

「面白いね。君はなんていう名だい?」

「歩」

「歩か。僕は純。広山純っていうんだ。不便をかけるね」

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