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真一郎 ③

 

          4


 ある時、真一郎は別の家に忍び込んでいた。

 いつぞやと同じくほっかむりで顔を隠しながら(こんなもので顔を隠したつもりなのかな)、唐草模様の風呂敷を背負っている。絵に描いた泥棒のいで立ちだが、幸か不幸か、住人は買い物に出ているのか留守だった。

 一階のリビングの窓の鍵穴に細いピンを二本突き刺して、うまい具合にかき回している。やがて、カチャンと音がして戸が簡単に開いた。

 家の中に入った真一郎は、「なんじゃあ、こりゃあ」と素っ頓狂な声を上げた。隣にいた歩も同じ気持ちだった。

「ずいぼんと、すっからかんな家だな。先客でもいたのか。それとも、立派な外面は見かけ倒しか」

「うるさいな。元は僕の家なんだ」

 遠い町まで出張に向かったのは、よりにもよって実ノ森家だった。広いリビングには、あったはずの家財もなくなっていた。華やかなシャンデリアも、調度品や宝石の飾りや絵画、大型のテレビ、冷蔵庫、大理石のテーブルにソファーまでも消え去り、ただの広い大部屋に変わっていた。

「誰?」

 二階の階段から、制服姿の幸子が降りてきた。

 ガマガエル似の顔は、明らかに家族ではない泥棒の真一郎を見ても、取り乱すことなく落ち着いていた。お前はまたおかしな奴に憑いているなと言わんばかりに、幸子はため息を漏らした。

「この家には何もないよ」

 彼女の貫禄に押されたのか、真一郎は慌てて逃げていった。

「相変わらず人選が下手じゃな。あんな三流のコソ泥に付きまとってからに」

「大きなお世話だよ。ところで、家の中ずいぶんと片付いたね」

「売り家だからな」

 幸子は平然と言った。自分の部屋に案内してくれたが、かつて歩が使っていた場所は何もなくなって、段ボールだけが積まれて窓が塞がれていた。

「渉の会社が倒産した」

 歩は絶句した。幸子の言葉が嘘ではないかと思いたかった。

「借金を完済するのに、物を売って、家を売っても足りなかった。自己破産した。明日から引っ越す。しばらくの間、道子の実家にお邪魔する」

「幸子さんは大丈夫なの?」

「案ずるな。こんなこと、昔の頃に比べれば、苦難の内にも入らん。万事なるようになるさ」

 幸子はダンボールで作った台に腰をかけた。すでに荷造りも終わっていた。

「にしても、泥棒に憑りついているとは、お前もずいぶんと暇人じゃな」

「あの人と三重子さんが縁でつながっていたんだ。最初は犬と一緒だったんだけど」

「犬畜生にまで憑りついたのか。座敷わらしも落ちぶれたな」

「犬畜生じゃないよ。メリーという名前があるんだ」

「どうでもよい。変な縁じゃな。泥棒に、犬か。三重子も忙しくなるぞ」


          5


 幸子の言う通りだった。真一郎はその後も三重子の家にお邪魔するようになった。ある時は、庭の草むしりを手伝った。ある時は買い物を手伝って、カートを持ってやったりもしていた。変な電話がかかって来た日も、真一郎がいたことでことなきを得た。

「もしもし、母さん、オレだよ。オレ、オレ」

「はて、誰だったかの?」

 真一郎は三重子に変わって、彼女の真似をした声色で応じた。

「自分の息子を忘れたのかよ。今さ、自動車事故で困っていてさ、お金をくれたら示談にしてくれると言われちゃって」

「息子は俺だ。オレオレ詐欺なんてカビくせえ手ぇ使いやがって。自分の尻くらい自分で拭きやがれ!」

 メリーも彼と三重子に懐いて、一緒にいる方が多くなった。すっかり、三重子の家で暮らしている。彼がいるおかげで、三重子は押し売りや詐欺に遭わずに済んだ。

 ある日の夕食に真一郎も呼ばれた。

「あなたがいて、本当に助かるわ。あなたが本当の息子なら本当によかったのかもね」

「あんたの息子はどんな人なんだい?」

「今は遠くに暮らしてるの。この前まで一緒に暮らしていたけれど、今はめっきり」

「ひでぇ息子だな」

「この家には幽霊がいるんですって。私は見たことはないんだけど。あなたのご家族は? お子さんはいるの?」

 三重子の質問に真一郎の箸が止まった。

「昔はいた。でも、俺のせいでバラバラになっちまった」

「あなたのせいで?」

「俺はこれでも大工をやっていたんだ。親父の代を継いで、そこそこ稼いでいたんだ。でも、ある時、会社が倒産した。別の大きなところに吸収されてしまった。三ノ森建設ってところだ」と苦々しく彼は言った。

 三ノ森建設――そこは歩の父の経営していた会社だった。その実ノ森建設もあえなく倒産してしまい、幸子もあの家を追い出される羽目となった。縁もゆかりもないと思っていた真一郎と自分とは、そんな関係で結ばれていたことを知って、歩は複雑な思いに浸っていた。

「残ったのは借金だけ。生まれたばかりの息子には障害もあった。とても辛かった。俺は借金を背負ったまま逃げた」

「奥さんと子供とは会っていないの?」

「もう二十年以上前のことだ。それから今日まで、落ちるとこまで落ち続けた。借金も踏み倒した。人の道からも外れた。本当だったら、あんたみたいな真っ当な人と、こうやって一緒に飯を食う資格なんて、俺にはない」

 メリーもすっかり食事を終えて、悲しげにすすりながら、真一郎に寄り添った。

「ご家族の人に会ってみたらどう?」

「ダメだ、今さらだよ。会う面もない。きっと、女房も息子も俺を恨んでいる。夫として、父親としても何もしてやれなかったんだから当然だ」

「でも、あなたは奥さんと子供に会いたいのでしょう」

「会いたい。でも、怖い」

「今のあなたなら、受け止めることができるわ」

「もう手遅れな気がする」

「本当の自分になるのに、遅いことはないのよ。もしも辛かったら、いつでもここに来てちょうだい。私も老い先短い。あなたの話し相手くらいにはなれるから」

 真一郎は大粒の涙をご飯の上にこぼしながら、それらを口に運んだ。

「酸っぱい飯だ。うめえな」

「ありがとうね。私もね、以前、一人で死ぬまで静かに暮らそうと思っていたの。でもね、ある子に言われたの。残された時間を楽しく過ごすのもいいかもしれないって。あなたやメリーと出会えて、この家の中が少し明るくなった気がするわ。本当にありがとう」

「こっちこそだ」

「そう言えば、あなたの名前を聞いていなかったわね。なんていう名前なの?」

「あ、そうか。俺としたことが。真一郎、俺の名前は真一郎です」

「いい名前ね。今のあなたなら、きっと、家族の方も許してくれる。私も一緒に謝ってあげる。あなたは素晴らしい息子ですって」


          6


 三重子の家を出た真一郎は、夜空を見上げながら白い息を吐いた。さっきまでの顔はすっかり明るくなっていた。髭には米つぶが残ったままだった。

「よお」

 電柱の陰から現れた男が、真一郎に呼びかけた。見覚えのある顔に、歩は何度か目を凝らして近くに寄ってみた。

「誰だ?」

「俺を忘れたかい。こちらは、せっかくの壺を売り損ねたよ」

 そうだ。歩は思い出した。いつか、三重子に壺を売ろうとした奴だ。

「あの時の押し売りか。今度は何を売りつける気だ?」

「今日はあんたに用があるんだ。大泥棒の岡島さんにな」

「俺が泥棒だと? ふん、勘違いも大概にしろ」

 真一郎は即座にとぼけたが、声はかすかに震えていた。

「ここらに、今時、ほっかむりに風呂敷を抱えた昔気質の大泥棒がいるって噂を聞いた。そいつの鍵破りは天下一品らしい。あんたがそうだろ」

「知らんものは知らん。俺は、谷原だ。谷原真一郎。この家の息子だ」

「この家の婆さんに確かめるとするかね」

「止めろ! この家は何の関係ねえ」

 真一郎の怒気に慌てつつ、出っ歯の男は言った。

「落ち着きなよ。あんたをゆすろうなんて思っていない。ちょっと、あんたの腕を借りたいのさ。デカい山がある。そこの鍵を開けるのを手伝ってほしい。報酬は俺とあんたの折半でいい。悪い話じゃねえだろ」

「俺は足を洗った。サツに垂れ込むならやればいい。俺も散々盗みをしたんだ。今更痛くもかゆくもない」

 真一郎は急いで家に帰ろうとした。

「じゃあ、あの婆さんに洗いざらい話そうか」

「何だと」

「お前さんが泥棒と分かれば、さぞかしガッカリするだろうな」

「てめえ!」

 ネズミ顔の男を、真一郎は胸ぐらをつかんだ。

「泥棒のくせに、堅気に入れ込んだあんたが甘い。もう遅いんだよ、今さら堅気に戻ろうなんざ。毒を食らわば皿まで。仕事をちゃんと手伝ってくれたら、俺も告げ口はしない。あの婆さんの息子でいたいだろ」

 真一郎は背中を丸めながら息を整えた。

「少し時間をくれ」

「へへっ頼むぜ、兄貴」

 出っ歯の男はいやらしい笑みを浮かべて、夜道へと立ち去った。

 歩は真一郎の隣に立った。

「ねえ、本当にあいつの言いなりになるの? それであの人を傷つけずに済むの?」

 真一郎は地面に座り込むと、頭を抱えながら何度も電柱にぶつけた。

「俺はどうしたらいい? どうしたら……」

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