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真一郎 ②

 

          2


 泥棒の名は真一郎というらしい。

 クマに似たズングリとした体躯とは裏腹に、器用な手の持ち主だった。

 古い障子を取り去り、手際よく木の枠にのりを塗っていき、乾かないうちに新しい障子紙を貼り付けていく。歩も人間だった頃に、障子の張替えを学校の体験授業でやったことがあるが、結構難しかったのを覚えている。泥棒の早業に見とれてしまった。

 もちろん、三重子は満足そうに喜んだ。

「あらら、きれいになったわね、ありがとうね。障子屋さん」

「これくらい朝飯前でさあ。そうだ、よかったら、部屋も片づけておきますね」

「まあ、そこまでしていただかなくてもいいのに」

「いいの、いいの。さあ、お母さんは休んでいて」

 三重子を縁側の座らせると、真一郎は忍び足で外へ出て行こうとする。逃げる灯りだったらしいが、玄関のところでさっきの犬が待ち構えていた。泥棒の顔を見ると、尻尾を振りながら飛びついてくる。

「分かった。逃げない。ちょっとやりますよ。まったく、よお――」

 真一郎は小さな箒で玄関を掃除した後、ついでにものが散らかっていた台所の整理までした。古い缶詰や食べかけの食器で散らかっていた部屋が一気に片付いた。

 三重子はまたもや、泥棒に感謝した。

「障子だけでなくて、ここまでしてくれるなんて。ありがとうね。これは少ないけど、受け取ってちょうだい」

 と、男に封筒を渡した。

「お邪魔してすみませんね。おかあさんも家の戸締りはしっかりした方がいいですぜ。腕の立つ泥棒には、カモがネギしょって歩いてるのと同じだよ」

「腕の立つ泥棒ねえ」と歩は笑った。そいつは掃除の上手いやつに違いない。

「じゃあ、あっしはこれで――」

「ちょっと待って」三重子が引き留めた。「少し休んでらして」

 真一郎が止める間もなく、三重子はお茶と団子を用意した。何だか以前よりもテキパキ動いているように見える。彼は仕方なく、それに甘えるようにしたようだ。

「この子はあなたの犬?」

 泥棒の隣に座る犬は三重子の手をペロペロなめている。

「優しそうな犬ね。名前はなんていうの?」

「あ、ええと、ああと、メリーといいます。愛想はいいが、少しやんちゃなところがあって困ってるんです、へへ。ところで、お母さんはずっと、この家で一人暮らしをしているんですかい?」

「主人が亡くなって、ずっとね。もう五十年くらいかしら。でも、何とかなるものね。この辺は静かな町よ。泥棒もいないし」

「そうですね、はは」と居心地が悪そうに苦笑いする。「あ、俺、そろそろ別の家に行かないと。お金までもらって、こんなにしてもらってありがとさんです。すみませんが、その犬をしばらく預かってもらえませんか。良い子なんで、すぐに取りに来ますから」

 三重子が何かを言う前に、真一郎は逃げるように谷原家から出た。


          3


 歩は真一郎の家は、三重子の住む家から三十分くらい歩いた先にある、下町のアパートだった。表札には、マジックの乱暴な字で『岡島』とある。

 家の中は狭い四畳半だが、意外と整理整頓されている。あまり物を置いてない。人相と職業と違って、几帳面な人のようだ。

「参ったぜ、まったく。今日は厄日だ。泥棒が人助けなんざ、やるもんじゃない。情が移ってろくなことになりやしない」

 真一郎は畳に寝そべっていたが、しばらくすると大きないびきを立て始めた。歩も外に出ようと思った。この人は悪い人という感じがしない。泥棒であることに変わりないが、歩にそう思えた。もう、三重子の家に泥棒に入る心配はないだろう。

 玄関のドアを出ようとした時だった。真一郎の丸い背中からうっすらと糸が伸びている。外の方へ向かっているのだ。ふと気になり、その元を辿ってみた。案の定、紫色の糸の先は三重子の家に続いていた。

 歩は踵を返して、真一郎の部屋に戻った。そして、新しいすみかに決めた。

 翌日の正午近く、部屋の主は寝床から起き上がると、家から出て、パチンコに入っていった。しかし、すぐに出てきて、競馬場をぶらぶらする。または別の家々を観察の目を飛ばしながら散歩する。そうこうしているうちに、真一郎の足はいつの間にか、三重子の家にやってきていた。

「ああ、なんで、俺はまたこんなところに」と頭を抱える。

 三重子の家は玄関が開いていた。

「まったく、不用心な婆さんだ」

 家の中から声がする。

「いい品物ですよ。これは買わないと損しますよ」

 やけに甲高い、耳障りな声が響いた。真一郎が歩より先に門から入った。

 戸口が開かれ、三重子に一人の男が話しかけている。上品そうな背広を着ていて、髪の毛をべったりと後ろになでつけているが、顔に張り付いた笑顔は作っている感じがした。唇は薄く、黄色い歯並びをのぞかせる。目だけが鋭く、三重子に突き刺さっている。

 玄関の上には変な形の壺が置いてあった。

「これはね、とある有名な寺院で使われていた、ありがたい壺なんですよ。さっき、三回くらい説明したけどね、これを買ってありがたいと感謝するお客が何人もいるわけですよ、お母さん。ねえ、買っちゃいなよ。今ならさ、半額して安くしとくよ。あたしだってね、暇じゃないんだから。ノルマがあって、これを売らないと会社にも帰れないですよ。即断即決してもらわないと」

「あ、いえ、で、でも」

「ほらほら、幸運を呼ぶ黄金壺。買ってもらうまでここに居着いちゃいますよ。うちだって、商売なの。あたしもノルマがきつくてジリ貧なの」

「そ、そんな」

 押しが弱そうに三重子が怯えていると、「ちょっと待て」と、真一郎が決まりの悪そうに口を曲げながら話しかけた。押し売りはひるんだ。

「その壺にご利益があるっていう証拠がどこにある? あるなら説明してみろ」

「ですから、これはさる寺院の高僧が丹念を込めて作った壺でして。買われたお客様からも効果があったと絶賛されました」

「その寺はどこだ? 問い合わせてやる。そいつを買った奴の電話番号も教えろ。ちゃんと効果あったかどうか確認させてもらう」

「あ、いや、それは個人情報になりますのでお教えはできないです」

「じゃあ、壺の効能なんて分からないじゃないか。そもそも、お前が持っていたらいいじゃねえか。ご利益があるんなら、ノルマに追われることもないはずだろ」

 畳みかけるような真一郎の勢いに、押し売りの顔を紅潮させた。

「いきなりなんですか。他人様の商売を邪魔して、ひどいじゃないかよ。あんた、この人とどういう関係だ?」

「てめえの母親が押し売りに脅されているのを助けちゃいけねえのか!」

 森の中でヒグマに遭遇したように、押し売りの男は甲高い声を上げながら腰を抜かした。真一郎の心の声が『しまった』というのが聞こえた。

「ご子息様でしたか、すみませんでした」

「壺忘れんな。またこの辺をうろついていたら承知しねえぞ!」

 ご利益の壺を抱えたまま、男はよろけながら走り去った。

「すまねえな、家の前で大声出しちまって」

「いいの。さっきはありがとうね。どうしようか、困っていたの。あなたが来なかったら、すっかり買っていたかもしれないわ。代わりにあなたにお礼のお金をあげた方がいいかもしれないわ」

 真一郎は慌ててそれを断った。

「そんなのいけねえよ。俺はこれを返しに来たんだ」

 そして、昨日もらったばかりの封筒を差し出した。

「よく考えたら、俺はあんたからこんな金をもらうほど何かをしていない。あんたみたいな一人暮らしの人からもらうわけにはいかない。俺はそんな人間じゃない」

「そんなことないわ」

 三重子は封筒を持った彼の手を握った。

「あなたは、自分が思うよりも優しい人よ。ほら、この子だってあなたになついているわ」

 メリーがしばらく会っていない飼い主に再会したように、ジャンプして真一郎に飛びかかった。そのまま尻もちをつく羽目になる。

「この子はあなたが大好きなのね」

「こいつは俺の犬じゃないんです。野良犬なんです。すっかりなついてしまって」

「じゃあ、やっぱりあなたは悪い人ではないわ。この子にはそれが分かるの。だから、あなたを頼っているのよね」

 真一郎は何も言えず、短いごま塩頭をかいた。

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