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三重子 ②

 

       3


 三重子がいつものように買い物に行こうとした。嫁の早苗が慌てて止めた。

「お母さん、買い物は私が行きますから」

「いや、でも……」

「さあさあ、ゆっくり休んでいらして」

 またある時は、久しぶりに家の掃除をしようと、物置小屋から箒を出そうとした。偶然通りかかった茂が裸足のまま下り立った。

「おふくろはいいから、休め。掃除ぐらい、俺や早苗に任せてくれ」

 またまたある時は、ご飯を炊こうとして――。

「お母さん、それくらい私がしますから、どうぞ、向こうで休んでいて」

 三重子はゆっくりと動きながら、縁側でいつものように日向ぼっこをしていると、三人の子供達の中で一番小さい長女がやって来た。

「おばあちゃん、お菓子を買いたいから、お小遣いちょうだい」

 三重子は百円玉を出して、孫娘に渡した。喜んで隣の部屋に消えると、「ちぇ。こんなのじゃ、全然足りないよ。もっと、もらって来いよ」と長男の文句が聞こえた。

 歩は呆れながら、三重子の隣に座った。

 小さな庭は茂によって剪定されて、伸び放題だった松もきれいになって落ち葉もないものの、荒々しい印象のあった以前と比べ、何とも貧相になった。今の三重子と同じだ。いつもは、池の縁で日光浴をしていたガマガエルも、慌ただしくなったせいか、すっかり水の中に入って出て来なくなった。そう言えば、サチはどうしているだろう?

「もっと、肩の力を抜きなよ。家族に頼った方が楽だよ」

 歩の声は当然聞こえないはずなのだが、三重子は目をつぶりながらため息を漏らした。

 これでよかったのかな。歩は不安になりながら、別の方策を考えた。家族でもっと一緒にいるようなパーティをしてあげるというのはどうか。彼はさっそく、その構想を考えた。

 その晩、茂の提案で三重子の八十二歳の誕生日をすることとなった。

「おふくろは明日が誕生日だよな」

「じゃあ、あしたは盛大にしなくちゃね」

 張り切る早苗と子供達。

 翌日の早朝、歩は次男のゲームをこっそり拝借して遊んでいた。朝日が出る前の暗い時間に、三重子がむくりと起き出した。時間は五時。着替えを済ませると、いつものようにカートを押して家を出てしまった。

 気になった歩は、彼女の後をつけた。いつものように長い階段を一段ずつ降りて、狭い路地を進み、駅前のスーパーに来た。ちょうど開店時間だった。カゴには夕食分の総菜を乗せて、レジ係を不機嫌にさせる速度で精算を済ませた。

 早苗がスーパーよりも安いショッピングモールで買いだめしているはずなのに。それに今日は誕生日のはずなのに。

 三重子はスーパーを出た後、近くの公園のベンチに座った。歩が公園の遊具で時間を潰して、他の子供をからかって怖がらせている間も、彼女はボンヤリと途方に暮れているようだった。立ち上がろうとしても、また座り直してしまう。

 三重子がやっと、家に帰り始めたのは、夕方近くになってからだった。

 歩の不安は的中した。


       4


「どういうことですか、お母さん!」

 歩は自分が怒られたように飛び上がりそうになった。甲高い嫁の怒鳴り声に対して、三重子は消え入るような声で謝り続けた。どちらが、偉いのかが分からなくなってくる。母親に叱られている子供と同じだ。

 場所は家の和室だが、誕生日の飾りを子供達が面倒くさそうに片付けていた。机の上に置かれたバースデーケーキには、七色のロウソクが大小刺さったままだった。

「帰りがあまりにも遅いから心配して、皆で探したんですよ。どうして公園なんかにいたんですか! それにこんな余計なものばかり買って……」

「まあまあ、早苗。おふくろが見つかったからよかったじゃないか」

 三重子は体が小さくなったように見えた。

 その晩、歩は、茂と早苗の会話に耳を傾けていた。聞いてはいけない内容だった。

「ねえ、あなた、早くあのことを言った方がいいんじゃないの」

「あのことか。待ってくれ。急に言い出すわけにはいかない」

「じゃあ、いつ言ってくれるの。私達は、いつまであの人と同居しないといけないのよ。大体、あなたが言い出したことじゃない」

「いつまでって、おふくろが生きている間に決まっているだろ」

「この土地と、お母さんのお金を早く管理したいから、施設に入れるんでしょう。それを見越して、こんな不便なところまで引っ越しんたんじゃないの。ショッピングモールまで一時間もかかるのよ。学校だって遠いし。ねえ、あなた、聞いてるの?」

「施設だって? どういうことなんだよ」と歩は割って入った。

「聞いてるよ。おふくろを老人ホームに入れて、財産を管理して、この土地を売りたい。それは俺も同じだ」

「そうよ。私は嫌だわよ。あの人の年になるまで、こんなところに住むのは」

「物事には順序がある。この土地の権利を持っているのは、おふくろだ。おふくろが首を縦に振らなきゃ、この土地を売ることはできない。それか、おふくろが亡くなってから相続するかだ」

「そんなに待てないわよ。子供達だって、これから中学生、小学生になって、物入りの時期になるのよ。いつまでも、あんな狭いアパート暮しもできないわ。相続だって、いつになるか分からないじゃない。だから、お母さんを早く施設に入れるの。財布をこちらが管理できるようにする。無駄な買い物をさせないようにするの」

 早苗はビールを一気に飲み干した。

「それなのに、あの人、誕生日に買い物までして、家に帰らないで。まるで、私への当てつけみたい」

「気のせいだよ。もしかすると、認知症かもしれない」

「それよ。ねえ、あなた。来週の土曜日にでも施設の見学にあの人を連れて行ってよ。息子のあなたが強く言えば、反対しないわよ」

「そうかもな」

「ねえ――」歩は二人に話しかけた。「施設って、三重子さんはあなたのお母さんなんでしょ? 一緒に暮らすんじゃなかったの」

「仕方ないだろ。おふくろの遺産と土地がないと、俺の稼ぎではやっていけないんだよ。今はどこも不景気だ。オリンピック不況ってやつだ」

「あなた? どうしたの、急に」

 はっとしたように、茂は部屋の中を見渡した。歩は反射的に隠れてしまう。

「急に誰かに聞かれた気がした。お前の母親じゃないのかって」

「止めてよ。こんなぼろ家で幽霊とか出そうじゃない。とにかく、急いでちょうだい。来週の土曜日、お願いね」

 茂は何も言わずに頷いた。

「どうしよう。このままだと、あの人、老人ホームに入れられてしまう」

 家の中を歩き回りながら、歩は一人の顔を思い浮かべた。


       5


 歩は古巣の家にいた。今は懐かしい実ノ森家である。

 どこか様子がおかしい。ガレージの中に車が一台もない。父が暇なときに手入れしていた外国製の高級車。一台だけなら出かけているだろうが、三台とも出払っている。

 庭の温室も、すっかりツタが生えて荒れ放題だった。母のお気に入りだったはずなのに。家の外観も色あせた感じがする。炭酸の抜けたサイダーみたいだった。

 異変は家の中も同じだった。大理石の玄関にあった銅像、廊下に飾られた絵画、リビングの調度品やお母さんのダイエット用に愛用していた機械や、大型のテレビ、花瓶に至るまで、『売約済み』という紙が貼りつけてあった。

 急いで階段を上がり、自分の部屋だったドアを開けた。

 部屋では幸子が勉強をしていた。日曜日だというのに真面目なことだ。部屋の中は少し整理したのか、装飾が変わっていた。世界地図の壁紙は消えて、代わりに棚に地球儀が収まっている。窓辺には小さな花瓶が飾られており、タンポポが活けてある。机の上の時計が見当たらなかったが、ベッドのところに丸井壁掛けの時計に変わっているのに気づいた。残念ながら、時計や地球儀にも『売約済み』とあった。

 幸子が鉛筆の手を止めて、こちらを向いた。

「ノタバリコか。気配を消すのが下手だな」

「久しぶりだね、サチさん」

「幸子じゃ。忘れ物でも取りに来たか?」

「ううん。お父さんとお母さんは出かけているんだね。その紙は?」

 家中に貼られた売約済み、両親の状況から、きっと、父の会社に何かあったのだ。取り返しのつかない何かが。

「お父さんの会社に何かあったんだね」

「あまり、よくはない」

 幸子はそれだけ答えた。

 父が一代で築いた実ノ森物産。起業するなり赤字知らずのうなぎ上り。特に、十数年前のオリンピックによる好景気では、一部上場するかといわれたくらいの絶頂期だったらしい。

「会社も家も人も、いつかは衰える時が来る」

「僕のせいだ。きっと、僕が死んだから」

「馬鹿を言うな。お前や私のせいではない。渉も道子も頑張っている。わしもできる限り協力したい。じゃが、現実は如何ともしがたい」

 幸子はタンポポを花瓶から出して、窓を開けて綿を吹きかけた。無数の綿が空を飛んでいく。

「座敷わらしのいなくなった家は衰退する。その伝承には少し間違いがある。幸福になるのが運であっても、それを保っていくには努力を要する。渉は生身で耐えうるだけの商才がなかった。座敷わらしの妖力は、人の分を苦もなく、大きくさせてしまう。歩、お前は生まれたこの家が金持ちであると悟ってから、それを幸運と思ったか?」

「もちろんだよ。でも、実際は違ったんだよね」

「左様。渉はこれから、人として生きる上で味わう以上の苦労を背負うことになるだろう。わしにも責任がある。人を幸せにするのは、自分が幸せになるより難しい。わしは、二人の子供として守っていくつもりじゃ。お前は余計な心配をせずに務めを尽くせ。ときに、何の用じゃ?」

 歩は、今まであった経緯を説明した。

「なるほどな。そのおばあさんが家にから追い出されるかもしれない」

「僕がいるのにどうしてなの? 座敷わらしは家の住む人を幸せにするはずなのに」

「知りたいか?」

 幸子の鋭い目は、人間に戻っても健在だった。歩は小さく頷くしかなかった。

「ノタバリコ、その家まで案内せえ」

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