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歩 ①


          1


 実ノ森歩は学校から家に帰ると、いつものように自分の部屋を開けた。

「うわッ!」

 途端に間の抜けた声を上げた。おまけに腰を抜かしそうになった。

 今日は家の中で“あいつ”の姿が見当たらなかったので、すっかり安心していたので、すっかり安心しきっていた。

 歩は尻を床につけたまま、部屋の中をにらみつけた。

 目の前に、間違いなく“あいつ”がいる。

「おい、お前は一体誰なんだよ? なんで、僕の部屋にいる?」

 あいつとは、部屋の真ん中で正座をする一人の女の子のことだった。歩の呼びかけに大きな目だけを動かして、面倒くさそうに睨み返してくる。

 年は十くらい。桜と若葉が入れ替わる時期なのに、毛玉だらけの赤いセーターを着ている。ねずみ色のズボンは、所々ツギハギが目立つ。おかっぱ頭の乗った顔はやや幅広く、大きな目玉とは反対に鼻は小さい。口は一文字に頬まで伸びている。人間に化けたつもりでいる、大きなガマガエルのようだ。


 今から三、四日前だろう。このカエル顔の子を家の中で見かけるようになった。ある時はリビングのソファーに座り、またある時は夕食の席に座って勝手に食事をした。また違う日には、歩の部屋で漫画を読んでは、すぐに飽きては放り投げる。はたまたある時はトイレにいた。お風呂に入ると湯船に浮かんでいた。

 歩は、この奇妙な女の子を妖怪カエル女と呼び、馬鹿にして、見かける度にエアガンで撃ってやったりもしたのだが、まるで手ごたえがない。

 さらにおかしいことに、どうやら、両親にはカエル女の姿が見えないらしい。いくら説明しても、二人は冗談を笑い、しまいには息子を叱るだけで終わらせた。なのに、母親は何故か夕食を四人分並べていた。歩の家は、両親と彼の三人しかいない。家政婦は一人雇っているが、夕方には帰っていないはずだ。

 しかも、後で母親に確認すると、本人は初めて気づいたように驚く。

「本当だわ。どうして四人分もあるのかしら? 全然気づかなかったわ。いやね、若年性アルツハイマーかな」

 こんな具合にとぼける始末だったが、演技とは思えなかった。

 こいつは人間じゃない。幽霊じゃないかと、歩は考えた。おかしな力を使って、母親をだましたに違いない。もしくは、両親と少女がグルで、自分をだまそうとしているのかもしれないと思った。

「僕の声くらい聞こえているんだろ。おいったら」

「カエルではない」

 少女の口がふいに動いた。

「わしはカエルではない」

 初めて聞いたカエル女の声は、金属がこすれたようなガラガラした響きだった。

「僕の心が読めるのか?」

「そんなものなくとも、すぐ分かる。お前のような頭の悪い小童の考えはな」

「しゃべるなら、初めから言えよ。お前は誰なんだ?」

 少女が首を初めて動かし、広い部屋を眺めた。

 立派な学習机にベッド、書棚は漫画や図鑑が所せましに埋まっている。その隣には自分用の大型テレビが鎮座して、台のラックには最新のゲーム機、音楽デッキが収まっている。壁には銀色に磨かれたデジタル時計が四時ちょうどを過ぎたところだった。さらに部屋の隅には、いつでも掃除ができるように、父が買ったばかりの最新式の掃除機ロボットも待機している。

 クラスメイトの中で、これだけ好きな物であふれた部屋を持っている奴はそうそういないはずだ。ほとんどが親に買ってもらった。欲しいものがあると、父が必ず買いそろえてくれた。おかげで、昔から欲しいと思っても手に入らなかった物なんて、一つもない。あるとすれば、弟か妹くらい。

 カエル女は首を正面に戻すと、小さなため息を漏らした。

「つまらぬ」

「何だって?」

「つまらぬ部屋じゃ。無駄に広いだけの間に、要らん物ばかりをガラクタ市のように置いてあるだけ。阿呆の部屋そのものじゃ。のお、歩よ」

「僕の名前を知ってるのか?」

「お前のことはよぉく知っておる。お前の親父、渉がこまい頃からこの家にいたのだからな。渉の生まれた日、その親父、お前のおじいさんがぽっくり逝きおった。わしは不憫に思うて、ここに居着くようになった。かれこれ、三十五年かの。あの頃、今みたいなバカでかい家などなかった。元々は小さい家だった。ささやかな幸せの宝玉であった」

 少女は立ち上がり、部屋の中を周り始めた。

「渉は、今のお前くらいは素直な子でな、短くなった鉛筆がもったいない言うて、芯が米粒になるまで使っとった。必死に働く母のためにこっそり小遣いを貯めて、新しい靴を買ってやろうとした。真面目で心根が優しく、強い子だった」

 足を止めると、カエル女はいきなり地団太を踏んだ。

「ところがきゃつめ、大人になって人の上に立った途端、わしの恩を忘れてしまいおった。暮らしに困らぬくせに、小金惜しさに、てめえの母親を老人介護施設だとかにぶち込みやがった。姥捨て山みてえにな」

 ただでさえ大きな目玉をさらに開かせ、少女が迫ってきた。

「その渉の子倅は、もっと可愛げがねえ。てめぇが赤子から今日まで、何一つ不自由なく、殿様暮らしができたと思おとる。親父は恩知らずの親不孝もん、そのガキは、初対面に向かってお前呼ばわり。敬意も作法もあったもんじゃねえよ。相手に名乗ってほしいなら、まずはてめえが名乗る。それが礼儀だろうがいッ!」

 少女の気迫になす術もなく、歩は壁に追い込まれた。背の高さは彼よりも低いが、圧倒的な迫力があった。

「でも、僕が歩って知っているんでしょ。名乗る必要なんかないじゃないの」

「おのれ、まだ言うか!」

 突然、部屋が大きく揺れた。椅子が転がり、棚の本が散らばった。分厚い動物図鑑の背表紙が一番上から落下して、歩の脳天に当たった。目の前に星が舞い、ひとたまりもなくその場に転んだ。痛みと恐怖で耐え切れずに涙があふれた。

「情けない。男だったら、おなごの前で泣くな」

「ごめんなさい。ごめんなさい。僕は、僕の名前は、みのもりあゆむです」

 地震は嘘のように収まった。赤い顔も少女も落ち着いた様子で座り直した

「やればできるではないか」

「無理やり言わされたんだ」

「減らず口め。今度は、この成金屋敷を更地にしてやるぞ」

「それだけは許して下さい!」

「冗談じゃ。顔を上げてみい」

 歩の目の前に少女の顔があった。細く小さな手が額をなでると、ズキズキ痛んでいたのが嘘のように引いた。やっと思い出した。昔、家の中にいた女の子。最初は姉かと思った。けれど、父も母も知らないという。一人でいると、いつも一緒に遊んでくれた。

「僕は、君を知っている。昔から家の中にいたかもしれない」

「ようやく思い出したか。久しぶりだな、歩」

「あなたは誰なんですか?」

 少なくとも人ではない。

「わしの名はサチ。人ならば、今年で御年百三十歳くらいになる」

「サチさんは幽霊ですよね」

「当たらずとも遠からず、と言えばよいかの」

 サチは、床に散らばった本の中から古びた一冊を拾い上げた。本のタイトルは、『日本の妖怪事典』。幼稚園の頃に読んだきり、棚の奥に眠っていた一冊だった。

 サチの手が、あるページで止まる。

「読んでみぃ」

「ええと、座敷わらし。子供の姿をした妖怪で、古い家に住み着く。座敷わらしのいる家は、金持ちになったり、住人が偉くなったりと豊かになるという。座敷わらしの出て行った家は、逆に衰退して寂れてしまう」

 古い家の座敷に一人立つ着物姿で、おかっぱ頭で青白い丸顔の少女のイラストが添えられている。

「分かったか。わしも、他の者のようにぞんざいに扱ってはいけない存在だ」

 サチが大きな口で笑顔を描いた。少し黄ばんだ歯がのぞいた。

「じゃあ、サチさんは座敷わらし。ちょっと待って、ということはだよ、僕の家は、座敷わらしがついていたから、金持ちになれたってことだよね」

「当たり前じゃ。人は己の力だけで大きくはなれん」

「でも、今の僕はサチさんが見えるよ。お父さんやお母さんは見えないのに」

「大人にわしの姿は見えん。子供のお前だからこそ、わしと話せる」

「座敷わらしが見える。なんか、すごいや。僕って霊能力者だったんだ」

「悠長なことを言っておる場合ではない。わしの姿がいつから見えた?」

「ええと、三日前くらいかな」

「そうか。不憫じゃな。星が悪かったのか。その年でな。しかし、定めならば仕方あるまいて。定めは何人も止められん」

 独り言をするサチに、歩はいやでも気になった。

「何が気の毒なんですか?」

「落ち着いて聞いてくれるか」

 サチは正座すると、ゆっくりとした口調でとんでもないことを言い出した。

「歩、お前はもうじき死ぬ」

 サチは一文字の唇をかみしめた。歩は、もう一度聞き返したかった。でも、確かに聞こえた。聞き間違えようがないほど、はっきりと。自分は死ぬと。

「サチさんってジョークが上手いね」

「人の生き死にを冗談で言えるか。今までわしが見えると言ったことは何人かと会うたことがあるが、みんなして数日してから死んだ。わしの姿が自然に見える子は、寿命は残り少ない。お前の命はもう長くない。明日、明後日。おそらくは一週間もかからんじゃろうな」

「そんな馬鹿な。だって、僕はまだ十歳なんだよ。まだ、子供なのに」

「老少不定といおうか、無常迅速ともいうか。つまり、子供だから死なん、老人だから老い先が短いとも限らん」

「でも、早過ぎるよ。僕は、僕は」

 歩はまた泣き始めた。そして、サチをにらみつけた。

「何が座敷わらしだ。お前、本当は死に神だな」

「わしは死に神ではない。わしが自分の姿を人間の子供に見えるようにする力もある。じゃが、そうでない時にお前の目にわしが映るということはな、お前が人から離れている証なのじゃ」

「うるさい!」

 歩は部屋を飛び出すと、母親が夕食の支度をしているキッチンに乱入して、塩の入った袋を取った。

「ちょっと、歩。どうしたの?」

「妖怪カエル女を退治するんだ」

 急いで部屋に戻ると、「これでもくらえ!」と叫んで、サチに向かってこぶし一杯に掴んだ塩を振りかけた。

「ぎゃあぁ、苦しい!」

 ガマガエル顔と体がドロドロに崩れて、フローリングの床に消えていった。歩は心躍らせた。あいつは座敷わらしではなく、悪い幽霊だったに違いない。

「やった。悪霊をやっつけたぞ」

「誰が悪霊じゃ!」

 床からサチの顔がぬぅと浮き上がった。歩は思わず転んで壁に頭を打った。

「ナメクジじゃあるまいし、そんなことで死ぬか。まったく、父の代からこの家を守り続けてきた精霊に向かって塩を撒くとは、この罰当たりめ。不憫だが諦めろ。人生にはな、年貢の納め時というものがある」

「うるさい! そんなもの信じないから」

「せめて死ぬ前に、最期の望みくらい叶えてやるぞ」

「僕は死にたくない。助けて!」

「その望みは無理じゃ」

 歩はベッドに潜り込んで、暗闇の中で耳を閉じた。

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