9 初めての海とカルパッチョ
9 初めての海とカルパッチョ
港町エルマナは大きな街だ。【アッシャーラ】が健在だった頃交易窓口を担っていたのは伊達じゃない。到着した頃はもう夜になっていたけれど、そこかしこに火が灯り笑い声が聞こえてくる。非日常的空間に心惹かれるけれども、不慣れな場所で冒険しすぎるのはよろしくない。有名な朝市も行きたいし、お楽しみは明日ということで、さっさと宿をとって休むことにした。今夜は久々のベッドだ!
◆
明るい。まぶたに感じるのは部屋に射し込む陽だろう。ああ、もう朝か。まだ寝ていたいけれど、朝市に乗り遅れては意味がない。なんとか身体を起こしてカーテンを開け──外の光景に一気に目が覚めた。
見下ろした先のキラキラと光る水面に、大きなマストが1、2、3本。えーーなんだあの船! 角度的に全景が見えないけれど、海賊映画とかで見るようなすごい本格的なやつだ。
急いで身支度を終わらせて港の方へ走るように足を進める。エルマナは海に向かって階段状になっているので、街の入り口に近い高台にあるこの宿の裏手からは港もよく見えた。朝市の開かれている広場は既に人が沢山いるみたいだ。
窓から見えたあの大きな船……ガレオン船って言うんだっけ? それは広場とは違う区画にあるようだ。手前にあるお屋敷から船着き場まで廊下のようなものが伸びていて、いかにもな特別仕様だ。あれはおえらいさん用の船なのかもしれない。
たくさんある小さな帆船はきっと漁船だ。早朝の漁を終えてそれぞれ積み荷の木箱をおろしているように見える。そうすると、他に目立つのは……あの屋根付きのちょっと大きいやつ! きっとあれが、【アッシャーラ】への定期船だ。
【アッシャーラ】への定期船は4日に一度運航で、今は明日の出航へ向けての準備をしているんだろう。船体から大きなオールが沢山飛び出してる……話によると100人ぐらいが定員らしいけど、本当にそんなに乗れるのかな。旅人小屋と同じく大部屋雑魚寝みたいな感じと聞いて覚悟はしてきたけど、狭い中での一日半は結構大変そうだ。乗船チケットは当日の早いもの勝ち。次を待つには宿の費用ももったいないし、明日は早起きを頑張らなきゃ。
興奮して海辺まで来たはいいけれど、いい加減お腹が空いた。なにはともあれ目的の朝市だ!
港町といえばやっぱり食べたいのは魚介類。王都も色々な食べ物があったけど、海から離れているから魚は塩漬けや川魚しか見たことがなかったので楽しみだ。
朝市は遠目で見たように人で溢れていた。広場の中央と周りを囲むように屋台が並んで、ベンチもたくさんあるのが嬉しい。とりあえず魚まるまる一尾の塩焼きと貝柱のフライをさっそく買って、他の屋台も物色する。ベンチも大体先客がいるし、食べ歩きだ。うーん、さすが獲れたて。すごく美味しいぞ。この塩焼き、シンプルだけどなんだか懐かしく感じる。あ、あの魚団子のスープも美味しそうだ。
イカらしきものの串焼きをかじりつつうろついていると、ふと座っている人が持っているお皿が目についた。葉っぱがいっぱい乗っているけれど、あれってなんだか、生魚っぽい。
慌ててキョロキョロと周囲を見回すと、すぐ近くにあった。ありました。カルパッチョ!!!
港街では生のお魚を食べることもあると聞いたけれど、実際こんな風に屋台で売っている程とは思わなかった。いそいそとお金を払ってお皿を受け取る。魚の上にもりもりと乗せられている葉っぱはイタリアンパセリっぽいかな? 彩りのためか小さなトマトも添えてある。いただきます!
白身魚……なんだろう、わからないけど前世の記憶では鯛に似ている気がする。程よく弾力があってクセがない身だ。スライスしたにんにくとスパイスオイルがかかっているからか臭みは全然感じないし、バルサミコみたいなソースが爽やかで美味しい。
ああ、寿司が食べたいなぁ。ゲームの中ではさすがに和食はなかったけれど、生魚を食べる文化があるんだ。世界のどこかで食べられる希望はある。
◇
「アイリーンさん?」
食べ終わったお皿を返却したところで後ろから声をかけられた。振り返ると、一昨日出会ったルルちゃん達だ。相変わらずのにこにこ笑顔が眩しい。
「おはようございます!
足はその後どうですか?」
「おかげさまで、ほとんど痛みもないわ」
それは良かった。私と同じく歩き旅のようだったし、無理して悪化していないか気になっていたんだ。
目的地は同じく【アッシャーラ】だから必然的にこの街で船に乗りかえるわけだけど、こんなにたくさんの人がいる中でまた会えたのはちょっと嬉しい。今朝は3人とも旅装ではなくシンプルな服に外套のフードを被った姿だけど、オーラは相変わらず隠せていない。……むしろ目立ってないかな。
「えっと……皆さんもお食事に?」
「ええ、ここはうちがやっている屋台なの!」
「そうなんですか?!」
なんと、この素晴らしいカルパッチョのお店のオーナーとは!
「生魚は初めて食べましたが、とっても、とっっても美味しかったです!!」
感動を伝えたくて思わず拳に力が入る。なんだか今、ジャンくん吹き出しませんでしたか? 顔を反らしてベステさんに軽く肘で小突かれている。
「アイリーンさんは明日の定期船に乗るのかしら?」
「そのつもりです」
「よければ私達の船に乗っていかない?」
……ルルちゃん達の船?
思わず口に出ていたのか、頷いて、ジャンくんが答えてくれる。
「ああ、あそこに見えているものだ」
「…………えっ
あの一番大きいやつですか?!?!」
「そうよ!」
素敵な船でしょ、と胸をはるルルちゃん。手で示されたのはもちろん、あのマストが何本もある帆船だ。
「定期船より安全で快適に過ごせると約束する」
それはそうでしょうとも!!
これは、まちがいなくやんごとなき身分の方々だ! お貴族様(確定)だ!!
さっきまではお家が大きな商家さんなのかなと思ったりもしたけれど、さすがにここまで大きな船……持っているもの、なの? それに、私みたいな素性のろくに知れない一般庶民が乗っていいのだろうか。
「先日のお礼と思っていただければ」
「私、もっとアイリーンさんとお話したいわ!」
突然のことに戸惑う私へ、ベステさんという保護者からのお誘いにルルちゃんからの駄目押し。見事陥落した私は招待を受けることにした。くぅ、無邪気に喜ぶルルちゃんがかわいい。
「出航は朝早くだから、今日は船に泊まってね!
今の宿はどこかしら? 荷物を運ばせるわ」
「いやいやいや、自分で取りに行きます!!」
そうと決まればどんどん話が進んでいく。荷物を運ばせるのくだりにカルチャーギャップを感じて、やっぱり早まったかなとちょっと後悔した。