2・僕の価値
モモとドレが庭にいると2人の周りには動物が集まり、植物も彼女たちのそばでは美しく生き生きとする。
初めはたまたまだと思っていた。
しかし、それが毎日なのだ。
きっと2人には不思議な力が宿っているのだろう。
おそらく彼女たちは多くの生き物と話せるんだと思う。
僕の国にも、特定の動物や植物と話せる人もいたが、幾つもの種類とというのは聞いたことがない。
彼らの民族だからなのか、個人の才能なのか分からないが、2人が明るく輝いた世界からきた、世界に受け入れられた人々なのだと感じた。
そんな彼女たちをみて、素直に微笑み、住む世界が違うのだと落ち込み、彼女たちと自分自身を比較して恥ずかしくなり、羨ましく思い、自己嫌悪に陥り、また憧れる。
"あー、僕も彼女たちのようになりたい。そうだったらどれだけ良かったことか"
「ベイビー。こっちに来て!なんか怪我をして苦しんでる子がいるの!早く。」
モモが泣きそうな顔で焦った様子で走って帰ってきた。
モモに手を引かれ、急いで連れて来られた森の中では綺麗な鹿が息を激しく荒げて、苦しげに横たわっている。
しかし、全身どこを見ても怪我などない。
「どこにも怪我はないようだけど、どこが怪我をしているのかな?」
「お腹の中。昨日崖から落ちて岩でお腹を打ってからどんどん痛くなってるんだって。」
お腹のあたりをあらためて診てみるが、特に外傷はない。お腹の全体をゆっくりと触って行くと、鹿がビクッとした。モモが鹿の背中をさすって落ち着かせる。
「ベイビー、そこらへんがなんか変な感じがするんだって。」
肌が直接見えなくて分からないが、言われてみれば少し腫れている?これだけの痛みで崖から落ちてお腹だけ打って何事もないとも思えない。
しかし、ここには化学的な道具がないからどこが悪いか明確に分からないし、わかっても手術をするようなことはできない。
"今の僕"ができるのは、回復や痛みに効く薬を煎じることだけだった。
「いつから痛いんだ、落ちた後には何か変なところはなかった?」
「落ちた後に一度吐いて、その後痛みがなかったけど、どんどんと痛みが強くなったんだって。」
モモが鹿の代わりに僕に伝えてくれる。緊急な状況なのに尊いことを見ている心地になる。
やはり、臓器だ。それだと薬だけでは治らない。それでは回復が全然間に合わない。
手が震えてくる。
怖い。
このままだときっと死んでしまう。
もっと苦しむことになる。見ていられない。
僕にできることは何もない。
どうすることもできない。
僕が殺してしまうのだ。
なんでもない僕にはなんにもできないのだ。
僕が良かれと思ってやることは自分の奢りでしかなくて、それは他の人からしたら毒になる。
だから、僕は何もしてなどいけないのだ。
血の気が引いてくる、目の前がぐらぐらと揺れて呼吸の仕方がわからなくなる。地面にしゃがみこんで、ギュッと下唇を噛み締め、目を瞑る。
"やっぱり僕がいるからダメなんだ"
「ベイビー。ベイビー。大丈夫。わたしの呼吸を聞いて。合わせて、吸って、すぅーっ。吐いて、いちにさん。もう一回吸って、いーち、にぃー、さん。」
モモに抱きしめられながら、数えと一緒に背中をトントンと叩かれる。
「わたしの声だけ聞いて。大丈夫だよ。ベイビー。大丈夫。死んだりしない。誰かのために何かをしようとするベイビーは必要だよ。大丈夫。わたしの呼吸を追いかけて。吸って、吐いて…。」
モモの声と呼吸が聞こえる。
ただそれだけ追いかける。
一緒に息を吸う。
一緒吐く。
鼓動と体温が馴染んできて僕とモモの境がなくなると、やっと肺に空気が入ってきて視界が明るくなる。
頭がはっきりとしてくると申し訳なさと不甲斐なさが襲ってくる。
「ごめんなさい。僕のところなんかに来たから。僕は何もできない。」
モモはただうなづきながら、背中をさすり続けてくれる。
「やっぱり僕だからダメなんだ。僕なんか。」
「僕は何もできないって思ってしまうのね。僕なんかって。」
「現に僕はなんもできない。みんなそう思ってる。」
「うん。ベイビーはなんもできないし、みんなそう思ってるって感じるんだね。ね、ベイビーがいう"なんも"ってなに?心配して彼女を診てくれたり、どうにかしようとしてくれているのは違うのかな?」
「それは。なんもできてなくて。みんな、、モモたちみたいにちゃんとしてなくて、彼女を救うこともできなくて。」
「うん。私たちはあなたを呼びに行った。
そして、あなたは私たちがわからなかった、"なんで彼女が辛いのか"をわかっている。ちゃんとね。
今ここにあるのはただその事実だけ。その事実を受け止めて何をするのか考えるだけ。いつもベイビーがしていること。それ自体が、きっとみんなとか誰がとか関係なく、なにか出来てるってことなんじゃないかなってわたしは感じているよ。ベイビーと一緒にね。」
モモはそう言ってまた、僕の頭と背中を優しく撫でる。今はもっと緊迫した状態で、鹿を1番に考えないといけない状況のはずなのにモモはただ僕だけをみている。
ふと目線を上げると、鹿はまだ苦しみドレがただそれについていた。
僕は今この事実を受け止めて、僕は今何がしたいんだろう。
考えろ、思考しろ。分解しろ。
治療の魔法には大きく分けて2種類ある。
1つ目は生物が元々もつ自然治癒力に働きかけるもの。
2つ目は他のモノの力を使って、もとの状態を作り上げるもの。
基本的には自然治癒力に働きかける魔法を使う。
2つ目はリスクが高いのでよほどのことがないと使わない。
今回は自然治癒の"巻き戻し"か"早送り"を行うことになるが、もうすでに一日経っているということだから、1つの臓器だけでなく、おそらく別の臓器も影響を受けている可能性が高い。
そうなると"早送り"をすることで他の臓器がバランスがとれなくて悪化する場合もある。
かと言って"巻き戻し"はあれだけ疲弊している体へは負担が大きい。
自然治癒はあくまで自分自身のエネルギーを使っていくからあまりにも疲弊していると逆効果になりかねない。"巻き戻し"は特に元に戻すことになるのでより負荷が高い。
考えろ、思考しろ、整理して分解して。
整理したら、組み合わせていけば大概のことなんてなんでもない。
鹿自体に負荷をかけれない
腹を打ってから一日経ってる
他の臓器にも影響している
他のモノを使うことはリスクが高い
僕の魔力を入れすぎてはいけない
自然治癒の早送り、時間を早める
巻き戻し、時間を元に戻す
モノ、物、者、もの
あ、全て混ぜ合わせても、あの花を使えば同時に不浄なものを出せる。きっと治癒の速度に間に合うはずだ。
できる。
「ドレ!お腹が痛いときに使う花を摘んできてもらえる?白いやつ。モモはお湯沸かしてきて。」
『前にそのまま食べたからダメだって言ってたやつのことだよね?』
ドレの目を見てうなづくと、ドレは勢いよく走って花を取りに行く。ドレなら間違いなく摘んでこれる。
鹿の腹をもう一度あらためて触る。
細く全ての息を吐き切って、上を向いて鼻から大きく森の中の空気を一気に身体に取り込んで身体中にそれを巡らせる。
手のひらまでたどり着いたらそこに全ての意識を集める。
集中した手で腹を上から下まで撫でて行く。
傷ついている臓器から他の臓器にも血液が流れてたり、圧迫してしまったりしている。
傷ついた臓器に少しだけ、エネルギーを送り込むと少し落ち着く。
まだ少し耐えられる。でも、少しだ。
「ベイビー!お湯沸いたけどどうするの?」
「こっちに鍋ごと持ってきて。あと大きなスプーン。あ、ドレ!ありがとうとても助かったよ。」
同じタイミングで戻ってきたドレの頭を撫でる。ドレはそれを満足そうに受け入れて、また鹿に寄り添って背中を撫でた。
ドレが積んだ花の花弁の部分だけを3つとり、モモに渡す。
「モモ。まず、スプーン8杯のお湯を鹿に飲ませて。そして、僕が「今」と言ったら鹿にこの花を3つ食べさせて。必ずこの3つすべて。」
モモは言われた通りにまず、お湯を8杯飲ませて行く。苦しくて息が上がる中で飲むのはかなり難しくこぼれていくが何とか飲み切った。
僕は鹿の体全体を撫でて、少しずつ僕のエネルギーを、今飲ませた水にうつしていく。それを身体中に巡らせる。
行き渡った。
今回痛めた臓器に向かって、"巻き戻し"の魔法をかけていく。
「今!食べさせて!」
"巻き戻し"が終わった瞬間に、モモが花を3つ食べさせる。この一瞬は痛みがないから、鹿はすんなりと飲み込んだ。
鹿の体内に入った花とエネルギーの移った水に集中する。
影響を受けている臓器に行き着いた瞬間に"早送り"の魔法をかけていく。一瞬で。
鹿がバタバタと苦しみ始めて、突然大量の血を吐いて動かなくなる。
集まってきていた動物たちが一斉に息を呑む声が聞こえた。
長い沈黙のあと、僕はあらためて鹿の全身に触れていく。頭の先から足の先まで丁寧になぞる。大丈夫。全て抜けてる。
「モモ。体を拭うためのタオルを持ってきて。彼女の体を全身拭いてあげて。とても疲れているから。」
モモは鹿の体全体を丁寧に拭いていく。
口元、目、耳、腹、背中、足先。
その身体は柔らかくて暖かい。
程よく落ち着いた鼓動があって、モモは優しく微笑んだ。
「ベイビー。ありがとう。」
安心からか腰の力が抜けて、ヘナヘナと座り込んだ僕の体を支えるようにドレが僕の背中にピッタリとくっついて、モモはそれを見てまた微笑みながら、こちらに歩み寄ってくる。
あー、きっと、僕らにハグするんだ。
魔法を使ったのは何年ぶりだったろうか。家を出たあの日から使ってない。
あの後、鹿はさっと立ち上がって駆けていった。
モモに、また明日来て欲しいと鹿に伝えてくれとだけ頼んだ。
鹿は明日くるだろうか。
大丈夫。問題なかった。
僕の入れたエネルギーはすべて抜けていたし、体のどこからも漏れていなかった。
だから、大丈夫。
自分の部屋でぼうっと立ち尽くしたまま、何度もそう言い聞かせて、何回も深呼吸をするが、あの瞬間を思い出すと手と足がガタガタと震える。
もしかしたら明日、あの鹿は来ないかもしれない。
きっとどこかで倒れているのだ。
そもそも、モモが動物と話せると信じている僕自体頭がおかしいのではないか。
そう。
いつも、僕が関わるとろくなことにならない。
僕はダメなんだ。
僕は何の役にも立たない。
存在するだけで人に害をなすのに、人に何かをしてあげようなどと、何でおごりたかぶったことをしたのだろうか。
僕が関わらなければこんなことにならなかった。
すべて僕が関わったからよくないことが起きる。
自分で自分のことを軽蔑する。
だから、僕は僕が大嫌いなのだ。
なんの価値もない。
これは僕の呪いだ。
ふと、右手を振りかぶって、軽く自分の左腕を軽くパチンと叩く。
もう一度同じ動作を繰り返そうと右手を上げた瞬間に、背中から洋服の端を引っ張られる。
『ベイビー。ご飯食べようって。モモがスープ作ったよ。今日のは美味しいミルクスープだって。』
ドレに引っ張られてやっと、家中にいっぱいにスープの香りが漂っていることと外が真っ暗になっていることに気がついた。
モモがまた何か作ってる。
「今日は私たちの国でよく作るミルクスープにしてみたの。ちょうど似たような味の野菜があったから。ベイビーの口にも合うといいんだけど。どうかな?」
席に座り、スープを1すくいすると、ミルクで煮込んでいるからか、いつもの野菜だけで作るスープとは違い甘い香りがする。
美味しい。
ミルクと少し苦めの野菜がすごく合っていて食べていくことにポカポカとあったまっていく。
こんな野菜今まであっただろうか。
「どう?」
「すごく美味しい。これは何の野菜なの?」
モモはいたずらな顔でニヤッと笑う。
「これはベイビーがよーく知っている野菜だよ。」
?この辺りにある野菜や薬草はすべて食べているはずだが、どれもこんな形をしていないし味も心当たりがない。
「わからないようだね。・・・これは"ニセモノ"です。」
それはあまりにも苦くて食べられないから、取る意味がないと教えた山菜の名前だった。本当の名前はわからず、美味しい山菜と見た目が似ていて、よく間違えるので僕はこれを"ニセモノ"と呼んでいた。
相変わらずモモは自分で図鑑などは読まず、僕と森や畑に出てはそれがどんなものなのか、何に使うのかと細かく聞いていた。
つい数日前に、この森の中で取れる山菜を見つけて説明したものの一つがこの"ニセモノ"なのだ。
「実はこれは私たちの国ではよく食べられている山菜なの。ベイビーがいう"ホンモノ"と"ニセモノ"は同じ植物で、個体差があるだけでね。わたしの国では苦い味の方が大地のエネルギーがたくさん入ってるからって言われてよく食べられていて、苦くないものは食べないの。
だから話を聞いた時にすごい不思議で。
でも、家で食べたら苦くないものも美味しくてね。
ベイビーが食べたくないものを私たちは食べたくて、私たちが食べたくないものをベイビーは美味しいって食べてる。何で何だろう。不思議でしょ?
今日はたくさん動いたから、大地のエネルギーいっぱいで不思議なものを食べたら、ベイビーも元気になるよ。わたしもドレもね。」
モモは満足そうに笑って、スープをまた食べ始めた。
なんだ。"ニセモノ"は偽物じゃないのか。
いや、"ニセモノ"は"偽物なんだけど、偽物ということ自体が必要ないのだ。
価値がないと誰かが摘まなかった山菜を、うしろで誰かが価値があると喜んで摘んでいく。
なんておかしな話なんだろう。
価値とか、本物とかはあまりにも不確かで、頼りのないものだ。
いつ、どこで、誰がで、簡単に変わっていくもの。
なのに、みんなそれにしがみつく。
それがないと自分という存在が保てないのだ。
なんて、バカらしいんだろう。
モモがくれた"ニセモノ"についての螺旋状の思考と大地のエネルギーが僕を心配と不安から遠ざけて眠りに誘う。
鹿は明日来るだろうか。
来てくれたらいい。
でも、それは僕の価値を決めるものではない。
僕が決めることなのだ。
翌日、鹿は来なかった。
でも、それは僕にとってなんでもなくて、
ただ日常を過ごしていられた。
数日後にふらっとなんでもなさそうにやってきて、うちの庭を元気にかけまわっていた。
「よかったね。すごい元気そうだし、楽しそう!わたしも混ざってくる。」
触らなくてもわかる。問題ない。
身体のどこからも、エネルギーが漏れているということもないようで安心した。
うちの庭は一体どうなってしまっているのか。森につながってはいるが、鹿をはじめとする動物たちとモモとドレが走り回っている。
この数週間で、明るくて、賑やかな庭になった。
僕が行っていた一日の流れは何も変わってはいないが、すべて2人が一緒にいるようになった。
朝起きて、全ての窓を一緒に開ける。
布団を外に干して、畑仕事を教えながら行う。
庭にあるテーブルセットで朝食を食べながら昨日見た夢や今日何をするか話す。
一緒に洗濯に行って、森で必要な薬草や木の実の説明をしながら採る。最近はわかるようになってきたのか2人に取るものは任せることもできるようになってきた。
また、庭に戻って本を読んで、魔法の展開を書くときが、今の賑やかさだ。
常に太陽がそばで光をさして、ずっと春の気候の中でずっと朝のような心地になる。
この2人はそういう気質を持っているだと思う。
彼女たちには魔法は使えないようだが、最近モモとドレが使うのならばと想像した魔法の展開と構成を考えている。そのためにまず、彼女たちの特性を考える。
まだほんの少ししか一緒にいないが、おそらく2人は動物や植物とあれだけの関係を築けるのだから、おそらく精霊なんかの力も使うこともできると思う。
この手の能力は僕がいた国では後発的につけていくことはかなり難しく、殆どがもともと持った素質と小さな頃からの訓練が必要になる。
代々そういう家系だったりも影響する。
生き物たちと波長を合わせて、感覚を揃えていくのは絶対条件だ。
その波長というのは生き物によって全て異なる。無線のチャンネルのようなものなのだ。一つ合わせることで通常だとやっとで、ごく稀に複数操れる人がいるという話があるが、歴史上や噂のレベルで実在するのは見たことがない。
しかもそれを揃えた後に自分とその生き物とのエネルギーを循環させていく。渡して返されてを繰り返す。
これがうまくバランスが取れないと、自分のエネルギーを相手にすべて渡してしまったり、相手のをすべてもらったりしてしまう危険がある。
だから、小さい頃からちゃんと自分と相手の間に境界線を引けるようにして、自分のエネルギーと相手のエネルギーをバランスよく保てるようにする訓練が必要になる。
それらの条件が揃って初めて、呪文や式が意味をもつ。
見ている限り、おそらく彼女たちの場合は呪文や式なんかは必要としないと思う。
すべて自然に行われている。
息をするように相手のチャンネルに合わせて、お互いに気持ちのいいエネルギーの交換は行うが、奪い合うことはない。
でも、溶け込んでいく。
相手に潜るとでもいう表現の方が合ってるかもしれない。
この2人は魔法を使う必要がないし、使えなくても使えてるのと同等の力を持っているんだと思う。
だから、いつも考えるだけ考えて、一行も書き進むことはない。
なんでだろって悩んで毎日のように考えていたけど、もうこれ以降は考える必要がない。
彼女たちの存在を魔法のように展開なんて簡単にはできないし、それをする事で何かが変わるわけでもなく、僕が2人が太陽のようだと思ってればそれでももう十分なんだよなと今日はそう感じているかそうなんだ。
僕はノートを閉じて、昼ごはんの準備をする。