しゃれこうべの岸
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
頭蓋骨。特に人のものをじかに見る機会は、そう多くないと思う。
我々、ひとりひとりにはこいつがそなわっていると、口で説明しても実感が湧かないことが多い。日常的に、すぐ見られるものじゃないからな。
身体の中の臓器もまたしかりだ。それこそ手の届く範囲にあるのに、その姿かたちをじかに確かめるケースは、そうない。人によっては、ほとんど見ることなく一生を終えてしまうかもな。
そのように特殊な仕事の人じゃないと、縁遠いものをなぜ広く授業で学んでおくのか。
もちろん、それらの進路へ進む人への基礎にはなるだろうが、一般に起こりうる奇妙な事態に対応する準備も兼ねているかもしれない。
私が過去に体験した不可解なことなんだが、聞いてみないか?
あれは台風が過ぎ去った翌日の、学校でのことだった。
息せき切って教室へ入ってきたクラスメートが、いきなりこういったんだ。
「今日、来るときの河川敷で『ジンコツ』を見つけた」と。
少し聞くと「人骨」ではなく「しゃれこうべ」であることと見当がついたが、それでも私たちにはまゆつばものだ。
一時期、クラスの一部の人にスカルファッションというか、骸骨をかたどったり、あしらったりした文房具が人気だったときもあってね。中には人の頭蓋骨を使って作ったなんて、宣伝している人もいたが、私にとっては、ちゃんちゃらおかしいこと。
シャープペンシルのカチカチする頭についているどくろが、人のものなわけねーだろ。どんだけ小人なんだよ、とね。
この世は嘘八百だと子供ながらに思ったし、じかに見たものしか信用しないぞ、とも思った。そこで放課後に、話を持ってきたクラスメートに案内を頼んだのさ。
ところが、嘘なら何かとごね出すところをクラスメートは快諾する。
その様子を見て、「もしや」という考えがちらりと頭をかすめたね。
案内してもらった河川敷は、いくつか架かる橋の中でも、古参のもののそばだった。
今朝がけに見たという中州のそばへ寄っていくも、そこには羽を休める水鳥たちが数羽ほどいるのみ。昼間の暖かいさかりを過ぎてしまったこともあるのか、こうしている間にも、残り少ない鳥が一羽、二羽と羽を広げて飛んでいく。
クラスメートが話すには、いま見ている中洲のへりの一角に引っかかっていたというのだが、あの目のところに深い穴を携える、どくろの姿は見当たらない。
流された可能性もあるが、先に話したように、私はじかに見ないものは信用しないようにしている。
さっそく「ウソなんじゃないの〜」と疑惑の矛先を向けるが、クラスメートを擁護するかのような事態が、ほどなく起こる。
見て、と中州と岸の間の流れを指さす、クラスメート。
私がつられてそちらを向くと、上流から軽く浮き沈みを繰り返しつつ、流れに乗って近づいてくる、白い球体がある。
両手で包み込めそうな大きさのそれは、流されながらも、その勢いにあおられてじわじわ回転。私が理科室などでしか見たことない、一対の大きな空洞を持つ塊が、その顔を見せた。
しゃれこうべだ。
あごから下の部分はない。上唇から頭頂部までしかない、やや茶色じみた白い物体は、なお回りながら、例の中州へ引っかかったんだ。
ちょうど私たちに後頭部を向け、一見して石のようにしか思えない格好で。
私たちはというと、形勢逆転。
疑いの目を向けた私がしばしいじられることになり、じかに見てしまった以上は、私もまた白旗をあげざるを得ない。
仕込みだったらいっぱい食わされたが、なお流れてくる同じものに、今度はクラスメートでさえ、驚くありさまだったよ。
ほんの10分足らずの間で、5つほど。多少、コースは違えども、最終的にはくだんの中洲のへりにくっついていく。
いずれも、先にあったもののそばへ寄り添う形に。同じ流れに乗っているなら、そうおかしいことでもなかった。
一方、迎える中州はというと、水鳥たちは一羽をのぞいて皆飛び去っている。
私たちの肩ほどまでの大きさもあろうかという、ダイサギの一羽だ。その白い身体を少しずつ揺らしながら、中州を行ったり来たりしている。
ちょうどあのしゃれこうべたちの、くっついたあたりだ。ダイサギは歩きながらも、いくらか声も出し、脅威になるやもしれない、人間の私たちがすぐそばにいるにもかかわらず、どっしりと構えている。
何をしているのかと、いぶかしがりながら、様子をうかがう私たち。
やがてダイサギは羽を広げて飛んでいき、中州には石にまじって、いくつも並ぶしゃれこうべたちが残される。
私たちは中州端とここをつなぐ、小さい飛び石群に目をつけていた。子供ゆえの身軽さもあって、とんとんと渡り継いでいったのだが、彼らへ本格的に近づく前に。
しゃれこうべたちがそれぞれ、はかったように一斉に、岸から離れていったんだ。
上流から近づいていた私たちの手をするりと抜けて、うまい具合に下流へ流れていく。
ここの水は深い。ざぶんと飛び込んでも、走りより泳ぎが早くなるとは思えない。かといって、渡り切った中州から駆け寄っていっても……。
その考えを裏付けるように、私たちが先ほどしゃれこうべの引っ付いていた、へりへ着いた時には、奴らはまた流れに回りながら、私たちの元居た岸の端っこへ身体をつけていく。
「逃がすか」とばかりに身をひるがえしかける私たち。しかしほどなく、くっついたしゃれこうべたちから、ぴょんぴょんと跳ね出るものがあった。
ひな鳥だろうか。
まだ毛も生えそろわないような、小さい小さい体躯の鳥たちが、おぼつかない足取りでしゃれこうべから姿を見せるんだ。
いかなる鳥のひなかは、私たちにはわからなかった。彼らはぴょんぴょんと跳ねながら、岸にまだ残る緑の中なり、水の中なりへ、おもいおもいに散っていく。
彼らがすっかり見えなくなると、それを待っていたかのように、しゃれこうべはまた次々と離岸。もはや私たちの手の届かない下流へと、一目散に流れていってしまったのさ。
あのしゃれこうべ、ひな鳥たちの船代わりだったのだろうか。場合によっては、スクールバスのような。
あのダイサギがやたら左右へ動いていたのも、考えてみれば先生が授業する様に似ている。あの時間は学校への通学どきだったのだろうか。
しかしそうなると、あのしゃれこうべたちを、いかに調達したかという問題があるわけなのだが……。