ディストピアで愉快で最低な夕食を作るに至った理由
ゲルちゃんは薄緑色の見た目をしている。透ける体に浮かぶ目玉は六個くらい。目玉と一緒に小さな銀色のセンサーも確認できる。微妙にゲロに似ているとか言ってはいけない。これでも私の友達なのだ。
ゲルちゃんに見守られて、私はボウルの中で茶色のレーションを捏ねていた。ここは簡易キッチン。調理場と、小さなテーブルとイスが置いてある。表には宇宙を眺めながら食事できる場所もある。
「ちぃーっす、ご相伴に預かりに参りましたニャン」
のれんをくぐって現れたのは獣じみた格好の知人だった。外見はそのまま二足歩行の獣だ。たぶん、オオカミとかいうのに似ている。いや嘘、共有情報ネットワークにアクセスできなくなって久しいし、適当に言ってみただけだ。間違っているかも。
「その茶色のレーションまずくね?」
「まずいって言うなら食べに来なくていいよ」
「いや、うそうそ。アレにしてくれよ。黄色いレーションとピンクの錠剤混ぜたやつ」
「あの薬はたまにしか手に入らないんだよ。レーションマシン今日も調子悪かったし」
嘆息する。レーション吐き出しマシンは、ぽんこつで、黄色のボタンを押しても違う色のレーションを吐き出すことがある。機械の中がどうなっているか不明だが、もう百年以上も五百人分の食事を製造し続けているのでガタもくるだろう。ちなみにレーションの原料はわからない。科学的な薬品を配合して作っているのだと思われるが素材が予想できない味がする。レーションは綺麗にパウチに入っており、みんな奇抜な色をしている。
調剤マシンも同様。メディカルスキャンをして、最適な薬剤を調合して吐き出してくれるという謳い文句がついているのに、なんだかよくわからない薬を処方する挙句、毎回処方箋が違う。おかげで食堂の調味料が増えて助かっているけど。
「私も黄色のは酸っぱくて美味しいと思う。けど、あれはまた次回。この茶色ので我慢してよ」
「酸っぱい? あれが? うーん? でも、甘いのは嫌だ。違うのにしてくれ」
「あなた一人目のお客さんだから、いま出せるのはこれしかないよ」
オオカミは頭を抱えて嘆くものの、簡易キッチンを出て行くことはなく席に座った。私はこねたレーションに、砕いた薬剤をふりかけて、皿に盛って出してやる。
ここは今日だけ私の食堂だ。お代はその日のその人の配給レーション。もらった配給レーションは、私が調理して、次のお客さんに出す。この艦船にはそういった素人の開く気ままな店みたいなものがたくさんある。なぜかといえば、ここはそういう暇つぶしをやってないと、ゲルになってしまう場所だから。レーション食も何十年もやると飽きる。しかもよくわからない味のレーションなんか。
「いただきます!」
一口食べたオオカミは、嘔吐きそうになったが、口を押えて飲み込んだ。
次々来店するので私は、忙しくなる。「ごちそうさま。また来る」と言い、オオカミは出て行った。二番目のお客さまには緑色のレーションに水を加えて錠剤を浮かべて出す。耳がやたら長い金髪のお客さんは涙目になった。「野菜の味がします」。灰色のレーションと、薄桃色のレーションを混ぜ合わせて、二人分にする。緑色の角の生えたお客さんと、ひたすら丸い風船みたいなお客さんは絶賛してくれた。「香ばしくて甘い!」。「塩っぽい!」。同じようなものを出したはずなのに、感想の差は大きい。
この艦船の住人は姿かたちが様々だ。この改造は艦船の中で国を作ったり、差別させたりしないために意図的に行われている。個性的な外見が溢れている様は好きなのだが、味覚のほうは、ほどほどに統一してほしいと思う。料理人としては迷惑だし、私が探しているものも見つかりにくくて困る。
少し客が減ったころに、初めて見るお客さまが現れた。腰に巻いた帯で前開きの羽織を留めた子供だ。
「ふうむ、わっちは食べたいものがあるのよぉ。シャントウジャンというものじゃ」
「なんですか、それ?」
エキセントリックな少女が語るところによると、シャントウジャンは旧文明の料理らしい。彼女は旧文明フリークスで、その中でもアジア地方の料理が好きだという。この艦船に来てからは、立ち寄った店でアジア料理をいつも注文しているとのことだ。アジア料理が出てきたことは今まで一度もないとのことだったが(当然だ)、少女はそれすら楽しんでいるように見えた。
「旧文明趣味なんて……」
「なんとも不穏分子らしい思想だと思うか? ケケケ」
少女が優雅に膨らんだ袖をひらひらと振った。
私は彼女の様子に思うところがあった。
「いつか叶うといいですね」
「今まで笑われなかったのは初めてだが」
少女は私の真意を測りあぐねているらしく、首をかしげる。
私がレーションと薬剤を混ぜて料理の真似事をしているように、この艦船内では様々な者が自分の思いついた調理法でレーションを工夫して提供している。粗悪な料理人の調理法だと、廃棄燃料と混ぜるとか、無機物と混ぜるとか、よくわからないものを提供されることがある。いちおう擁護しておくと、そういうタイプの料理人は悪意でやっているのではなくて、この無限の刑期に刺激と未知の快楽の施しをするつもりでやっている。料理の手法としては粗悪なのだけど、なんたってここは退屈だから。刺激物の摂取に夢中になっている者からすれば、旧文明の好きな料理を食べたいという願いは嘲笑に値する。「こんな地獄で臭い飯以外出てくるのかよ」というようなことを、私も言われたことがある。
「私も食べたいものがあるので、気持ちはわかりますよ。やっぱり食べたいものを食べて死にたいですよね。まぁおそらく、うちでは出せないですけど」
「ほほほ、料理を料理として認識しているのはここでは珍しいの。あなたは料理人と名乗るにふさわしい人物のようじゃ」
「ありがとう。でも、旧文明フリークスなら、私の料理が料理と呼べるものじゃないことはわかるでしょう。それでもいいの? 今晩はここで?」
「構わない。気を遣わなくても大丈夫じゃ。久しぶりに食事の大事さを知る者に会えたから嬉しい」
言葉のとおり、少女は顔を綻ばせた。料理している間、いろいろなことを話した。
「シャントウジャンはお椀に入った水っぽい白い汁物じゃ」
友達が最後に作ってくれた料理が脳裏をよぎった。
「温かくて具は入っている?」
「ふむ。旧文明では、いろいろ入れていたようだよ。シャントウジャンは絶対にこれという具材が決まっているのではなくて、同じような味付けで煮込まれたものをひとくくりにしてそう呼ぶ」
家庭料理だから、同じ国内でも地域によって味付けが違ったり具材にばらつきがあったりするという。旧文明の料理はどれも玄妙な味がするとのことだが、その中でも特に神秘的な味のするアジア料理が彼女は好きだとのことだ。話題は他のアジア料理に移ったり、行ったり来たりした。話をしている間、彼女はずっと嬉しそうだった。
私も楽しくなってきて、つい口が緩んだ。
「私も探している料理があります」
「ほう、どんな料理?」
「辛くて、でも絶妙なバランスで整った味の……」
言葉が途切れた。そこでふと気が付く。私も、少女と同じように、こんなふうに料理の希望を言えば馬鹿にされると思い込んでいた。
少女は微笑んだまま、私の言葉を待っている。立ち上る湯気の向こうで、ゲルちゃんがまどろんでいる。なぜだか、その光景は私の胸の深いところを熱くさせた。まだレーションを捏ねるのに慣れていなかったころ、料理を提供するのに緊張していた新鮮な気持ちが蘇ってくる。私は気取られないように、気を遣って、湯煎した黄色のレーションに錠剤を添えて出した。
「苦い! これは最悪な苦さ!」
ほら、やっぱり。彼女の期待には応えられない。
でも彼女は笑っていた。私も笑ってしまった。
「また来るよ。楽しかったから」
「お互いに求める食事に出会えますように」
少女はすべて食べきって、優雅に手を振って出て行った。
私も手を振り返す。久しぶりに、まともな料理を提供できた気がした。
食堂の表は閑散としていた。今日の客は彼女で終わりのようだった。私はのれんを畳み、店じまいをして、彼女からお代として受け取った水色のレーションと錠剤を合わせた。
簡易キッチンを出て、表の眺めのいいテラスまで出る。もちろんゲルちゃんも一緒に。夕食の時間は過ぎているので、テラスの電気は落とされている。人影は遠くにわずか。
テーブルに座り、宇宙を眺めながらのゲルちゃんと静かなディナーだ。
暗い漆黒にぽつりぽつりと輝く星々。
それらを眺めながら、スプーンでレーションを掬う。
このときだけは、贅沢な時間に思えた。
この宇宙艦・識別名アラベスクは星艦連合Aゼロナナの囚人を乗せて運ぶ用途で使われている。私たちは数千年ほど前は地球という星に住んでいたらしいけれど、情報通信体になることでその星を離れて暮らすことに成功した。実在の体を捨てて情報通信体になるまでは大変だったらしい。飢饉が発生したり、指導者による人種差別などが横行したり。でも情報通信体には睡眠も食事も、コミュニケーションに言語すら必要ない。意思疎通するには互いのニューロンを繋ぎ合わせて直接やりとりをすればいいからだ。互いに嘘もつけないが、齟齬は絶対になくなる。みんな平等に均一に同じ思考になる。だから平和だ。
でも、なぜだか、ときおり情報通信体の中から不穏分子になるものが現れる。不穏分子は白い紙の上に落とされた一滴のインク。不穏分子は社会を変える思考を広めようとする。不穏な思考は、ニューロン接続によって瞬く間に広がり集団テロを引き起こそうとする。
だから不穏分子の疑いがあるものは、アラベスクに集められて、食事や睡眠が必要な不便な肉の体に突っ込まれる。ニューロン接続できないように。
この過酷な原始的生活に弱音を吐いて、どうにか生きることをやめようとした者たちもいた。だが私たちの根源情報は母艦に電子情報として記録保管されているので、無傷のクローン体が生み出されて、ここに新しく送り込まれてくるだけだった。なにがあってもこの受肉刑から逃れることは許されない。不穏分子は地獄で過ごせというのが、電子情報体たちの総意らしい。それを悪意だと受け取る価値観は、電子情報体には本来ない。不穏分子だからこそ覚える違和感だ。
死んだところでなんの解決にならないのであればと、この艦船では秘密裏に違法電荷装置が生み出された。友達はそれでゲルになった。ゲルになれば喜びも悲しみもなく、まずいレーションを食べる必要もなくなる。ただ刑期を終えるために生きている。そんな人たちがこの艦船には友達を含めて何十人もいる。これからもっと増えていく。
私は最後のひとかけらを口に含む。フワフワした舌ざわり。おいしい。いや、本当は味なんてよくわからない。私の目的はゲルになる前に友達が作ってくれた、あの料理を再現することだけだ。あれは何という料理なのだろう。口腔を灼熱にする辛み。スパイシーないい匂いがしていた。あの少女が言っていたように、やはり旧文明の再現料理なのだろうか。情報共有ネットワークにアクセスして検索できないのが惜しい。
いまのところ、私の試みはうまくいっていない。でも、それでいい。当面の生きる目標がすぐに叶ったら、私もゲルになりたくなる。
私はゲルちゃんを見つめた。ゲルちゃんもいくつかある目玉を寄せて、私を見上げる。
スプーンの先でゲルちゃんを突くと、ゲルちゃんがやや後退したように見えた。
いつかこのレーション薬品グルメに飽きて、ゲルちゃんを食べようとする日がくるのかもしれない(どんな味がするのか少し気になる)。それより先に私がゲルになって、融合するのを選ぶほうが先かもしれない。
なんにせよ、私はこれからもゲルちゃんと一緒にいる。
人差し指をゲルちゃんに伸ばすと、ゲルちゃんも体から触手を一本出した。指先と触手を触れさせた。かすかに震える冷たい感触。受肉しないとこの触覚もなく、味蕾を刺激する料理についても考えることもなかったはず。そう考えると感慨深い。情報生命体は料理を味わうことに興味を示さない。なにを摂取しても、カロリーがいくらとか、どの栄養が補充できるかなどの情報にしか興味がない。その点、私は料理も味わえるし、料理することにも喜びを覚える。不穏分子であることを誇りに思う。ありがとう、ゲルちゃん。あの辛い料理を教えてくれて。あの料理がきっかけで私はこんなところでも、レーションを味わって暮らしていこうと思えるよ。
果てしなく長い刑期が終わるまで、ゲルちゃんのあの料理を再現できるといいなぁ。