オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー(仮)
絶対に振り返ってはいけない道で、後ろを振り返ってみた
○登場人物
ぼく:本作の語り手。カメラ片手にオカルト蒐集や謎解きに情熱を燃やす変人。撮影にはこだわりを持っており、心霊写真や恐怖映像にはちょっとうるさい。女の子。
先輩:アニオタにして学園随一の秀才で、”ぼく”の謎解きに協力する。重度の懐疑主義者で、「この世には信じられるものなど何もない」という信念を唯一信じている。最近文化祭実行委員の活動で放課後が忙しくなった。
中山:”ぼく”と同じ学年の女子生徒。”絶対に振り返ってはいけない道”で振り返ってしまい、行方不明となっている。
”絶対に振り返ってはいけない道”って知ってる?
当然か、あんたはオカルト好きで有名だもんね。
”学園の七不思議”くらい知っててあたりまえって感じ。
でも一応知らなかったら困るから教えてあげるね。
”絶対に振り返ってはいけない道”。
高校から駅までの道に、近道があるのは知ってるよね?
昔何か事件が起こっただとか、私有地が含まれるだとかの噂があって、学校からも通らないように指定されているあの近道だよ。
でも、電車に間に合わなさそうだとかの理由でついそこを通っちゃう生徒が時々でるんだよね。たいていは普通に通り抜けられるんだけどさ……。
金曜の夕方にその道を通る時だけ、「絶対に振り返ってはならない」って看板が道に立てかけられてるらしいんだ。
その日、その時、その場所で。
後ろを振り返るとさ……どうなるんだろうね。噂では、一生出られなくなるらしいけど。
回りくどいかな。前置きはもういいって?
そろそろ本題に入ろうか。
あたしね、金曜の夕方、その道の上で後ろを振り返っちゃったんだよね。
でられない。
たすけて。
件名:絶対に振り返ってはいけない道で、後ろを振り返ってみた
投稿者:中山
そんなメールが届いた。
「イタズラだろう」なんて気持ちは湧いてこなかった。
中山さんといえば、先週金曜日の放課後から行方不明になっている女子生徒だからだ。
だけどぼく以外の人はそうじゃないみたいで、誰も信じてくれなかった。
メールアドレスは見たこともない文字列に文字化けしてしまっていたし、中山さんは普段からメッセージアプリを使うから、メールなんて使わないそうだ。
学園や警察に連絡しても「イタズラだろう」とまともにとりあってくれはしなかった。
文字化けしたアドレスに返信してみても、当然ながらどこにも届かなかった。
そうしているうちに、もう夕方になろうとしていた。
今日は金曜日、彼女が失踪してからちょうど一週間が経ったということだ。
ぼくは焦っていた。
行方不明者の捜索は、とにかく時間との勝負だ。
失踪から一週間を過ぎると発見の確率も生存率も劇的に低下すると聞いたことがある。
つまり、今日中に見つけなければ発見は困難を極める、ということだ。
警察が信じてくれないなら、ぼくが信じるしかない。
放課後、ぼくは例の”近道”を訪れていた。
「うそ……でしょ……」
本当にあった。
細く、高い塀に囲まれたアスファルトの道。
その入り口に立てかけられている看板には、無機質なフォントでこう書かれていた。
『絶対に振り返ってはならない』
いやいや、出来すぎでしょ。
メールを出した人が仕組んだドッキリかなんかでしょ。
そう思いたいけど、心臓は素直にバクバクと高鳴っていた。
「怖い……けど、中山さんが助けを求めてる」
行くしかない。
ぼくは看板の向こう、”絶対に振り返ってはいけない道”に一歩足を踏み入れた。
ジジジ、ジ……。
嫌な音を立てて街灯が点滅した。
空は深く黄昏色で、まるで血に染まったようだった。
無機質なコンクリートの壁とアスファルトに覆われた空間を歩き始める。
「いまのところ普通の道……だよね」
少し歩いてみても何も起こらない。
この道に入ってしまえば、あとは10分程度歩けば駅につくはず。
その間振り返らなければ、きっと何も起こらないだろう――なんて楽観は、すぐに打ち砕かれた。
コツン、コツン。
足音だった。
ぼくが歩くのに合わせて、少し遅れたタイミングでアスファルトを叩く足音。
いや、靴音がする。
靴音は、ぼくのものとよく似ていた。たぶん学校指定のローファーだ。音の大きさからして、体重は軽い。女子生徒だろうか。
ぼくが立ち止まると、コツン、コツンという音が途絶えた。
後ろの何者かも立ち止まったようだ。
「もしかして、中山さん?」
ぼくは振り返らずに声をかける。
しんと静まり返る。車も通らず、なぜか周囲の住宅からも無音のこの道。
ぼくが喋るか歩くかしなければ、完全な静寂に支配されていた。
待っても、答えは返ってこなかった。
本当に後ろに誰かがいたのか、半信半疑になってしまいまた歩く。
コツン、コツンと足音だけが追いかけてくる。
いる。ぼくの背後、数メートルの間隔をあけて。何かがついて来ている。
「やっぱり中山さん……ですよね? メール届きました、迎えに来たんです」
「……」
「中山さんが失踪して一週間経ちました。みんな心配してます。この道から出られなくなっちゃったんですか?」
「……」
「ぼくの後ろについてくるのは、そうしなきゃならないから? このまま歩き続けたら、中山さんもぼくと一緒に道を通り抜けられるってコトですか?」
「……」
疑問を次々とぶつけてみたけど、答えは返ってこなかった。
ただ、何かがいるという気配と足音、そして小さな息遣いだけが感じられる。
「それにしてももう一週間経ったけど、その割には元気なんですね。人間は飲まず食わずだと3日から7日で死んでしまうものですけど、何か食料でも持ってたのかな?」
「……」
「ホントに、冗談じゃないから……答えられるなら答えてください!」
「……コッチヲ、ミテ」
「っ――!?」
初めて”彼女”の声を聴いた。
もともと中山さんとはたいして親しくはなかったけど、たぶんこれが中山さんの声なのだろうとなんとなく思った。おぼろげにしかないぼくの彼女に対する記憶と一致した。
「見るって、ぼくがそっちを振り返るってことですか?」
「……」
「なんで? 中山さんがぼくを追い越して前に出てきたらいいじゃないですか!」
「……」
また、だんまりだ。
いい加減、ぼくもイライラし始めた。
「悪いけど、この道で後ろを振り返る気はないです。仮にあなたが中山さんだったとしても。何も説明がないならぼくはこのままこの道を通り抜けますから、いいですね?」
「……タスケテ」
「助けてって、メールでも言ってたけど具体的にどうすればいいんですか!? それがわからなきゃ助けようがないじゃないですか!」
「コッチ、ミテ」
「……っ」
議論が堂々巡りだ。
たぶんだけど、彼女はぼくに「振り返ってほしい」と思っている。
何が目的かはわからないけれど、ぼくにこの道の上でルール違反を犯させようとしているんだ。
少なくとも、その目的は善意からくるものじゃないだろうと思う。
いいだろう、そんなに言うなら見てやろう――「振り返らず」に。
ぼくはスマホをカバンから取り出し、カメラを起動した。
自撮りモードだ。これで前面カメラに映し出された映像をディスプレイで確認できる。
つまり、前面カメラでぼくの背後を映し出せば、振り返らずに後方を確認できるということだ。
背後の視線からバレないように操作し、肩からそっと前面カメラを覗かせた。
「っ――!」
こ、これは……!
声が出そうなのを必死でこらえた。
真っ赤に染まる空、アスファルトとコンクリートの道の中心に自分の顔と肩。
その背後、数メートル先に映っていたのは――人間じゃなかった。
いや、正確には人間だったモノなのかもしれない。
眼窩から眼球が剥がれ落ち、視神経に支えられてブラブラと揺れている。
鼻は削げ、唇は無くボロボロの歯が露出している。
髪は足元まで伸び切った一部だけが残り、頭部は皮膚と頭蓋骨がむき出しになっていた。
服もボロボロだ。ぼくと同じ学校指定の制服だけど劣化が激しい。
そう――失踪してざっと数十年は経っているんじゃないかと思われる死骸が歩いていた。
「はぁ……はぁ……、はぁ、はぁ、はぁ……!」
気づけば恐怖のあまり過呼吸寸前になっていた。
まずい――呼吸、呼吸を整えないと……! 動けなくなる!
目を閉じて精神を落ち着かせ、呼吸回数を減らす。
失踪者からのメール、動く死骸に追跡されている現状。
異常事態だらけ。だけど冷静さを失ったら終わりだ。
「うくっ、はぁ……はあ……」
なんとか持ち直した。
ぼくはすぅーっと息を吸い、中山さんらしき”バケモノ”に問いかけた。
「ぼくが振り返れば……あなたは助かる?」
「……タスカル、ヨ」
「助かるってのは、ここから出られるってことでいいんですよね?」
「ソウ」
「たぶん、これ当たってる自信あるんですけど。そうなったらぼくはここから一生出られなくなるってことですよね? 中山さんの代わりに永遠にこの道を彷徨う……そうでしょ?」
「――バレチャッタ」
そう言うと、中山さんの足音が聞こえた。
ぼくは歩いていないのに。
ローファーの音。コツン、コツン、コツン、コツンコツンコツンコツン。
どんどん速くなる。近づいてくる!
コツコツコツコツコツ!
「うあっ、あああああああああ!!」
必死で走った。
走って、走って、走って。どれだけ経ったのか覚えていない。
いつの間にか靴音はしなくなっていた。
空は血のように紅い。ジリジリと不快な音をたてて街灯は点滅している。
かなり走って、もう一時間は経ったような気がしていた。
なのにぼくはまだ、高い塀に囲まれた道を抜け出せずにいた。
スマホを開く。時計を見ると、道に入ってからまだ一分も経過していないことになっていた。
「嘘、でしょ……はぁ、はぁ……け、警察……!」
そのまま電話をかけた。
だけど繋がらない。アンテナピクトはギリギリ一本といったところで、電波状態が悪い。
そもそも、警察は中山さんのメールもイタズラと決めつけてとりあってくれなかった。この状況で助けになるだろうか?
「うっ、ぐ……はぁ、はぁ……先輩、先輩は……!」
だったら――この状況で頼りになるのは先輩しかいない。
”先輩”というのは、文字通りぼくの高校の先輩のことだ。学園でも有名な陰キャのアニメオタクで、友達も恋人もいない真正のぼっち。
授業中も居眠りしていたりしていて不真面目、勉強をしている姿を誰も見たことがないけど、常に成績は学年トップを維持する超秀才だ。
以前からぼくのオカルト調査に協力してもらっていたけど、最近は文化祭実行委員の活動で忙しいみたいだからあまり頻繁に連絡するのは迷惑かと思って避けていた。
けど――そんな先輩の事情はもう考慮していられない、ぼくが死にそうなので、すみません!
ツー、ツー、ツー。
だけど電話は繋がらなかった。無慈悲に時間は流れる。
そのはずなのに、スマホの時計は異常にゆっくりな進み方しかしない。
体感時間に反して、さっきから太陽も全然沈んでいない。
まるで外の世界の時間の流れから切り離されて、この道だけの特殊な時間の流れにとらわれてしまったようだった。
「アンテナピクトは立ってる。時間の流れが違うから電話が通じないとしたら……メールなら……」
”中山さん”はこの異空間からぼくへメールを送った。だとしたら、可能性はある。
もはやそれしか頼みの綱はない。
ぼくは先輩のメールアドレスへ向けて、必死で文章を打ち込んで飛ばした。
『先輩、助けてください!』
すぐに返信が返ってくるとは限らないけど、一応メールは送信完了できた。
あとは返信待ちだ、けど待っているだけじゃ危機は切り抜けられない。
足音はしないけど、一応前に進んでおこう。
ぼくは再び前進し始めた。
それからどれだけ経ったのだろう。
気の遠くなるよう時間を過ごした気がしていた。その時だった――。
「よお――助けに来たぞ」
声がした。知ってる声。待ち望んでいた声。
背後から投げかけられた、大好きな声。低く落ち着いた声色。
「せん、ぱい……?」
「そうだ。お前から連絡が来たから居ても立ってもいられなくなってな。ここまで迎えに来た」
「やった……先輩、ここは振り返ってはいけない道なんです! ぼくはここの時間にとらわれてしまったみたいなんです……っていうか先輩も無茶ですよ、ここから抜け出す方法がわからないかぎり二重遭難じゃないですか! ミイラ取りがミイラってヤツですよ!」
「いいや、もう解決した。脱出する方法ならわかった」
「え……?」
背後にいるらしい先輩から出た意外な言葉に耳を疑った。
もう解決した? 脱出する方法がわかった?
バカな。だけど先輩ならばもしかしてと思ってしまう。
こういう異常事態でも常に彼は冷静沈着で、打開策を導き出す。そういう人だ。
「で、でも……先輩、どうやって脱出を?」
「説明するには見てもらうしかない。とにかくコッチをミロ」
「……こっちを、みろ……?」
「そうダ、コッチをミロ。そうすれば全てわかる。ここから出られる」
「それって、先輩がぼくを追い越して見せてもらうってことはできませんかね?」
「無理ダな。とにかく振り返れ、コッチをミロ。俺を信じろ」
はぁ、ぼくはため息をついた。
「あのですね、先輩に化けるのはいいんですが……化けるならもっとうまくやって欲しいんですよね――中山さん?」
「……」
「先輩は、『信じられるものなどなにもない』ことだけを唯一信じている超絶変人なんです。『俺を信じろ』なんて軽々しく言うような無責任な人じゃないんですよ」
「……」
それきり声はしなくなって、気配も消えていた。
ふぅ、一息つく。罠だったようだ。ぼくを振り返らせるための。
ちょうど先輩の助けを待ち望んでいたところだ。冷静になっていなければ騙されていたかもしれない。
先輩の性格が極度にねじ曲がっていて助かった。バケモノでも正確に真似ることはできなかったらしい。
ピロリン。
その時だった。ぼくのスマホにメールが届いた。
先輩からだった。
『さっきの文字化けしたアドレスからのメール、お前か? あのアドレスに返信できないからお前のアドレスに送ってみたが……助けて、とはどういうことだ?』
先輩からのアドレスがキチンと表示されていた。
本物か、はわからない。だけど一筋の希望が芽生えた気がした。
ぼくはすがるように文字を打ち込み、返信した。
『そうです、ぼくからです! 今、”絶対に振り返ってはいけない道”に迷い込んで出られなくなってます。電話が通じなくて、メールなら通じるみたいです。アドレスが文字化けするのは気にせずぼくのアドレスあてに返信してください!』
送信! 祈るようにスマホを握りしめて待った。
数十分ほど経っただろうか。先輩からの返信がやっと届く。
『今調べたが、その道は学園から駅への近道のことだな。俺も今から行く。待っていろ』
ん? この短い文面を送るにはずいぶん時間がかかっていないか?
そう思ってメールの送信時間と受信時間を確認する。
すると、ぼくが数十分間隔と思っていたこのメールのやりとりが、実際には一分もかかっていない、数十秒程度のものだとわかった。
ぼくの体感時間――というか、やっぱりこの道の時間の流れは外部とは違っているみたいだ。
あの”中山さん”の動く死骸は、劣化具合からして数十年単位で時間が経過していた。
外部では一週間といっても、この道内部では数十年に相当する時間が流れたのだろう。
ぼくはその考えを先輩に対してメールで説明した。こっちの時間の流れが外より緩やかということは、ぼくは時間をかけてメールを打っても先輩からすれば一瞬の出来事だろう。
逆に、先輩は可能な限り早く返信を送ってくれないとこちらに届くのが遅れるため、やりとりがまともに成立しないことになる。
『――ということなので、先輩はできるだけ早くレスしてくださいね!』
『努力する』
体感時間数分で返信が来た。欲を言えば長く感じるけど、たぶん先輩からすれば数秒で返信しているのだろう。一応許容範囲内といったところかな。
ふぅ……やっと落ち着けた。
先輩と連絡がとれたと思うと、ずいぶん心が楽になった。
今まで緊張しっぱなしで、体感時間はどのくらい過ぎただろうか。数時間以上過ぎている気がする。
その間には感じられなかったある”感覚”にぼくは襲われることとなった。
バケモノに殺されるかもしれない”恐怖”?
この空間に一生閉じ込められるかもしれないという”恐怖”?
いいや、違う。
――”尿意”だった。
「ううっ……」
ブルルッと身体が震える。
やばいなぁ、と思った。自律神経に思いを馳せる。
いままで極度の興奮状態が続いていたから、交感神経優位の状態だった。
今はその逆で少しリラックスした状態、つまり副交感神経優位。この副交感神経というのは排泄を司る自律神経で――したがって、この尿意は生理現象なのだ。
しかたがないのだ。
「いや、さすがに……非常事態とはいえ道端でするのは……乙女のやるコトじゃないです……」
なにかこの状況を打開する策はないか?
そう思って鞄を漁る。すると中から出てきたのはペットボトルだった。
ほとんど飲みきっていて、少量捨ててしまえば中は空になる。
「うくっ……いや、でもそんな、マジで……?」
それでも、背に腹は代えられない。
漏らしたり道端に水たまりを作るよりはマシか。
世の中の引きこもりさんとかはよくやってるみたいだし――。
「だ、誰も見てないよね……」
背後に視線を向けないようにしつつ、左右上下を確認する。
誰もいない。今は中山さんの気配もない。
物音一つしない不気味な紅い空だけがぼくを見下ろしていた。
ぼくは道の端ででるだけ縮こまって、スカートの中に手を突っ込んだ。
誰にも晒す予定はなかったのが丸わかりな、明らかに油断しているクタクタのパンツを下ろす。その場にしゃがみこんで、ごくり、つばを飲みこんだ。
ペットボトルの蓋を外す。
「うっ、あっんっ♡ ……ああぁ~……♡ はぁ~♡」
ヤってしまえば、コトは簡単だった――。
☆ ☆ ☆
『とにかくお前がやるべきことは、前に進むことだ』
先輩はメールでそう断言した。
『絶対に振り返るな、そのルールだけは守り抜け。そうすればいつかは脱出できる……推測に過ぎないが』
『でも先輩』
ぼくは反論する。
ぼくはそれからしばらく、先輩の指示通り前に進み続けていた。
だけど先輩、これはどう対処すればいいんですか?
「ぼくの前に、誰か歩いてるんですけど?」
そう。目の前数メートル程度先に誰かが歩いていた。
女の子みたいだった。ぼくと同じ制服にローファーの女子生徒。
中山さんか? と思ったけど身体がボロボロには見えない。生きているように思えた。
ぼくが歩くと彼女も歩く。ぼくが止まると彼女も止まる。
「しかも、後ろにも誰かいる……」
前に女子生徒が現れたと同時に、ぼくの背後からも靴音が聞こえ始めた。
今度こそ中山さんか? と思い再びスマホのカメラで確認する。
そこには――。
「そんな……」
そこに立っていたのは――ぼく自身だった。
ぼくが振り返らないままスマホで彼女を見ていると、彼女もスマホを取り出し後方を見る。
そして、暗くてよく見えないけどおそらくその背後にもまたぼくがいるんじゃないのか?
だったら……。
前をよく見ると、肩口からスマホを出して後方を確認する女子生徒。そういうことか……あれもぼく自身なのだろう。
「この道……無限ループしてる?」
前にも後ろにもぼくがいる。それが無限に続いている。
ということは、この道はいくら進んでも終わりがない、そういうことにはならないか?
振り返らずに前に進んでも、打開策にはならないのでは?
そう思い、ぼくは今見た現象を先輩に報告した。
『いいや、無限ループはしていない』
なぜだか先輩はそう断定した。
かなり早くタイピングしているのか、そこまで待たずとも先輩のメールは次々と届いた。
『振り返らずに進み続ける。それが唯一の道だと俺は思う。本当に無限ループして出口がないのなら、中山さんがお前に頻繁にちょっかいをかける理由がないからだ。もっとじっくりと弱らせてから無理やり振り返らせれば良い。中山さんは、お前が本気で走って逃げたら追いつけない程度の力しかないんだろう? 力では生者であるお前にかなわないんだ。だからこそ実力行使ではなく、搦め手を使っているということだ』
『搦め手?』
『俺の声色を真似て振り返らせようとしたり、無限ループと錯覚させて前に進んでも意味がないと思わせようとしたり、な。ヤツの目的はお前がゴールに辿り着く前に後ろを振り返るよう仕向けることだ。逆に考えると、お前が振り返らないままゴールまでたどり着くのを嫌がっているから妨害するというわけだ』
『つまり、この道には確実にゴールがあるということですね?』
『ああ、これは単なる予測だが、時間の流れが違うぶん道そのもの体感的な長さも引き伸ばされているということだろう。こちらの時間の流れで10分程度の距離でも、そちらはかなりの長時間進み続ける必要がある、ということだ。お前はヤツの妨害で何度も足を止めている。だから思ったより前に進んでいないんじゃあないのか?』
『そうかもしれません』
『いや、他にも考えられる。こちらの時間ではそろそろ日が沈みそうだが、そっちもそうじゃあないのか? だったら金曜の夕方だけ迷い込めるその道の出口も、夕方が終わったと同時に――つまり夜になれば閉じてしまう可能性がある。ヤツはその時間までお前を妨害しているとは考えられないか?』
『なるほど、先輩の言う通りです。愚直に前に進みます!』
先輩のその考察には説得力があった。
この道でのルール違反は「後ろを振り返ること」だ。
そして中山さんだったであろうバケモノも、ぼくが振り返るよう仕向けている。
あるいは振り返らなくとも「タイムリミット」のようなものがあって、それまで時間稼ぎをしているのかもしれない。
だったら、彼女の最も嫌がる「愚直に前に進む」ことこそ最善の対処法。
さすが先輩だ、素直にそう思った。
そうして早足で進むと、どうやら先輩の読み通りだったのか、前後に配置された”ぼく自身”らしき姿が消えた。
やはり幻覚だったようだ。おそらく、中山さんがぼくを絶望させ、前に進むのをやめさせるための。
でももう怖くはない。さっさとゴールしてこんな恐ろしい場所からはおさらばと行こう。
ピロリン。
その時、また通知音が鳴った。先輩からだった。
『ゴールが近づけば、ヤツは強硬手段に出る可能性が高い。その時のために、作戦がある――』
☆ ☆ ☆
そろそろゆっくりと沈んでいた太陽が地平線の底に沈みそうになっていた。
ぼくは走っていた。
どのくらい走った? このペースで間に合うだろうか。
この空間は時間感覚がイマイチ正確に把握できない。数分かもしれないし数時間かもしれない。
やっぱりダメかも。
脚がしびれてもう感覚がなくなってきた。
息が切れて、肺と心臓が破けそうだ。
あの太陽が沈んでしまえば、出口はしまってしまうかもしれない。
そうなれば、次のチャンスは一週間後。つまりこの道の中の時間でいうと数十年後だ。
間に合え、間に合え! とにかくぼくは「メールの向こうの先輩」を信じて走り続けた。
また先輩に会いたい。
それだけが心の支えだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そろそろ目も霞んできた。ダメかもしれない。
諦めかけたその時だった――。
光。目の前に光が見えた。ひと目でわかった。これが道の終わり。
「ゴールだ!」
そしてゴールを認識した瞬間、背後にゾワリと巨大な気配を感じた。
「ウボォァア゛アアアアアア゛アアアア゛アアアアアアアアアアアア゛!!!! ニ゛ゲルナ゛アアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアア゛アアアア!!!!!!」
もはや人のモノではない。
様々な獣や金属音が混じり合ったようなグチャグチャの声がすごい勢いで追跡してくるのを感じる。
まずい、もうかなり疲れてるのに! いや、だからこそ今か! 疲れきったぼくにとどめを刺す気なんだ!
ぼくは必死で逃げた。走って逃げるけど、ずっと走ってたからさすがにさっきみたいに逃げ切れるくらい早くは走れない!
「ヴォ゛オオオオオオオオオオオオオオオオ゛オオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛アアアァ゛!!!!!!!!!」
怖い、怖い、怖い!
だけど違う――怖いのはぼくだけじゃない。中山さんも一緒なんだ!
彼女だって脱出したいからぼくを追いかけてるんだ。今、必死なのは自分だけじゃない、中山さんこそ追い詰められているんだ!!
だったら!
「っ――!」
ぼくはさっき先輩がメールで指示した通り、スマホをその場に落とした。
そのまま出口に向かって走り続ける。
後方では、スマホを落としたあたりの位置を足音が通過するのが聞こえた。
そりゃそうだ、今は必死なんだ。スマホを落としたところで目もくれないだろう。いや、そもそも全力疾走していてぼくがなにか落としたことにも気づかなかっただろう。
ぼくも先輩も、こんな程度のモノを囮に使おうってんじゃない。
だけど――これはどうかな!
『中山さん、こっちですよ!』
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ゛゛……ッ……エッ……?」
ぼくと中山さんのさらに後方から声が聞こえた。
声だ。ぼくの声だ。
スマホで録音して、5秒後に最大音量で鳴るアラームに設定しておいたのだ。
彼女はそれに気を取られて、つい後ろを振り返ってしまった。
「はぁ、はぁ……や、やった……」
全力疾走しすぎて意識を失いそうだったぼくは、少しペースを落として言った。
「はぁ、はぁ……な、中山さん。その様子だと、振り向いたようですね」
「ナ、ナゼ……」
「あなたが冷静なら、こんな小細工は通用しなかったかもしれませんけど。あなたも必死だったみたいですから。助かりたかったんですよね? この道からどうしても抜け出したかったんですよね? だからぼくがあなたを騙して振り返らせるなんて考えにまで至らなかった……」
「チクショウ……チクショウ……」
「さよなら、中山さん……せめてぼくだけは。あなたがどうなったのか、覚えておこうと思います。誰も知らないまま忘れ去られるのは……かわいそうだから」
「ヤ、ヤメロ、マテ……タスケテ……グッ、ヴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
巨大な断末魔。
バキバキと骨が折れ、肉が裂ける音。
やがて静寂。彼女の気配が、消えた。
どうなったのか、振り返ることはできないから確認できない。
けど、この道で「振り返ってしまった」彼女が敗北したことは理解できた。
追跡者がいなくなった。ぼくは小走りで出口に向かった。
「よお、待ってたぞ。遅かったじゃあないか」
そこに立っていたのは先輩だった。
いつもと変わらない。落ち着いたたたずまいの先輩だった。
違うのは、先輩も何故か肩で息をしているということだった。
「先輩、なんでそんな」
「とにかく出口から出てこい。説明は後だ」
ぼくは高い壁に覆われた”近道”をついに抜け出ることができた。
何時間にも感じられた逃走劇だけど、外の時間は本当に十数分程度しか進んでいなかったらしい。
日は沈みかけていた。もしかしたら、夜になればアウトだったかもしれない。ギリギリだった。
道を出るとすぐに駅前に出た。
ぼくと先輩は駅前広場のベンチに座ってことの顛末を話し合った。
「アラーム作戦はうまくいきました、中山さんは振り返って、そのまま消えてしまったみたいです」
「ルールを2度破ったんだ。ペナルティはデカいだろうな。1度目は閉じ込められるが、お前を身代わりにすれば出られるかもしれなかった……らしいが、2度目はどうなったんだろうな。完全消滅か、あるいは俺たちには想像もつかない何かが起こったか……」
「もうどっちでもいいです。あんな道に二度と行く気はないですし。ほんっとうに疲れたんですからね!」
「悪いな、俺も助けに行けたら良かったんだが……出口についた頃にはもう日没寸前だった。一応、全力疾走したんだが」
「そういえば、どうして先輩は駅側にいたんですか?」
「ああ、そりゃそうだろ。前に進めって指示したんだから俺は逆側から入るべきだ。そうじゃなきゃ合流できない。後ろから追いかける形になっちまう」
「合流? 先輩、道の中に入ろうとしてたんですかぁ!?」
ぼくは先輩がさも当然のように突拍子もない発言をするのでつい立ち上がって声を張り上げてしまう。
先輩はキョトンとした顔をして、
「そりゃそうだろ、お前がメールで言ったんだからな。『助けて』って」
「だからって……二人揃って一生閉じ込められるかもしれなかったんですよ。先輩は、ぼくと一生あの道の中に閉じ込められる生活なんか耐えられますか? 嫌じゃないですか?」
「んー」
先輩は、頬をポリポリとかいて少し考えると、言った。
「べつに、嫌じゃない」
「っ――。せんぱい……」
ホント、もう。この人は……。
「なんだよ、顔が赤いぞ? さっきの道が体調に悪影響でもあったか?」
「ち、ちがいます! 夕陽のせいですから!」
もぉ……ホントにこーゆートコ、ズルいよ。
なんだか、顔も身体も火照ってきてしまう。
ああ、そういえば喉乾いたなぁ。なんて思って、カバンからペットボトルを取り出す。
淡黄色の液体の入った容器は、どこか生温かかった。
あれ――このペットボトルの中身って……?
「お、お茶か。今回は俺の作戦のおかげで助かったんだから、ちょっとくらいもらってもいいだろ? 走ってきたトコで喉が乾いてたんだ」
ぼくが何か大事なことを思い出そうとしているうちに、先輩がぼくのペットボトルを横からかすめとった。
彼は顔の前でそれを握りしめ、蓋を開けようとしている。
その時、ぼくはその中身の液体が何だったか完全に思い出していた。道中、我慢できなくなってぼくは……あの中に……!
「あ、あの、それは、せんぱい……!」
あ、ああ……!
先輩がペットボトル越しにぼくの――を見てる。
手で握って、手のひらで温度までぼくの――の温度を感じてる。
もしも蓋をあけたら、――の匂いとか味まで……それは阻止しないと!!
と、思うのと同時にぼくの中に黒い感情が渦巻くのを感じた。先輩、ぼくの――を飲んだらどんな顔するんだろうな?
「ん? どうしたんだよ変な顔して」
「そういうの、ぼくたちまだ早いっていうか……いや、もっと後になってもダメだと思うんですけど、やっぱり段階を踏んでからっていうか……」
「何いってんだよ……開けるぞ」
先輩は歯切れの悪いぼくを放っておいて、ペットボトルの蓋に手をかけた。
「先輩ダメ、そっちに進んだら! も、戻れなくなっちゃいますからぁ! だ、ダメェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
いつの間にか、陽は完全に沈んでいた。
こうして夜空にぼくの悲鳴が響き渡ったのだった。
FOLKLORE:不可逆性のパラドクス END.
ここまでお読みくださりありがとうございました。
本作をお楽しみくださった方はぜひとも、評価をいただけると嬉しいです。
評価はこの下の☆☆☆☆☆を押せばできますので、面白かったという方はポチっていただけると作者のモチベがガン上がりします。よろしくお願いします!
本作には連載版がありますので、そちらもよろしくおねがいします(下にリンクを貼っておきます)