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フレアは無言で窓を見つめていた。そこには美しいドレスと宝石で着飾った自分が映し出されている。さらにその後ろには同様にドレスで着飾った女性や、高級スーツに身を包んだ男性が、ワイングラスを片手に他愛ない会話をしているのが見えた。
父親の人脈を広げる為として、フレアは何度も社交パーティに出席させられていた。話しかけられれば当たり障りなく答え、踊りに誘われれば笑顔で応じる。そこに彼女の意思はなく、父の邪魔にならないよう、与えられた役割をこなしているだけだ。
窓に映る自分は無表情だった。まるで人形の様に無機質な眼でこちらをじっと見返している。
「――フレア」
名前を呼ばれた。その瞬間、窓に映る自分がニコリと笑った。いつの間にか、隣にはスーツを着た男性が立っていた。
「ごきげんよう。ミスター・バーンズ」
フレアの口が動き、男の名を呼ぶ。隣のバーンズは無言のまま、窓越しにフレアを見つめている。
「お待ちしておりましたわ。ダンスのお誘いでしょうか?」
フレアは笑顔のまま言った。バーンズは答えず、静かに首を振った。
「何故――」
バーンズの口が開く。
「何故あなたはいつも無理して笑っているのですか?」
「え?」
フレアは首を傾げる。
「何を言っているんですの?」
窓に映るフレアがにっこりと笑う。
「ほら、私はこんなに楽しそうに笑っていますわ」
フレアの手がそっと窓に触れる。窓に映るフレアがますます大きな笑みを浮かべる。
「ほら。私はこんなにも――」
フレアの言葉が止まる。いつの間にか窓にはクラッチが映し出されていた。怖い顔でこちらを睨んでいる。
「上っ面だけでヘラヘラ笑ってるのが丸分かりだっつうの!」
クラッチが叫ぶ。その瞬間、大きな音を立てて窓が砕け散った。フレアは短い悲鳴を上げて手を離した。
窓ガラスが崩れるとともに、そこに映し出されていた風景も崩れ落ちた。窓の奥には、何もない真っ暗な風景が広がっていた。
フレアはそこで初めて辺りを見渡した。
何も無かった。
何も無い、真っ暗な暗闇の中に、フレアはぽつんと立っていた。
不安が込み上げてくるのを感じる。今にも泣き叫びたい衝動に駆られるが、それを必死に堪える。
動くべきか。この場に留まるべきか。
分からない。何も分からない。
誰も答えてくれない。
「どうしたんだい、お嬢さん」
その時、ふいに足元から声が聞こえてきた。フレアがそちらに顔を向けると、そこにはアクセルの生首があった。穏やかな表情でこちらを見上げている。
「道に迷ってしまったのかい? 良かったら案内してあげるよ」
そう言って、アクセルの生首はぴょんぴょん飛び跳ねながら暗闇の中を進んでいく。
「あ、待ってください」
フレアが慌ててアクセルの後を追った。アクセルは振り返ることなく進んでいっている。
「こっちだよ。こっちだよ」
フレアは必死に追いかけるが、アクセルの首はどんどん遠ざかっていく。
「待ってください! 待って、お願い――」
その瞬間、フレアは足を踏み外し、闇の中へと転落した。
フレアは必死に手を伸ばす。こちらを残念そうな顔で見下ろしているアクセルとクラッチの姿が見えた。
フレアは声にならない悲鳴を上げながら、遠ざかっていく彼らの顔を見つめていた。
「ふごっ!!」
床に打ち付けた顔の痛みで、フレアは目を覚ました。
ゆっくりと顔を上げて、寝惚けた顔で辺りを見渡す。十秒くらい経って、自分が宿屋の部屋にいて、傍らのベッドから転落したのだと気付いた。
フレアは鼻をさすりながら、起き上がった。顔の他に後頭部の方もズキズキ痛んでいる。
「……私、昨日いつ寝たのでしょう?」
顎に手を当ててフレアはポツリと呟いた。祝福の道標の話をしていた辺りまでは覚えているが、その後の記憶が無かった。
「とりあえずチェックアウト致しますか」
フレアはそう言って、自分の荷物を両手で抱えた。
部屋から出て階段を下りていると、一階にクラッチの姿が見えた。その傍らには、テーブルの上で気持ちよさそうに寝ているアクセルがいた。
「クラッチさん、おはようございます」
フレアが挨拶すると、クラッチが振り返った。
「おはよう。よく眠れた?」
「はい。気持ちのいい朝ですわね」
「ちょっと待ってね。この馬鹿起こすからさ」
そう言うクラッチの手には水差しが握られていた。そしてクラッチは躊躇うことなく水をアクセルの口に流し込んだ。
「ごぼっ! ぶはっ!!」
必死な形相で咳き込みながらアクセルは飛び起きた。混乱した様子で辺りを見渡し、やがてその視線がクラッチに向けられる。
「お前、もう少しまともな起こし方ねえのかよ。砂漠で溺死とか、贅沢な死に方をするところだったぞ!」
「ここで寝るなって言っただろうが! これで何度目だ!」
「そんな調子じゃ男出来ねえぞ。まあいいや。顔洗ってくる」
アクセルはゆっくりと起き上がると、フラフラとした足取りで店の奥へと歩いていった。
「大きなお世話だっつうの」
クラッチはそう言いながら、フレアに近付いて荷物を持ってやる。
「さて、さっさと荷物を積み込みますか」
「手伝いますわ」
「いいよ。あんたは客なんだし。先に車に乗ってて」
そう言って、クラッチはフレアの荷物を片手で担ぎ上げた。
宿を出た二人は傍らに停めてあったオープンバギーに歩み寄った。クラッチがトランクに荷物を放り込んでいる間に、フレアは車の助手席にちょこんと座った。
「フレアの荷物積んだ。私達の荷物も積んだ。忘れ物は無いかな?」
クラッチが指差し確認しながらそう呟いていると、顔を洗い終えたアクセルが戻ってきた。脇に大きなギターを抱えていることに気付き、クラッチの目がすっと細められた。
「……何持ってきてんの? 余計な荷物増やすのやめてくれない?」
「何言ってんだよ。旅に音楽は必需品だろ」
アクセルはそう言って後部座席に滑り込むようにして倒れこんだ。仰向けの状態で手早くギターのチューニングを始める。
「……は? 私が運転するの?」
「俺より運転上手いだろ? 後で変わってやるからさ」
アクセルの言葉にクラッチは諦めたようにため息を吐いた。フレアが興味津々と言った様子でアクセルを振り返る。
「ミスター・アクセルは楽器を嗜まれるので?」
「軽くな。宿に来た客なんかに、たまに歌って聞かせてやってるのさ。良かったら即興で聞かせてやるよ」
クラッチが運転席に乗り込みエンジンをかける。重厚なエンジン音と共に車内が震えている。
そして車は走り出した。町を抜け、道なき砂漠へと進みだしていく。
アクセルはギターのボディをコツコツと叩き、やがて弦の間に指を走らせて軽やかなメロディを奏で始めた。
「――渇きの残像が頬を撫でる。見渡す限りの砂の海。地図は無い、俺達が最初の道標。進む、先へ、もっと早く、遥か彼方、その向こうへ。明日に咲く太陽を探そうぜ」
ギターの音色と共に流れるアクセルの歌声は、車のエンジン音すらも気にならないほどに、力強くどこまでも響いていた。