1-4
砂の中から救出されたアクセルは、息も絶え絶えといった様子で車の座席に倒れこんだ。座席に置いてあった水のボトルを手に取り、文字通り浴びるようにして口に流し込む。
「全く、何でこんなことになってんのよ」
その様子を、大きなシャベルを抱えたクラッチが呆れた顔で見ていた。一瞬でボトルを空にしたアクセルは荒々しく息を吐きながら唸った。
「本当にごめんなさい」
そんな二人に、フレアは深々と頭を下げた。
「首しかない人だと思っていました」
その言葉にクラッチは驚いた顔でフレアを見る。冗談を言っているような顔には見えなかった。
「まぁ、気にするなよ。ちょうど新陳代謝を上げたいと思ってたところだし」
一息ついて落ち着いた様子のアクセルが言った。上体を起こし、濡れた髪をかき上げながら笑顔を浮かべる。
「ところでお嬢さん、この辺は初めてかい? あまり見ない恰好だけど」
アクセルの問いに、フレアは小さく頷く。
「はい。私、帝都の方から来ましたの」
帝都という言葉を聞いて、アクセルは驚いた様子で目を見開く。
「マジか! お嬢さん、首都に住んでるのか! 確かに高そうな服とバイクだと思ったぜ」
クラッチも同様に驚いた様子でフレアを見る。
「帝都の人間なんて初めて見たわ。何でこんな辺鄙なところにわざわざ来てるのさ」
二人の反応に、フレアの戸惑った様子で口を開く。
「あら? 帝都の人間ってそんなに珍しいんですの?」
「……うん、まぁ見ないね。ていうか見りゃ分かるでしょ」
クラッチは小さく息を吐きながら周囲を顎で示す。
「こんな砂しかない貧相な町。首都と違って電気すらひかれてないんだよ? 誰が好き好んでこんなところに来るのさ」
「でも町も宿屋も素敵でしたよ? どれもが初めて見るもので、すごく興奮しました」
フレアは笑顔で言った。だがその言葉を聞いて、クラッチは眉間に皺を寄せてフレアに詰め寄る。
「そりゃ帝都に住んでるお嬢様にとっては、こんなみすぼらしい町も、そこに住んでる貧乏人も初めて見るものでしょうよ。どうよ? 帝都にはいない珍獣を目の当たりにした気分は?」
クラッチはフレアをきっと睨みつける。その視線を受け、フレアは必死に首を横に振る。
「そんな……私そんなつもりじゃ……」
フレアは哀しそうな表情を浮かべながら後ずさる。相手の突然の激昂に戸惑っている様子だった。クラッチはなおもフレアを睨み続けている。
「何がそんなつもりじゃないよ? 上っ面だけでヘラヘラ笑ってるのが丸分かりだっつう――」
「ヘイ、クラ。ハウス」
その空気に割って入るようにアクセルが言った。クラッチの後ろ髪を掴み、くいっと引っ張る。
「痛っ! おい、馬鹿兄貴! そこ引っ張んな!」
突然髪を引っ張られ、クラッチは顔をしかめながら振り返る。アクセルは髪を掴む手を離し、小さく息を吐いた。
「何をそんなにイラついてんだよ。そんなだから若年性更年期障害とか言われんだよ」
「誰だ、そんなこと言った奴! ていうか兄貴こそムカつかないの? この女に殺されかけたんだよ?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。逆だ逆。このお嬢さんは俺の命の恩人さ。お嬢さんがいなけりゃ間違いなく俺は死んでた。本当に感謝してるぜ」
そう言ってアクセルはフレアに笑顔を向ける。しかしフレアは複雑そうな表情を浮かべるだけだった。
「クラ。謝りな」
アクセルはクラッチに視線を送り、顎で促す。クラッチは不満そうな表情を浮かべるが、やがてフレアに向き直って静かに言った。
「ごめん、言いすぎた」
言ってからクラッチはチラリとフレアの様子を見る。フレアは相変わらず暗い表情だったが、やがて小さく頷いた。
「町に戻ろうか。夕飯の材料まだ買ってないし」
クラッチは踵を返し車の運転席に乗り込む。フレアも後を追うように助手席に乗り込んだ。
走行中、車内は無言だった。クラッチは気まずそうな表情でフレアを横目で見る。フレアは相変わらず俯いたままだった。
クラッチは助けを求めるように、バックミラーに映るアクセルに視線を送る。アクセルはクラッチの視線に気付くが、呆れた表情で肩をすくめるだけだった。自分で何とかしろということらしい。
クラッチは小さく唸りながら再びフレアに視線を向ける。上から下までフレアをじっくり観察した後、やがてゆっくりと口を開いた。
「――あんたさ、髪綺麗だよね」
言った瞬間、クラッチは顔をしかめた。これではまるでナンパ男の台詞だ。
フレアは驚いた顔をクラッチに向ける。クラッチは視線をさまよわせながら言葉を続ける。
「いや、すごく綺麗だと思ってさ。この辺の人間って基本黒じゃん? だからあんたのブロンドの髪、すごくキラキラして見えるんだ」
クラッチの言葉を受けて、フレアは自分の髪を軽く弄る。そしてはにかむように小さく笑った。
「えへへ、ありがとうございます。この髪、お母様譲りですの」
「へぇ、そうなんだ。お母さんも綺麗な人なんだね」
「はい。ただ実はお母様の記憶はあんまりないんですの」
フレアの表情が陰を落とす。
「お母様は私が幼い時に亡くなってしまって」
その言葉を聞いてクラッチは、しまったと顔をしかめる。
「ごめん。辛いこと思い出させちゃって」
「いえ、いいんですの」
フレアは首を横に振りながらクラッチに笑顔を向ける。
「私、幼い時はよく泣く子供だったそうです。何かある度に泣きながら両親の姿を探していたみたいで。自分ではあんまり記憶は無いんですが――」
フレアはそっと目を閉じる。
「そんな時に、私を抱きしめて、髪を優しく撫でて慰めてくれた――母の手の温もりは今でも覚えています」
「そう、なんだ」
フレアの言葉を聞いてクラッチは視線を前方に向けたまま複雑そうな表情を浮かべる。先程彼女に対して発した暴言を後悔していた。
「実はさ――」
クラッチはチラリとフレアを見る。フレアは優しい表情でこちらを見ている。
「私らも幼くして親を亡くしてんだよね」
その言葉を聞いてフレアは一瞬驚いた表情を浮かべ、そして哀しそうな表情を浮かべた。
「……そうだったんですの。ご病気か何かで?」
「うん。母親の方は病気でね」
クラッチは小さく頷きながら言葉を続ける。
「私が十歳の頃だったかな? それまでずっと元気だったのに急に倒れちゃって。そしてこんな辺鄙な町だろ? 医者のとこまで連れていくにも何時間とかかってさ。向こうに着いた頃にはもう手遅れだったみたいで」
クラッチは鼻の奥が熱くなるのを感じた。
「それからさ。父親の方は酒に溺れるようになっちゃって。元々かなりの呑んだくれだったんだけど、それが余計にひどくなっちゃって。毎日朝から飲んでは泣いている背中を今でも覚えてるよ。そして一ヶ月もしないうちに後を追うように――」
そこまで言った瞬間、突然フレアが抱きついてきた。
「ちょっと、何してんの!? 運転中だぞ!」
クラッチは慌てた様子で言った。しかしフレアは構わずクラッチをぎゅっと抱きしめ、髪を撫でてくる。
フレアの考えは分かっていた。現にフレアの温もりに触れた瞬間、自分の中から湧き上がっていた悲しい気持ちが溶けていくのを実感した。
フレアはクラッチにニッコリと微笑みかける。
「悲しみを吹き飛ばす魔法ですわ」
「……馬鹿」
その笑顔を見返しながら、クラッチはそっと呟いた。
「なぁ、お二人さん。俺も混ぜてくれよ。俺だって悲しい気持ちなんだ。ギュッとしてくれ」
その二人の空気をぶち壊すかのようにアクセルが後部座席から身を乗り出してくる。
「兄貴は黙ってろ!」
クラッチはそう言うなり、アクセルに裏拳をぶちかました。
その行動にフレアが思わず吹き出す。それに釣られるようにして他の二人も声を上げて笑い出した。先程までの重い空気が嘘のように、三人の笑い声が車内に溢れた。
「そうだクラ。あそこに寄っていこうぜ。フレアちゃんはこの辺初めてだし」
しばらく走ったところでアクセルがおもむろに口を開いた。その言葉に、フレアはアクセルを振り返る。
「あそこって何ですの?」
「それは行ってからのお楽しみだ」
フレアの問いにアクセルは思わせぶりにニヤッと笑った。
砂漠の道なき道を車が走っていく。しばらくするとアクセルが立ち上がり、前方を指差した。
「見えてきたぜ」
フレアは不思議そうな表情で指された方向を見る。
その瞬間、フレアは驚きで大きく目を見開いた。僅かに開いた口から感嘆の声が漏れる。
車が停止する。車の前には大きな柵が建てられていた。
「あの周辺は流砂になってるからこれ以上は近づけないんだ」
アクセルが説明しながら車を降りた。フレアとクラッチもそれに続く。
三人は改めて目的の物に視線を向ける。フレアは相変わらず圧倒された様子で息を吐く。その反応に満足するようにアクセルがニヤついた笑みで口を開く。
「これぞこの地方の名物――デザートローズだ!!」
そう言うアクセルの視線の先には巨大な岩石が鎮座していた。
直径五十メートルはあろうか。その圧倒的な存在感を放つ岩は、有無を言わさむ迫力に満ち溢れていた。長く風に晒されている影響か、表面は砂の色と完全に同化しており、中央部が左右から抉られている。その形状はまるで砂から力強く伸びる茎と巨大な花弁のようであった。
「元々は何百年も前に墜落した隕石だと言われているが、実際にいつからあるのか、どんな成分の鉱石なのかは分かってない、中々ミステリーな産物だ。昔はそのまま砂漠の巨岩と言われていたが、今では花のような見た目からデザートローズと呼ばれるようになった」
アクセルは得意げな顔で解説する。フレアはアクセルに向き直り、興奮した様子で口を開いた。
「すごいですわ! こんなの初めて見ます!」
「そりゃそうだ。世界でもこんな珍しいのはここにしか無いからな。伊達に『祝福の道標』の一つじゃねえ」
「祝福の道標?」
フレアはアクセルの顔を見て聞き返す。アクセルは頷きながら言葉を続ける。
「知らないのか? 帝都と周囲の六つの町にある、それぞれのパワースポットのことだ」
「そうなんですの? 私、全然知りませんでしたわ」
フレアはそう言って、再びデザートローズに向き直る。子供のように目を爛々と輝かせるその様に、アクセルとクラッチは顔を見合わせて小さく笑った。
「ほら、いつまで見てんの? 日が暮れるよ」
クラッチが車に戻りながら言った。アクセルも後部座席に飛び乗りながら口を開いた。
「まあ詳しい話は宿に戻ってから教えてやるよ。さあ車に戻ろう」