5-6
「思ったよりやべえことになってんな」
店の外に出たアクセルは、そこかしこで立ち昇る黒煙を見て、唖然とした表情で呟いた。
「早く逃げよう、兄貴!」
クラッチが言った。後ろでフレアが不安そうに周囲を見ている。既に全員避難したのか、周りには誰もいなかった。
「何をしている! 早くこっちに来るんだ!」
男の声が聞こえてくる。そちらに顔を向けると、憲兵らしき人物が立っているのが見えた。その隣にはシクレもいた。
「みなさ~ん、こちらですよぉ。早く逃げますよぉ」
シクレが呑気に手を振っている。三人は急いで駆け寄った。
「あれ?」
ある程度近付いたところでアクセルが足を止めた。そして眉をひそめて憲兵の顔を凝視する。憲兵がアクセルの視線に気付き、顔を逸らした。
「あ、やっぱりクローネじゃねえか? 何やってんだこんなところで」
アクセルの言葉に、憲兵――クローネはぎょっとしたように肩を震わせた。
「ち、違う。俺はクローネなんかじゃない」
「どう見てもクローネだろ。足洗って憲兵になったのか?」
アクセルが笑顔で尋ねる。その顔を見てクローネは悲しそうな表情で首を振った。
「違う。俺は足を洗えなかった。俺はヒーローにはなれなかった。姉貴が……姉貴が怖かったんだ! 俺は憲兵じゃない! こんな俺を見ないでくれアクセル!」
クローネはそう言うなり憲兵服を両手でつかみ、勢いよく破り捨てた。
「何で脱いだ」
「俺はお前達を捕まえないといけないんだ!」
その言葉と共に、クローネが飛び掛かってきた。クローネの丸太のような腕が伸び、アクセルの首をつかんだ。そのまま片手でアクセルを持ち上げる。アクセルがじたばたともがくが、クローネの腕はビクともしない。
「兄貴!」
クラッチが叫ぶ。それを合図にするかのようにシクレが素早くクラッチに駆け寄ると、鳩尾に拳を叩き込んだ。クラッチの体がくの字に折れ曲がり、その場に崩れ落ちる。
続いてシクレはフレアの胸倉をつかみ、力任せに引きずり倒した。フレアは悲鳴を上げる間の無くその場に転がされる。
「私達が本気になればこんなもんですよぉ」
シクレの顔をした偽物はニヤリと笑った。クローネの腕がフレアの首根っこをつかみ、片手で持ち上げる。
「……本物のシクレさんをどうしたんですか?」
「俺が気絶させた。拘束して路地に放り込んである」
フレアの言葉にクローネが答えた。フレアはクローネを振り返り、きっと睨む。クローネはたじろいだ様子で視線を逸らした。
「さあて、姉さん遅いですねぇ。苦戦してるのかなぁ? ちょっと加勢に行ってきまぁす」
「ノズール、俺はどうすればいい?」
「あんたはそいつら押さえといてくださいな」
偽シクレ、もといノズールはそう言って、傍らに置かれていたアタッシュケースを開いた。中にはドレスやスーツなど様々な衣装が入っていた。
「華麗な変身ターイム。サービスシーンですよぉ」
そう言うなり、ノズールは服を脱ぎだし、一瞬で下着姿になった。
続けてケースからパンツスタイルの服を取り出す。それはフレアが着ている服と酷似していた。その服を身に着け、ブロンドのカツラを装着する。そして鏡を見ながら手早く化粧を済ませた。
十分とかかっていないだろう。あっという間にフレアそっくりな人物が目の前に現れていた。その変貌ぶりに、アクセルは驚いた様子でフレアとノズールを交互に見る。二人は完全に瓜二つだった。フレア自身も目を見開いて自分の偽物を見つめていた。
「あー、あー、私フレア。わ、た、し、ふ、れ、あ――」
ノズールは自分の頬をペシペシと叩きながら、声を上げる。やがて軽く咳払いすると、ニコっと笑顔を浮かべながら、こちらに向き直った。
「こんにちは! 私フレア・ラパロと申します。お会いできて嬉しく存じます!」
そう言って、ノズールは右足を斜め後ろに引きながら、ゆっくりとした仕草で膝を曲げた。声から挨拶の仕方まで、完全にフレアと同じだった。
「……全然似てねえよ、ブス」
足元から唸り声と共に声が上がる。視線を下ろすと、クラッチが苦悶の表情を浮かべながらノズールを睨んでいた。
「まぁ、お下品ですわね。貧民は貧民らしくゴキブリのように地べたを這いずり回るのがお似合いですわ。クローネ、踏みつぶしておやりなさい」
ノズールがそう言うなり、クローネはクラッチの背中に足を降ろし、体重をかけた。クラッチが苦痛の声を上げる。
「いい気味ですわね。それでは私はやることがございますので、皆さまごきげんよう」
ノズールは口元に手を当てて、わざとらしく笑いながら踵を返した。遠ざかっていくノズールの背中を、三人は眺めることしか出来なかった。
「わ、私は、あんな喋り方しませんわ!」
フレアが怒りで体を震わせながら言った。
「しかしまずいな。二対一じゃバーンズの野郎でも危ないんじゃないのか?」
アクセルがそう言いながらチラリとクローネを見る。両手にアクセルとフレアをそれぞれ掲げ、足でクラッチを押さえて静止している様は、何かの彫刻の様であった。
「なあ、クローネ。俺とお前の仲だろ。そろそろ手を放してくれないか?」
「ダメだ!」
クローネは顔を前に向けたまま言った。
「俺は悪に心を売り渡したデビルクローネなんだ。例えアクセルの言葉でも、もう俺の心には届かないんだ」
「かつてお前の仲にいたエンジェルクローネはもうどこにもいないのか?」
「そうだ!」
クローネはきっぱりと告げる。その言葉を聞いて、アクセルは悲しそうな表情で息を吐いた。
「そうか。分かったぜ」
アクセルはそう言ってクローネに向き直る。
「だったら俺とタイマンしようぜ。手前の闇の染まった心を、俺の拳の光で照らしだしてやる」
クローネの首が動き、アクセルを見つめる。
「本気か? 俺と殴り合いで勝つつもりなのか?」
「あぁ、そうさ。このまま堕ちていく友を黙って見過ごせる訳がねえからな。俺の本気を受け取ってくれるか?」
クローネは無言でアクセルを見つめる。迷っている様子だった。
しばらくしてクローネはゆっくりと口を開いた。
「……分かった。タイマンをやろう、アクセル。俺とお前の真剣勝負だ」
静かにそう呟きながら、クローネは二人をぱっと放した。
その瞬間、フレアは全速力でノズールの向かった方向に走り始めた。
「――おい、待て!」
突然駆け出したフレアに、クローネは声を上げながら追いかける。その足に向かってクラッチが蹴りを放ち、クローネは地面に転がされた。さらに追い打ちとばかりに、アクセルがノズールの置いていったケースをクローネの後頭部に叩きつけた。
「痛い! 何するんだアクセル! タイマンじゃないのか!?」
クローネが立ち上がろうと体を起こす。その脇腹に向かってアクセルとクラッチの蹴りが同時に叩き込まれた。クローネは悲鳴を上げながら地面を転がる。
「うるせえ、この野郎! こっちは散々旅行を邪魔されて完全にキレてんだよ! ほのぼのとした旅行ライフのつもりだったのに、変なドタバタアクションにしやがって!」
アクセルがケースをクローネの顔面に叩きつける。クローネは血を吹き出しながら、痛みにのたうちまわる。
「右に同じ! 私らにとっては旅行なんて気軽に行けるものじゃないんだよ! それを下らない理由で邪魔しやがって! 金が欲しけりゃ真面目に働きやがれ!」
そう言って、クラッチはクローネの股間を蹴り上げる。クローネは声にならない悲鳴を上げながらその場にうずくまった。
アクセルとクラッチの怒りが次々とクローネに叩き込まれる。クローネはその場に丸まり、攻撃に必死に耐えている。
「畜生! タイマンって言ったじゃねえか!」
突然クローネが立ち上がり、アクセルに向かってタックルを放った。もろに腹に食らったアクセルはそのまま壁に叩きつけられた。
「もう許さねえ! もう許さねえぞ!」
クローネが泣きそうな表情を浮かべながら、拳を振り上げる。
「待て! タ、タイム!!」
アクセルが叫ぶ。突然の言葉に、クローネはぽかんとした表情でアクセルを見つめる。
「え、タイム?」
アクセルが頷く。その必死さにクローネも渋々と言った様子で拳を下ろした。
その瞬間、背後からクラッチがケースでクローネを殴りつける。それに合わせてアクセルも渾身のアッパーを放ち、クローネは仰向けに倒れた。
「手前ら、卑怯な真似ばっかりしやがって!!」
そう言うクローネの顔面をアクセルは容赦なく蹴り飛ばした。さらにクラッチはケースをクローネの頭に向かって何度も振り下ろした。ガンッガンッと痛々しい音が響き渡る。
「おい、クラ。その辺でやめとけ。死んじまうぞ」
アクセルがクラッチの腕をつかんで言った。クラッチは荒い息を繰り返しながら、ケースを地面に放り捨てた。
足元のクローネは完全に気を失っていた。白目を剥いて時折ピクピクと動いている。
「やったな、クラ」
アクセルが大きく息を吐きながら言った。笑顔を浮かべて右手を掲げる。
「やったね、兄貴」
クラッチは頷きながら、アクセルの右手を叩いた。
彼らの勝利を告げるパンっと小気味よい音が、辺りに響いた。