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その時、アクセルは、はっとした表情で顔を上げた。辺りを見渡し、息を潜めて耳をすませる。幻聴ではない。微かに響くエンジン音が、確かに聞こえてきたのだ。
「おおおおおいっ! 助けてくれええええ! 俺はここだあああああ!」
アクセルは最後の力を振り絞り、懸命に叫んだ。喉の痛みに何度も咳き込みながら必死に声を上げる。それに答えるようにエンジン音が止まった。
そして再びエンジン音が唸り、徐々にこちらに近づいてくる。やがてアクセルの視界に一台のバイクが映った。
それは三輪のバイクだった。随分でかいとアクセルは思った。運転手が小柄なこともあって一際大きく見える。
やがてある程度近付いたところでバイクが停止し、運転手が降りてきた。ゴーグルをずらし、周囲に顔を向けている。
運転手の顔を見て、アクセルは思わず目を見張った。ごついバイクを乗り回しているので、どんな奴かと思ったら、まだ幼さの残る顔立ちの、美しい少女だったからだ。
「……人の声が聞こえたような気がしたのですが」
少女が呟く。少女に見惚れていたアクセルは、その言葉で我に返り、再び声を上げる。
「こっちこっち! 足元足元!」
「んー? 足元?」
少女はアクセルの方に近付きながら、周囲を訝し気に見渡す。やがて視線が下に向けられ、地面に埋められたアクセルと目が合った。
「ひっ! 生首!」
その瞬間、少女は怯えた様子で後ずさった。
「待って、落ち着いてお嬢さん! 俺は悪い生首じゃないよ!」
逃げられては困ると、アクセルは必死な笑顔で言った。
「俺はアクセルって言うんだ。お嬢さんのお名前は?」
「名前……ですか?」
アクセルの言葉を聞いて、少女は戸惑った表情を浮かべる。やがてアクセルにまっすぐ向き直ると、胸に手を当て、右足を斜め後ろに引きながら、ゆっくりとした仕草で膝を曲げた。
「私はフレア。フレア・ラパロと申します。ミスター・アクセル、お会いできて嬉しく存じます」
そう言って少女――フレアはにっこりと微笑んだ。その笑顔に思わずアクセルの頬も緩む。
「あぁ、よろしくフレアちゃん。ところで見ての通り、俺はすごく困ってる状況なんだが――」
「まぁ、そうでしたの? 実は私も困っていたんです」
フレアは笑顔のまま答えた。アクセルは一呼吸置いて言葉を続ける。
「とりあえず水を――水を飲ませてくれ。もう今にも干からびて死にそうなんだ」
「水ですか? お安い御用ですわ」
フレアはそう言って、バイクの荷物の中から水筒を取り出した。革のベルトが付いた銅製の水筒だった。蓋を取り外しながらアクセルの元に歩み寄ってくる。
アクセルは大きく口を開ける。そこ目掛けてフレアが水を流し込んだ。アクセルは口に流れ込んでくる水を一心不乱に飲み込んでいく。
身体に染み渡るという言葉を、これほど実感したのは初めてだった。取り込まれた水分が全身を駆け巡り、体の活力が戻ってくるのを感じる。
「――くはっ! うめえ!!」
アクセルは荒い呼吸でそう叫んだ。その反応にフレアは満足そうに微笑む。
「美味しかったですか?」
「あぁ、これほど水を美味しく感じたのは初めてだよ。マジで助かったよ」
そう言ってアクセルは大きく息を吐いた。
「そういえば何か困ってるって言ってたな? 俺で良ければ力を貸すよ」
一息ついたところでアクセルは言った。
「よろしいんですの? うれしいですわ」
フレアは水筒を仕舞いながらアクセルに顔を向ける。
「実は今夜泊まる場所を探しておりまして。どこかに良い宿はございませんか?」
「宿か! そいつはちょうどいい」
アクセルは笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「ここから東へ三キロくらい行ったところに小さな町があるんだが、そこに『ボラーチョ』って宿がある。俺が経営してるんだ」
「まぁ、そうでしたの! ミスター・アクセルは宿屋のオーナーでいらっしゃったのですね」
「オーナーって言っても、俺と妹の兄妹二人で経営してる小さい宿屋だけどな。まぁ助けてくれた礼だ。無料で泊めてやるぜ」
「東へ三キロですね」
フレアは荷物から方位磁石を取り出して、目的の方向に顔を向ける。
「あちらですわね」
「でかい給水塔のある町だ。少し走ればすぐに分かるぜ」
「何から何までありがとうございます」
フレアはそう言って、再び小さく膝を曲げる。
「いいってことよ。お嬢さんは命の恩人だからな」
アクセルは軽く首を振りながら言った。フレアはゴーグルをかけてバイクにまたがり、アクセルに笑顔を向ける。
「それではごきげんよう、ミスター・アクセル。またお会いしましょう」
アクセルは笑顔のまま小さく返事をした。
軽快なエンジン音が鳴り響く。そしてそのままバイクが発進した。
「…………」
遠ざかっていくフレアの背中を、アクセルは笑顔で見送る。やがて視線を落とし、軽く身じろぎをする。動けない。当たり前だ。自分はまだ埋められたままだ。
再び視線を上げる。もうフレアの姿は見えなくなっていた。
「……え……えっ!?」
アクセルの驚きの声は、誰もいない砂漠にむなしく響いた。




