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ノーブレーキ・ランナウェイ  作者: 佐久謙一
第一章 ガイドを雇います
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1-2

 その時、アクセルは、はっとした表情で顔を上げた。辺りを見渡し、息を潜めて耳をすませる。幻聴ではない。微かに響くエンジン音が、確かに聞こえてきたのだ。

「おおおおおいっ! 助けてくれええええ! 俺はここだあああああ!」

 アクセルは最後の力を振り絞り、懸命に叫んだ。喉の痛みに何度も咳き込みながら必死に声を上げる。それに答えるようにエンジン音が止まった。

 そして再びエンジン音が唸り、徐々にこちらに近づいてくる。やがてアクセルの視界に一台のバイクが映った。

 それは三輪のバイクだった。随分でかいとアクセルは思った。運転手が小柄なこともあって一際大きく見える。

 やがてある程度近付いたところでバイクが停止し、運転手が降りてきた。ゴーグルをずらし、周囲に顔を向けている。

 運転手の顔を見て、アクセルは思わず目を見張った。ごついバイクを乗り回しているので、どんな奴かと思ったら、まだ幼さの残る顔立ちの、美しい少女だったからだ。

「……人の声が聞こえたような気がしたのですが」

 少女が呟く。少女に見惚れていたアクセルは、その言葉で我に返り、再び声を上げる。

「こっちこっち! 足元足元!」

「んー? 足元?」

 少女はアクセルの方に近付きながら、周囲を訝し気に見渡す。やがて視線が下に向けられ、地面に埋められたアクセルと目が合った。

「ひっ! 生首!」

 その瞬間、少女は怯えた様子で後ずさった。

「待って、落ち着いてお嬢さん! 俺は悪い生首じゃないよ!」

 逃げられては困ると、アクセルは必死な笑顔で言った。

「俺はアクセルって言うんだ。お嬢さんのお名前は?」

「名前……ですか?」

 アクセルの言葉を聞いて、少女は戸惑った表情を浮かべる。やがてアクセルにまっすぐ向き直ると、胸に手を当て、右足を斜め後ろに引きながら、ゆっくりとした仕草で膝を曲げた。

「私はフレア。フレア・ラパロと申します。ミスター・アクセル、お会いできて嬉しく存じます」

 そう言って少女――フレアはにっこりと微笑んだ。その笑顔に思わずアクセルの頬も緩む。

「あぁ、よろしくフレアちゃん。ところで見ての通り、俺はすごく困ってる状況なんだが――」

「まぁ、そうでしたの? 実は私も困っていたんです」

 フレアは笑顔のまま答えた。アクセルは一呼吸置いて言葉を続ける。

「とりあえず水を――水を飲ませてくれ。もう今にも干からびて死にそうなんだ」

「水ですか? お安い御用ですわ」

 フレアはそう言って、バイクの荷物の中から水筒を取り出した。革のベルトが付いた銅製の水筒だった。蓋を取り外しながらアクセルの元に歩み寄ってくる。

 アクセルは大きく口を開ける。そこ目掛けてフレアが水を流し込んだ。アクセルは口に流れ込んでくる水を一心不乱に飲み込んでいく。

 身体に染み渡るという言葉を、これほど実感したのは初めてだった。取り込まれた水分が全身を駆け巡り、体の活力が戻ってくるのを感じる。

「――くはっ! うめえ!!」

 アクセルは荒い呼吸でそう叫んだ。その反応にフレアは満足そうに微笑む。

「美味しかったですか?」

「あぁ、これほど水を美味しく感じたのは初めてだよ。マジで助かったよ」

 そう言ってアクセルは大きく息を吐いた。

「そういえば何か困ってるって言ってたな? 俺で良ければ力を貸すよ」

 一息ついたところでアクセルは言った。

「よろしいんですの? うれしいですわ」

 フレアは水筒を仕舞いながらアクセルに顔を向ける。

「実は今夜泊まる場所を探しておりまして。どこかに良い宿はございませんか?」

「宿か! そいつはちょうどいい」

 アクセルは笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「ここから東へ三キロくらい行ったところに小さな町があるんだが、そこに『ボラーチョ』って宿がある。俺が経営してるんだ」

「まぁ、そうでしたの! ミスター・アクセルは宿屋のオーナーでいらっしゃったのですね」

「オーナーって言っても、俺と妹の兄妹二人で経営してる小さい宿屋だけどな。まぁ助けてくれた礼だ。無料で泊めてやるぜ」

「東へ三キロですね」

 フレアは荷物から方位磁石を取り出して、目的の方向に顔を向ける。

「あちらですわね」

「でかい給水塔のある町だ。少し走ればすぐに分かるぜ」

「何から何までありがとうございます」

 フレアはそう言って、再び小さく膝を曲げる。

「いいってことよ。お嬢さんは命の恩人だからな」

 アクセルは軽く首を振りながら言った。フレアはゴーグルをかけてバイクにまたがり、アクセルに笑顔を向ける。

「それではごきげんよう、ミスター・アクセル。またお会いしましょう」

 アクセルは笑顔のまま小さく返事をした。

 軽快なエンジン音が鳴り響く。そしてそのままバイクが発進した。

「…………」

 遠ざかっていくフレアの背中を、アクセルは笑顔で見送る。やがて視線を落とし、軽く身じろぎをする。動けない。当たり前だ。自分はまだ埋められたままだ。

 再び視線を上げる。もうフレアの姿は見えなくなっていた。

「……え……えっ!?」

 アクセルの驚きの声は、誰もいない砂漠にむなしく響いた。

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