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「お疲れさん。ホオビに到着したぜ」
傘を閉じながらアクセルが言った。そこは何とも幻想的な風景だった。
樹齢が何百年もありそうな巨大な樹木が並び、その間を縫うように道が整備されている。腕程の太さのある木々の枝はどれもが不自然に歪曲しており、まるで今にも動き出しそうな雰囲気を醸し出している。木々の根元には緑色に発光するキノコが無数に生えており、天然の光源となって道を淡く照らしていた。
「……すごいな。魔法使いの町と言われるだけのことはある」
バーンズが感心したように呟く。フレアも同様に感嘆の息を漏らしながら町を見渡す。
「素敵な町ですわね。まるで違う世界に迷い込んだ気分ですわ」
「確かに、あの霧が別世界への入り口って感じだったしね」
クラッチが背後の霧を振り返りながら呟いた。
「三人とも驚くのは早いぜ。ここのパワースポットがまだだからな」
アクセルはそう言って再び歩き出す。三人もそれについていく。
「先程から不思議に思っていたのだが――随分この町に詳しいな。来たことがあるのか?」
バーンズの質問にアクセルは肩越しに振り返る。
「あぁ、一回だけな。というか祝福の道標を一回巡ったことがあるんだよ」
「え? 初耳なんだけど?」
クラッチが眉をひそめて言った。
「もう三年くらい前の話さ。その時の知識が役に立つ日が来るとは思わなかったぜ。お、見えてきたぜ――」
アクセルが足を止め、前方を指差した。
そこには大きな湖が広がっていた。その湖を見て、三人は息を呑んだ。
前方に広がる湖は、日の光によって湖全体が白く輝いていた。周りを巨大な樹木に囲まれた中で静かに広がるその様は、現実感の無い美しさがあった。
そして何より目を引いたのが、その湖は川底が見えるほどに透き通っていたことだ。
「綺麗ですわ……。この湖がパワースポットなのですか?」
「いやいや、フレアちゃん。湖の底をよく見てみな」
「底ですか?」
言われた通り、フレアは湖を覗き込み――
目が合った。
「――ひっ」
フレアが小さい悲鳴を上げる。バーンズも同様に湖を覗き込み、そこにある物に気付いて驚いた表情を浮かべた。
それは大きな顔だった。
全長五メートルはあろうかという巨大な顔が、湖の底からじっとこちらを見つめていたのだ。よく見ると大理石のような物で作られた石像だと分かるのだが、ぱっと見は大きな生き物がこちらを覗き込んでいるように感じられるほど精巧に作られた像だった。
「……何なのあの不気味なオブジェ」
クラッチが顔をしかめながら言った。幻想的な風景を楽しんでいたところに水を差された気分なのだろう。
「これがホオビのパワースポット『湖に眠る巨人』だ。見た感じ、ただのでかい石像なんだが、いつ誰がどうやってあの石像を作ったのか分かってないんだ。一説ではあれは魔法で作られたゴーレムで、封印が解かれると動き出すんじゃないかと言われている」
「くだらん迷信だな」
「お前、ほんとロマンねえな」
アクセルとバーンズは互いに鼻を鳴らした。
湖を後にした四人は、アクセルの案内で木造の落ち着いた宿屋に入った。シンプルだが金のかかった造りをしているのが見て取れた。
「一階がレストランになってて、二階が宿舎。二階からはさっきの湖が一望出来るぞ」
アクセルの説明を聞きながら三人は店内を見渡す。正面には石造りの大きな暖炉が設置されており、その傍らにはおしゃれな雰囲気のバーまで設置されていた。そしてイメージ作りの為か、店員はどれも黒ずくめで大きな三角帽子を被っていた。
「いらっしゃいませ~。魔法の世界へようこそ~」
声のした方向に顔を向けると、レストランの中央にある台の上に魔女の格好をした店員がいた。店員はアクセルたちの視線が自分に向けられたのを確認すると、右手に持つ小さな杖を華麗な手つきで振った。すると突然杖の先から火花が現れ、派手な音を立てながら女性の周りを飛び回り始めた。
「良かったら前の席へどうぞ~。私の魔法を心行くまでお楽しみくださ~い」
店員はそう言ってウィンクする。そして再び杖を振ると、今度はどこからともなく白いハトが現れ、店員の肩に止まった。
「す、すごい、すごい! クラちゃん見て見て! 本物の魔法ですわ!」
店員の魔法に、フレアが興奮した様子ではしゃぎ始める。そしてクラッチの手をつかんで店員の元へと走っていった。
「ここではマジックショーもやっているのか」
バーンズは感心した様子で近くにテーブルにつく。アクセルも同じテーブルにつき、呆れたように息を吐いた。
「魔法って言ってやれよ。フレアちゃんがあんなに喜んでるんだからさ」
フレアは最前列で子供のようにはしゃいでいた。その少し後ろでフレアを見守っているクラッチの姿は、完全に保護者と化していた。
「……あぁ、そうだな。あんなに楽しそうに笑う彼女を初めて見たよ」
バーンズがポツリと呟く。アクセルは店員にビールをボトルで頼んだ。
「私は酒を飲まん」
バーンズが仏頂面で言った。
「俺が飲むんだよ」
店員がビールのボトルと空のグラスを持ってきた。ご丁寧にグラスは二つあった。
「まだ日も沈んでいないのに酒か」
「良いだろ別に。楽しい観光旅行なんだからさ。お前も軍服脱いで少しは肩の力を抜いたらどうだ?」
アクセルはグラスにビールを注ぎながら言った。バーンズは腕を組んでアクセルを見る。
「私はフレアの護衛だ。私が気張らずしてどうする?」
「まぁ、あんたの言ってることも分かるけどさ。そんな様子じゃフレアちゃんも一緒にいて楽しくないと思うぜ?」
「…………」
バーンズが押し黙る。アクセルはグラスを傾けながら、バーンズをチラリと見る。
「……フレアが……そう言っていたのか?」
バーンズが小さい声で尋ねてきた。その表情は真剣だった。
「どうしたんだよ、急に?」
「……いや、何でもない」
バーンズが視線を逸らす。アクセルは飲み干したグラスに再びビールを注ぎ始める。
「もしかしてフレアちゃんが親の決めた結婚を嫌がってんじゃないかと考えてるとか?」
アクセルが尋ねる。バーンズは顔を伏せたまま沈黙していた。
「何の願いを叶える気だ~ってすごい剣幕で聞いていたのは、その不安からってことか。お前さん、意外に繊細なんだな」
「……黙れ」
バーンズが低い声で言った。アクセルは肩をすくめながら再びグラスを傾ける。
「フレアちゃんに『何で無理して笑ってる?』なんて遠慮の欠片も無いこと言えるくせに、相手がどう考えてるのかは割と気にしてんだな」
「……何でその話を知っている?」
「フレアちゃんが話してくれたのさ。それが自分探しの旅のきっかけだってね」
アクセルの言葉にバーンズはため息を吐きながら首を振った。
「やはり気にしていたのか。あの後、明らかに様子がおかしかったからな」
「何でそんなこと言ったんだ?」
「彼女と数日過ごしたのなら分かるだろ?」
バーンズが顎でフレアを指し示す。
「必死に笑顔を作り、無理やり明るく振舞おうとする。全てがぎこちなく、糸が何重にも絡んだマリオネットを見ているようだった。だから私は彼女に無理をするなと言いたかった。ただそれだけなんだ。それがこんなことになるなんて」
バーンズは重いため息を吐いた。アクセルは呆れた顔で鼻を鳴らす。
「そんな様子でよく結婚話に持ち込めたな。お家の力って奴かね」
「……私の家はそんな大層なものではない。フレアとの婚約が決まったことについては、私自身が一番驚いている。確かにフレアとは話が合うが、まさか私のような家柄の人間に向こうから婚約の話を持ち掛けられるとは思わなかった」
バーンズは息を吐きながら言葉を続ける。
「父は元々平民の出だ。そして父も私もただの一歩兵でしかなかった。ラパロ家の足元にも及ばない家柄だよ。運良くウォルフファミリー壊滅の功績を上げたおかげで治安部隊の隊長という身に余る階級をいただいた。当然私の功績を妬む者も多い。平民風情に何が出来ると何度言われたか分からんよ」
バーンズは自嘲気味に笑う。
「今回の結婚も財産目当てに世間知らずの娘をうまく騙したなどと噂されるほどだ。実に腹立たしいよ。確かにフレアは世間知らずかもしれない。だが、口先だけの男に簡単に騙されるほど愚かではない。そしてブライアン氏は家柄で人を判断しない高潔な御方だ」
バーンズはそこまで言って、テーブルに置いてあったもう一つのグラスを手に取った。
「……私にも注いでくれないか?」
「飲まないんじゃなかったのか?」
「飲みたくなったんだよ」
アクセルはグラスにビールを注いでやる。しばらくの間、無言でビールを眺めていたバーンズだったが、意を決したように鼻を鳴らすと、グラスを一気にあおいだ。
「バーンズ。俺、お前の事ちょっと好きになったぜ」
アクセルが微笑みながら自分のグラスを一気に飲み干す。バーンズは空になったグラスをテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「アクセル。私はお前が嫌いだよ」
「そりゃどうも」
「職業柄、私は人と相対した時、そいつがどんな奴なのか、ある程度は分かる」
バーンズはやや足元をふらつかせながら、アクセルを真っ直ぐに見据える。
「お前はフレアとそっくりだ」
「何それ?」
「お前も無理して笑っているってことだよ」
「…………」
バーンズの言葉にアクセルは視線をさまよわせる。
「図星か?」
「お前、ほんとずけずけ言う性格なんだな。友達いないだろ」
「フレアのガイドを申し出たのも、お前自身、自分に似ていると感じたからじゃないのか?」
「別に俺は――」
アクセルは言い淀む。そして大きくため息を吐くと、静かに口を開いた。
「俺は――ただ泣かせたくない奴がいるだけだよ。あいつに二度と悲しい顔をしてほしくないだけだ」
アクセルの言葉を聞いて、バーンズは小さく息を吐いて口を開いた。
「お前、祝福の道標を一度回ったんだったな? 願いは叶ったか?」
「……やっぱお前のこと嫌いだわ」
「私はお前の事が少し好きになったよ」
「気持ち悪いな。どっか行けよ」
バーンズが鼻を鳴らしながらアクセルに背を向けた。残されたアクセルはビールのボトルに目をやると、直に口を当てて一気に飲み干した。




