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ノーブレーキ・ランナウェイ  作者: 佐久謙一
第四章 喧嘩して仲直りします
23/35

4-2

「いい加減出てきたら?」

 クラッチが藪に向けて言った。フレアはきょとんとした顔で藪の方に顔を向ける。

「覗きなんて趣味悪いぞ」

「……別に覗いていた訳じゃない。出るタイミングを見計らっていただけだ」

 藪の中から声が返ってきた。やがて音を立てながら声の主が姿を現す。その人物を見てフレアの目が丸くなる。

「ミスター・バーンズ!」

「……探しましたよ。フレア」

 服に着いた葉っぱを払いながら、バーンズは言った。

「あんたがバーンズ?」

 クラッチは眉をひそめながらバーンズを見据える。

「いきなりで悪いんだけど、あんた本物? 何か証明する物ある?」

 クラッチの質問にバーンズは感心したように小さく頷く。

「良い質問だ。君はクラッチだな? 兄のアクセルから他人に変装する賊の話は聞いている」

「兄貴に会ったの!?」

「あぁ、彼は無事だ。私の部下が保護してある」

 バーンズの言葉にクラッチは今にも崩れ落ちそうな様子で安堵の息を吐く。しかしはっとした様子で気を引き締めると、バーンズを真っ直ぐ見据えて言った。

「そ、それであんたが本物だって証拠はあるの?」

「分かった。証明してみせよう」

 バーンズは視線をフレアに向けた。

「フレア。本物のバーンズにしか知りえないような質問を頼めるか?」

「分かりましたわ」

 フレアは頷きながら言葉を続ける。

「では、最初の質問ですわ。社交パーティで初めてお会いした時、あなたがしてくださったことは?」

「あなたをダンスに誘った――というのは建前で、あなたに言い寄る男共を追い払い、バルコニーまで連れ出した。あの時はただ困っている女性を助けたい一心で、あなたの名前すら知らなかった」

「正解ですわ」

 バーンズの言葉にフレアは頬を染めながら言った。

「あの日の夜の事は今でも鮮明に思い出せますわ。月明かりに照らされた、私達二人だけの特別なステージ」

「……私はまともにダンスが踊れず、あなたに手取り足取り教わりましたね」

「まさかダンスが初めてとは思いませんでしたわ」

「今だからこそ言えますが、実はああいったパーティ自体が初めてだったのです。成り行きとはいえ、あなたをダンスに誘うなど、よく大胆な事が出来たものです」

「英雄バーンズの意外な一面ですわね」

 フレアがクスクスと笑い、バーンズは困ったような笑みを浮かべた。

「…………」

 そんな二人の会話を、クラッチは気まずそうな表情で聞いていた。二人はクラッチに構わず思い出話に花を咲かせている。

「……えぇっと、ちょっといい? とりあえずこの人が本物のバーンズってのは分かったから、ノロケ話はあとにしてくれない?」

 二人の会話を遮るようにしてクラッチが言った。フレアは赤くなった頬に手を当てながら顔を逸らす。

「……そうだな。こういうことをしている場合ではない」

 バーンズは軽く咳払いをしながら言葉を続ける。

「とりあえず私が本物であることは分かってもらえたな? 私がここまで追ってきた理由も察しが付くだろう。君達を保護しに来た」

 保護という言葉を聞いて、クラッチとフレアは互いに顔を見合わせる。その反応に、バーンズは小さく息を吐きながら言った。

「もう呑気に旅を続けていける状況じゃない。私としてはこれ以上、大事な婚約者を危険な目に合わせる訳にはいかないんだ。君達も理解しているはずだ。残念ながら――旅は終わりだ」

 バーンズの言葉に、二人は沈黙したまま俯いた。分かってはいたが、改めて言葉にされると口惜しい気持ちは隠しきれなかった。

 バーンズがゆっくりと右手を持ち上げフレアに向ける。

「フレア、私の手を取って。一緒に帝都に帰りましょう」

 フレアは差し出された手とバーンズの顔を交互に見る。バーンズはフレアを真っ直ぐに見据えて頷く。フレアは視線を落として小さく息を吐いた。

 フレアが右手をそっと持ち上げる。そしてバーンズが差し出した右手にゆっくりと伸ばしていく。

 この手を取れば旅は終わる。

 その思いが手を伸ばすのを躊躇させる。

「フレア」

 バーンズがきっぱりとした口調で言った。その言葉にフレアは観念したように再び手を伸ばす。


「その連行、ちょっと待った!」


 その時、突然バーンズの背後から声が上がった。続いてバイクのエンジン音が鳴り響き、藪をかき分けて一台のバイクが姿を現した。

「なっ、お前は!?」

 バーンズが驚きの声を上げる。その人物はバイクから降りると、彼ら三人に向かって笑顔を向ける。

「待たせたな。悪党と戦ってたらちょっと遅れちまったぜ」

「兄貴!」

「アクセルさん!」

 クラッチとフレアが同時に叫んだ。名前を呼ばれたアクセルは親指を立てながらそれに答える。

「二人とも俺がいないからって寂しくて泣いてたんじゃねえのか? もう安心だぜ。この通り俺が来たからにはシリアスシーンは終了――」

 アクセルの言葉が途中で遮られる。いきなりクラッチがアクセルの胸に飛び込んできたからだ。

「うお! ん? クラ、どうし――」

 自分の胸に顔をうずめるクラッチが肩を震わせながら泣いていることに気付き、アクセルの表情が固まる。

「……兄貴……馬鹿野郎……心配したんだぞ……」

 クラッチがより力強く顔を押し付けてくる。

「……悪かった。一人にさせちまって」

 アクセルが小さな声で言った。クラッチは顔を上げて涙ぐんだ眼でアクセルを見つめ――おもむろにアクセルの鳩尾目掛けてボディブローを放った。

「ごふっ!!」

 突然のことにくぐもった悲鳴を上げながら膝をつくアクセル。クラッチはわなわなと拳を震わせながら荒い呼吸を繰り返している。

「……次やったらこんなもんじゃ済まさないからな」

 クラッチがドスの利いた声で言った。アクセルは痛みに悶えながら何度も頷いた。

「……大丈夫か?」

 そんなアクセルを見下ろしながらバーンズが言った。右手を貸し、アクセルが立ち上がるのを手助けする。

「しかし、お前、わざわざ牢を抜け出してまで追ってくるとは……。シクレはどうした? 買収でもしたのか?」

 バーンズが呆れた顔で尋ねてくる。アクセルはこれまでの経緯を簡単に説明した。ファーティによる襲撃があったと聞いて、バーンズの顔が険しくなる。

「――それで応援が来るって聞いてたから、あんたの部下はそのまま置いてきたよ。気絶させられていただけで命に別状はなかったからな」

「……そうか。お前には助けられっぱなしだな。しかし、まさかフレア以外を狙ってくるとは予想出来なかった。本当にすまない」

「おう。牢にぶち込まれたのも、あんたの部下が役立たずなのも全然気にしてねえから」

 アクセルの皮肉にバーンズの顔が一瞬引きつる。

「……別にお前を逮捕したわけではない。あれは一時的な保護を行ううえで適した建物が周囲に無かったのでやむを得ず――」

「言い訳なんて聞きたくねえなぁ。あんたにどんな考えがあったにせよ、結果として俺は不当に拘束されたんだ。おまけに使えねえ部下のせいであっさり襲撃されて、危うく女の子になるところだったんだぜ」

「は?」

「とにかくだ。引き起こした結果に対する、誠意ある謝罪って奴がいるんじゃねえかなぁ」

 アクセルはニヤリと口元を歪ませる。バーンズは眉をひそめながらアクセルを見る。

「ただ頭を下げる謝罪が欲しいわけじゃなさそうだな。お前、何を企んでいる」

「企むなんて人聞きの悪い」

「言え。何が望みだ」

 バーンズが腕を組みながら言った。その言葉にアクセルは笑みを浮かべたまま鼻を鳴らす。

「俺の望みなんて分かり切ってるだろ? 旅を続けることだ」

「……お前、まだそんなこと言ってるのか。今の状況が分かっているのか?」

 バーンズが呆れたように首を振った。アクセルは肩をすくめながら言葉を続ける。

「あんたこそ状況の変化をちゃんと感じ取ってるか? ウォルフファミリーのリーダー格は今や牢屋の中なんだぜ? 奴らに出来ることなんてもう何もないってことさ」

「……だが、まだ全員捕まった訳ではない。それに危険分子は彼らだけではない。そもそもラパロ家の御令嬢ともあろうお方が、まともな護衛も連れずに外を出歩くなど、その行為自体が危険極まりない行為だ」

 そう言って、バーンズは再びフレアに顔を向けて手を差し出した。

「さぁ、フレア。帝都に帰りましょう。旅に行きたいのでしたら、また日を改めて行けばいいのです。父上も屋敷の者も、皆あなたを待っていますよ」

 父上という言葉を聞いてフレアの顔が強張った。視線を挙動不審にさまよわせる。

「決めるのはフレアちゃんだぜ」

 アクセルがポツリと呟く。その言葉を聞いて、フレアははっとした表情で顔を上げた。

 やがてフレアは目を閉じて、胸に手を当てながら大きく深呼吸する。そしてゆっくりと目を開くと、バーンズを真っ直ぐに見つめながら静かに口を開いた。

「私は戻りません。私は――旅を続けます。この旅を終わらせるまでは絶対に帰りません」

 はっきりとした口調でフレアは言った。バーンズは驚いた顔でフレアを見つめ、差し出した手をゆっくりと戻した。

「本気で言っているのですか?」

 フレアは力強く頷く。

「わがままなのは承知しております。ですが少しでも可能性があるのなら――旅を最後までやり遂げたいのです」

「今でないと駄目なのですか? 何故そんなにこの旅にこだわるのですか?」

 バーンズは目を細めて険しい表情を浮かべる。

「何か叶えたい願いでもあるのですか?」

 バーンズの言葉にフレアは言葉を詰まらせた。バーンズは構わず言葉を続ける。

「祝福の道標を全て巡ればどんな願いも叶う。そういう迷信があるそうですね。それが今でなければいけない理由なのですか? 危険を冒してまでそんな迷信に縋りついて――一体どんな願いを叶えるつもりなのですか?」

「……そ、それは……」

 フレアが困った表情で言い淀む。顔を俯かせ、落ち着きなく視線をさまよわせている。そのフレアの反応にバーンズの目がますます細められる。

「――あのさ、ちょっといい?」

 そんなフレアを見かねてか、バーンズとフレアの間にアクセルが割って入ってくる。そしてバーンズの顔を覗き込みながら言った。

「なんかさっきから危ない危ない言ってるけどさ。それならあんたが護衛として旅についてくればいいじゃねえか」

 その言葉にバーンズはきょとんとした顔をアクセルに向けた。それに対してフレアはぼんと手を打ちながら目を見開く。

「なるほど。その手がありましたわ」

「……いや、ちょっと待て。何故そうなる」

 バーンズは首を振りながら言った。そんなバーンズの肩をぽんぽんと叩きながらアクセルは言葉を続ける。

「いやぁ、あんた以上に護衛としてピッタリな人間はいないだろ? 治安部隊の隊長さんだし、おまけに銃も持ってるし」

「私にそんな暇はない! 一日でも早く本部に帰って片付けなければならない書類が山ほどあるのだ! 今回のウォルフファミリーの件についても急いで報告書を作成せねばならんし、呑気に旅行など出来るか!」

「その仕事をほっぽり出して、ここまでフレアちゃんのケツ追っかけてきたんだから、あと数日伸びたって構わねえだろ?」

 アクセルがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら言った。バーンズは一瞬目を逸らしながら、顔をしかめてアクセルを睨む。

「私は仕事を放棄した訳ではない。国民を守るのも私の義務だ。今回フレアを追ってきたのも形式上はブライアン・ラパロ氏の依頼ということになっている」

「どうせあんたが根回ししたんだろ? お役人はそういうの得意だからな。それだけフレアちゃんが心配だったんだ」

「違う――いや、フレアを心配していなかったというのではなくて、これはちゃんと職務としてだな」

 段々とバーンズの言葉がしどろもどろになっていく。二人のやり取りを見守っていたフレアは傍らのクラッチにそっと話しかけた。

「アクセルさんすごいですわね。あのミスター・バーンズが手玉に取られているところなんて初めて見ましたわ」

「……まぁ、口先だけで生きてきたような男だし」

 アクセルとバーンズの会話が続く。だが、しばらくしてバーンズががっくりと肩を落とし、アクセルが勝ち誇った顔で二人を振り返った。

「よし、話はついたぞ。これからは四人旅だ」

 アクセルの言葉に、バーンズは苦々しい顔を浮かべている。

「うれしいですわ。ミスター・バーンズ。旅を認めてくださってありがとうございます」

 フレアが笑顔を浮かべてバーンズの手を握る。バーンズは気まずそうに咳払いをした。

「それじゃあ話も付いたことだし、今日はもう休もう。色々あって疲れたぜ」

 アクセルが大きく息を吐きながら言った。

「宿なんてとってないんだけど」

 クラッチが尋ねる。アクセルはバーンズを指差しながら言った。

「それなら警察署に泊めてもらおうぜ。寝るところくらいあるだろ?」

 アクセルの言葉に、バーンズは頷く。

「あぁ、仮眠用の個室がある。元々二人には今夜そこに泊まってもらうつもりだった。だが――」

「だが?」

 バーンズはチラリとアクセルを見て言葉を続ける。

「確保したのは三部屋だけだ」

「は? 予約制なの?」

「職員も使う場所だからな。今回も無理を言って三部屋貸してもらった。今から一部屋追加で貸し出してもらうのは無理だろう。だが安心しろ。解決策はある」

 そう言って、バーンズはアクセルを見ながらニヤリと笑った。

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