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ノーブレーキ・ランナウェイ  作者: 佐久謙一
第三章 お買い物を邪魔されます
20/35

3-5



 子供の頃、アクセルは妹の事が嫌いだった。

 いつも自分の後について回り、何でも自分の真似をしようとするので鬱陶しくてしょうがなかったのだ。妹に冷たくすると決まって泣き出し、続いて両親に叱責される。そのせいかアクセルは仲間とつるんで外に繰り出すのを何よりも楽しいと感じていた。

 十五にもなると悪い遊びを知り、酒や煙草の味を覚えた。父親が酒豪だった関係か酒には強く、飲み比べでは誰にも負けたことはなかった。その頃にはもう家にはほとんど帰らなくなっていた。

 両親が死んだという知らせを聞いた時、最初は悪い冗談だと思った。

 殺しても死ななそうな豪快な父と、気の強い性格の母。

 久々に帰ってきた家には、既に二人の姿は無かった。そこにはたった一人、表情に濃い影を落とした妹が、泣き腫らした眼を自分に向けているだけだった。

 家も妹も、自分の記憶とはかけ離れたものと化していた。

 妹の口が開かれる。アクセルは罵倒の言葉を覚悟した。しかし妹の口から発せられた言葉は全く違うものだった。

 ――もう、私を置いていかないで……。

 いくら後悔してもしきれない想いがこみ上げ、何も言う事が出来なかった。

 やがて妹の口から、宿屋を土地ごと売って、近くのアパートに引っ越そうと提案された。この家は兄妹二人で住むには広すぎるし、宿も続けていける保証がないからと、近所の人に言われたからだった。

 アクセルは猛反対した。

 ――ここが俺達の家で、帰るべき場所だ。俺達が守らないでどうするんだ!?

 アクセルの言葉に妹は不安な表情を浮かべていた。アクセルも不安だった。小さな宿とはいえ、たった二人でやっていけるほど仕事が簡単とは思えなかった。

 しかし妹は頷いた。その眼には力強い光があった。アクセルも頷いた。

 最初は赤字続きだった。客とのトラブルも多く、警察沙汰になったこともあった。資金をねん出するため、妹に内緒で危ない仕事に手を染めたこともある。辛い日々が続いたが、兄妹は決して弱音を吐かなかった。

 そして今、近所の人の助けを借りながらも、宿はなんとか経営出来ている。辺境の砂漠の町にある小さな宿ボラーチョ。兄妹の帰るべき場所だ。

 いつからか、アクセルは窓の外を眺めていることが多くなった。暇さえあれば無意識に視線が窓の外に向き、道行く人々の動きを追っていた。

 家に帰ってきたとき、既に両親が埋葬されていたせいか、その事実を心のどこかで受け入れられてない自分がいた。

 いつかひょっこり帰ってくるんじゃないか。

 そんな考えを捨てきれず、アクセルは窓の外の景色を眺めていた。

「兄貴いつも言ってんだろ。そんなところで寝たら風邪ひくよ」

 窓辺のテーブルに寝転がりながら酒をあおるアクセルにクラッチが言った。アクセルは生返事を返しつつ、いつまでも窓の外を見つめていた。



 アクセルはゆっくりと目を開いた。天窓から覗く月の光が部屋の中を優しく照らしている。

「……いつの間にか寝ちまってたな」

 アクセルは大きな欠伸を漏らしながらゆっくりと体を起こす。そして部屋の中を見渡し、今の自分の状況を確認する。

 そこは簡素なベッドとトイレ以外何も無い、監獄のような部屋だった。片側の壁にはしっかりとした作りの鉄格子がはまっている。ここは拘束プレイを楽しめる店の一室だった。シクレに連行されたアクセルは、保護という名目でこの部屋にぶち込まれたのだ。

「何でこんな牢屋みたいな部屋に入れられないといけないんだよ」

 アクセルが鉄格子にもたれかかりながらぼやく。部屋の前には監視部屋らしき小部屋があり、そこの小窓からシクレが顔を覗かせている。

「はい、文句言わない。牢屋ってのは、何だかんだで安全な場所でもあるんですよぉ」

「せめて鍵開けろよ。これじゃあ俺が犯罪者みたいじゃねえか」

「あんたにはパンイチで外をうろついて女の子に襲い掛かった疑いもありますしねぇ」

「俺の話聞いてなかったのかよ税金泥棒。今はちゃんと服着ているし、襲った相手もウォルフファミリーだって言っただろ!」

 そう言うアクセルは、言葉の通りきちんと服を着ていた。手錠もちゃんとひり出した鍵で解錠してある。

「うっさい、スカトロ野郎。応援が来るまで大人しくしてろ!」

 シクレはそう言って、小窓を閉めた。アクセルは諦めたようにため息を吐くと、ベッドに座り込む。

「……畜生、腹からケツにかけて変な痛みがジンジン響いてやがる。これで病気になって死んだりしたら、墓にどんなひどいこと書かれるんだ」

 アクセルは再びため息を吐き、窓の外を見る。

 クラッチとフレアは無事に町から出られただろうか。バーンズは彼女たちに追いついただろうか。

 様々な考えが脳裏に浮かぶ。そして今、何も出来ないでいる自分に歯がゆさを感じた。


「――彼女の名はマリポーサ。美という言葉は彼女から生まれた。無邪気に踊り、歌い、暗闇を優しく照らす。俺達には何もない。そこには彼女しかいない。導かれるように彼女の後を追う。あぁ、気が付いた。あれは俺達の魂さ」


 無意識に歌を口ずさんでいた。思い浮かんだ言葉をデタラメに並べただけの歌だが、その言葉は妙にアクセルの心に響いた。

「……ぐっ、うっ……」

 監視部屋の方からシクレの呻き声が聞こえた。アクセルは首を動かし、顔をそちらに向ける。

「何だ、お前も俺の歌に感動しちまったか?」

 シクレの返事はない。アクセルは怪訝な顔で立ち上がり、鉄格子を軽くノックする。

「おーい、どうしたー? 何かあったのかー?」

 監視部屋の扉がゆっくりと開く。そして扉の奥から姿を現した人物に、アクセルの目が大きく見開かれる。

 それはウォルフファミリー残党――ファーティだった。獲物を前にした狼のように鋭い眼をアクセルに向けている。

「よう、アクセル。会いたかったぜ、糞野郎」

 ファーティの口元がニヤリと歪む。アクセルは喉の奥で悲鳴を押し殺しながら後ずさった。

「……て、手前! 何でここに!?」

 必死に虚勢の声を上げながらじりじりと後ずさっていく。そんなアクセルの姿を真っ直ぐ見据えながら、ファーティは鉄格子の鍵を開き、勢いよくスライドさせた。

「もうすぐここに憲兵の増援が来るんだぞ! 早く逃げないと大変なことになるぞ!」

「あぁ、知ってるよ。バーンズの野郎にも計画が知られちまったなぁ」

 部屋に入ったファーティは鉄格子を閉め、再び鍵をかける。そして鍵をポケットに仕舞いながらアクセルを振り返った。

「作戦は失敗だ。付近一帯の警備は強化され、フレア・ラパロを誘拐するどころじゃなくなっちまった。私らも急いで国外に逃げないとまずい。だがその前に、手前に受けた借りを返さねえとなぁ。安心しろ。そんなに時間はかけねえよ」

 ファーティが指を鳴らしながら言った。アクセルの顔が強張る。

「か、借りって何だよ? 俺あんたに何かしたか?」

「ん? 分からねえか?」

 ファーティは目を細めながら早足でアクセルに歩み寄る。そして間髪入れずに鳩尾に蹴りを叩き込んだ。

 突然の衝撃にアクセルの身体がくの字に折れ曲がる。ファーティはアクセルの髪をつかみ、自分の顔の前まで持ち上げると、その顔面に頭突きをぶち込んだ。

 アクセルは鼻から血を吹き出しながら後ろに倒れこんだ。

「こいつは妹の分だ。よくもノズールの鼻の骨をへし折ってくれたなぁ」

 ファーティはアクセルの襟首をつかんで無理矢理立たせ、顔に裏拳を打ち込む。

「こいつは……まぁ、クローネに変なことを吹き込んだ分としておこう」

 アクセルはその場に崩れ落ちる。鼻血を必死に手で押さえながらファーティを見上げる。その眼には恐怖があった。

「な、なぁ、これで借りは全部受け取ったよな? これでお互い貸し借り無しだ。綺麗サッパリ関係解消の赤の他人だ。多分もうそろそろ憲兵が到着するころだ。だから早く逃げるのをオススメするぜ」

「……いいや、まだ大事な物がある」

 ファーティは首を横に振りながら、再びアクセルの襟首をつかみ上げる。そしてアクセルの眼を覗き込みながら言った。

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