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路地から出た二人は周囲に目を配らせながら通りを進む。商店街を抜け、アクセルのいる風俗通りが見えてきた。人の流れに沿うように二人は中に入っていく。
歩いていると周囲が好奇心を露わにした視線をこちらに向けているのに気付いた。周りの店の雰囲気も相まって、女の二人組というのは目立ってしょうがない。
「どっかで変装用の帽子でも欲しいわね」
そう呟きながら歩いていると、ふとクラッチの足が止まる。前方数メートル先に険しい顔をした偽シクレがこちらに向かって歩いてきていた。周りを見渡しながら歩いているので、まだこちらには気付いていないようだ。
クラッチはフレアの手をつかみ、急いで近くの店に逃げ込んだ。
「いらっしゃい。あら、かわいいお客さんね」
店内に入ってきた二人を見て、店員が言った。アフロが特徴的な髭面の男だった。
「何かお探しで?」
店員が尋ねてくる。クラッチは慌てた様子で店内を見渡す。小さなアクセサリーが並ぶ店で変装に使えそうな代物は無さそうだった。
「えっと、その……」
クラッチはあわてた様子で視線をさまよわせる。一刻も早く店から出たい心境だが、外は偽シクレがうろついている。もしかしたら店に入るところを見られた可能性もある。
「あの、その、自分で無くなるっていうか、自分って分からなくなるものを探してて……」
思考が追い付かず支離滅裂な言葉しか出てこなかった。店員は不審そうに二人を見つめるが、二人のただならぬ様子に何かを察し、真剣な表情で頷いた。
「――分かったわ、こっちにいらっしゃい」
店員がカウンター裏の扉を開けて言った。クラッチとフレアは安堵の息を漏らしながらその扉に入る。そして案内された部屋の展示物を見てクラッチの表情が固まった。そこはエナメルレザーのボンテージ衣装や卑猥な形のおもちゃが並んだ空間だったからだ。
「分かるわ、あなたの気持ち。常識という束縛の鎖に縛られている自分に嫌気がさしているのね。この町ではそんなものを気にする必要無いわ。自分という殻を破って、本当の自分を解放するの! さぁ、好きなのを選びなさい。サービスするわ」
固まるクラッチの肩に手を置きながら店員が言った。クラッチは今の状況が理解できず完全に思考停止していた。
「それじゃあ欲しいものが決まったら呼んでちょうだいね」
店員はそう言って、二人を残してカウンターへと戻っていった。
あとに残された二人はただ茫然と、卑猥なアイテムが並ぶ部屋で立ち尽くしていた。
店の裏口から外に出たクラッチとフレアは、怪しい色のネオンが輝く『マダムバタフライ』の前に来ていた。
「フレア、あんたは入り口の近くにいて。急いで兄貴呼んでくるから」
フレアは静かに頷いた。クラッチは店内に入り、カウンターの女性にアクセルについて尋ねた。女性は胡散臭そうにクラッチを見つめながら部屋の番号を告げた。
「言っとくけど店内で修羅場は勘弁してよね」
女性の言葉を適当に聞き流しつつ、クラッチは店の奥に入っていく。薄暗い店内では狭く長い通路が伸びており、通路に面して個室のドアがいくつも並んでいる。ドアの前を通るたびに男女の呻き声が漏れ聞こえ、クラッチは平常心を装いながら早足で歩いていく。やがてアクセルがいると聞いた部屋の前に辿り着いた。クラッチは一呼吸おき、そして小さく咳払いをしながら扉を開けた。
クラッチは素早く視線を巡らせて中を確認する。部屋は三メートル四方の正方形で、部屋の隅には拘束具や何に使うのかよく分からない器具が置かれていた。そして部屋の中央に目的の人物はいた。
そこには目隠しをされ、両手を後ろ手に拘束されたアクセルが横たわっていた。パンツ一丁で、肌が妙にテカっている。
「……ハァ、ハァ……女王様……早くこの卑しい豚にご褒美を……」
「…………」
呻くような声を上げるアクセルに、クラッチの顔から表情が消える。そして傍らに置いてあった乗馬用のムチを手に取ると、それでアクセルの顔を思いっきり引っ叩いた。
「イテッ!! おい、いきなり顔面はねえだろ!?」
衝撃でアクセルの目隠しがずれる。そして露わになった眼がクラッチに向けられ――一拍置いてその眼が大きく見開かれた。
「うあああああああああああああ!!」
アクセルは悲鳴を上げながら後ずさりをした。壁に背を付け、首を横に振りながら険しい表情を浮かべている。
「お、お、お前、いつからこの店で働いてんだ!? お兄ちゃん許さないぞ!」
クラッチはツッコミ代わりにもう一発顔面にムチをお見舞いした。
「だから痛いっつうの! それ乗馬用のムチだぞ! マジで痛いんだよ! だいたいお前はムチの叩き方がなってねえよ。いいか? 肌に対して垂直に打つのは痛みがでかいから上級者向けだ。基本は肌をなぞる様に打つのが正解なんだよ。さっと力を受け流すようにして打つんだ。ほら、やってみろ」
そう言って、アクセルがケツを突き出す。クラッチは無言のまま、アクセルのケツにムチを垂直に振り下ろした。
「ああああああああああああああ!!」
「いつまで馬鹿なことやってんだよ! さっさと行くよ!」
クラッチの言葉に、アクセルは涙目で振り返る。
「いや、さっさとイけって言われても、さすがに妹じゃ勃たねえよ。チェンジで」
クラッチがムチを持つ手を振り上げる。
「分かったって。ただのジョークだよ。何かトラブルでもあったのか?」
アクセルの言葉にクラッチはため息を吐きながら言った。
「ウォルフファミリーが出たんだよ。軍人に変装していて銃を持ってた」
「本当か? そいつはマズいな。分かった、急いで店を出よう」
アクセルは真剣な表情で頷き、部屋の扉に向かう。そんなアクセルをクラッチが呼び止める。
「ちょっと待って。その格好で外に出るつもり?」
「仕方がないだろ。この状態じゃ着替えられないし。服そっちに置いてあるから持ってきてくれ」
自分の腕にはめられた手錠を見せつけながらアクセルが言う。クラッチはアクセルの服を拾い上げながら尋ねる。
「その手錠の鍵どこよ」
「俺の腹の中」
「はぁ!?」
クラッチはあんぐりと口を開き、アクセルを見る。アクセルはバツの悪そうな顔で視線をさまよわせている。
「……いや、あのな。鍵を飲み込んで浣腸されて、それをひりだすってプレイを予約しててな」
「…………」
「こら、ゴミを見るような目で兄を見るんじゃない」
「……今すぐあんたと縁を切りたい気分だわ」
「たった二人の家族なんだから、そんなこと言うんじゃない。だいたい男ってのはな。誰だって人に言えない性癖が一つや二つあるんだよ。お前もこの先、色んな男と付き合っていけば分かるようになる」
「……頭痛くなってきた。もういいからさっさと逃げよう」
クラッチは大きくため息を吐きながら部屋を出た。アクセルもそれに続く。
店の外に出たところでクラッチは周囲を見渡した。偽シクレの姿は無い。
「フレアいる? 出てきて」
クラッチがフレアの名を呼ぶ。それに答えるように近くの路地から声が上がった。
「ふごー」
呻き声と共に、ボンテージマスクで頭全体を覆われた人物が姿を現した。ご丁寧に首には鎖付きの首輪まで取り付けられている。思いがけない人物の登場に、アクセルは思わず後ずさる。
「誰だ、お前!?」
「フレアよ」
クラッチが答えた。アクセルは困惑した顔で謎の人物をまじまじと観察する。首から上は完全にアブノーマル状態と化していたが、首から下は確かにフレアが来ていた服そのままだった。
「……お前、お嬢様に何て恰好させてんだよ」
「手っ取り早く変装出来るのがこれしか無かったんだよ! ほら行くよフレア!」
そう言ってフレアの首輪の鎖を引っ張るクラッチ。
「お前の将来が心配だよ、クラ」
「パンイチのあんたに言われたくないわ」
「うるせえな。お前こそ何だよ、その趣味の悪い服。いつから不思議の国の住人になった」
「これはフレアに無理矢理――」
その時、突然パンと乾いた音と共に二人の足元がはじけた。固まる二人の前方には銃を構える偽シクレがいた。
「……やっと見つけたぞ……手前ら……!」
偽シクレは肩で息をしながら三人を見る。ピンクのメルヘンドレスの女。パンイチの男。そしてボンテージマスクの女。
「…………」
偽シクレは明らかに困惑した様子だった。三人に何度も視線を送りながらゆっくりと口を開く。
「……えっと、フレア・ラパロと宿屋の兄妹で合ってるよな?」
「チガウ、チガウヨー」
「そこの変態。勝手に喋るな」
偽シクレは戸惑いながらもアクセルに銃を向けた。アクセルは真剣な表情で、偽シクレと銃に視線を向ける。
「さぁ、フレア――だよな? そいつをこっちに渡しな」
銃を構えたまま偽シクレが顎でフレアを指し示す。足を踏み出す偽シクレに、三人はじりじりと後退する。




