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フレアに引っ張られるままに街道を進み、やがて二人は目的の屋敷の前に到着した。
遠くからでも分かるその巨大な建造物は、近くに来ると今にも押しつぶされそうな威圧感を放っていた。軽く見渡した程度では把握できないほどの巨大な敷地に、これまた全長二十メートルはあろう巨大な屋敷が居座っている。屋敷の構造はとにかく歪で、丸や四角と統一性の無い形の屋根や、窓があるべき場所に取り付けられている謎のドア等、何とも形容しがたい作りとなっていた。
「はぁ……変わったデザインですわねぇ」
門の前で屋敷を見上げながらフレアが言った。門の脇には警備員らしき人物が数名立っており、門には『立入禁止』と描かれた札が取り付けられていた。
「人が住む屋敷じゃないからね」
「そうなんですの?」
クラッチは頷きながら言葉を続ける。
「この屋敷はかつて実業家として名を馳せたロウヘスター氏の住宅だったのよ。最初に建てられたのは百年以上前。当時はまだ普通の屋敷だったんだけど、ある日を境に何かに取り付かれたように屋敷の増築を始めたの」
「まぁ。一体何故そんなことに?」
「原因は不明。建築業者にお金が同封された手紙が届いて、その指示の通りに何十年にも渡って増築し続けたそうよ。そして指示が支離滅裂だったせいで、あんな訳の分からない屋敷になっちゃったみたい。それがある日からぷっつりと手紙が届かなくなったんだけど、不審に思った業者が屋敷を訪ねると――」
クラッチはフレアに向き直って言った。
「死んでたらしいわ。それも完全に白骨化した変わり果てた姿で。死因は首吊り。彼が死んでいた部屋は、入り口や窓が板で打ち付けられた完全な密室だった。そしてその部屋に至るまでの道も板や家具で執拗に塞がれてたそうよ。彼の足元には書きかけの手紙が散らばっていて、その筆跡は数日前まで業者に送られてきた手紙と一致した。当初は殺人として捜査されていたみたいだけど、結局事件は迷宮入り。未だに誰が何の目的で手紙とお金を送り続けたのか分かっていないの。そんな逸話があるおかげか、昔から観光名所として有名で、いつの間にか祝福の道標の一つになったって訳」
そこまで言って、クラッチはフレアが青ざめた顔で自分を見つめていることに気付いた。
「……場所変えよっか」
フレアはコクコクと頷いた。
屋敷の前から移動した二人は、大通りに面する商店街に入っていった。通りは活気に満ち、多くの人が行き交っている。店は主に旅行者向けであろう土産物屋が目についた。
ロウヘスター氏の肖像画が描かれたシャツにロウヘスターハウスの貯金箱と、誰が買うのかよく分からない商品を見ながら歩いていると、突然フレアが小走りで移動し始めた。クラッチがフレアの向かう先に顔を向けると、そこには小さなブティックがあった。店に着いたフレアが振り返り、クラッチに向かって手を振る。
「クラちゃーん、何か見ていきましょう」
クラッチは微笑みを返しながらブティックに入る。店内には様々な婦人用のスーツやドレスが並んでいた。その内の一つを手に取って値札を見る。
「……う~ん、ちょっと高いかな?」
「クラちゃん、それにしますの?」
そう言ってフレアが歩み寄ってくる。クラッチは小さく唸り声をあげながら、服を元に戻した。
「良いとは思ったけど、ちょっと予算オーバーかなって」
「どれどれ?」
戻した服をフレアが手に取った。
「あぁ、この服のメーカー知っていますわ。西国の上質な絹糸を独自のルートで仕入れていて、服の質の割に値段がお安いのです」
「……へぇ、それでも安い方なんだ。さすがその辺のことは詳しいね。もう少し手頃な奴で良いの無いかな?」
「そうですわねぇ、こんなのどうですか?」
そう言ってフレアがドレスを手にとる。それはフリルの付いた派手なピンクのドレスだった。
「……いや、そんなメルヘンな服はちょっと」
「絶対クラちゃんに似合いますって! ほら、セットのカチューシャもあるのですよ!」
そういうフレアの手には、これまた大きなフリルが付いたキラキラと輝くカチューシャがあった。その異様なメルヘンセットにクラッチの顔が固まる。
「いや、無理無理。私の趣味じゃないし、そんなの似合わないし」
「そんなことないですよ。クラちゃんは可愛いんですから、もっとこういう可愛い服を着ないと。さっそく試着しましょう」
「私にこんなのを着ろと!?」
「さぁさぁ、私に任せて」
フレアはクラッチを強引に引っ張っていく。
「着替えるの手伝いますわ!」
試着室に着いたところでフレアが笑顔で言った。そしてクラッチの返事も聞かずに一緒に試着室に入ると、慣れた手つきでクラッチの服を脱がしていく。
「ちょ、フレア! 誰も着るなんて言ってないだろ!」
「どうか遠慮なさらずに。着るだけなら無料なのですから」
「何かこれを着たら私の大事な何かを失いそうな気がするんだよ!」
「はい袖を通して、後ろを閉めて、最後にカチューシャを付けまして――キャー可愛いですわー!」
結局フレアの押しに負けて、されるがままにドレスを着させられるクラッチ。ものの数分もしないうちに、鏡にはメルヘンな住民と化した自分が映し出されていた。
「…………」
クラッチは変わり果てた自分の姿に顔を真っ赤にして小刻みに震えている。対照的にフレアは興奮した様子ではしゃいでいる。
「シンプルなカチューシャもいいですが、帽子も似合いそうですわね。お花がたくさん付いている物がいいですわ。コンセプトはお花の妖精!」
「ちょっと待った! あんた私をどうしたいんだ!」
試着室から飛び出したフレアの肩を、クラッチは慌ててつかむ。フレアの眼はらんらんと輝いていた。
「クラちゃんはもっともっと可愛くなる可能性を秘めているのですわ! それをもっともっと引き出さないと!」
「……あんた何か変なスイッチ入ってない?」
興奮するフレアをクラッチは必死に抑える。しかしフレアは全く落ち着く様子もなく、次から次にメルヘン世界への片道切符となる服を選んでいく。その選ばれた服を着させられた数分後の自分の姿を想像し、クラッチの顔がどんどん青ざめていった。
「ちょっと、フレア。いい加減にしないと――」
「――あのぉ、お買い物中すみません」
クラッチが声を上げようとした瞬間、それを遮るようにして背後から声をかけられた。振り返ると小柄な女性が微笑みを浮かべて立っていた。
年齢は二十台前半だろうか。襟首で切りそろえた茶色の髪と前髪から覗く丸っこい目が特徴的だった。そして何より目を引いたのが、その女性が来ている軍服だった。
クラッチの視線に気付いた女性は小さく敬礼する。
「こんにちはぁ。私は二〇二治安部隊の副長をしているシクレと申しますぅ。実はそちらの女性に用があって来ましたぁ」
やや語尾が間延びした口調で女性――シクレは言った。クラッチが困惑した顔で生返事をしていると、後ろからフレアがひょこっと顔を覗かせる。
「シクレ――さん?」
フレアが言った。シクレはフレアに顔を向け、にこっと笑う。
「あ、やっぱりシクレさんです。お会いできてうれしいですわ」
フレアも同様に笑顔を浮かべながらシクレの手を取った。クラッチはフレアに顔を向ける。
「知り合い?」
「はい、そうですわ。ミスター・バーンズの部下のシクレさんです。たまに話し相手になってくださいますの」
フレアの言葉を聞いて、クラッチは息を吐きながら肩の力を抜いた。特に警戒しなくてもいい相手の様だ。
「ところで、どうしてこの町にいますの? ミスター・バーンズもお近くに?」
フレアの問いにシクレは頷いた。
「その通りです、ミス・フレア。私達はあなたをお屋敷に連れ戻しに来たのですよぉ」
シクレの言葉を聞いて、フレアとクラッチの表情が固まった。
「え、どうしてですの?」
フレアが尋ねる。その言葉にシクレは不思議そうにフレアの顔を見る。
「どうしてって、御父上が心配されてるからに決まってるじゃないですかぁ。バーンズ隊長と私は、御父上の命でミス・フレアを連れ戻しに来たんですよぉ」
シクレの言葉にクラッチはしまったと思った。婚約を控えた娘が家出同然に家を飛び出したのだから、父親が連れ戻しに来るのは当然だ。ましてや父親は帝都でも大きな権力を持つ人間で、おまけに婚約相手は治安部隊の隊長。彼らが即座に動くのも不思議ではない。
クラッチはフレアの顔をチラッと見る。フレアは不安と困惑の入り混じった顔をシクレに向けていた。
――誘拐犯の件もあるし、旅はここで終わりかな……。
クラッチは大きくため息を吐くと、フレアに顔を向ける。フレアはまっすぐにシクレを見つめている。
「フレア、残念だけど旅はここで――」
フレアが首を振る。そしてシクレを見据えたまま静かに口を開いた。
「あなた、シクレさんじゃありませんね? 一体誰なんですの?」
「は?」
突然フレアから放たれた言葉に、クラッチは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「あなたはシクレさんの偽物です!」
フレアが繰り返し言った。あまりにも突拍子の無い言葉に、クラッチはフレアの小さく肩を叩く。
「ちょっと、落ち着きなよ、フレア。旅をやめたくない気持ちも分かるけどさ――」
クラッチの言葉にフレアは大きく首を振った。
「違います。この人はシクレさんじゃありません。シクレさんがそんなことを言うはずありませんわ」
フレアはシクレを指差しながら言った。
「何故ならシクレさんは私が旅に出ることを知っています。そして騒ぎになっても出来るだけ時間を稼ぐと約束してくださいました。おまけにバイクを用意してバイクの乗り方を教えてくださったのもシクレさんなのです!」
「え、あのバイク、もしかして軍用車?」
「そうですわ。シクレさんが軍のバイクを横流ししてくださいましたの。喜んでキャッシュで支払いましたわ」
「何やってんのよ、あんたら!」
そこまで言って、クラッチはシクレの表情が消えていることに気付いた。先程までの人懐っこそうな笑顔が消え失せ、無表情でフレアを見つめている。
「……へぇ……箱入り娘のくせに……良い勘してんじゃん……」
ぼそぼそと呟くようにしてシクレが言った。その変貌ぶりにクラッチはフレアの前に立ち、シクレを睨みつける。
「あんた、何者?」
「…………」
「ウォルフファミリー?」
シクレの視線がクラッチに向けられる。それと同時にシクレの手が動き、ホルスターから銃を抜き取った。
「逃げましょう!!」
背後のフレアが叫ぶ。それに呼応されるようにして、クラッチはフレアが持っていた大量のドレスをつかみ取り、偽シクレに投げつけた。
思わぬ反撃に偽シクレが怯む。その瞬間、二人は全力で店の外に駆け出していた。
「しまった、これ着たままだ!」
店の外に出たところで、クラッチは試着したままの服を見て言った。
「ご安心を。既に支払いは済ませてあります!」
「何勝手に購入してんだ!」
「私からのプレゼントですわ!」
二人はそんな会話をしながら全力で通りを走っていく。背後からは偽シクレの怒声と足音が聞こえてくる。
「フレア、こっち!」
クラッチがフレアの手を取り、路地に入っていく。狭く入り組んだ路地を迷いなく進んでいくクラッチにフレアは驚いた様子で息を漏らす。
「この辺りの道は詳しいんですの?」
「全然! でも路地ってのはだいたいどんな感じか分かるんだよ。よく兄貴とこんな感じの路地で鬼ごっこしてたからかな」
そうしてしばらく走ったところで二人は足を止めた。息を殺して背後の様子を伺う。
「巻いたかな?」
呼吸を整えながら呟く。耳を澄ませても追ってきている気配は無い。クラッチは頷きながら息を吐いた。
「よし、急いで兄貴と合流してこの町から逃げよう」
そこでクラッチは、はっとした様子で顔をしかめる。
「しまった、兄貴が今どこにいるのか分からない」
「アクセルさんならおそらく『マダムバタフライ』というお店にいますわ」
フレアが当然といった様子で言った。クラッチは驚いた顔でフレアを見る。
「え、何で知ってんの?」
「出発の時に、そんな名前の広告チラシを大事そうに懐に仕舞っていたのを見たのです」
フレアは笑顔で言った。
「……あんた良い嫁になるよ」
そんなフレアにクラッチは呆れた顔で言った。




