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綺麗に舗装された土の道と、無数に立ち並ぶ木造の家。所々に植えられた木々が、風が吹く度に葉擦れの音色を奏でている。
静かだ。
この町を訪れた人間は誰もがそんな感想を抱くという。
周囲からは車の走り去る音や人々の話し声が確かに聞こえてくる。しかしふとした瞬間、まるでその場に自分しかいないような錯覚に陥るのだ。
ここは歴史と文化の町『カヤノツサ』だ。数百年から続く独自の文化と宗教を何よりも大事にしている町である。
「カビ臭い町だ」
ファーティはベンチにもたれかかりながら、退屈そうな顔で町並みを眺めていた。
セミロングの天然パーマとカミソリのような鋭い目。黒いシュミーズの上から直に革のジャケットを羽織り、青い長ズボンを着用している。ジャケットの前は留めておらず、豊満なバストが顔を覗かせている。
「そんなこと言うなよ、姉貴。自然が豊かで良い町じゃないか」
ファーティの傍らには一人の大男が腕を組んで立っていた。
綺麗に剃った頭と筋骨隆々の肉体。二メートル近い身長も合わさり、とてつもない威圧感を放っている。身に着けているシャツと半ズボンはぴっちりとしており、服を着ているというよりは肌に張り付いているといった様子だった。
「寝惚けたことを言ってんじゃないよ、クローネ。こんな陰気臭い町、とっととオサラバしたいね」
ファーティは忌々しそうに舌打ちしながら、傍らの大男――クローネを睨みつけた。
「確かにこの町は憲兵の奴らに見つかり辛いって利点はある。しかしこの町に住みついてもう一ヶ月だよ? いい加減、このままじゃ頭の中までカビだらけになっちまう!」
「俺はこの町の事、結構気に入ってるんだけどな」
クローネはそう言って、チラリと傍らの建物に視線を向ける。そこには小さな郵便局があった。営業時間外なのでまだ扉は締まっている。
「それに動けないのは仕方ない。バーンズの屋敷に潜入しているノズールから良い知らせが来てないんだからな。あいつも半年は視野にと言っていただろう?」
クローネの言葉に、ファーティは唸り声をあげながら頭を掻きむしった。そんな彼女の様子に、困った顔でクローネはため息を吐く。
その時、軽快なギターの音色と共に男の歌声が聞こえてきた。
「――回る、回る、回る。かすかな夢の残り香に誘われて。何かだりいな。夢と現と何とかの事を物語る。命は枯れ落ち、また生まれ、そしてまた回る、回る」
ファーティとクローネは思わずそちらに顔を向ける。
視線の先では大型のオープンバギーがゆっくりとした速度でこちらに向かってきていた。後部座席に座る男が、気持ちよさそうにギターを弾いている。
「ちょっと兄貴。町中で歌うのはやめてよ。恥ずかしいだろ」
「うふふ。私は好きですわよ。聞いてて飽きませんもの」
前の座席に座っている二人が何かやり取りをしている。そしてそのまま車は彼らの前を通り過ぎて行った。
「……何だ、あの野郎。気の抜けた歌を歌いやがって。喧嘩売ってんのか」
「姉貴、カタギに手を出すのは良くないぞ」
その時、郵便局の入り口が音を立てて開かれた。営業時間になったようだ。
「行ってくる」
クローネはそう言って、郵便局の方へと歩いていく。ファーティは唸るような声で返事をした。しばらくしてクローネが小さな封筒を持って戻ってくる。
ファーティは封筒を受け取り、中の手紙に目を通す。
「何か良い知らせはあったか?」
クローネの問いに、ファーティは返事代わりに口元をニヤリと歪ませた。
「面白い情報だ。上手くやれば親父達を助けられるかもしれない」
ファーティの言葉に、クローネは視線で尋ねる。ファーティは手紙を破きながら口を開いた。
「バーンズの野郎が近々結婚をするって話はあっただろ?」
「あぁ、どっかの大商人の娘だったな。逆玉と言われてた奴だ」
ファーティは肩を揺らして笑いながら、細かくなった手紙の紙片をばらまいた。
「その娘が家出したんだとさ。おまけにお供も連れずに一人でな。さらにその娘は南の方へ向かったらしい。この町の方向へ、だ」
「それの何が良い知らせなんだ?」
クローネの言葉に、ファーティは呆れたような視線を向ける。
「分かんねえのか? 私らでその娘を誘拐するんだよ。豪商の娘だ。身代金をたっぷりとふんだくれるし、バーンズへの交渉にも使えるぞ」
ファーティはすっと立ち上がり、クローネをまっすぐに見据える。
「捕まった親父達を助け出せれば、盗賊団『ウォルフファミリー』を再結成出来る。また好き勝手に暴れられる日が来るってことさ!」
声を上げて笑うファーティ。それとは対照的にクローネは困った表情を浮かべている。
「待てよ、姉貴。その女の子は無関係じゃないのか?」
「は?」
クローネの言葉に、ファーティは驚いた表情を向ける。クローネは言葉を続ける。
「だってそうだろ? その子はバーンズと結婚する相手ってだけで、ウォルフファミリー壊滅には関わっていないじゃないか。それなのに誘拐しようだなんて、そういうの良くないよ」
「寝惚けたこと言ってんじゃねえ、玉無し野郎!」
ファーティは怒鳴り声をあげながら、クローネの顔を引っ叩いた。クローネは思わずその場に崩れ落ちる。
「何するんだよ! 玉が無いのは姉貴の方じゃないか!」
ファーティは屈みこみ、クローネの胸倉をつかみ上げる。
「手前よぉ、親父達を助けたいとは思わねえのか? ウォルフファミリーで生き残っているのは私らとノズールの三人だけ。私らしか親父達を助けられないんだぞ」
「た、確かに、俺だって親父のことは好きだよ。助けたいとは思ってるよ」
クローネは泣きそうな表情で言った。
「でも、それで無関係な人間を巻き込んだら、親父の流儀に反するじゃないか。ターゲット以外に手を出すな。人を殺すな。それがウォルフファミリーの掟だろ?」
「それと金持ち以外には手を出すな、だ。バーンズの結婚相手は金持ちなんだ。十分私らのターゲットだよ」
ファーティはそれだけ言うと、胸倉をつかむ手を放し、立ち上がる。
「やる気が無いなら抜けな。親父達を助け出した時には、手前は裏切ったと伝えてやるよ」
「や、やめてくれ! 分かったよ、手伝うよ!」
クローネは今にも泣きだしそうな顔で懇願する。ファーティは鼻を鳴らしながらベンチに座り込んだ。
「……でも、どうやってその女の子を見つけるんだ? 顔も名前も分からないぞ」
クローネが立ち上がりながら尋ねる。
「名前は分かっている。フレア・ラパロ。典型的な箱入り娘さ。あと分かっているのは、髪がブロンドってことくらいか」
「それだけ? 写真も無いのか?」
「手紙にはそれしか書かれてなかった。だが十分な情報だ。この辺の地元民でブロンドの奴なんていないからな。軽く聞いて回れば余所者なんてすぐに見つけられる――」
そこまで言って、ファーティの表情が固まる。
「どうした?」
「そういえばさっきの車……」
ファーティは顎に手をやり、先程通り過ぎて行った車を思い出す。後部座席のギター男。そして運転席と助手席に座っていた女二人。
「あの女……髪がブロンドだった」
「そうだったか? よく見ていなかった」
「間違いない! あいつがフレア・ラパロだ!」
ファーティは勢いよく立ち上がり、車が走り去っていった方向に顔を向ける。
「ハッハァ、ついてるねぇ! クローネ、急いで車を持ってきな! 私はノズールに電報を飛ばす! 奴らを追うよ!」
「本当にフレア・ラパロなのかな」
「口答えするな! 私がやれって言ったら黙ってやるんだよ!」
ファーティはクローネの返事も聞かず、郵便局へと駆け出す。クローネは車が走り去っていった方向を見つめながら、困惑した顔でため息を吐いた。




