第9話 チーム『かきくけこ』
重蔵が険しい顔をして俊介に話しかける。
「俊介、連絡は終わったか?」
「ああ。
今、春彦に電話したから取りあえずは、待ちだよ」
「気になっているんだが、なぜ、猿島が襲われたのか。
そんなに腕の立つやつから、いくら目を盗んだからと言って、逃げ出して、ここまで帰って来れるのだろうか。」
「親父?」
「わからんのだが、猿島が帰って来たということは、ここの様子が敵に筒抜けになるのではないか?
家族構成とか」
「久美?!
久美が危ないというのか?
親父」
「わからん。
可能性の一つだ。
もし、儂やお前に逆恨みを持っているとしたら、精神的にダメージを与えることを考えるのかと思って。」
「親父!
俺、病院に行ってくる。
後は頼んだ。」
俊介は血相を変えて家を飛び出し、呼んでいたタクシーに飛び乗り、猿島を連れて行った病院に向かう。
俊介の家の少し離れた路地から一人の男が、俊介がタクシーで出て行くのを見ていた。
男は猿島を連れ去った親衛隊の一人だった。
「ふーん。
さっき猿島を連れて行ったのは、猪俣と奴の妻か。
く、く、く。
しかし、本当は昨日のうちに逃がしたかったんだが、あまりにも良過ぎて、ついもう一日。
危く本当に殺すところだったぜ。
でも、今の女も俺の好みの身体つきをしていたな。
まずは、もら…。
おい、そこに居る奴、出て来い。」
親衛隊の男は背後の暗がりに向かって声をかける。
「俺の後ろにそこまで近づくとは。
お前、普通の奴じゃないな。
誰だ、顔を見せろ」
親衛隊の男は、いつもは寡黙なのだが、その時に限って背筋が冷たく感じ、滅多に感じたことのない恐怖を覚えていた。
そして、その恐怖を打ち消すために、わざと声を出していた。
「お、おまえは」
暗がりから出て来たもう一人の男の顔を見て、親衛隊の男は驚愕の顔をする。
その夜、福山家の周りは、そこだけまるで昼間のように大騒ぎだった。
瀕死の重傷にもかかわらず、血を流しながら福山家に戻った猿島。
それを目撃した近くの住人が警察に連絡する。
また、福山家では猿島の怪我を見て、猪俣と久美が意識のない猿島を病院に搬送。
事件であることを、警察と警視庁に連絡。
俊介が病院に向かった少し後に、近所の住民から通報を受けた警察と福山家から連絡を受けた警察と警視庁が福山家で鉢合わせ。
とどめが、福山家の近くで顔面から血を流し、気を失って倒れている男が発見され、通報を受けた警察がやってくるというように、福山家の周りは警察だらけで、鑑識の明かりで昼間のようだった。
顔面から血を流して気を失っている男は、猿島を誘拐した親衛隊の男であることが判明し、警察病院に搬送、警察病院で顔面の陥没骨折の他、肋骨、腕の骨の骨折、内臓の損傷と大怪我を負っていることが判明。
誰が親衛隊の男を襲ったのか、犯人を捜しているが一切手掛かりはなく、暗礁に乗り上げていた。
ただ、俊介だけは、親衛隊の男を襲ったのは春彦であることを信じて疑わなかった。
その夜、遅くに春彦は自宅に戻る。
舞はお酒を飲んで部屋でうたた寝をしていた。
春彦は舞を起こさないようにそっと洗面所に行き、血と肉辺が付いた手を丹念に石鹸で洗い流し、血の付いたワイシャツと背広を脱ぎ、血の付いた部分を石鹸で洗い流し、ゴミ袋に入れ、そのままシャワーを浴びる。
親衛隊の男は、恐怖に体を震わせながらも手に警棒を持ち春彦に向かってくる。
手に持った警棒の感覚が辛うじて男の闘争心を掻き立てていた。
男の顔から戦うか死ぬかの二択しかないと感じた春彦は、話を聞くことを諦め、男を身動きできなくして警察に任せることを選択した。
そして、春彦の拳が男の顔にめり込んでいった。
シャワーを浴び、風呂場から出て来た春彦は、いつもの優しい顔をしていた。
「母さん。
そんなところで寝たら風邪を引くよ。
布団で寝ないと。」
春彦は舞の布団を敷き、優しく舞を揺り動かす。
「ひゃーい。
そうするね。
お休みー!」
寝ぼけた声を出し、舞は自分の布団の中に入って行き、すぐに寝息が聞こえ始めた。
「ふう」
春彦は、舞のお酒の入った湯呑とつまみの入った皿を片付け、自分の湯飲みに酒を注ぎ、椅子に腰かけ一口飲む。
どこからか優しい風が、春彦の髪を撫でていった。
その後、猿島は感染症から高熱を発し、三日三晩死線を彷徨ったが、無事に乗り越え、一般病棟に移った。
俊介のところに来る前は抗争に明け暮れ、危険な場数を多く踏み越えてきたので精神的にタフだったので、気が付いても取り乱すことはなかった。
猿島とは逆に猪俣は、猿島が目を醒ますまでといって頑として傍を離れず、猿島が目を醒ますと猿島の手を取り、おいおい泣きながら、
「俺は猿ちゃんに何があっても、気持は変らない。
この仇は俺が必ずはらしてやる」
と取り乱すように大声で騒ぎ、猿島の失笑を買っていた。
親衛隊の男は、次の日、警察病院で気が付くと、目を盗んで看護婦を襲い病院を抜け出したが、その日の夕方に死体となって発見され、他殺、自殺の両方の線から捜査された
しかし、結局、何の痕跡もなく、捜査は難航を極めていた。
また、最初に親衛隊の男を襲った犯人については、一切手掛かりがなく、いつのまにか捜査自体も取りやめとなっていた。
激動の1週間が過ぎた週末、何事もなかったように春彦は、また、佳奈を外に連れ出していた。
今度は少し遠くで、通っていた中学校まで足を延ばした。
どのくらい遠くかというと、佳奈の家から中学校までのちょうど中間に『中屋』があるので、前回の倍の距離だった。
佳奈は、疲れも見せず、久し振りに通いなれた中学校の往復を楽しんでいた。
「佳奈。」
「なに?」
「そういえばさ、中学校からずっと仲良かったグループいたじゃん。
連絡、取っていないの。」
「うん、大学まではしょっちゅう、わいわいのやってたんだけど。
皆勤め始めたのと、私が、こんなになっちゃたでしょ。
だから、それっきり。」
「携帯とか、メールアドレス教えていないんだよなぁ。」
「うん、何かこの姿を見せるのは、躊躇しちゃうの。
ねえ、覚えてる?
グループの名前。」
「名前なんて付けてた…。
あっ、思い出した。
あのふざけた名前。
確か、『チームかきくけこ』だっけ。」
「ふざけたのは余計よ。」
佳奈は、少し膨れた顔をして抗議した。
「私が、佳奈。あと、京子、久美、慶子、木乃美。
名前の一文字をとって並べると『かきくけこ』の出来上がり。」
「すごいよなー。
集まっただけどでも奇跡的なのに、皆、仲良かったもんな。」
「そうよ、大の仲良し。
私の大事なお友達よ。
会いたいなぁ…。」
佳奈は、少し寂しそうだった。
「さあ、今日も『中屋』で鯛焼きでも買って食べよう。」
春彦は佳奈を元気づけるように明るい声で言った。
「うん。」
佳奈は、明るく答えた。
(やっぱり、本音は会いたいんだろうなぁ)
春彦は佳奈の気持ちを思いやった。
それから、二人は鯛焼きを買って、いつもの公園で喋りながら食べていた。
「そうだ、春。
今日、帰りに家に着いたら、上ってくれない?」
「ん?
いいけど、どうしたの?」
「春に渡したいものがあるの。」
「え?
なに?」
「えっとねー。」
佳奈は少し焦らす様な仕草でいった。
「家に着いてからのお楽しみ!」
「えー、今、教えてくれないの。」
「うん。
タネをばらすと楽しみが半減しちゃうでしょ。
だから、内緒。」
「ふーん。」
春彦はそれ以上追及するのを止めた。
それから二人はしばらくの間、公園で屈託のない話をした後、佳奈の家に戻った。
「ただいまー。」
佳奈は、いつものように明るい声で言った。
「はーい、おかえりなさい。」
茂子は、奥から玄関に迎えに出てきた。
そして、春彦は当然のごとく佳奈を抱き上げ、室内用の車椅子に運んだ。
「まあまあ、春彦君。
重たくない?」
茂子はそんな二人を見ながら、声を掛けた。
「……。」
佳奈は、黙って少し顔を赤らめ、春彦の首に齧りつくように腕を回していた。
「大丈夫ですよ。
まだまだ、軽いから。
高校時代は、もっと重たかったから。」
「え?」
茂子は思わず聞き返した。
「ばか……。」
佳奈は小さな声で呟いた。