第4話 一歩、また、一歩
佳奈の部屋では、茂子がお腹をすかせた佳奈のためにお菓子を持って部屋に入ってきた。
そこで、うたた寝をしている佳奈を見つけ、お菓子や御茶の入っているお盆を机の上に置き、佳奈の枕元に座り、佳奈の髪を優しく撫でる。
(あらあら、佳奈ちゃんたら、うたた寝しちゃって。
でも、無理ないわね。
リハビリは大変だものね。
早く、良くなるといいんだけど。
頑張るのよ、可愛い佳奈)
髪を撫でながら、そう心の中で言っていると、佳奈の携帯がメールの着信を告げるメロディが、小さい音でなった。
「はる~」
そのメロディに呼応してか、佳奈が寝ぼけて春彦の名前を呼んだ。
「あらあら。」
思わず、茂子は笑い出し、それをきっかけに佳奈は目を醒まし始める。
「ほら、佳奈ちゃん。
お腹減ったでしょ。
夕飯には、まだ時間があるから、お菓子を持ってきたわよ。
起きて、食べない?」
「あ、お母さん?
うん、食べる」
佳奈は、寝ぼけ眼をこすりながら、だんだんと目が覚め、今がどういう状態かを理解し始めていた。
二人は、お菓子を食べ、お茶をしながら今日のリハビリのこととかを話していた。
ふと、茂子は、佳奈の携帯が鳴ったことを思い出した。
「佳奈ちゃん、さっき、携帯が鳴っていたわよ。」
「えっ?
ほんと?
きっと、春からだ。
さっき、今日のリハビリのことをメールしたから、その返信だよ」
「へー、何て書いてあるの?」
「だめっ!
誰にも見せないもん。」
笑いながら佳奈はメールを開き、読み始めた。
それは春彦から素っ気ない内容のメールだったが、佳奈にとっては嬉しく、読んでいるだけで元気になっていくようだった。
「うんうん。」
佳奈は、にこにこしながらメールを読み終わり、携帯を閉じた。
「ねえねえ、何て書いてあったの?」
興味津々と茂子は尋ねた。
「内緒だもん。」
佳奈は、楽しそうに答えた。
「そういえば、他のお友達とは、連絡を取っていないの?
木乃美ちゃんなんて、心配して電話までしてきているのよ」
「うん…。
もう少し、良くなってからね。」
佳奈は、心なしか小さい声で答えた。
(やっぱり、今の状態を見せたくないんだわ
パソコンの電源も入れた形跡もないし)
佳奈の親友の木乃美は、海外で生活しているが、お互いテレビ電話が出来るソフトをパソコンにインストールし、毎日のようにやり取りをしていた。
しかし、退院してから、佳奈は一切連絡を断っていた。
茂子は、佳奈の心中を感じ、それ以上、この話題には触れることは止めることにした。
佳奈は、事件の時に携帯電話を壊され、自宅に帰ってから携帯電話を買換え、メールアドレスも変更したが、木乃美をはじめ、仲の良かった友人他、誰にも教えていなかった。
この前、春彦が見舞いに来た時に、春彦にだけ気分を変えたいからと称して、電話番号レスを変更したことと、新しいメールアドレスを教えただけだった。
「お母さん、やっぱり、お腹がすいてきちゃった。
今日のおかずは何?」
「そうね、今日は佳奈の好きなハンバーグと、煮物にしようと思って。」
「うわー、嬉しい!」
そういう会話をしていて茂子は、佳奈が学生時代の佳奈に戻ったような気がして、少し嬉しくなっていた。
「よーし、腕によりをかけて、美味しいハンバーグをつくるかぁ」
「やったー、楽しみー!」
明るく茂子が言うと、佳奈も明るい笑顔で答えた
それから、平日の昼間は茂子に付き添ってもらいリハビリに通い、家に帰っては、自分の力で身の回りのことや、松葉づえや車いすで家の中を移動できるように、佳奈は練習を繰り返した。
そして夜は、その日あったことを簡単にだが、春彦にメールで報告するのが、いつしか日課になっていた。
春彦も、そんな佳奈のメールを毎日楽しみにし、感想や励まし等、他愛のない内容の返信をするのを日課として、週末は、土日のどちらかは、佳奈に会いに家を訪ねていた。
リハビリを始めた頃、佳奈に会うと、佳奈の額や体のあちらこちらに痣ができていることに驚いたが、佳奈から一人でベッドから降りて車いすに乗ったり、車いすからベッドに移る練習で転びまくっていることを聞いて納得はしたが、気が気ではなかった。
「佳奈、そんなに痣作って、大丈夫か?」
日曜日、佳奈の額にできた薄らと赤い痣を見て、春彦はたまらずに尋ねる。
リハビリを始めてから佳奈は家の中では、ズボンはトレパンを履いていることが多かった。
その日も佳奈はピンクのトレーナーに紺のトレパン姿だった。
劣悪な環境下にいたため痛みがひどく短く切らざるを得なかった髪もだいぶ伸びてきて、ハリがあり綺麗な黒髪に戻りつつ、短いが後ろで結わくことが出来るようになってきていた。
また、髪だけではなく、ガリガリに痩せた顔や体も、事件の前のようにふっくらと丸みが戻りつつあった。
「うん。
それより、すいぶんと、自分で出来るようになってきたの。
見てみて。」
佳奈は、両脚にギブスをし、それを支点に松葉づえを使ってうまく、立ち上がれるようになっていた。
そして、体を入れ替え車いすにお尻から倒れこむように腰を下ろした。
「おっ、すごいじゃん。」
「えへへへ。
でも、たまに目測を誤って車いすごと転がっちゃうことがあるの。」
佳奈は照れ臭そうに言った。
そして、今度は逆に車いすから立ち上がってベッドに戻った。
春彦は、佳奈が立ち上がるとき、車いすが動かないように、そっと抑えていた。
佳奈が動く度に、いい香りが春彦の鼻をくすぐり、前屈みになった佳奈のお尻のラインは、以前のように可愛らしく丸みのある線に戻りつつあり、春彦は今までに佳奈に感じたことのなかった何かを感じていた。
「ありがとう。」
佳奈は、春彦が抑えていていたことに気が付き笑顔を見せる。
春彦は急いで頭を切り替える。
「転びまくって、この痣か。」
「うん、脚にもたくさん痣があるのよ。」
佳奈はトレパンを腿までまくり上げて見せた。
言う通り、佳奈の細く白い脚のあちこちに痣があった。
「痛そうだな。」
「うん。
でも、痛いっていう感覚がないの…。」
佳奈が、少し沈んだ声で言った。
「そっかぁ。」
(佳奈の足に触れて)
「?!」
春彦は、誰かの声に導かれるように、佳奈の足の痣に手を置いた。
「こらこら、いきなり何するの…。」
佳奈は、いきなり春彦に足を触られびっくりしたが、急に、言葉を止めた。
「?」
春彦も、いくら幼馴染といえ若い佳奈の足に手を置いたことに気が付き、急いで手をどけようとした。
「温かい…。」
佳奈が、ぼそっと言った。
「え?
まあ、良く手は温かいと…。」
春彦はふいに佳奈が何を言おうとしているか察した。
「佳奈、わかるのか?」
「う、うん。」
「もう一回、足、触っていいか?」
「うん。」
春彦は佳奈の足首の辺りを触った。
「温かい!
それに春の手の感触が少しだけ感じる。」
「じゃあ、ここは?」
春彦は、今度は佳奈のふくらはぎを手で包み込んだ。
「温かいし、わかる!」
「じゃあ、ここは?」
春彦は、腿を手で包み込んだ。
佳奈の腿は、細かったが柔らかかった。
「わかる…。
でも、春、恥ずかしい…。」
最後は消え入るような声で佳奈は言った。
佳奈の顔は、恥ずかしさで赤みを差していた。
「ごめん。」
春彦も、赤面しながら手をどけた。
「でも、温かいっていう感覚と触れられているという感覚が戻ったんだ。」
春彦が言うと、佳奈は涙ぐみながら笑顔で頷いた。
このことは、佳奈をはじめ、茂子や一樹に大いに希望を与えるものだった。
茂子は特に大喜びして、早速、休日にもかかわらず担当の医師の岩崎に電話で報告した。
岩崎も、驚いたように、希望が出てきましたねと電話口で話した。
茂子は、その日、ずっと、佳奈の脚をさすって、何度も何度も「温かい?」「感じる?」と佳奈に尋ねた。
佳奈は、そんな茂子を見て「いやだ」とも言えず、笑って頷いていた。
春彦が、大喜びの佳奈の家から自宅に帰ると、舞が出迎えた。
「今、茂子からはしゃいでいる声で電話があったよ。
佳奈ちゃんの脚、少し、感覚が戻ったんだって?」
「ああ、触られるのと温かいっていうのを感じたみたいだよ。
茂子さん、お医者さんに早速電話したら、凄く良い兆候だって言われ飛び跳ねていたよ。」
春彦が、思い出したように笑って言った。
「そうそう、茂子が電話でも何度も繰り返して言っていたよ。
良かったね。
じゃあ、祝杯と行こうか!」
「そうだね、今日は祝杯ということで、お付き合いしますよ。」
春彦が笑って言うと、舞は急に春彦の方を振り向き、見上げるようにして言った。
「ところで、君が触ったんじゃないでしょうね?」
「え?
まあ、その…。」
春彦は、頬が熱くなるのを感じ、返事もしどろもどろになっていた。
「あらら、赤くなっているよ、この子は。」
舞は、ニヤニヤしながら春彦をからかった。
「さあ、着替えておいで。
祝杯しよう、祝杯!」
「はいはい。」
たまらんなぁと春彦は思いながら、部屋に着替えに戻った。
ふと、携帯に目をやると、メールが入っていた。
「誰からだろう?」
春彦は、メールを見ると、それは佳奈からだった。
『春へ
今日は、ありがとう。
春彦のおかげで、足の感覚を一つ、取り戻すことが出来ました。
お母さんたら、喜んで、あれからずっと私の脚を触っていたのよ。((´∀`))ケラケラ
もっと、もっと、良くなるように頑張るからね。
これからも、よろしくね。』
簡単な内容だったが、佳奈の喜びが詰まっている気がした。
春彦は、少し考えて、メールの返信を打ち始めた。
『佳奈へ
よかったね。
一生懸命、リハビリしている成果が出てきたね。
これからも、いつも、応援しているからね。
あと、お母さんに触りすぎると火傷するからって言ってみたら(笑)。
また、行くからね。
今日は本当に良かったね。
おやすみ。』
春彦は、返信してから、ふと思いだした。
「あの時、確かに誰かに佳奈の脚に触れるようにと言われた気がしたんだよな。
あれは、一体…」
首をひねりながら舞の待つリビングに戻っていった。