第3話 鯛焼きとメールと戦闘開始
春彦が家に帰ると、舞が“待っていました”と言わんばかりに声をかけてくる。
「おかえり。
いっしょに飲もうと思って待っていたよ。
顔や手を洗って、早くおいで、おいで。
おーっと、うがいも忘れずにね。」
「何が、“待っていた”だよ。
もう、飲んでいるじゃない。」
春彦は、酔いがまわりいいご機嫌になっている舞を見て苦笑した。
「そうだよ、飲んで、待っていたのよーだ。」
「やれやれ……。」
春彦は、洗面所で顔を洗い、キッチンでお酒用のコップを持って、和室のテーブルで待つ舞のところに行った。
「よいしょ、っと。」
春彦が座ると、待っていたかのように舞がお酒を注いだ。
「待っていました。
今日は、“紅顔の美少年”って銘柄だよ。」
春彦は、銘柄を聞いて、なぜか公園で佳奈に抱いた感情を思い出し、少し恥ずかしくなった。
「あれ?」
舞は、鋭く何かを感じ取って声を出した。
「まあまあ。
まずは、乾杯!」
春彦は、詮索されないよう、話をそらしていた。
「そうだ、つまみは?」
「イカ干しとエイヒレが、あるよ。
炙って持っておいで。」
「了解。」
そんな会話があって、春彦がつまみの用意をし、落ち着いて飲み始めた。
「茂子から、早速、電話があったよ。
佳奈ちゃん、中断していたリハビリを頑張って再開するって、茂子に言ったそうよ。
茂子、大喜びで、春がどんな魔法を掛けたのか聞きたがっていたわよ!」
手短に、佳奈が心のうちを春彦に話したこと、それで、心が軽くなったのか、前向きな態度に変わったことを説明した。
但し、佳奈を抱きしめたことは内緒であった。
「ふ~ん、そうだったの。
佳奈ちゃん、我慢しちゃうからね。
溜め込みすぎて、にっちもさっちもいかなくなっちゃったのね。
そこへ、“ボケー”としたお前の顔を見て、思わず弾けたんだろうね。」
「多少、言っている内容に憤りを感じないことはないけど、まあ、いいか。
そんなとこかなぁ。」
「まぁ、これで、何とか、佳奈ちゃんがスタートラインについたことには、かわりないね。
あの子は、芯の強い子だから、一度、自分で決めたことは、やり通すだろうね。
でも、いつ、元のように歩いたりできるか、こればっかりは、わからないよ。」
酔いが回ってきたのか、舞は、少し涙声になっていた。
「……」
春彦は、舞の話を聞く一方で、お酒を飲みながら、思いを巡らしていた。
(確かに、母さんの言うように、リハビリをやっても、元のように戻るかは、わからないか。
あんなに明るく、一緒に歩いていたのに。
あんなことがなければ、今、普通に会社員だったのに。)
「そうそう、春彦。」
「えっ?
なに?」
自分の思いに浸っていた春彦は、舞から不意に名前を呼ばれ現実に戻っていた。
「大丈夫だと思うけど、可哀想だからとかで、佳奈ちゃんに手を出したりしちゃ、ダメだよ。」
「なっ、なにを急に。
そんなこと、するわけないよ。」
佳奈を抱きしめた感触を思い出し、春彦は焦って否定した。
「ともかく、何があっても、手を出したりしたら許さないからね。」
「う、うん。」
何か舞の言うことに、春彦は釈然としなかった。
(なんだろう。
リハビリの邪魔になるからかな。
これからが、大変だから、かな?)
その後、舞と春彦は、ひとしきり他愛もない話で盛り上がっていた。
「さて、眠くなったから、先に寝るよ。
後片付け、お願いね。」
「はいはい、じゃあ、おやすみ。」
「おやすみー。」
春彦は、自分のコップにお酒を注ぎ、部屋に持って行って飲みながら、今日のこと、舞の言ったことを考えていた。
ブルブルっと、春彦の携帯がなった。
春彦は、携帯をマナーモードにしてあったことを思い出した。
携帯を見ると、佳奈からメールが入っていた。
(何年振りだろう)
別々の大学に進学し、一時期、佳奈とは疎遠になっていた。
その時、たまに、メールのやり取りをしたくらいで、それからは、ご無沙汰状態だった。
メールを開くと、『佳奈だよ!』という件名で、次のような本文がかかれていた
『今日は、愚痴を聞いてくれて、ありがとう。
おかげ様で、元気になりました。
リハビリ頑張るからね、応援してね。
で、春にお願い。
リハビリのことを、たまに、メールで報告するから、いやがらないで見てね。
春に報告すれば、辛くても続けられると思うの。
だから、よろしくね。
あと、鯛焼き、おいしかった。
やっぱり、中屋だよね。
あの餡子、久々で、すごく美味しかった。
また、買ってきてね。(^_-)-☆
じゃあ、おやすみなさい。』
(はいはい、また、買っていきますよ。
でも、太ったってしらないからなぁ)
春彦は、心の中で、佳奈に話しかけながら、メールの返信文書を打ち込んだ。
『OK!
いつでも、メールしていいからね。
楽しみに待っているから。
鯛焼きの件も了解です。
でも、体重の超過に気を付けて。
じゃあ、おやすみ』
(ぽちっとな)
と送信ボタンを押し、メールを返信した。
(佳奈、頑張れよ。)
いろいろと思いあぐねていたことを全て、佳奈からのメールで忘れたようだった。
(さて、俺も、がんばらなくっちゃ。
え?!)
急に目眩に襲われ、春彦は手で額を押さえる。
「くっ…」
額から手を離した春彦の顔は表情が消え、まるでサメのように瞳孔が全開し、全ての光を吸い込むようなブラックホールのようにぽっかりと穴が開いたように不気味な目になっていた。
ぼとっと携帯が手から落ち、春彦は我に返る。
「い、いかん。
飲み過ぎたのかな」
頭を掻きながら、携帯を拾った春彦の顔は、普通の顔に戻っていた。
その携帯には、佳奈のメールが表示されていた。
夜は、深々と更けていく。
佳奈は、翌日から病院でリハビリを開始した。
翌日、茂子が病院に電話したところ、すぐにでも再開したほうがよいということで、急遽、佳奈とタクシーで病院に向かった。
出迎えたのは、佳奈を担当してきた医師の岩崎とリハビリ担当の医師の戸田だった。
佳奈を含め、4人で今後のリハビリプランの話をして、早速、リハビリが開始された。
マッサージや、平行棒を使っての歩行訓練と、佳奈にとっては、想像も絶するくらいにかなり辛いリハビリだった。
しかし、以前と違い、佳奈は辛いながらも懸命に取り組んでいた。
茂子は、そんな佳奈を見つめるだけしかできない歯がゆさを感じていたが、佳奈の決意の強さを感じていた。
初日が終わり、着替えをすまし、帰りのタクシーの中で茂子は、佳奈に話しかけた
「ご苦労様、頑張ったね。」
「うん、頑張ったよ。
何とか、歩ける様になるといいんだけど。」
心細そうな佳奈の声を聴いて、思わず茂子は声を強く言った。
「何言っているの!
まだ、始めたばっかりでしょ。
それに、絶対に歩ける様になるから、気持を強く持つのよ。」
茂子の強い励ましに、佳奈は驚いた顔をしたが、すぐに頷く。
「そうよね、頑張らなくっちゃ。
まだ、今日が初日だもんね。」
(ほんと、弱音を吐くのは早すぎるし、春と約束したんだから)
佳奈は、自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
「そうだ、帰ったら、春にメールでご報告っと。」
「あら、佳奈ちゃん、嬉しそうね。」
「そうよ、だって、また、おいしいものを持ってきてもらうんだから。」
「いや、そういう意味じゃなくて…。」
言葉を濁す茂子に向かって、佳奈は笑い飛ばした。
「何を言っているのよ。
お母さんってば!」
家に帰り、茂子と一緒にシャワーを浴び、佳奈は自分の部屋のベッドで横になった。
「ふう、今日は疲れたなぁ。」
寝ころびながら、佳奈は、携帯を取って、春に、ご報告のメールを打ち始めた。
『春へ。
今日から、リハビリスタートです。
朝、お母さんが病院に電話したら、早いほうが良いって、今日からになりました。
急いで、ジャージやトレパン持って、病院に行ったんだよ。
リハビリの先生が出てきたのだけど、覚えている?
高校の時の歴史の先生で、ムキムキマッチョマンの戸田先生。
その先生にそっくりなムキムキマッチョマンって感じの先生で名前も戸田先生って言うの。
その先生から、リハビリのやり方の説明を受け、みっちり2時間。
歩行訓練で、伝え歩きだとか、いろいろでした。
だから、今日はお腹がすいたのと、疲れて眠くなってます。
春は、お仕事頑張っていますか?
佳奈も頑張っているので、春も頑張ってね。
まずは、初日のご報告でした!
佳奈』
(送信!)
佳奈は、送信ボタンを押して春にメールを送った。
(お腹すいたなぁ…)
と、考えながら、佳奈は疲れからかいつしか眠り込んでいた。
ブルブルと、春彦の携帯がメールの着信を伝えた。
春彦は、いつも、携帯をマナーモードにしているので、バイブの音と振動だけで、たまに気が付かないことがあり、よく舞から買い物を頼まれるのだが、気が付かないで帰り、思いっきり怒られることが、多々あった。
今日は丁度仕事が一区切り付き、背伸びをしていたところだったので、メールが届いたことに気が付いた。
(誰からだろう。
また、母さんからの買い物メールかなぁ)
何て考えながらメールを見ると、それは、佳奈からのメールだった。
(おっ!?
早速、なんだろう)
春彦は、メールを読みながら、佳奈がリハビリを開始したことを知った。
(返信、返信と)
早速、春彦は佳奈にメールを打ち始めた。
『佳奈へ。
随分と早く始まったんだね。
でも、早く始まって良いと思うよ。
負けないで頑張ろうね、俺も、いつでも応援しているから。
お腹すいたって?
いいことじゃん。
たくさん食べて、ゆっくり休むんだよ。
こっちも、仕事頑張っているからね。
でも、リハビリの先生がこともあろうに、あの戸田先生似だって?!
今度見てみたいな。
また、報告メールよろしく!』
(ぽちっとな)
春彦は、佳奈に返信メールを送り、大きく伸びをした。
(そうか、いよいよ戦闘開始か。
佳奈、がんばれ!)