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はるかな物語2  作者: 東久保 亜鈴
16/19

第16話 温泉でマグロは釣れません

それからは、平日はリハビリ、週末に春彦と過ごすほかに、木乃美とは朝晩のパソコンを使ったテレビ電話、他の3人との日々のメールのやり取り、たまに、佳奈の顔を見に家に遊びに来るオプションがついて、佳奈の毎日も随分とにぎやかになってきた。


春彦がそんな佳奈に、たまには自分と会わずに、のんびりする日も必要なのではと尋ねたが、佳奈は『そんなことない、大丈夫』と首を横に振るだけだった。


春彦も佳奈の傍にいるだけで気持ちが休まるので、週一回は必ず会いに来ていた。


その日は特に外に出ることなく、佳奈の部屋で二人のんびりしていた。


「春?

 今日は、何か疲れているみたい。」


佳奈がベッドの上から、ベッドに寄りかかり床に座って佳奈を見上げている春彦に話しかけた。


「ああ、今週は、なんだか仕事が忙しかったからなあ。」


「春彦の仕事は、幼児向けの教育出版だったわよね。」


「うん、もっぱら、車で幼稚園を回り、本を配って、新しい本が出ると、その売込みだよ。

 これでも、幼稚園の園児と仲良くなったりしているんだぜ。」


「保母さんともじゃないの?

 この前のコロンが好評だったって言っていたじゃない?」


佳奈が笑いながら聞いた。


「まあね。

 コロンはさておき。

 顔見知りも増えてきたよ。

 でも、保母さんって、重労働みたいだよ。

 何せ、元気の塊で太陽みたいな子供たち相手だからね。

 結構、定着率、低いみたいだよ。」


「ふーん、たいへんなのね。

 私も、病院で入院中の子供たちとお話ししたりするけど、重い病気じゃなければ、けっこう元気を持て余しちゃっている子もいて、看護婦さんたちも、面倒を見るのがたいへんそうだもんね。」


「そうだね、看護婦さんたちもたいへんだよな。

 佳奈なんていう、おっきい子供もいるもんな。」


「なによ、それ。」


佳奈は、ちょっと怒った口調で言った。


「そう、それで、昨日は、教材を届けた幼稚園で、園児たちにつかまって、幼稚園終わった後、園庭で1時間近く相手をさせられたんだぜ。

 園児のお母さんたちは、先生と話が弾んじゃって、子供はこっちに押し付けてるって感じ。」


「まあ。

 でも、春だったら、子供に人気あるだろうし、人畜無害そうだから、幼稚園の先生やお母さんたちも安心して、任せているんじゃない?」


「人畜無害?

 言ったなぁ。

 まあ、でも、当たっているか。」


とぼけた春彦の返事に、佳奈はクスクスと笑った。


(そうか、春彦も頑張っているんだよね。

 私も、何かしなくちゃ。

 何が、出来るだろうかな…。

 前の会社も結局辞めちゃったし、この足じゃOLも無理だろうし。

 何か、資格を取っておけば良かったな。)


佳奈は、一人で考えこんでいた。


「?」


佳奈は、春彦が静かなのに気が付き、考え事を中断し、春彦の様子をうかがった。


春彦は、佳奈のベッドに寄りかかったまま、転寝をしていた。


(あらら、余程、疲れているのかな。

 春ったら、結構、私の部屋で転寝するのよね。)


佳奈は、転寝をしている春彦を優しい顔で眺めていた。


(そうだ、風邪ひくといけないから、ガウンでも掛けてあげるか。)


普段は、そんなに冷房を使わないのだが、初夏に入り気温が高くなってきたので、春彦のために冷房を少し強めにしてつけていた。


佳奈は、春彦が起きないように器用に身体を捻じって自分のガウンを、そっと春彦の肩からお腹にかけて掛けた。


(これで良しと。

そうね、今から何か資格を取ろう。

 何があるかな…。)


佳奈は、春彦の寝息を聞きながら、再び、考え事をしていた。


しばらくして、茂子が、お茶を持って部屋に来た。


「佳奈?」


茂子は佳奈の部屋が静かなのに気が付き、ノックの音も小さく、どうしたのかと、そっと様子をうかがいながら入ってきた。


佳奈は、慌てて春彦を指さし、“しー”と、もう一方の手の指を口に当て、静かにするようにとジャスチヤ―した。


茂子は、春彦が転寝しているのに気が付き、佳奈に頷き返すとお茶が乗っているお盆をそっと佳奈の机の上に置いた。


「春、昨日、幼稚園で園児の世話をして疲れちゃったんだって。」


佳奈は、小声で茂子に説明した。


「まあ、春彦君だったら、子供に人気がでそうよね。

 我が家でも、大きな子供の人気の的だもんね。」


「もー、春と同じこと言わないで。」


「でも、この前の木乃美ちゃんといい、春君といい、よく佳奈の部屋でお昼寝するわね。

 余程、居心地がいいのかしら?」


「居心地がいい?」


佳奈は、内心『居心地がいい』というセリフが何となく嬉しく、はにかみながら聞き返した。


「うーん、そうね。

 ぼんやりした佳奈が傍にいるから、気が緩むとか。」


茂子はそう言うと、笑いながら部屋を出ていった。


「もう、お母さんたら変なこと言って。」


佳奈は、小さな声で文句を言った。


春彦は、そんな気配に気が付き、目を開けて大きく伸びをした。


「悪い、悪い、つい、眠っちゃったみたいだ。」


そういいながら、身体にかかっている佳奈のガウンに気が付き、手に取った。


ガウンからは、佳奈の甘い匂いがしていた。


(最近、佳奈から甘い、いい匂いがするんだよな。

 そう、昔から変わらないなぁ。)


「こら、春。

なにガウンを嗅いでいるのよ。」


ぼーっとしていた春彦に佳奈が、少し恥ずかしそうに言った。


「あ、ごめん。

 ちょっと、良い匂いだったんで。」


つい、春彦は口を滑らせた。


「……。」


佳奈は顔を赤らめ、ガウンを渡すようにと、手を出した。


春彦は、その手にガウンをそっと渡した。


佳奈は、もう、事件のトラウマから回復していた。


特に、春彦には絶大な信頼を置いているので、「いい匂い」という言葉を、素直に信じていた。


それに、香りの魔術師の木乃美がいることも大きな支えになっていた。


春彦は、佳奈の机の上に置いてあるお茶を見つけた。


「ひょっとして、おばさん、入ってきたの?」


「うん、春の寝顔をじっくり見ていたわよ。

 かわいいって。」


佳奈は、笑いながら言った。


「えー、起こしてくれればいいのに。

 おばさん、呆れていただろう。」


「ううん、そんなことないよ。」


「そっかぁ?」


「そうよ。」


「まあ、いいや。

 折角だから、お茶、いただきます。

 佳奈、取ってやるよ。」


「ありがとう。」


2人は、運ばれてきたお茶を飲みながら、話を続けた。


「春、私ね、何か資格を取ろうと思うの。

 そして、その資格で何か仕事が出来ればいいかなって、考えているんだ。」


「おー、いいじゃん。

 何の資格を取るの?」


「うーん、今、考え中。

 体力のいる仕事は無理だし、経理とか…。

 保母さんは、やっぱり無理だよね。」


「そうだね、子供って、みんな、ボルトみたいなやつばっかりだからなぁ。」


「えー、100m、10秒切っちゃうの?」


「笑い事じゃなく、ほんとに素早いよ。」


「そっか、面白そうだな。」


「まあ、いろいろ探してみるといいよ。

 インターネットでもあるだろう。

 『ウイキャン』みたいな資格専門の会社が。

 あとは、何かパンフレットがあれば、持ってきてやるよ。」


「あー、知っている。

 イエス、ウイキャン!

 でしょ。

ありがとう。」


「あっそうだ。

 佳奈、来週は来られないから。」


春彦は、思い出したように言った。


「え?」


佳奈は、驚いて聞き返した。


「今度の土日、泊りがけで会社の慰安旅行なんだ。」


「えー、そうなの。

 どこ行くの?」


「うん、確か鶴舞温泉て、ほら、テレビもCMでもやっている半島の先っぽにある温泉ホテル。」


「知っている、知っている。

 なんだっけ、古代風呂で、みんな原始人みたいな格好して温泉に入るCMでしょ。

 見るたびに、“なぜ?”て、思うCM。」


「そうそう、そこ。

 今年は、そこに行くんだって。」


「ふーん、じゃあ、今度の週末は遊びに来てくれないんだ。

 つまんないなぁ。」


「まあ、まあ。

 寂しかったら、4人組、いや、今は3人か。

 声を掛ければ。」


「そうだね。」


佳奈は、少し残念そうに言った。


「お土産は、何がいい?

 温泉まんじゅうとか?」


「マグロ…。」


佳奈は、拗ねたように、ぼそっと言った。


「え?」


「だから、マグロがいい。」


「……」


「大きいマグロを釣ってきて。」


「えー、釣りはしないし…。

って、あんなところでマグロなんか釣れないよ。」


「だめ!

 おいしいマグロをお腹いっぱい食べたいの。」


佳奈は、駄々っ子のように首を振る。


「はいはい、泳いでいたらね。」


春彦は、小さい子をあやすように言った。


「また、子ども扱いして。

 ぶー、ぶー。」


佳奈が口をとがらせて言った。


春彦は、そんな佳奈を見て思わず吹き出し、つられて、佳奈も噴出した。


「まあまあ、にぎやかなこと。」


茂子が、お菓子を持って、部屋に入って来る。


「あ、お母さん。

 さっき、春彦の寝顔見たよね。」


「はいはい、しっかりと。

 春彦君、可愛かったわよ。」


「ほらね。」


「おばさん!」


春彦が照れながら言った。


茂子と佳奈は、そんな春彦を見て大笑いしていた。


そして、しばらくしてから、春彦が帰るため立ち上がった。


「じゃあ、お土産、買ってくるからな。」


「うん。

 気を付けて、いってらっしゃい。

 お土産、大きいマグロ1匹、忘れないでよ。」


「はいよ。」


春彦は、軽く答えて、佳奈の家を出て、家路についた。


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