第15話 かけがえのない友
佳奈と木乃美は二人で、ひとしきり、きゃっきゃと楽しげにお互いの近況を報告し合っていた。
事件のことに話が触れると、木乃美は佳奈の手をぎゅっと掴んだ。
「春から、聞いたと思うけど、そんな風に、ちょっと嫌なことがあったんだ。」
「『ちょっと』じゃないでしょ。
でも、よく頑張ったわね。
それで、春彦が助けてくれたんだ。」
「うーん、実はその時の記憶がほとんどないの。
でも、春が助けに来てくれたのは確かなんだけど。
その時のことは、春も話したがらないし……。」
「で、犯人は、春彦がぶっ殺したんだよね。
あいつ、意外と強いから。」
「ぶっ殺したなんて、木乃美ったら。
それも、入院中のことでよく知らなくて、後から聞かされたの。
犯人は自国に戻ったけど、重い罰を受けてるって。
日本人の犯人は全員逮捕されたって。」
佳奈は傭兵たちや親衛隊の存在を聞かされていなかった。
「そうよね、何とかっていう大臣の娘さんが監禁されてて、大スキャンダルだったもんね。
まさか、そこに佳奈もいたとは思わなかったわ。」
「本当に。
でも、それが返ってよかったみたい。
皆の目がそっちに行って、私の方には一切なにもなかったから。」
「そうなんだ。」
木乃美は、心底安心して笑顔を見せた。
「久美からの話しと、春彦からの話しで、この2,3日、半狂乱状態だったから、疲れちゃった。」
「心配かけて、ごめんね。」
「ううん。」
木乃美はかぶりを振って、自分のバックの中からトッピングした小箱を取り出した。
「はい、これ。」
木乃美からその小箱を手渡され、佳奈は不思議そうに見ていた。
「そろそろ、お部屋のアロマが切れたころだろうと思って。
それと、コロンもね。」
「え?
わー、嬉しい。
ちょうど、お部屋のアロマも、コロンもなくなっちゃっていたの。
嬉しいな。」
佳奈は、にこやかな笑顔で箱のトッピングを外し、中身を取り出した。
「これこれ、この匂い。
お部屋にちょうどいいのよ。」
佳奈は早速、自分の部屋のために調合されたアロマオイルの匂いを嗅いだ。
「コロンはね、佳奈の成長に合わせ、少し変えてあるんだ。」
木乃美は、その時々の相手のことを想像しながら、その時分に合うように、少しずつ香りを変えていた。
なので、1年として同じ香りのものは佳奈に渡していなかった。
「わーい。
今回はどんな香だろう。
でも……。」
「?」
言葉を濁す佳奈を、木乃美は訝しんで見つめた。
「健康ならば、きっと合うんだろうけど、今の、こんな私じゃ、きっと合わない……。」
そんな佳奈の言葉を受け、木乃美は、優しく諭すように言った。
「ねえ、佳奈。
私の作る香りは、決して見た目だけで作っている訳じゃないの。
特に、佳奈のために作るものは。
佳奈が、どういう風に頑張って暮らしているかな。
どういう女性になっているかな。
どんな笑顔で暮らしているかなって。
それを想いながら、きっと、こんな香りが合うんじゃないかなって。」
「木乃美……。」
「実はね、私も佳奈の状況がわからなくて作ったものだから、似合うかなって心配してたの。
それでね、昨日会った時に、私の思っていた佳奈の笑顔じゃなかったら、渡さずに持って帰ろうと思っていたのよ。」
「……。」
「そうしたら、何?
昨日の笑顔は。
特に春彦に抱きかかえられている時の笑顔は。」
木乃美は、笑いながら言った。
「ちょっと、木乃美ったら。」
佳奈は、顔を赤らめた。
「その笑顔は、私の想っていた笑顔と、ジャストマッチしたの。
だから持ってきたのよ。」
「ねえ、香り試していい?」
「もちろん。」
佳奈は、コロンの入っている小瓶を手に取り、少し、手の甲につけ、香りを嗅いでみた。
「わー、すごくいい香り。
この香り、私、一番好きだわ。」
「当然でしょ。
誰が作ったと思っているの。
えへん。」
木乃美は、胸を張って偉そうに言った。
「やっぱり、木乃美って私のこと一番わかってくれているんだ。」
「そうよ、だから、今度から隠し事なしよ。
苦しい時も、楽しい時もね」
木乃美はウィンクして見せた。
「うん。」
「ふぅ、でも、いろいろなことが合って、疲れちゃった。
あ、そうそう、入国審査がうるさかったから、今回は少ししか持ち込めなかったの。」
「え?
入国審査?」
「そう、今、テロだとか、怪しい薬だとか、関税をごまかして商品を持ち込もうとする人だとかいろいろあるみたいで。
だから、大きな瓶に、訳の分からない液体が入っていたら大騒ぎよ。」
「えー、そうなんだ。」
「没収されたら、たまったもんじゃないでしょ。」
「うんうん。」
「だから、向こうに戻ったら、厳重に包んで、また、送るわね。」
「うん。
だけど、大丈夫?」
「え?
大丈夫よ。
この香りを嗅いだら、麻薬探知犬だって、よだれを流すわよ。」
「もう、木乃美ったら。」
二人は顔を見合わせながら、けらけらと笑った。
「そう言えば、昨日、春彦から佳奈が作ったコロンの匂いがしたけど、無事に渡せたのね。」
木乃美はからかい気味に言った。
「やだ、ほとんど、木乃美が作ってくれたんでしょ!」
「えー?
佳奈が、春彦の香りのイメージをあんなに熱心に言ってたじゃない。」
「……。」
「でも、やっぱり、あの香で合ってたね。
ほのかに香って、いい感じだったわ。」
「そうでしょ!
私も、そう思ったの。」
佳奈は、ぱっと顔を輝かして言った。
「もう、春彦ったら、初めは『僕は、そんなのつける習慣はない』なんていったのよ。
そうしたら、会社でも、お客さん先でも評判がいいって、鼻の下伸ばして言ってるのよ。
まったくねー。
誰が一生懸命作ったと思ってるのよね。
もっと感謝してほしいわ。」
そう言いながら、佳奈はにこやかな顔をしていた。
「はいはい。
聞いているだけで疲れるわ。
佳奈、少し、スペース空けて。
私、横になりたい。」
木乃美は、おねだりする様に言った。
「うん。」
佳奈はそういうと、ベッドの上で上手に身体をずらして、木乃美が横になれるくらいのスペースを空けた。
「今日、持ってきた佳奈のコロンと、春彦のコロン、一緒に居ても香りで喧嘩しないわよ。」
「え?」
佳奈は、何のことだかわからなかった。
「よく、いい香りと違ういい香りが一緒だと、きつい匂いになったりすることがあるの。
香り同士が主張しあうっていうのかな。
でも、大丈夫よ。」
「……?」
「ん?気が付かなかった?
今回のコロン、ベースに少し白檀を入れてあるの。
だから、春彦のと、愛称ばっちりよ。」
「え?
白檀が入って、こんなにいい香りなったの?」
「ふふふ。
すごいでしょう。」
「すごい。
絶対にすごいよ。
木乃美」
佳奈はひとしきり感激したあと、ぼつりと宙を見ながらつぶやいた。
「そうなんだ。
春彦と一緒なんだ。」
木乃美は、横目で嬉しそうな顔をしている佳奈を見て、満足げに目をつぶった。
しばらくして、茂子がお茶と、お茶菓子のおかわりを持って部屋に入ってきた。
「お母さん、しー。」
佳奈は、静かにするようにと茂子に合図した。
茂子は、何かしらと、ふと、佳奈が指さすベッドを見ると、佳奈の座っている横で木乃美がスヤスヤと眠っていた。
「時差ボケと、いろいろ心配し過ぎて疲れちゃったんだって。
私のことで、ずいぶん心配させちゃったみたいなの。」
佳奈が、笑いながら言った。
「まあまあ。
木乃美ちゃんも昔と変わらないわね。
良く遊びに来て、佳奈のベッドで眠り込んじゃったことあったもんね。」
「うん。」
「あら?
何か、部屋の中、いい匂いがするわ?」
「うん、木乃美がアロマとコロンを作ってきてくれたの。
新作だって。」
「まあ、素敵。
木乃美ちゃんて、すごいわね。」
「うん。」
佳奈は、木乃美が褒められ、自分もうれしくなっていた。
「春君といい、木乃美ちゃんといい、皆、いい子たちね。
佳奈も二人には気兼ねなしだもんね。
素敵な友達を持ったわね。」
「うん。」
佳奈は、嬉しそうにうなずいた。
「昔、悠美姉に言われたの。
3人ともどんなことがあっても、周りから何を言われても、この関係でいなさいって。
こんな巡り合いは、滅多なことではないから、絶対にその時の周りに流されたりしないようにって。
それに、絶対にお互い遠慮しちゃダメって。」
「まあ、そうだったの。
それで、3人とも、その教えをずっと守っている訳ね。」
「うん。
だから、春とも木乃美とも、いつ会っても楽しいの。」
そう言う横で、木乃美は小さく寝がえりを打ち、寝ぼけた声を出した。
「春彦?
う、うーん。」
木乃美の寝言と分かり、佳奈と茂子は顔を見合わせて笑った。
「まあまあ。
じゃあ、また後で来るからね。」
そう言って、茂子はそっと部屋を出ていった。
佳奈は、そんな木乃美の寝顔をしばらく見つめていた。
それから少しして、茂子は様子を見に部屋に入ってきた。
「あら?」
茂子の目には、ベッドで佳奈と木乃美が手を取り合って、嬉しそうに寝ている姿が、何だか仲のいい子猫が抱き合って寝ているように見えた。
「……。」
そして、茂子は優しく二人の寝顔を見ながら布団をかけ、また、そーっと部屋を出ていった。