第10話 Perfume
二人は佳奈の部屋でくつろいでいた。
「ねえ、春。
木乃美のこと、覚えているでしょ?」
相沢木乃美は、佳奈にとって小学校の入学式から中学、高校とすべて同じクラスで、かつ、仲の良い幼馴染だった。
春彦も小学校時代、何度も佳奈と一緒にいた木乃美とも遊んでいたので、良く知っていた。
「ああ、当然。
木乃美が、どうしたの?」
佳奈の様子が心配で舞にまで電話を掛けてきたことは内緒にしていた。
「木乃美って、昔からいい匂いのするお花を集めるのが好きだったのよ。
ドライフラワーにしたり、匂い袋を作ったりして遊んでいたの。」
「あっ、覚えている。
木乃美が傍に来ると、いつも花の匂いがほんのりしていたな。」
「そうよ。
それで、中学に上がると、アロマオイルを買って、自分で調合したりしていたの。」
「アロマオイルって、香水?」
「ううん。
香水じゃなくて、アロマテラピーって知っている?」
佳奈は楽しそうに話を続けた。
「ああ、何か香りでリラックスさせるやつだっけ?」
「うん。
部屋に置いたり、お風呂に入れたりするの。
よくプレゼントってもらっていたのよ。
この部屋も、木乃美が調合したアロマオイルを置いてあるの。」
「そうなんだ。
だから、尚更、いい匂いがするんだな。」
「うん。
それでね、木乃美は、調香師になって香りで人を幸せにするんだっていって、大学卒業したら、一人で海外に勉強にいってるのよ。」
「そうだったな。
でも、あのもっさい女がなぁ」
「あー、そんなこと言って。
木乃美って可愛いのよ。」
「だって、あの黒縁メガネだろ。
それに結構どんくさいところあるじゃん。」
「そんなことないよ。
メガネ取るとびっくりするくらい可愛いし、芯もしっかりしているわよ。
春がケガした時、手当てしてくれたじゃないの。」
「そうだったな。
腰まである長い黒髪で、すこしふっくらした顔だけど、メガネを外すと、結構、いけてるよな。
たしかにそうだ。」
「こら、また、そんな言い方して。」
佳奈に叱られ、春彦は、頭をかきながら謝った。
「でね、今はパフュームというか、オーデコロンね。
そういう香水を作っているの。
木乃美、きつい人工的な匂いは嫌いだからほんのりしたのがいいって。
それで、その人をイメージできる匂いを作っているのよ。
私も、作ってもらっちゃった。
結構、気に入っていたのよ。」
「そうなんだ。」
「でも、もうなくなっちゃったし、連絡も取っていないから……。」
佳奈は残念そうな顔をした。
「ならば、連絡とればいいじゃん。
木乃美なら佳奈の幼馴染で、何でも話せる一番の友達じゃない?」
「うん、そうだけど……。」
佳奈は、電源の入っていないパソコンを眺めて歯切れ悪く言った。
まだまだ、こんな自分の姿を見せられないという気持ちがそうさせているのだと、春彦は、佳奈の気持ちを察して、やさしく声を掛けた。
「まあ、その内、気が向いたら連絡を取るといいよ。」
「うん。
そうだね。」
佳奈は顔を明るくして応えた。
「そうそう、それでね。
去年、木乃美が一時帰国して遊びに来ていたの。
それでね、二人で春に似合う香りってどんな香だろうって。
たまたま、木乃美が少し材料を持っていたので、二人で作ってみたのよ。
じゃーん。」
佳奈は、枕元から小さなスプレーのついた可愛いガラスの小瓶を春彦の方に差し出した。
「え?
俺をイメージしたオーデコロン?」
「うん。」
佳奈は楽しそうにうなずいた。
「渡そうと思っていたんだけど、いろいろあって渡せなかったから。」
「でも、俺、そういうのを体につける趣味はないんだけど。」
春彦は困った顔で言った。
「なに言っているのよ。
もう陽気も暑くなってきているじゃない。
汗臭いと幼稚園の子供たちに嫌われちゃうわよ。
それに、そんなにきつくないし、どちらかというとほんのり香る位だから。
試しにつけて見て。」
「俺って、そんなに汗臭いかな。」
春彦は自分の脇の下の匂いを嗅ぐふりをした。
春彦は出版会社の園児向け児童書の営業をやっていて、本を紹介したり、実際に園児たちの反応を見たりで一日の大半を幼稚園通いに費やしていた。
「ううん。
春は、不思議と汗をかいても臭わないの。
不思議よね。」
「小さい頃からプールでよく泳いでいたから、プールの塩素が染みついたかな。」
「もう、そんな変なこと言って。
でも、男のたしなみよ。
試してみて。」
佳奈は一生懸命勧めていた。
春彦はそんな期待感を顔に万遍に表している佳奈を見て苦笑いした。
「うーん、気が向いたらでいいか?」
「いいわよ。
一度、香りを嗅いでみてね。」
「わかった。
ところで、俺のイメージの匂いって何?」
佳奈は一瞬戸惑った顔をし、うつむき加減に小声で応えた。
「白檀。」
「え?」
今度は、春彦が面食らった声を出した。
「ビャクダンって、あの年寄りっぽい匂いだろ。」
「えー、違うよ。
確かに和風の道具や着物の匂い袋に使われているけど、清々しいいい匂いなのよ。
それに、ビャクダンをベースにしているけど、そんなに白檀って匂いはさせてないから大丈夫よ。」
「そうか?
うーん。」
春彦は少し考えこんだ。
「まあ、折角だから、もらって帰るな。」
「うん。
気に入ってくれるといいけど。」
佳奈はにこやかな顔をしていった。
春彦は。佳奈からオーデコロンの小瓶を受け取り、佳奈の家を後にした。
「うーん。
これどうしようかな。
まあ、一度家に帰ったらつけてみるか。
でも、昔、母さんが買ってきた香水、めちゃくちゃ臭かったからな。
いくら有名な香水と言っても、きついのは苦手だから。」
そんなことを独り言のようにブツブツ言いながら、しばらく歩いたところで女性から声を掛けられた。
「ひょっとして、立花君?」
「え?」
振り向くと、どこか見覚えのある、同じ年位の女性が立っていた。
「はい、立花ですが、えーと。」
「ほら。」
と言いながらその娘は、両手で髪の毛をツインテのように束ねて見せた。
「あー、思いだした。
大木じゃないか。
大木久美。
おっと失礼。
今は、俊介の奥さんだったよな。」
「そうよ、久し振り。
高校卒業して以来だものね。」
「そうだな。
でも、全然変わらないじゃん」
「ちょっとー、素敵なレディに向かって、高校時代と変わらないとは、何事じゃ。」
確かに、久美は少し大人びていたが、その日の久美はGパンにTシャツ姿で、しかも、化粧っ気もなかったので、十分、高校生でも通ると春彦は思った。
春彦、佳奈、俊介と久美は、同じ高校の同級生で顔馴染みだった。
俊介と久美は高校三年から付き合い始め、俊介は高校を卒業すると、すぐに父親の会社に入り、久美は短大に進んだ。
しかし、二人は順調に愛をはぐくみ、久美が短大を卒業するのを待って結婚していた。
その時、春彦はこの街から離れたところで暮らしていたので、結婚したのは風の便りで、また、久美と再会したのは高校以来だった。
「あははは。
そうそう、『チームかきくけこ』だったよなぁ。」
「えー、覚えていたんだ。
でも、今じゃ、『か』が欠けちゃっているんだけどね。」
「え?
『か』が欠けている?」
「そうなの、佳奈と一切、連絡が取れないの。
電話やメールしても、もう使われてないって。
心配で、佳奈の家まで、たまに見に行っているんだけど。
外から見る分には、変わってないし。
でも、何か家に押しかけるのは気が引けて……。
そうだ、立花君、佳奈と仲良かったよね。
何か知らない?」
久美は、本気で心配していた。
そして、すがるような目で、春彦を見つめ、口を開くのを待っていた。
春彦は、どうしようかとためらった。
佳奈を助け出す際に、俊介親子に助けてもらったのだが、久美が心配するからと口止めされていた。
それなので、久美は今回の佳奈の件は一切知らなかった。
が、久美の本気で心配している姿と、佳奈の寂しそうな姿を思い出し、口を開いた。
「ああ、今、佳奈に会って来たんだよ。」
「え?」
久美は、声も出ないほど驚いた様子だった。
そして、春彦の両腕をつかんで、矢継ぎ早に質問攻めを浴びせた。
「佳奈に会ってたの?
佳奈は元気なの?
どうしちゃった?
何かあったの?」
春彦は、「ちょっと、お茶でも飲みながら」と考えたが、久美の必死な顔を見て、その場で答えることにした。
ただ、事件のことには触れず、交通事故に逢い、しばらく入院し、やっと退院できたのだが、車椅子生活を送っていること、こんな自分の姿を皆に見せたくないと、連絡を断ったこと、でも、4人に逢いたがっていることをかいつまんで伝えた。
久美は、最初は驚いた顔をし、最期は、涙を浮かべていた。
「そんな…。
バカな佳奈。
そんなことで、一人で悩んで…。
交通事故って、足以外は大丈夫なの?」
「ああ、他は大丈夫だよ。
大分痩せたけど、だんだんと元に戻って来てるみたいだよ」
「もう。
たとえどんなにケガをしたとしても、私たち友達なんだから、気にしなくていいのに。」
「でもね、それは、俺らは何ともないからいえることじゃない?」
ずっと佳奈を見てきた春彦だから言えるセリフだった。
「……。」
春彦の一言で、久美は、「はっ」となり、涙で顔をくちゃくちゃにした。
「そうだね、そうだね。
でも、やっぱり、私たちは、佳奈の友人よ。
何があっても。」
ハンカチで、涙を拭きながら久美は震える声で言った。
少し、考えてから、春彦は口を開いた。
「あのさ、ちょっと、相談。」
「えっ?
なに?」
久美は、目を真っ赤にしながら、怪訝そうな顔をした。