初春③
初春③
僕たちは正反対だった。
今の状況が、その全てを物語っている。
彼女は死んで、僕だけが生きている。
「生きていたら勝ちで死んだら負け」なんていう話ではなくて、方向性のことだ。
僕と華音は自殺に強い関心を持っていた。それはお互いの過去に起因する。
僕たちはそれぞれ父親を自殺で失った。イラストレーターとして平凡だった僕の父親と、画家として有名だった華音の父親。違いはあるけれど、ともかく「父親が自殺した」という共通点が僕たちにはあった。
僕と華音は、お互いに一定の理解があったと思う。だから、自殺現場に足を運んだり、それについての情報を交換したりしていた。
でも、僕と華音は違う。自殺現場に立ったとき、考えていたことも違うのだ。
僕は死ぬとしても、それが自殺であることは絶対にない。そう言い切れてしまう。酷い絶望感を覚えたとしても、何だかんだで僕は最後まで生きようとすると思う。生きることにしがみつくと思う。
でも、彼女が死ぬときは自殺だろうと、そんな気がしていた。もしかすると、彼女自身もそう思っていたかもしれない。
華音という少女は、一見して冷たい印象を受ける。表情の変化が少なく、交友関係は狭い。無機質な瞳は他人という存在に対して、強い諦観を感じているようにも見えなくはない。
けれど、実際の彼女は違う。彼女は他人――いや、死人に対して、感情移入し過ぎるところがある。乗り移ろうとしているのか、乗り移らせようとしているのかと思えるくらいに。
華音はよく自殺者を演じた。死体があった場所に、服が汚れたり、人目を気にしたりすることなく横たわることをした。
僕はせいぜい想像するくらいだ。死体の視点になってみようなんて思えない。華音が自殺者を演じることを僕が止めなかったのは、想像しやすかったからだ。そして、彼女が気味悪かったからだ。
僕と華音は確かに同じ場所に立っていた。けれど、その実、互いに背を向けて、反対方向を見ていた。
*
学校が終わると、華音の部屋に足を運ぶのは日課のようなものになっていた。
相変わらず、由季は僕を警戒しているようだ。定期的にメールが僕の携帯電話に届く。「今何しているの?」とか「会って話さない?」とか、見る人次第では勘違いしそうだ。
由季にとって、僕の行動は彼女の首を絞める力をじわじわ強めているようなものかもしれないから、当然だろう。探偵の真似事のようなことをせずとも、彼女に聞くだけで事は済むのだから。彼女は答えるだろうという確信もある。吐き出してしまいたいと思っているのかもしれない。
あの日、由季がどこにいて、何を見たのか。
けれど、もし、それを由季に聞くなら、僕は彼女に自分の内面を明かさなければならない。
部屋の隅にパイプ椅子と小さなテーブルを置いて、ファイルを開く。
「勉強部屋」という名目で借りたから、放課後にここに足を運ぶのは不自然ではない。由季がどう思うかは別にして。
ファイルから資料となるメモを取り出して、テーブルに広げる。
右側に有川の死。
左側に華音の死。
有川が死んだあとに、華音が死んだ。同じ化学室で、同じ飛び降り。学校は両者を別々の「事故」としている。だが、二つを「自殺」として関連性を感じるのが普通だ。
――夕方の化学室では人が飛び降りやすい。
そんな噂話ができるのも、自然なことなのだろう。
テーブルのちょうど中間部分に、二人の関連を示す資料を広げる。
華音と有川は恋人の関係にあった。けれど、恋愛関係に基づくものではなくて、互恵関係のようなものだったと聞いている。あくまで、華音から聞いた話ではあるけれど。
――何もなかったわ。
有川との関係を聞いたとき、華音はそう言った。
――千歳と由季さんくらいには。
華音が僕と由季についてどれくらい知っていたかは分からない。ただ、少なくとも、僕と由季のものよりは、彼女と彼のそれは、いくらか深い感情に基づいた関係だったのだろうと思う。
何故なら、僕は由季が死んだ場所で死のうなんて思わない。しかも、同じ方法で。
華音は有川に対して、化学室から飛び降りで死ぬくらいには、何かを感じていたのではないだろうか。
でも。
有川が死んで、それが自殺であったとしても、華音は絶望することはない。有川が絶望の果てに飛び降りたとしても、それが華音の絶望となるとは思えない。
それについて、僕はほとんど確信があった。
自殺は波紋する。自ら命を絶ったという事実は、周囲に必ずマイナスの影響を与える。
けれど、華音は違う。自殺の絵を描く少女は違うのだ。
自殺の絵。その単語を聞くと、酷く憂鬱で、残酷なものを想像するかもしない。
けれど、華音の絵はどうしようもなく美しい。淡くも力強い色使いで、微かに輝いていた。
彼女の絵に向き合うと、自然とため息が出た。
恋人の自殺を描いたこの絵さえも、美しい。
これが彼女の見ていた世界であるなら、どこにも絶望はない。うたた寝で見る夢のように儚げで、温かい。
彼女は有川の死を金庫にしまった。それを、僕に託した。だから、僕は彼女の死を直視しなければならない。
ポケットから金庫の鍵を取り出す。
この鍵は華音から直接手渡されたわけではなく、彼女が僕の上着のポケットに忍ばせる形で渡したのだ。月島さんから「開かない金庫がある」という話を聞いたとき、これがその鍵だと直感した。
華音と有川はどこまで心を通わせていたのだろう。
この鍵が入っていたポケットが右側だったことに、意味はあるのだろうか。