晩秋②
晩秋②
四階にある美術室の前に華音の絵が飾られていた。
例のごとく、自殺の絵。けれど、予備知識のないまま見ると、万華鏡を通して日常を見たような不思議な色彩を持った絵だ。
華音の父親は名の知られた画家だった。自殺の絵を描く画家として。彼女はその父親を敬愛していたのだと思う。
華音の内心を読み取ることはできないけれど、彼女の絵は父親のそれと酷似している。筆使いや、色彩感覚に違いはあったけれど、影響を強く受けているのは間違いない。
華音を饒舌にさせるのは、「自殺」「猫」「お父さん」の三つの単語だけだ。
――お父さんは寡黙って言われていたけれど、感情に波のある人だったわ。上手く行かないことがあると……だいたい絵のことだけど、露骨に不機嫌になって、母に強く当たったの。だから、二人は離婚してしまったのね。でも、私に対しては不思議と穏やかだったわ。
彼女の父親は四年前に死んだ。
これは完全な憶測だが、それまで当たり障りのない絵を描いていた華音が自殺を描き始めたのも、四年前だろう。
彼女の父親は自殺だったから。
美術室の扉を開ける。金具に油が足りないのか、扉は開閉するごとにこの世の終わりを告げる断末魔のような甲高い悲鳴を上げる。
窓際に華音がいた。黒い髪と、黒い制服。それらの隙間から、白い肌が浮き上がる。華音という少女は、黒と白だけで完成されているのだ。
彼女は普段着も黒だ。そういえば、「制服で学校を選んだ」と言っていた。「黒いのがいい」と。「意外と女の子らしいところがあるんだね」と返すと彼女は黙ったが、あれは怒っていたのかもしれない。
華音はこちらに気づくと小さく手を挙げる。僕もそれに倣う。
すみれ野高校を上から見るとカタカナの「コ」の形をしている。僕たちがいる美術室と、有川が飛び降りた場所はちょうど向かいになっている。
窓から、その場所がよく観察できた。そこには青いビニールシートが張られていて、飛び散ったであろう血や肉片を覆っていた。秋らしい柔らかい太陽の光がそれらを照らしていて、どこかのどかな光景に見える。
「君はどうしてここに?」
「有川くんとここで待ち合わせていたのよ。何気なく窓の外を見ていたら、彼がいて……」
落ちたのよ。
華音はいつものように表情の変化が少なく、淡々としていた。けれど、平常心というわけではないようだ。言葉を発するとき、微かに唇が震えていた。
「どういうふうに待ち合わせていたんだ?」
「話がしたいって」
「なんの?」
「分からない。大事なことって。普段、私たち電話でしか話さないの。だから、よほどのことだと思ったのだけど」
二人の交流が電話限定であることを、僕は今知った。
「有川はここに君を誘い出して、飛び降りたのか」
「そう考えるのが自然よね」
意志のある飛び降りの多くは、自殺と呼ばれている。
けれど、有川の意志が何であるか、まだ分からない。華音に向けられたものがあるのは確かなのだが、それが全てではないだろう。
「有川はどの辺りから?」
「こちらから見て、左から二つ目の窓よ」
現場保存のためか、その窓は開いたままになっていた。
自分と親しい人が死んだ割に、僕は冷静だったかもしれない。けれど、これが事故死や殺人だったとしたら、もっと混乱していたはずだ。
残酷にも、自殺だったから、冷静でいられた。自殺は『いつものこと』だから。
きっと、華音も。
「不思議なの。大変なことになったと思っているけど、頭ははっきりしているの」
「僕もだよ」
「彼、いつ死んでもおかしくないとは思っていたけれど、本当に突然よ。なのに、悲しい気持ちは何一つないわ」
「僕もだ」
変よね、という華音の言葉に首を振る。
「大多数」から外れることが「変」であるなら、そうかもしれない。でも、僕は彼女を「変」とは思わない。
僕たちはどうしようもなく同じだから。