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初春②

初春②


 アパートを出た。

 後ろから声を掛けられて、振り返ると由季がいた。

 由季はしかめっ面をしていた。彼女がボブカットと主張するおかっぱ頭と、小学生高学年と変わらない背丈のせいで、子供がおやつを買ってもらえなかったことに拗ねているように見えなくもないけれど、それを指摘するのはタイミングが悪そうだ。

 僕と由季の間を冷たい風が吹き抜ける。

 つい昨日まで、どこか春を感じさせるのどかさがあったというのに、今日になってまた気温が落ちた。

 僕は天気予報を細かくチェックする習慣があったから難を逃れたけれど、由季のように薄着のまま学校に来てしまった人は多い。

「今日は寒いね」

 着ているコートを気取った素振りでアピールする。祖父のお古を祖母が手直しした神林家に伝わる一品である。見た目は爺臭いかもしれないが、天然物を使っているためなかなか着心地がよくて温かい。

 一方の彼女は薄着だ。短いスカートから、足がむき出しになっていて、見るからに寒い。

 彼女は顔をしかめたまま、「メール」という言葉を発した。

 ポケットから携帯電話を取り出して、ディスプレイを見て、電源を切っていたのを思い出す。起動する。ほとんどメールと電話の機能しかないから、立ち上がりが早いのが唯一の長所の機種だ。

 確かに、由季からメールが来ていた。内容はごく簡潔で、『どこいくの?』というものだ。

 今更返す必要はなさそうだ。

「後をつけていたの?」

 しくじった、という表情を作って、天を仰ぐ。

「寒い中ご苦労。なかなか趣味が悪いね」

 自分のことを棚に上げて、彼女に毒を吐く。

「後をつけるのは、悪いことだとは思うけれど」と彼女は俯いた。由季は根からの善人だから、悪いことをしたと本気で思ったのかもしれない。

「心配だったから」

 心配だから何をしてもいいわけではないし、その心配はそもそも僕に向けられたものではないだろう。

「何が心配なのさ?」

「千歳、月島さんが死んでから少しおかしいじゃない」

 同じやり取りを有川が死んだときもしたような覚えがある。少し可笑しくなって表情を歪めると、由季の視線がきつくなった。

 手のひらを彼女に向けて敵意がないことを示す。実際、あるのは多少の悪意だけだ。

「友人が死んで、おかしくならない方がおかしいよ」

「友人?」

 何故、そこに噛みつくのかと不思議に思ったが、そういえば、まだ誤解を解いていないのだった。

「友人とは少し違うかな。同志という表現が正しい。同盟を組んでいたから」

 何それ、と由季が顔を眉をひそめたので、「こっちの話」と適当に会話を切る。

「手を合わせに来たんだ」

 自分の行動を簡潔に説明する。自殺した人を尋ねる理由として、一番もっともらしく無難なものだ。

「君もどう? 君と華音、一年のとき同じクラスだったよね、確か。華音の部屋知ってる? 分からないなら大家さんに聞けば案内してくれると思うよ」

 由季は首を振る。

「そういう気分じゃない」

「あっそう。なら帰ろうか」

 寒いだろう、と聞くと彼女は頷いた。

 ここから僕と由季の家は同じ方向なので、帰るのであれば並んで歩くことになる。そういえば、こうやって一緒に歩くのはなんだか久しい。

 歩いている間、由季は何度か僕の顔を横目で見た。何かを言いたげでもあったし、言って欲しそうでもあった。

 由季にかけるべき言葉は、思いつく限りでもたくさんあった。

『君は悪くない』

『誰のせいでもない』

『タイミングが悪かったんだ』

 けれど、僕は何の言葉も発することはしない。

 二人死んだ。

 その事実は、誰が自分を責めようとも、変わることはない。死んだ人は生き返らないというのもあるけれど、そういう話ではない。

「誰それのせいだから自分は悪くない」とか、「自分のせいだから償わなければならない」なんていう無責任な結論の出し方は、今、僕が最も許せないものだ。

 だから、由季に一足早く結論を出されては楽しくない。かといって、機嫌を損ねて聞きたいことが聞けないのも困る。

 由季の家に着いた。

 彼女は玄関のドアに手を伸ばそうとして、こちらを振り返った。

「今から、千歳の家に行ってもいい?」

「どうして?」

「小学生のころはよく遊びに行っていたじゃない」

「そうだね」

 そのときは、まだ、父親と母親が家に揃っていた。僕たちの家は近所で、よく一緒に遊んだ。彼女に対して淡い恋心を持っていたこともあったかもしれない。同級生からのからかいを受けて疎遠になった時期もあったものの、高校を入学してからは、男女として交際するくらい親密になった。

 全て昔の話だ。

「久し振りに行ってみたい」

 首を振る。

「また誤解されたら、嫌だから」

『また』を少し強調して言ってみる。嫌味が言いたかったというより、由季の反応が見たかった。

 彼女は「そうだよね」とだけ言った。表情が強ばっていて、泣き出しそうだった。

 彼女は後ずさるように僕と距離を取り、玄関の扉を開ける。

 泣かせようと思ったわけではない。

 だから、中に姿を消そうとする前に、僕は言葉を発した。

「また、明日」

 閉まりかけの扉が一瞬、止まった。そして、音もなく静かに閉まった。

 一人になる。一人になって、いつも感じるのは、歩きやすいということだ。

 誰かといるよりも、ずっと気楽で、清々しい。言葉を発する必要がない。歩調を合わせる必要もない。

 一人になって、自分が今まで『二人』だったことを強く意識するようになった。僕の隣には彼女がいた。

 家路につきながら考えた。

 もし、あの「誤解」がなければ、有川は飛び降りなかっただろうか。そして、華音もそれに続くことはなかったのだろうか。

 それはない。

 彼はどちらにせよ、自殺した。

 彼女も、いずれは。

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