晩秋⑦
晩秋⑦
喫茶店で、華音はアメリカンコーヒーを注文することが多かった。
僕はいつもカフェモカを頼む。
時折、店員が僕の方にアメリカンコーヒーを、華音の方にカフェモカを置くことがあって、その度に彼女と「偏見は良くない」と笑い合った。
その華音は校庭で発見された。
頭が割れ、腹から内臓がこぼれ出て、無残な有様だ。
華音の死体は学校内の誰かが写真に撮って、インターネットにアップロードしたらしく、世の中に広まっていった。
学校は生徒たちに、「もし、写真を入手したとしても除去するように」と指示してはいるが、一度インターネットに出回ってしまったものはどうすることもできない。
しばらく、華音は世間の玩具にされるのだろう。そう思うと、苛立ちを覚えずにはいられないけれど、それは単なる八つ当たりでしかない。
僕は何もできなかった。
何かしたかったわけでもないし、何かできたわけでもない。華音が絶望を感じて自殺を試みたのではないということは、麻痺した頭でも理解できた。彼女の絵に絶望はどこにもなかった。そうであるなら、彼女が死んだのも、別の理由なのだろうと。
ただ、「何もできなかった」という虚無感や無力感が、僕の中に渦巻いていた。
違う。
僕は『一人』になって、寂しいだけなのだ。
*
短い期間に二人の生徒が死んだ校舎の空気は淀んでいたけれど、クリスマスが近いということもあってなのか、浮かれた気分と共に平穏を取り戻しつつあった。
華音の死は、「事故」として扱われた。遺書らしいものもなく、死を仄めかす言動も確認されていない。有川のときと同じだ。
「同じ場所で、二人死ぬって普通じゃないよな」
帰りのホームルーム、担任の退屈な注意事項という名の小言を聞いていると、山田が僕にそんなことを言った。
少し考える素振りをする。
「そのうち、うちの学校の化学室が、自殺スポットとしてインターネットで話題になったりしてな」
「もうされてるよ」
「へえ、そう」と山田からの情報に目を丸くして見せる。
「反応薄いな」
「いや、驚いたよ。どんな話?」
「化学室の窓に近づくと、後ろから突き落とされるとか、引きずり降ろされるとか」
「ふぅん」
自殺には興味があるけれど、怪談話は別だ。
華音となら近場に自殺の名所が生まれたことに喜んだかもしれないが、肝心の当人がいない。
「有川と月島って付き合ってたのかな?」
「どうだろう」
「神林なら知ってると思ったんだけど」
「どうして?」
「月島と仲が良かっただろう?」
「かもしれない」
起立、と担任が鋭く声を張る。有川の自殺のときよりは、参っている様子がない。もしかすると、自分の受け持つクラスでなかったことに、安心しているのかもしれない。もしくは、自分以外のクラスでも自殺者が現れたから、「自分だけが悪いわけではない」と安堵したのだろう。
礼、という担任の声のあとに、機械的に頭を下げる。
山田が僕に何か言おうとしていたようだったけれど、気づかないふりをして、教室を出た。
もしかすると、彼は僕を気遣っていたのかもしれない。胸倉をつかまれた同級生よりも、大事な人を失って傷心したそれの方が、救いやすく見えたのだろうか。
外に出ると、冷たい空気が肌を刺すように刺激した。
十二月になって、寒いと感じる日が増えた。けれど、今日は一段と寒い。
華音に貸していたコートは、月島さん――母親経由で帰ってきた。そのとき、彼女は僕に華音の部屋の掃除を頼んだ。「開かない金庫があるのよね」と彼女は困った顔をする。自然な態度で、彼女と話せた自分に少し驚いた。
強い風が吹いた。冷たい風だ。
自然と両手が上着のポケットに収まる。
「――――」
異物が右手の指先に触れるのを感じた。
摘まんで取り出してみると、小さな鍵だった。
覚えのない鍵だ。僕のものではない。
けれど、鍵につけられたタグから、それが何であるか分かった。
細く薄い字で、華音のサインが書かれていた。
絵の完成を示すときに彼女が記すものだ。
どうして、それが僕のポケットの中にあるのか。生前、華音がコートのポケットに忍ばせた以外考えられない。
鍵を右手で握りしめる。
冷たかった鍵は、僕の体温を受けて徐々に温かくなっていった。
風が強い。冷えた頬が痛い。
背を丸めて、僕は一人、歩く。




