晩秋⑥
晩秋⑥
ため息をつく。
華音の姿を探して、図書館まで足を運んだけれど、彼女の姿はない。仕方なく、空いている席に座る。
有川の自殺から一ヶ月ほど経った。その間、彼について新しく分かったことは何もない。
それは当たり前のことだ。死んだ人について分かることなんて、何もないのだから。
そろそろ、僕の興味は有川から離れ、別の自殺者の収集を開始する。華音も絵を描き終えるのに十分な時間が経った。完成した絵が見られる日も近いだろう。
いつも通りなら、そのはずなのに。
華音は未だに化学室に足を運んだ。有川の家を訪ねていることもある。それに僕が同行することもあれば、彼女一人のこともあった。
華音は、何度も、有川の縁ある場所に足を運んだ。
正直、僕はうんざりしていた。
いくら化学室に足を運ぼうとも、冬美さんと話そうとも、新しい発見なんて何もない。意味のない感傷と世間話を繰り返すだけで、何も進まない。
それでも、華音は有川にこだわり続けた。だから、僕と華音は一緒に行動することが少なくなっていた。
――自分のせいで有川が死んだと思っているのかい?
華音はゆっくりと首を振った。
――彼はいずれ死んだわ。分かるでしょう? 強い弱いとかじゃなくて、上手く生きれない人のこと。
僕は彼女に聞いた。僕と君の関係が、有川を追いつめたのか、と。
華音は彼女らしくない優しい笑みを浮かべる。聖母のようだと思った。
――安心して。それは絶対、あり得ないから。
なら、何故、有川は死んだのか。
分からない。もしかしたら、僕のせいかもしれない。もし、そうであれば、僕は償わなければいけない。
そんな気持ち、本当はない。
僕はただ加害者になりたいだけなのだ。加害者になって、罪人になりたいだけだ。僕のせいで誰かが死んだということにして、償いの真似事をしたいだけだ。自殺の収集の原動力にしたいだけだ。
人が死んで、罪悪なんて少しも感じない。
いつか華音は、僕の行為を「墓荒らし」と言った。それはとても適確だと思う。
でも、それを止めることはできない。
『自殺』が唯一の彼女との繋がりだから。
僕が罪悪を感じるのは、自分のそういう醜い感情に対してだけだ。
ファイルを閉じる。席を立つ。上着を羽織る。鞄を肩にかける。
酷く華音と話したい気分だった。
ここにいないということは、美術室か化学室だろうか。先ほどから何度か携帯電話を鳴らしたけれど、反応がない。
もう帰宅しているかもしれない。それでも良かった。彼女を探したい。
先に行くなら、美術室だ。化学室には、できればもう行きたくはない。そこに彼女がいたら、僕はまたあの黒い感情を抱えなければならないから。
有川は卑怯だ。僕のこの猛毒の名前は『殺してやりたい』なのに、その相手がもう死んでいる。僕のこれが、父や先生のように『死にたい』だったら良かったのに。
図書室を出ると針のような空気が身体を覆った。雪でも降りそうな寒さだ。ついこの前まで、暑さと湿気に苦しめられていた気がするのに、今は呼吸をすると肺が痛くなるくらいに空気が鋭くなっている。
もうすぐ十二月だ。一年が終わる。そんなこと、すっかり忘れていた。彼女に貸したコートのことも忘れていた。返してもらわないと。そうだ、それを言いに行こう。
図書室と美術室は別々の校舎にあるから渡り廊下を経由しなければいけない。身体を抱くようにして、冷たい風が吹き抜ける極寒の道を進む。霧雨なのか、風に水気があって、余計に身体が冷える。
振り返って、有川が飛び降りて落ちた場所を見る。闇に沈んでいるが、あのときの光景を僕は今も正確に思い出せる。
震える唇。
強張った表情。
自殺者に向ける愛おしそうな瞳。
ようやく反対側校舎へと辿り着く。冷たい空気で満ちていたが、風がないからずいぶんマシだ。
人気がまばらの校舎を進む。酷く静かで、風の音が響いていた。
年が明けて、三学年の生徒は受験や就職活動のため学校にほとんど来ない。閉校時間が近いというのもあるけれど、三分の一の生徒がいないのだから静かなのも納得だ。
「――――」
何か大きな音が聞こえた気がした。聞き覚えのある音だ。
それが何か考えていると、進行方向から床をリズムカルに叩く音が聞こえてきた。
小柄な女子生徒のシルエット。すぐに由季だと分かったことを彼女に伝えたら喜ぶだろうか、と考えて、僕たちがすでに離別していることを思い出して、少し残念な気持ちになる。
僕は君のことが結構好きだったのかもしれない、なんて今更言っても仕方ないのだろう。そういえば、天気予報をこまめに見る習慣も、由季から褒められたことが始まりだった。小学生のころ、毎日、今日の天気を由季に伝えていたら、「千歳は未来が見えるの?」と彼女は大真面目に僕の目を覗き込んだ。
小さな秘密と、それを誇らしく思う気持ち。
あのときの純粋な気持ちは、どこに行ったのだろう。どこで失ったのだろう。
「やあ、帰るとこ?」
それでも、声をかけるくらいしてもいいのではないか。
けれど、彼女は僕を見て怯えた顔をした。まるで深夜にナイフを持った男と目が合ったように。
「どうしたの?」
僕の問いかけに答えず由季は走り去った。何かを振り払うように。
首を傾げる。
四階の美術室の前に着く。電気がついたままで、扉も開けっ放しになっていた。中は無人だ。
華音がいないことに落胆しながら、取りあえず、冷気を入れたくなかったので扉を閉める。
カーテンも開いていた。ガタガタと風が窓を鳴らす。
反対側の校舎の教室――つまり、化学室の電気がついていることに気づいた。
けれど、そちらに足を運ぼうとは思わなかった。
誰かが電気を消し忘れただけだ。
やっぱり帰ろう。




