晩秋⑤
晩秋⑤
「有川くんのことは本当に残念でした」
華音は冬美さんにそう言葉をかけた。彼女は俯き、頷いた。長い髪で表情は見えない。
「お線香を上げてもいいですか?」
冬美さんは頷いた。今までに何度か、有川の友人がここを訪ねたのかもしれない。慣れた手つきで線香を用意して、僕と華音に一本ずつ渡した。
有川の仏前で、僕と華音は並んで手を合わせる。目の前には有川の写真があって、笑顔を僕たちに向けていた。
例のくしゃくしゃの笑顔だ。
でも、有川はここにいない。「風になっています」なんて馬鹿げた戯れ言を言う気はない。
自殺者は永遠に自殺現場にあり続ける。
これは僕と華音に共通する考えだ。
それでも、僕と華音が有川の家を訪れたのは、彼の自殺を知るためだった。
後ろにいた冬美さんの気配が遠のくのを感じる。台所で薬缶がお湯が沸いたと喚いたからだ。
「有川くんに、あなたのこと聞かれたの。どういう関係かって。何もないって答えたわ。そしたら、彼、そんなはずないだろうって」
僕と華音がよく一緒に行動していたことを、有川は知っていた。どこで知っていたのだろう、なんて首を傾げるほどのことでもない。隠していたわけではないから、誰が知っていてもおかしくはないことだ。由季だって知っている。だから、彼女は「愛情の証明」を僕にさせた。
二人しかいない美術部員。遠目から見て、仲が良いようには見えなかったと思う。でも、男女というだけで噂は立つ。その度に、由季を苛立たせた。
何もない。僕も由季にそう説明した。由季は一度たりとも納得したことはなかっただろうけど、頷いた。納得していないなら、頷かなければいいのにと、その度に思った。
華音の「何もない」と僕のそれは一緒だろうか。
「千歳も彼から何か言われたのでしょう?」
「どうして?」
内心、動揺していた。
華音と有川がどれほどの間柄なのか、僕は知らない。
もしかすると、華音は僕が有川に話したことを、知っているのかもしれない。その可能性は大いにある。
「二人とも、お互いの名前を呼ぶときに声の温度が違うから、何か話していてもおかしくないと思ったの」
「温度?」
「親しい人の名前を口にするとき、自然と熱がこもるものなのよ。分かるでしょう?」
「分からないよ」
生憎、僕の感性はそこまで鋭くない。
例えば、華音と有川の仲を知ったのは、もっと他人に説明しやすい理由によるものだ。
華音が立ち上がったので、僕もそれに倣う。
居間のテーブルには緑茶の入った湯飲みが二つ用意されていた。僕と華音は礼を言って、それを口につける。
自分で感じていたよりも喉が渇いていたらしく、熱い湯が喉にしみた。
玄関が開く音がする。初老の男が、僕たちを見て、仏壇の線香に視線を移す。「宏一のお友達かい?」と冬美に聞く。彼女が頷くと、笑みを浮かべた。
「はい、お邪魔しています」
僕が答えると、彼は笑みを濃くして、「宏一のために来てくれてありがとう」と頭を下げた。
帰りましょう、と華音が言うので、失礼することにした。
日が落ちて、肌寒さが増していた。華音が細い身体を抱きながら、僕の上着を物欲しそうに見ていたので、貸してやることにした。家までなら、マフラーで十分だろう。
僕のコートを羽織りながら、華音が僕に言う。
「ずいぶん年が離れた夫婦ね」
「そうだね」
「お姉さんがいると聞いていたけれど、あなたは知っている?」
「うん。聞いている」
彼女は視線を落として、ため息をついた。
「有川くん、お姉さんのことを憎んでいたようだから、会ってみたかったの。どんな人か」
「君はどうして、有川がお姉さんのことを憎んでいるか知っているの?」
華音は首を振る。「知らないわ」とあまり興味がなさそうだった。
「どんな人か気になっただけ。でも、時間を割いてまでして会う気はないわ」
華音は極端だ。僕もそうであるけれど、彼女の方がずいぶんと歪んでいる。
彼女が愛するのは自殺者だ。人生を終えて、完成された作品だけだ。




