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晩秋④

晩秋④


「千歳と有川くんは友達だったの?」

「どうして?」

「あなたが有川くんの自殺に興味を持ったのが、意外だったから」

 化学室で簡単な現場検証を行ったあと、有川の家に向かうことにした。華音は自殺者を真似ることがあるけれど、さすがに飛び降りるようなことはしなかった。

 今日は肌寒い。僕は薄手のコートとマフラーを身に着けていたけれど、華音は制服の上に何も羽織っていなかった。

「意外でもないさ。自殺だ」

「自殺だったらなんでもいいというわけではないでしょう?」

「そりゃあ……まあね」

「あなたのノート、露骨なくらい偏りがあるもの。自分に近しい人とか、あなたのお父さんくらいの年代の人は情報が多い。あと若い女の子」

「君がしっかりと読んでくれていて、嬉しいよ」

 訂正を入れるとするなら、「若い女の子」ではなく「華音に似た女の子」だ。

 僕と華音は友達ではないから、一緒に歩いていても無言でいることもある。同じ方向に並んで黙々と歩いている男女というのはどこか異様な光景かもしれないが、それが僕たちの「普通」だった。

 手を繋ぐこともなければ、腕を組むこともない。僕と華音は適度に距離を取りながら、『二人』を維持して歩く。

 けれど、最近の華音はお喋りで、彼女らしくない。有川が死んでからだ。

「私のお父さんの自殺の記録も取っているのよね」

「もちろん」

「そう。なら、加筆するところがあると嬉しいのだけど」

 華音は僕の方を見ないまま、勝手に話を進める。

「お父さんは、ほとんど誰に対しても心を開かなくて、いわゆる偏屈な人だったのよ」

「セールスマンみたいな画家というのも嫌だけどね」

「お父さんの昔からの友達が言うには、離婚してからあまり笑わなくなったって」

「先生は大きな声で笑う人だったけど。心配になるくらい」

「心から笑うことがなかったってことよ。無理して笑っていたの。お父さんと有川くんはそういうところが似ていたと思うわ」

 無理して笑う。そう聞いて連想したのは、確かに有川の表情だった。彼はクラスメイトたちの輪にいるとき、痛々しいくらい顔をくしゃくしゃにして笑った。夜の冷めた笑みが嘘のように。

「だから、好きになった?」

「恋人だったけれど、恋愛感情があったわけではないわ」

 その言葉に安堵する自分がいた。生きている人を愛する華音は、華音ではない。

「君と有川は友達ということか」

「千歳は、男女の友情を信じるの?」

「そもそも友情を信じていない」

「それはとてもとても不幸なことね」

 微塵もそうとは感じていない口調だった。

「私とお父さんは愛し合っていたのだと思う」

「それも恋愛感情があったわけではないんだね」

 僕は適当に話を合わせているだけだった。けれど、華音は表情を変えず、淡々としていて、どこまでも透明な瞳をしている。

「いいえ、精神的な恋だったのかもしれない。お母さんが耐えられなかったのは、お父さんが強く当たるからではなくて、その関係だったとも最近思うの」

 幼いころの僕の目から見て、華音と先生はどこにでもいる仲の良い親子という感じだった。先生の腰に巻きつくようにしてじゃれる華音は、無邪気そのものだった。

 いかにも高級そうなマンションに住む画家の家族。彼女たちはその四階に住んでいて、傍から見て幸せそうだった。先生の絵画教室は、マンションの向かいにあるビルにあった。教室から、華音の部屋のベランダが見えて、先生の奥さんがこちらに向かって手を振る。

 その姿が見られなくなったころ、「離婚したらしい」と小声で両親が話すのを僕は聞いた。

「君のお母さんは、そういえば?」

「分からない。自殺していたら、傑作だと思うけれど」

 頭に思い浮かべたのは有川の家のことだった。有川の家は、姉と父親が愛し合っている。それは肉欲ではあるけれど、華音と先生の関係に近いとも言える。

「お母さんと言えば……そう。あなたのお母さんと私のお父さんのことだけど」

 ズキッと身体のどこかが痛んだ。もしかすると、そこに心というやつがあるのかもしれないが、どの辺りが痛んだのか上手く説明できそうになかった。

「ずいぶんと話が飛躍した」

「していない。私のお父さんの話だもの」

「話したいのかい?」

「聞きたくないの? 千歳が好きな自殺の話なのに」

 彼女の口を閉ざすための何か良い返しはないだろうか。彼女の気を逸らせそうな面白い自殺はなかったか。考えている間に、華音は言葉を続けた。

「お父さんは死ぬつもりで生きていたのだと思う」

「そりゃあ、人はいつか死ぬさ」

「自分で命を絶つつもりで生きていたということ」

 華音は少しじれったそうな表情をして、前方を睨む。相変わらず、僕の方を見ることはない。

「お父さんが死んだら、私は一人になる。彼は、そのために再婚することを考えていたのだと思うわ。私が絵描きとして生きていくためには、成人になるまで保護する人間が必要だった」

「だから、なんだっていうのさ」

 僕はどんな表情をしていたのだろう。怒ってはいなかったと思う。ただ、苛立たしかった。自分の触れられたくない部分を、そうだと知っている相手が執拗に突っつくことが。

「先生は初めから死ぬつもりだったから、僕が殺したわけではないって言いたいのかい?」

 すれ違った中年の女がぎょっとした顔でこちらを見た。それを無視して続ける。

「先生は、僕が追いつめた。そうだろう? だって、僕が彼に言った次の日だ……」

 ――お前が僕の父親を殺した。

 四年前のことだ。どうして、その言葉をぶつけることになったのかは思い出せない。父の命日だったのか。僕に対して先生は冷たく微笑んだ。「そうだよ」と頷いた。その顔に向かって、僕は拳を振るった。その様子を華音はじっと見ていた。

 殴りかかるつもりはなかった。でも、反射的にそうしたのは、許せないものを感じたからだ。

「お父さんはあなたに恨まれたかったのよ」

 彼女は淡々と続ける。

「お父さんはいつも奪われる側だったから。どんな気に入った絵も、生活のために奪われてしまう。だから、最後に奪う側になりたかったのだと思うわ」

 そして、それは成功した。僕がそれを示したのだ。だから、彼は終わらせた。自分で自分を。

「お父さんは満足だったと思うわ」

 何も答える気になれず、無言を返す。

「あなたは、私のお父さんを殺したというけれど、それは違うのよ」

「自殺させたのに?」

「そう。自殺よ。自分を自分で殺したの。それだけよ」

「それだけってことはない」

「自殺する動物は人間だけって言う人もいるけれど」

 彼女の声はどうしようもなく静かで、優しかった。

「どうして人間は自殺するの? 高度な知的生命体だから? 文化的な価値観を持っているから? 違うわ。死にたいから死ぬだけ。それだけよ。死にたいっていう感情と、そのための方法を知っているから、人は自殺する」

「違う。そうじゃない」という言葉は声にならなかった。

 僕自身、何が違うのか分かってはいない。ただ、否定したかっただけだ。

「僕は君の父親、先生を殺したかった。殺したいくらいの憎しみを抱いていた」

「でも、殺したのは千歳じゃないわ」

「そうだね。でも、僕の父親を殺したのは先生だ。僕は君と対等になりたかったから、そう考えたのかもしれない」

「それも違うのよ」

 華音は子供を窘めるように言う。

「千歳のお父様も、自分で自分を殺したの。自殺よ。誰のせいでもないわ」

「原因のない死なんて存在しない」

「その通りよ。でも、原因は外にはないの。中にあるわ」

 何度も華音と自殺について語り合った。でも、言い合いをしたのは初めてだったかもしれない。いつも、僕たちは微妙な距離を取りながら、お互いの領域を侵さないように気をつけていた。

 それなのに、気がつけば互いの心を侵食していた。少なくとも僕は、華音に苛立ちを感じている。

 彼女の唇から吐き出される息が白かった。今日は寒い。

「私たちは元々、お互いの関係のないところで自殺を追究していたわね」

「そうだね」

「どっちが、先だったのかしら」

「何が?」

「相手の自殺に対する関心の強さに気づいたのは、どっちが先だったのかしら」

 空気が冷たく重いせいか、呼吸をするのが少し苦しかった。肺がえぐられるようだ。

「千歳は私と対等になりたかったのよね」

「そうだよ」

「どうして?」

「どうしてって」

 僕は答えられなかった。

 ちょうど、有川の家に着いたから。

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