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晩夏①

 自殺の記事を集めている。

 その中に彼女もいる。



晩夏①


 アブラゼミが夏にけたたましく声援を送っていた。目に映るもの全てが眩しくて、うるさくて、僕と華音(かおん)は自然と俯きながら歩く。

 日光に打ち負かされるその二つの影は僕たちに相応しい。

 二人で歩きながら、お互いが何を考えているのか、僕たちは知り得ない。当然だ。他人のことを正確に知るためには、その人に乗り移る以外の方法は存在しない。

 アスファルトに蝉の死骸が転がっていた。

 いや、実のところ生きていて、蹴り飛ばせばやかましく喚いて飛び立つかもしれない。

 でも、生きているように見えなければ、死んでいるのと同じだ。

 蝉も、人間も。

 僕たちの横を自動車が走り過ぎる。ビスケットを砕くような音がしたから、振り返らないことにした。けれど、華音は振り返る。黒く長い髪が彼女に巻きつくように揺れる。しばらく、じっとそちらを見る。そして、独り言のように呟いた。

千歳(ちとせ)は、猫の死体が転がっていたら、可哀想と思う?」

 華音は特定の死体を好む。それと黒い猫。彼女の描く絵の「完成」を示すサインは、決まって黒猫を模したロゴが添えられる。

「少しは思うよ」

「でも、蝉が死んでいたら可哀想と思わないでしょう。どうして?」

「多くの人間は猫ほど蝉を愛していないからだろうね」

「そうかもしれないけど、違うの」

 足元にもう一つ、死骸を見つけた。歩幅を調整して、踏まないように気をつける。夏が終わろうとしているこの時期、地面のいたるところに蝉が転がっている。

「なら、数?」

 華音は頷いた。元々俯いていたから、微かに頭が上下に揺れただけだが。

「蝉の死体より、猫の死体の方が珍しいから、悲しむの」

 自殺も一緒よ、と彼女は続ける。

「多すぎるのよ。だから、誰も興味を持とうとしないの。人間が憂鬱に殺されて死んだってニュースが流れても、アスファルトに転がった蝉の死体くらいの関心しか払ってはくれない。何故なら、ありふれているから」

 僕と華音はいつものように『観光』をしていた。目的地は近所の自殺現場。僕たちは自殺した人の痕跡を辿る趣味があった。

 僕と華音はこの観光をいつも二人で行う。でも、友達ではないし、ましてや恋人でもない。憎しみ合っているわけでも、好き合っているわけでもない。

 ただ、『二人』なのだ。

「ありふれているとしても」

 彼女は苦しそうに息を吐く。暑さにやられているのか、目が虚ろだった。

「死ぬなら自殺がいいって思うの。病死とか事故死ではなくて自殺がいい。できれば、飛び降り自殺。お父さんが見た風景を私も見たい。そして、それを絵に残せたら、とても素敵だと思う」

「死んだら絵を描けない」

 彼女は黙った。

 しばらくして、十字路にたどり着く。信号も横断歩道もない。細い道の合流地点で、目印になるような目立つものはなにもない。

 僕たちはそこで足を止める。

「死んだのは、三十代の女性」

「自殺方法は車道に飛び出して、軽トラックに轢かれた」

「遺書はなく、警察は自殺と事故の両面から捜査中」

「女性は人間関係に悩んでいた」

 僕と華音は新聞記事から集めた情報を交互に暗唱する。もちろん、そんなことに意味はないと知っている。念仏みたいなものだ。

 断片的な情報を組み合わせれば、大抵の人が納得できるような『それらしい事実』が完成する。けれど、それは真実ではないし、真相でもない。ましてや、真理であるはずがない。

 でも、僕たちはその『三十代の女性』のことをそれ以上、知ることができない。

 供えられている花の『残骸』から、交友関係が広かったことが伺える。けれど、もしかすると、広いだけで浅い関係だったのかもしれない。手入れが全くされていないことから、そんなことを想像する。

 現場の近くの交通量はさほど多くない。僕たちがこうして暇を持て余している間に、人を確実に殺してくれそうな大型のトラックが通ることもなかった。

「突発的に死にたいと思ったのかもしれない」

「そういうこと、時々あるわ。自分のすぐ近くを車が通り過ぎると、死に損ねたと落胆することがあるの」

 話しながら、日の当たらない場所へと移動する。

 日陰を好む僕たちは、人間の暗い部分を直視して生きる。だから、暗闇に落ちた人たちのことを少しだけ理解できる。

 いや、した気になれる。

 結局のところ、生きている人は、自殺した彼ら彼女らのことを何一つ理解できることなんてない。心の底から死のうとしなければ、何も分からない。

「もし、人の心が金庫なら、自殺した女性の心理が闇に消えることもないと思うのよ。どこかにしまっておけるなら、ね」

「暗証番号と鍵がなければ開かないけど」

「開かない金庫はないの。開けてくれる人がいるかが大事なのよ」

「詩的だけど、陳腐だ」

「お隣りの作家さんの作品から、抜粋」

 華音は目を細めた。

 笑ったのかと思ったが、夏の太陽に照らされたアスファルトの地面が眩しかっただけだろう。

 また、いつもの無表情に戻っていた。

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