激闘と夜明け
お待たせ致しました。
リリィは己が目を疑った。
第二の天使が現れたことに対して? 否。
では現れた新たな天使、フィーエルの姿がレイリアに酷似していることに対してか。
否。
無残に崩壊した庭園。鼻を突く異臭が漂う地獄の空で、銀と金が交差する。
甲高い音が響き、生じた突風で辛うじて残っていた芝生が吹き飛ばされていく。
「くすくす。流石はお姉様です。こんなに激しく求められると私、壊れてしまうかも」
「ああ、壊してやるよ……テメエのその不細工な顔面を、徹底的にナァ!」
火花が散る。
レイリアが振るう大斧と、フィーエルが握る、持ち手の部分が大きな輪になった片刃の大剣がぶつかり合う。
耳障りな音をあげ、拮抗する両者。しかし浮かべるその表情はまるで正反対。
牙をぎらつかせ、狂犬のように血走った目で睨み付けるレイリアに対し、フィーリアは友人と談笑する淑女のように、その顔に薄く笑みを張り付けている。
どうしてこうなったのかと、リリィは軽いめまいを覚え、その場に倒れ込む。
しかしその直前、素早く彼女の肩を支えるものがあった。館から彼女らを追いかけてきた元傭兵の大男、ベルガラである。
彼は庭の凄惨な光景と、いまだ尋常ではない戦いを繰り広げる二人の少女を見やり、その額に玉のような汗を浮かべた。
「なん、だ、これ、は」
それは正しく伝説の再現。
目にもとまらぬ速度で追い、追われる二人の少女が交差するたびに閃光が走り、大斧が地を砕き、大剣が木々を薙ぎ払う。
狂ったようなレイリアの笑い声が響き、フィーエルの長い金髪が踊る。
何故、あの二人が争うのか。
震える身体を気力で支えながら、リリィはゆっくりと立ち上がる。
伝説ではレイリア、フィーエルたち天使は勇者と力を合わせ、共に悪魔たちからこの世界を守り抜いたといわれている。
そう、かつては手を取り合い、志を同じくした仲間だったはずなのだ。
だというのに、どうして。
「恐れていたことが、起こってしまったか……」
リリィの背後から、呟くような声が届く。
はっとして見れば、そこには満身創痍であるはずの辺境伯、グラムが立っていた。
どうやら応急処置はされているようだがその両手に巻かれた包帯には血が滲み、杖を使わなければ立っているのがやっと、といった風である。
「お父様、どうしてここに! 早く屋敷の中へお戻りください!」
本来ならば、安静にしていなければならない筈の傷。
さっと顔を青くしたリリィが駆け寄って肩を貸せば、恐らくは限界だったのだろう、辺境伯は崩れるようにしてその場に膝をついた。
息を粗くし、それでも天使たちが激突する光景から決して目を離そうとしない父の険しい表情に、
リリィは意を決して問いを投げかける。
「お父様は、ご存じだったのですね。レイリア様のことを」
しばしの沈黙。
返されたのは、肯定の言葉。
「ああ、知っていた。伝説の天使たちが実在することも、そして、あの森の遺跡に彼女が封印されていたことも」
「封印……? 封印とは、いったいどういうことですか!?」
縋りつくように問いかけるリリィの真っ直ぐな瞳に、辺境伯は目を伏せて言い淀む。
伝説では、彼女たち四天使は魔王を討ち果たした後、女神リアディアが待つ天界へと帰っていったとされている。
それが、封印されていた?
なぜ。誰が?
かの女神リアディアが?
否。それでは伝説の内容と矛盾が生じる。
では誰か。
決まっているそれは――
リリィの胸の内で膨らんでいく疑念。
だがそんな彼女の思考を妨げたのは、頭上で響き渡った轟音であった。
まるで大砲が炸裂したような音とともに、リリィたちのすぐ傍へと金色の天使が突き刺さる。
瓦礫が飛び散り、土煙が舞い上がる中で、リリィはしかと見た。
普通ならば即死してしかるべき衝撃で地面に叩きつけられたにも関わらず、その美しい肌に傷一つ負っていない少女の姿を。
そして、その血のように赤い瞳がリリィをしかと捉え、蠱惑的な笑みを浮かべたところを。
「呑気によそ見なんざしてんじゃねェぞ、がらくたァ!」
フィーエルを叩き潰さんと、頭上から流星の如く大斧が打ち下ろされる。
だが彼女は薄ら笑いを浮かべながら大剣を頭上に掲げると、まるで木の枝でも受け止めるかのようにその一撃を防ぎきってしまった。
火花が散り、フィーエルの細い両脚が大きく地面へとめり込む。
「酷いわ。お姉様はあんなに美味しそうな子を傍に置いているのに、私は味見もさせてくれないのね」
「腹が減ってるならたらふく食わせてやるよォ、テメェの腸をなァ!」
拮抗する斧と剣。
フィーエルがふっと腰を落とし、剣の腹を滑らせるように斧を受け流すと、その刃が地面を抉るより早く片手を離したレイリアがフィーエルの顔面を砕く勢いで肘打ちを放つ。
それをフィーエルが左手で受け止めるのと同時に斧が地面を砕き、その衝撃で浮き上がった石のつぶてをレイエルが器用に足の爪先で蹴り上げた。
上体を逸らすことでそれを避けるフィーエル。
そこを狙って、半ばまで地面に埋まった大斧がうねりをあげて斬り上げられる。
だがそれも不発。
ドレスの裾を優雅に翻しながら、くるりと後方へと飛び退いたフィーエルが音もなく着地し、仰々しく一礼してみせた。
「ああ、イイ、イイ、楽しい、とても愉しいわ。このままだと私、気持ち良すぎて達してしまうかも」
震える身を煽情的に掻き抱きながら熱い吐息を吐き出し、頬を赤らめるフィーエル。
そのまま踊るようにくるりと左へ回ってみせれば、鎖の音と共に先程までフィーエルが立っていた場所へと大斧が突き刺さった。
「喧しいンだよ畜生風情が。テメェだけは壊す、この俺様がァ……!」
鎖を握る手に力がこもり、銀の大斧がレイリアの手元へと引き戻されていく。
「どいつもこいつも、亡霊共が雁首揃えて墓穴から這い出してきやがって。さっさとくたばれ! さっさと消え失せるべきなんだよ、俺様も、テメェらも!」
吐き出すようにそう叫び、狂気に染まった瞳がフィーエルを貫く。
ゆらりと大斧を構えるそのさまは正しく幽鬼そのもので、見る者の魂さえも凍てつかせそうなその姿は、離れた場所でなりゆきを見守っていたリリィですら身震いするほどであった。
だが、レイエルが獣の如く身を縮めて必殺の一撃を繰り出そうとしたその瞬間、事態は急変することとなる。
始まりは閃光。そして、フィーエルの嘲笑うような一言。
「ダメよ、お姉様。今日はここまで。お楽しみは取っておかなくっちゃ」
吹き飛んだのは、今まさに飛びかからんとしていたレイリアの左腕であった。
言葉を失う一同。リリィの顔からさっと血の気が引く。
そして宙を舞う自身の左腕をレイリアが目で追ったその直後、次はその身が右肩から腹部にかけて、袈裟懸けに切り裂かれる。
舞い散る鮮血。
夜空を紅い飛沫が彩り、リリィの悲鳴が闇夜を切り裂いた。
「ズルいよ、姉さん。ボクを除け者にするなんて。ボクだって、お姉様に遊んでもらいたかったのに」
「……アア、そうだな、すっかり忘れてたぜ。フィーエルの糞野郎が生きてたんだ、そりゃあテメェもいるに決まってるよなァ、ディーエルさんよォ!」
舞い降りたのは、フィーエルと同じ美しい金髪を肩で切り揃えた、青い瞳の少女。
その名は伝説の天使、その一翼を示すものであった。
双星のフィーエルと対をなす、双星のディーエル。
比翼の天使。その片割れ。
しかし顔つきこそ瓜二つであるが、燕尾服にも似た紳士然とした上着に膝が覗くほど短いズボンと、一見すれば少年にも見えるような服装をしている。
そしてその手には、フィーエルのそれと同じ形の大剣が一振り。
同じ形の凶器を手にした少女たちは、まるで鏡合わせのように互いに頬を寄せ、互いの熱を確かめるように軽く口付けを交わす。
「ふふ、ごめんなさいね。お姉様の匂いがしたから、私もう我慢できなくって」
「しかたないな、姉さんは。今夜は特別だよ?」
「――俺様を無視して乳繰り合ってんじゃねェゾがらくた共ォ!」
咆哮。
そして次の瞬間、リリィはまたしても言葉を失った。
つい先程切り飛ばされたレイリアの左腕と、どう見ても致命傷だと思われた胴体の傷。それらの断面から深紅の、おどろおどろしい蔓のような物が伸びてきたかと思えば、それらが腕を形作り、あるいは引き裂かれた胴を繋ぎ合わせ、あっという間に身体を元通りに治してしまったのだ。
どういうことか、纏っていた衣服までもが完全に復元されている。
化け物。
そんな言葉が、リリィの脳裏をよぎった。
「この程度で余裕こいてンじゃねェぞ糞が! おら来いよ、纏めて相手してやる!」
再生した腕でしっかりと大斧を掴み、些かも衰えていないレイリアの気迫が鏡合わせの天使を襲う。
だが二人はそれに対し一切動じずに顔を合わせて微笑むと、互いの身体を抱きしめながら手にした大剣を天高く掲げた。
「残念だけど時間切れだよ、お姉様」
「ええ、本当に本当に残念だけど、時間切れなの。お姉様」
二人の大剣が震え、目に見えない何かを纏い始める。
次は何が起こるのかと身構えるリリィたちであったが、レイリアにとってはそれだけで敵の意図を察知するには十分だったようで、舌打ちと共に飛び上がり、二人を叩き潰さんと大斧を振り上げた。
だが先に振り下ろされたのは、二振りの大剣。大気を切り裂き土煙を巻き上げながら、不可視の刃が空中にいるレイリアへと襲い掛かる。
振り下ろされる大斧が不可視の刃とぶつかり、一瞬の均衡の後、不可視の刃が中央から真っ二つに切り裂かれて霧散していく。その先にいた筈の、二人の天使の姿と共に。
着地したレイリアが、獣のような唸り声をあげる。
そんな彼女を嘲笑うかのように、天から降る少女の声。
――お楽しみはまた今度。
――次はもっと、もっと遊びましょうね。
――ボクたちの、愛しい愛しいお姉様……。
風が吹く。
それは闘争の終わりを告げる風。
静寂が流れ、街から駆け付けてきた兵士たちの足音が遠くから響いてくる。
唸る。唸る。地の底から響くような呪詛の声が漏れた。
「逃がした、まんまと、逃げおおせられた……? 糞が、糞が、クソガアアアアア!」
静かに、僅かに白み始めた空の元、亡霊の雄叫びが木霊する。
長い、永遠にも感じられた夜が、ようやく明けようとしていた。