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汝、その力を示せ

 立ち上がった少女は、具合を確かめるように手足を二三度ぶらつかせると、ぐっと背伸びをした。

 くあ、と可愛らしい欠伸が漏れる。

 ちなみに少女はいまだ一糸まとわぬあられもない姿のままなのだが、本人はそれを知ってか知らずか、一切それを気にする様子はない。


「くっだらねえなぁ。そんな事で態々俺様を叩き起こしたのか」


 少女がリリィからこれまでの経緯を聞き、その顔に明らかな呆れの色を浮かばせながら発した第一声がそれであった。

 その銀色の髪を指先で弄ぶ彼女の、その美しい外見とはあまりにも似合わない粗野な口調にリリィは思わず言葉を失う。

 はて、聞き間違いだろうか。きっとそうだろう。

 そして、それを聞いた彼女がそうして現実逃避するのも無理からぬこと。

 唇を、それも初めてを奪われた衝撃も合わせ、もはや彼女は正常な思考を行う事が出来なくなっていた。


「屋敷が賊に襲われた? 父親の命が危ない? 知るかそんなもん。テメェらでどうにかするんだな」


 だが、少女がため息交じりに零したその一言に彼女ははっとする。

 

「そんな、貴方は伝説の、魔王を打ち滅ぼした天使様ではないのですか!?」


 少女は弄んでいた毛先をぴんと指で弾くと、怪訝そうに眉を寄せた。

 リリィは続ける。助けを乞うように、濁流の中であがくように言葉を吐きづづけた。

 千年前に栄えたとされる古代帝国。悪魔との戦い。女神や天使、勇者の物語。

 彼女が口早に語り続ける中、少女の表情が徐々に神妙なものへと変わっていく。

 やがてリリィが一通り語り終わると、少女は顎に手をやり、目を伏せて何やら物思いに耽っているようだった。ゆっくりと、少女が目を開く。


「……そりゃアンタの勘違いだ。その帝国ってやつには、まあ心当たりがあるが、俺様は天使なんて胡散臭い代物じゃあないし、悪魔も、勇者も、それこそ魔王なんて見たことも聞いた事も無い」


 それは先程よりも落ち着いた、どこか諭す様な声であった。

 その後も少女はなにやらぶつぶつと独り言を呟いていたが、やがて自身を見つめる視線に気が付くと気まずそうに首を一揉みする。

 その視線の先では、力なく座り込んだままのリリィがその瞳に大粒の涙を浮かべ、少女を見上げていた。ところどころ破け、土まみれになったドレスに涙が流れ落ち、シミを作っていく。

 溜息。


「ったく、これだから女は……」


「そんな、私、天使様ならきっとお父様をお救い下さると……っ!」


 両手で顔を覆い、白い部屋の中にリリィのすすり泣く声が悲しく響く。

 だが、残酷な現実はなお、少女に涙を流す(いとま)すら与えてはくれなかった。


「とりあえず立て。そうやって泣き続けても、俺様は甘やかしたりは――」


 そう言って泣き崩れるリリィに肩を貸そうとした少女であったが、不意に言葉を途切れさせるとリリィの背後にその身体を滑り込ませ、何かを打ち払うように右腕を薙いだ。

 甲高い音が響く。

 その音にはっとし、目を向けたリリィが見た物は、硬質な床に音を立てて転がる短剣の姿。

 何故そんなものが、と彼女は一瞬思考し、すぐさま一つの可能性に気が付くと、いまだ涙に濡れた瞳を部屋の出入り口へと向けた。


「おい、ありゃあお前の友人か何かか?」


 そこには、二人の男が立っていた。

 一人は背が低く、枯れ枝のように痩せた身体つきの不気味な男。全く手入れしていないのだろう。脂ぎった髪は肩にかかりそうなほど伸ばされ、男の目元に影を落としている。

 そしてもう一人は、そんな小男とはまったく対照的だった。

 背は小男よりも頭二つ以上は高く、まるで岩の様な筋肉の上に動物の毛皮で拵えた腰巻だけを巻き付けた大男である。

 茶色の瞳に浅黒い肌、背にはその体格に見合うだけの巨大な斧を背負っており、剥き出しの刃が鈍い光を放っていた。両刃の、リリィの身の丈程はありそうな斧である。

 それを見た途端、少女はすっと目を細め、何かを思案する様子を見せた。


「やっと追いついたぜ、お嬢様ァ。まさか、あんな森の中に遺跡が隠されているとはなァ」


 小男が腰に幾つも差した短剣の一本を引き抜き、手元で弄びながら言った。ぬめりとした粘着質な嫌な声に、リリィはぞっとする。

 次いで小男は彼女の前に立つ少女の爪先から頭までを嘗め回すように見やり、にたりと厭らしい笑みを浮かべた。ここでようやく、大男に注意を向けていた少女がその視線に気付き、露骨に嫌な顔をする。


「しかし俺たちァ運が良い。まだ手付かずの遺跡を見つけたばかりか、こんなご馳走にありつく事が出来るんだからなァ」


「ゼイゼル、気を、つけろ。あの女、普通じゃ、ない」


 舌なめずりする小男を、大男が諫める。

 訛りのあるぎこちないバルラキア語だ。肌の色から、恐らく大男の方は大陸の南に広がるアルセン海にあるアルセン諸島連合から流れてきた傭兵なのだろうと、リリィは当たりを付けた。

 バルラキア王国は諸島連合と盛んに貿易を行っている為、それに伴う人の出入りも激しい。ならず者の一人や二人、やってきても何ら不思議ではないだろう。

 ゼイゼルと呼ばれた男は血走った目で大男を見上げ、その骸のような顔を歪めながら言った。


「テメエの目は節穴かァ、ええ、ベルガラよお。どっからどう見てもただのガキだろうが。たしかにこの辺りじゃ見ない肌の色だし、素っ裸なのも気にはなるが、それだけだ。お前、臆病風にでも吹かれたんじゃねェのか?」


 ぐむ、と大男――ベルガラは言葉を濁らせる。

 ゼイゼルは気が付いていないが、ベルガラはたしかに見たのだ。この醜悪な男が放った短剣を、あの少女が素手で撃ち落としたのを。

 さらにあの短剣には即効性の高い麻痺毒が塗られてあった。あの刃先でほんの少しでも傷つけられれば、すぐさま四肢の動きを奪い、言葉すらまともに発せられなくなるほどのものだ。

 しかし、見たところあの少女が毒に犯された様子はない。

 ベルガラはその事がただただ恐ろしく、えも言われぬ恐怖に汗ばんた手を握りしめた。

 そんな彼の心中など知る由も無く、ゼイゼルはその獣欲に塗れた笑みを顔に張り付けたまま、少女へと一歩、また一歩と近づいていく。

 ちらりと、少女が背後で座り込んだリリィに視線を投げた。


「おいリリィ、リリィ・ヴェル・ファルベルム。テメェが撒いた種だ、テメェで何とかしろ。戦う力はあるんだろう?」


 リリィが腰に差した細剣を見やり、少女は淡々と告げる。


「あ、貴方、どうして私の名前を……」


「そんな事はどうでもいい。問題はテメェがちゃんと、自分のケツを拭けるかどうかって事だ。まあ、テメェがやらなきゃ俺様たちは、二人仲良くあの糞に塗れたような連中に犯され穢され、人以下の犬畜生に成り下がるだけだ。そら決めろ、奴さんはそうのんびりと待ってはくれないぞ」


 歩み寄るゼイゼルに二人の会話は聞こえていない。

 彼の頭の中には、既に二人を制圧した後の光景がありありと浮かんでいた。

 まずは丸腰の少女の自由を麻痺毒を以て奪い、抵抗するリリィを組み敷き犯してやろう。領主の娘、育ちの良い貴族様だ、きっと処女に違いない。さぞ良い声で泣いてくれる事だろう。

 これまでお目にかかった事のない程の美しい少女は、それが終わってからゆっくりと味わえばいい。

 二人が脅威になる事など、これっぽっちも考えていない。

 

「言っておくが、俺様はあてにするなよ。剣を持つものなら、幼気な少女一人ぐらい守ってみせろ」


 腕を組み、堂々とした態度で少女は告げる。

 その赤い瞳には強い意志が、リリィの心を惹きつけ、奮い立たせる不思議な光があった。

 リリィは想像する。最悪の未来を、訪れるかもしれない光景を。

 目の前の少女を、あのような下賤な輩に穢させて良いのか。否、許せるはずもない。

――何の為に、日々剣を振り続けてきた。

 涙を拭い、リリィは立ち上がる。

――弱者を虐げる者、悪から人々を守る為だ。

 腰の剣を引き抜き、少女を庇うように前に出た。背後で少女が不敵に笑う。


「それでいい。仮にも俺様を目覚めさせた女だ、ちょっとは魅せてもらわないとな」


 少女の言葉が、リリィの背中を叩く。右足は少し前に。剣先はまっすぐに近付いてくる男へ。狙いは喉。手の甲が身体の外側に向くよう腕と手首を絞り、柔軟かつ機敏に動き出せるよう全身の力を抜く。毎日欠かさず行ってきた、基本の構えである。

 すぐそこまで近付いていたゼイゼルが顔を顰め、立ち塞がるリリィを馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「おいおいお嬢様、まさかとは思うが、そのお遊びの剣で俺とやろうってのか? 馬鹿な女だ、大人しくしてりゃあ優しくしてやったのによォ」


 そう吐き捨て、ゼイゼルは手にしていた短剣をおもむろに投げ放った。

 腹部目がけ飛来したそれをリリィは身を捻り、躱すと同時に剣先で打ち払う。万が一にも、自身の背後に控えた少女に当たらないようにだ。ふっと息を吐く。淀みの無いその動きを見て少女が口笛を吹き、拍手する。

 呆気なく防御された事が気に食わないのだろう。ゼイゼルが舌打ちし、腰から新しい短剣を取り出した。しかし今回は投擲してくる様子はなく、腰の位置でぶらりと揺らしながらゆっくりとリリィとの距離を縮めていく。

 じわりじわりと近付く両者。先に仕掛けたのはゼイゼル。リリィの間合いに踏み込んだ直後、ぐっと腰を落とし、床に鼻先が掠るかと思われるほどの低い姿勢でリリィへと襲い掛かった。

 これに対し、リリィは後ろに引いていた左足を横へとずらし、それを軸に身体を回転。剣の切っ先をゼイゼルに向けたまま、その側面へと回り込む。自身が遊びの剣と嘲笑ったその剣術に、ゼイゼルは目を剥いた。その喉元目がけ、鋭い二連突きが放たれる。

 しかしゼイゼルもさるもの。不意を打たれる形になったが、寸でのところでこれを回避。リリィの剣先は首と頬の皮を切り裂くだけに終わった。

 リリィが細く息を吐き、ゼイゼルの顔が屈辱に歪む。


「この売女(ばいた)がァ……!」


 予想外の反撃に激昂し、顔を真っ赤にしたゼイゼルが再びリリィへ襲い掛かる。彼からすれば、ご馳走を前に水を差されたような心持ちだろう。獣のように襲い来るゼイゼルの短剣を、舞踏のような軽やかな動きでリリィが捌く。

 一見リリィが圧倒しているように見えるが、二人を眺める少女の表情は険しい。

 それは、二人の間にある圧倒的な経験の差。

 ならず者とはいえ、それなりに修羅場を潜ってきたゼイゼルに対し、リリィは実戦での経験が全くない。さらにゼイゼルの武器には毒が塗ってある。掠る事さえ許されないというその重圧は彼女の精神を瞬く間に消耗させ、体力すら削っている。

 その証拠に彼女の額には玉のような汗が浮かび、初めは穏やかだった呼吸も今は肩で息をするほどだ。こうなってくると考えるのは、早く勝負を決したい。敵に決定的な一撃を浴びせたいという欲。焦り。

 場数を踏んだ者であれば、その甘美な誘惑を経験を積み重ねて強靭となった精神で振り払うのだが、これが初陣である彼女にそれを求めるのはあまりに酷といえるだろう。

 ふっと息を吐き、リリィが踏み込む。彼女が初めて見せる、攻めの動き。

 それを見て少女は目を伏せ、静かに息を吐いた。

 腕を引き絞り、矢のような一撃がゼイゼルに放たれる。


「馬鹿がァ!」


 歯をぎらつかせ、ゼイゼルが嘲笑う。真っ直ぐに伸びたその一撃を蛇のような動きで掻い潜り、ついにリリィの懐へと飛び込んだ。

 短剣が振るわれ、リリィの白い肩から鮮血が舞う。

 勝った。ゼイゼルは確信する。

 麻痺毒は数秒で彼女の身体から自由を奪い、指一本動かせなくするだろう。慣れない剣術のせいで多少手こずりはしたが、だが、これまで――

 不意に、勝利の余韻に浸っていたゼイゼルの思考が途切れた。

 自身の胸部を襲う、猛烈な痛み。見れば、そこには銀の細剣が深々と突き刺さっていた。

 何故。

 ゼイゼルは血が溢れる傷口を抑え、口から血の泡を吹きながら悟る。

 あれは、あの大振りは決着を焦っての行動ではない。初めから、この女はこれを狙っていたのだと。


「この、くそ、がァ……ッ!」


 どうと倒れ伏すゼイゼル。やがて彼が動かなくなるのを見届けると、リリィはその傍に膝をつき、彼の上着に手を伸ばす。

 もはや感覚が無くなった指先でなんとか取り出したのは、一本の小さな瓶。それは、解毒剤であった。毒を扱う者ならば、誤って自身がその毒に犯された際に使う為の解毒剤を持っている筈。

 危険な賭けではあったが、リリィは己の推測が間違っていなかったことに安堵し、小瓶の栓を抜くとその中身を確かめそれを呷る。

 しかしゼイゼルに勝利し安堵したのも束の間、いまだ身体の自由が利かないリリィを覆う影があった。ゼイゼルの後ろに控えていた大男、ベルガラである。彼はゼイゼルが倒されるなり静かに背負った大斧を握り、リリィの背後に忍び寄っていたのだ。

 その身の丈ほどはある巨大な斧が、へたり込むリリィめがけ振り下ろされる。今の彼女に、この一撃を躱す術はない。

 やられる――!

 リリィは自身の死を覚悟し、固く目を瞑る。

 しかし、振り下ろされたはずの斧は、どれだけ経とうとも彼女の頭蓋を砕く事はなかった。

 

「おいおい、一戦ヤったばっかりの女にがっつくんじゃねぇよ」


 少女の凛とした声が響く。

 恐る恐る目を開いたリリィが見たものは、自身の身体よりも大きな斧を、片手で易々と受け止める少女の姿であった。

 

「化け、物め……!」

 

 ベルガラが斧を握る手に力を籠めるも、何の冗談か斧は微動だにしない。まるでそこに縛り付けられているかのような、万力のような凄まじい力で刃を掴まれている。

 額に汗を浮かべるベルガラを見上げ、少女は不敵に嗤う。


「光栄に思え、テメェはこの俺様直々に相手をしてやる。この、レイリア様がな」


 鈍い光を放つ巨大な白刃に、少女――レイリアの小さな指先が食い込んだ。

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