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毒花は嗤う

お待たせしました。


 暗がりの中、むせ返る様な甘い匂いが満ちる。

 それはまるで心の底、人が秘める獣性を呼び覚ますような、脳髄が痺れ、心を爛れさせる魔性の香り。

 そんな香が揺蕩う部屋の中、蝋燭の火が揺れ浮かび上がる帳の向こうからしとりと濡れた、熱っぽい女の声が滲むように漏れ出ていた。

 何かが軋む音がし、しばらくしてから一人の少女が帳の奥から現れる。

 まるで絵画から抜け出たような、誰もが息を漏らすであろうその裸体を惜しげもなく晒しながら少女は柔らかな寝椅子に腰を下ろすと、用意されていたパイプに火をつけ、細く息を吐き出した。


「で、どうだった?」


 ゆらりと立ち昇り、踊るように天井へと向かう紫煙をぼんやりと紅い瞳で追いながら、少女は帳の向こうへと問いかけた。

 布擦れの音がして、帳の奥で人影が揺れる。

 現れたのは、一人の女だった。ただの女ではない。まるで熟れた果実のようでいて、冬の夜空に輝く満月のような、そんな女である。

 頬を沿い、胸元へと流れ落ちる赤い髪。少女の頭より大きく実った二つの果実はあまりにも暴力的で、くびれた腰と程よい肉付きの尻は男ならば誰もが齧りつきたくような、そんな悪魔のような魔性を秘めていた。

 女はそんな魅力的な身体をくねらせながら少女へ近づくと、徐にその正面へと腰を下ろした。

 足を開き、少女の太腿の上に乗っかる様な格好である。

 甘い香りを散らしながら長い赤髪が流れ落ち、少女の股座を這いまわった。


「もう仕事の話? 夜はまだまだ長いのだし、もう少し楽しみましょう?」


 女が少女の首に腕を回し、妖しく微笑む。部屋中に充満する香りがよりその密度を増し、二人はまるで濃霧の中にいるようだった。

 

「盛ってんじゃネェよ女狐。こっちは忙しいんだちゃっちゃと話せ」


 少女の脚が跳ね上がる。

その細足のどこにそんな力があるのか、それだけで身体ごと持ち上げられた女は股座に走る快感に思わず甘い声を漏らした。


「イイ思いしたいなら上手に尻尾振ってみろ。そしたら少しは可愛がってやる」


「あン、蛇の生殺しなんて酷いわ。はい、これ。お望みのものがあるといいけど」


 そう言って、女は少女の唇に舌を這わせる。

 じらすように、蛇のように這いまわる女の舌に、少女の小さな舌が絡みついた。

 水音と、女の息遣いが室内に響く。

 やがて二人の唇が離れると、少女は何か考えるように顎に指を添え、その整った眉を歪めた。


「よそ者の客が増えてる、ねえ。この感じは傭兵だな。傭兵団か、それともお尋ね者(ログデナシ)の集まりか、まあ少しばかり探ってみるか」


 唇を舐めながら少女は歪な笑みを浮かべると、女の溢れんばかりに実った果実を鷲掴み、小さな唇でその先端に吸い付いた。

 女が身じろぎし、甘い声を漏らす。

 女と少女の香りが混ざり合う。

淫楽の夜はまだまだ長く、窓の外では愚者たちを嘲笑う様に歪んだ月が、静かに妖しく輝いていた――





――朝、聖アウレア学園、リリィ・ヴェル・ファルベルム私室


「貴女は、またそんな恰好で潜り込んで……!」


 爽やかな朝日がカーテンの隙間から差し込み、小鳥たちの囀りが優しく生徒たちを起こしていく穏やかな時間。そんな中にあって、リリィは度重なる災難に業を煮やしていた。

 仁王立ちし、顔を真っ赤にする彼女の前には一人の少女。

 未熟ながらも美しい、背徳的な魅力を秘めた裸体を隠そうともせず胸を張って伸びをするレイリアに、リリィの我慢は限界だった。


「夜な夜などこかに姿をくらませては、当たり前のように人のベッドに潜り込んで! 前々から言わなければならないと思ってはいましたが、貴女はもう少し淑女の慎みというものを覚えて下さい」


「朝から元気だなァお前は。だいたい、自分だって何だかんだ楽しんでる癖によく言うぜ」


 溜息混じりにレイリアがひらりと手を振れば、小さな光の粒子がその華奢な身体に集まり服の形を成していく。

 そうして徐々に色付いていけば、光が収まった頃にはもうすっかり見慣れた、いつもの服装をしたレイリアが立っていた。

 胸を最低限の部分だけ覆う帯のような胸巻きに、鼠径部を沿う様な黒い下着。

 一応、綿製の生地が厚いズボンを履いてはいるが、それ自体もかなり丈が短く、太腿や腹部をかなりさらけ出した意匠となっている。

 普段はこの上から黒い外瘻を被っている為、下から覗き込んだり捲りあがらない限り見えることはないが、普段からこの格好のことを知っているリリィからすればいつ彼女のこの痴態が衆目に晒されるのかと内心穏やかではなかった。

 正直、街の情婦の方がまだマシ、とはベルガラの弁。


「オレ様を抱き枕代わりにして涎を垂らしてるようなヤツに、淑女のなんたるかを説かれてもねえ」


「なっ、涎なんて垂らしてません!」


 無意識ではあったが、抱き枕の件は否定しないリリィである。

 やがて部屋のドアが控えめにノックされ、何やら言いたげなベルガラが顔を覗かせた辺りでリリィの癇癪はひと段落を経て、彼女はようやく着替え始めた。

 とはいえ、本日向かうのは教室や訓練場ではなく、学園の外。

 とある事情により準備期間とされた今日は学業も休み、リアディエルの城下町にてちょっとした買い出しを行う予定となっていた。

 

「しっかし、貴族のボンボン共を引き連れて野外訓練とは、大司教の爺も酔狂なもんだな」


「……貴女、本当にローズの一件から反省していないわね」


 口は禍の元。

 リリィはそんな言葉を羊皮紙に書き連ねて、彼女の生意気な口に捻じ込んでやりたくなった。

 身支度が整った二人はもうすっかり部屋の番人が板についてきたベルガラと合流し、リアディエルの街中を歩く。

 勿論、レイリアは仮面をかぶり、あの露出狂染みた格好も外套ですっぽりと覆い隠している。

 が、そもそもリリィ自身が人目を引く容姿をしている為、どうやっても目立つ。

 それが仮面に外套の不審者と筋骨隆々の大男を引き連れているのだから、これで悪目立ちしない訳がなかった。

 とはいえ護衛である以上傍に置かない訳にもいかず、リリィは自ら買い出しに出たことを早速後悔していた。

 あの高慢ちきなレイリアはともかく、何だかんだ従順なベルガラであれば、言いつければ野外訓練に必要なものぐらいは一通り買い揃えてくれただろうに、と。

 そうして三人がやってきたのは、とある一件の武具屋だった。

 大通りに店を構えた立派な入口の上には、これまた立派な“ブリギッド武具店”の看板。

 どうやら鍛冶場も備えているようで、店の奥からは鉄を打つ景気の良い音が響いている。

 

「いらっしゃい、ブリギッド武具店へようこそ。おっとこれはこれはリリィお嬢様、よくぞおいで下さいました」


 三人が店に入ると、でっぷりと体格の良い男が両手を広げて歓迎してくれた。

 背丈はベルガラと同じぐらいだろうか。針金のような髪を頭のてっぺんで乱暴に結い、顎髭をたっぷりと貯えた熊のような大男である。

 

「お久しぶりです、ブリギッドさん。しばらく顔も出せていなくて、ごめんなさい」


「いや、いや、聖アウレア学園に無事ご入学されたとは聞かされておりましたから、ええ、ご無事であれば何よりでございますとも」


 男はそう言うとリリィの手を優しく握り、朗らかな笑みを浮かべた。

 さて、二人が挨拶を済ませている間、じっとしていられない者が一人だけあった。

 言わずもがな、レイリアである。

 彼女は店内に飾られた武具を興味深そうに眺めて回り、おもむろに手にとっては何やら感心したような声を漏らしていた。

 ちなみに飾られている商品を手に取る場合、普通は店主ないし店員に許可を取るものなのだが、まさか彼女に限ってそのような気配りなどする筈もなく、これに気付いたリリィは慌てて彼女の手から剣を取り上げ、店主はまるで他人事のように大笑いするのだった。


「貴女はまた勝手なことをして! ご、ごめんなさいウェスタさん。この子は私の護衛をしてもらっているレイリアという者で、こう見えても武具の扱いには慣れているのでその、決して商品を粗末に扱うことはないので……」


 レイリアを抱き上げ、顔を青くして弁解するリリィに対し、ウェスタはその豊かな顎髭を揺らしながら笑い、捕まった猫のようになった少女に穏やかな視線を向けた。


「いえいえ、彼女の立ち振る舞いを一目見た時から、只者ではないだろうとは察しておりましたよ。いやはや、何とも、幼げな少女のようで、まるで幾度も死線を潜り抜けた歴戦の強者のような覇気をお持ちでらっしゃる」


 レイリアが身を捩り、リリィの腕から逃れる。

 手にしていたのは一振りの剣。

 装飾も無く、いたって簡素な拵えのその一振りは一見すればどこにでもある、ありふれたものに見える。

勿論、ブリギッド武具店はここリアディエルでも屈指の名店であり、その質はリリィの父、東方の獅子グラスも贔屓にするほどのものであるで、数打ちの一本を取っても他の店とは比べ物にならない素晴らしいものではあるのだが、レイリアの正体を知るリリィからすれば、彼女の興味を引く程の逸品とはとても思えないのだ。


「これは店主、アンタが打ったやつか」


他の剣と違いなどないようなそれを構え、店内の照明で照らしながらレイリアは目を細める。その様子を見て、店主の顔にどこか満足そうな色が浮かんだ。


「いかにも」


「他のは全部弟子か? 鋳造じゃあなさそうだが……アンタ、東方の出身なのか?」


「ほほっ、そこまで見抜かれましたか。実は修業時代に少し、東方の技術に触れる機会がありましてな」


「なるほどね。しかしアンタ、そのナリでなかなか面白い性格してるな。こんな真似、大金をドブに捨てるようなもんだぞ」


「いえいえ、実は私自身既に現役を退いておりまして。しかし長年鍛冶場に立っていたせいですかな、たまにどうしようもなく剣を打ちたくなる時があるのです。それはそんな時、いわば暇潰しの為に鍛えたうちの一本。手慰みに打った一本故、値を付けるには足らず、しかし鍛えた剣を腐らせるのは鍛冶師の矜持が許さず、ならばその真価が見抜ける御方に使って頂ければと、数打ちの中に紛れさせたものなのでございます」


「酔狂だな。まあ、コイツが紛れ込んでて気が付かん馬鹿は上客にはならんだろうしな。ちと勿体ない気もするが、試金石とするにはこれ以上はない」


よほど気に入ったのだろう。剣を吟味するレイリアは仮面を被っていてもわかるほど上機嫌であり、指先に剣の腹を乗せて重心を確かめたり、握りを確認して剣を構えたりするその姿は正に、幾多の戦場を駆けてきた戦士のそれであった。


「それに腕もいい。十分だ。とりあえずこれとこれ、あとこれな」


そうして一通り商品を確かめると、レイリアは特に気に入ったらしい物を何本か棚の上に並べていく。


「あの、レイリア。それはまさか、私たちが扱う品を選んでくれているの?」


彼女が並べていったそれらは短剣や細剣、肉厚な大剣ばかり。

 本人曰く剣であろうが槍であろうが、あらゆる武器を使い熟しているそうだが、これは明らかにリリィやベルガラが得意とする種類のものである。

 故に、その偏りに疑問を頂いたリリィは口を挟んだのだが、帰ってきたのは尾を引くような、正しく呆れかえったような長い溜息であった。


「お前な、オレ様がどんな得物を使ってるか知ってるだろ。お前らはオレ様と違って弱っちいんだから、身を守る道具ぐらいはちゃんと選べ」


 歯に衣着せぬ物言いではあるが、悔しいことに彼女が選んだそれらは非常にリリィたちの手に馴染んだ。軽く振ってもブレることなく、まるで手に吸い付くような、自分に寄り添う様な安定感があり、ベルガラも驚きに目を丸くしている。


「殺し合いにおいて最も肝心なのがそいつの力量なのは疑いようもないが、その力の差を埋めるのが道具だ。できれば槍の扱いに慣れといた方が色々と楽だが、あの牛乳の嬢ちゃんと違って、アンタの気質とは合わなさそうだしな」


 傲慢だが、理には(かな)っている。

 何やら腑に落ちないものを感じながらも、リリィは彼女が選別した武器を購入し、これまで扱ってきたものは万が一の時の予備として置いておくことになった。

 

「力任せに相手を叩き潰すことがテメエの得意分野だが、今までの得物じゃあ護衛って面では不向きだ。コイツならいざって時に幅広の腹を盾代わりに使える。あとは狭い所でも立ち回れるよう、コッチの練習もやっとけ」


 ベルガラには身の丈程ある両手剣と、片手で扱えるような剣を一振り。

 彼自身は正直、レイリアがいれば自分が前に出ることはそうないだろうと思っていたのだが、彼女はかなり気分屋であるし、いざという時に興が乗らないという理由だけで自分が戦わされるかもしれないと、ありがたく受け取ることにした。

 そうして武器の他にも胸当てなどの防具や薬を買い集めたリリィたちであるが、実のところ野外訓練に必要な物というのはそう多くはない。

 何故なら野営に必要な道具は全て学園側から支給されるし、本来であれば今回リリィたちが用意した薬などもそこに含まれている。

 そもそも、武具に関しても通常は学園が指定、配給した物を使用するべきなのだが、一部の生徒は例外的に武器の持ち込みが許可されていた。

 ちなみに先程話題に上がったローズも本来得意とする武器は槍なのだが、彼女が扱うそれはかなり大型の、重装騎兵用の突撃槍であるので、学園内での通行の妨げになるという至極まっとうな理由から持ち込めないでいる。

 と、そこまで考えてリリィはふと首を傾げた。


「貴女、ローズの得意な武器が槍だと、どうしてわかったの?」


 記憶が正しければ、彼女が槍を扱うことはリリィも話していないし、学園にも持ち込んでいないのでそれを振るっている場面を見ている筈もない。

 現に、彼女がレイリアに決闘を申し込んだ時は両者ともに剣、学園から支給されたそれを扱っていた。


「馬鹿かお前、そんなの見りゃわかるだろう」


 まるで当たり前のことを聞いたかのように、レイリアは息を吐いた。


「足運び、肉の付き方、武器の握り、重心の置き方、この辺りを見りゃあアイツが普段剣を振ってないことぐらいわかる。恐らくはそれなりに重量がある武器。そんでアイツの父親、西方の鷹だったか、そいつは重装騎兵の出で槍の名手だって聞いたぞ。なら、あの牛乳が槍を教わっていても不思議じゃない」


「な、なるほど……」


 リリィは生粋の戦士ではない。どちらかと言えば、父からは為政者としての教育を受けていた。

 父への憧れから、無理を言って戦術や剣術も教わっていたがそれはあくまで二の次、本職の者には敵わない。

 だから彼女にはレイリアの言うことが本当なのかどうか判断することはできないが、熟達した戦士であればそういったこともあるのだろうと自分を納得させる。

 だが、そんな考え事をしていたのがいけなかったのだろう。彼女は曲がり角から現れた何者かの影に気付くことができなかった。


「きゃっ」


「あら、ごめんなさいね」


 ぼんやりとしていたリリィがぶつかったのは、背の高い一人の女性。

 すらりと伸びた白い脚、リリィのそれを超える豊満な胸、綺麗な赤い髪。

 それは同性のリリィであっても見惚れてしまう様な、美しい女性だった。


「こ、こちらこそ申し訳ございません。少し考え事をしていたもので……」


「ふふっ。気を付けてね、可愛らしいお嬢さん。最近は怖ぁい狼さんの群れが近くで見つかったそうだし、貴女みたいな美味しそうな子羊ちゃん、あっと言う間に連れていかれてしまうわよ」


 リリィの頬を細い指が撫で、甘い、痺れるような魔性を秘めた瞳がその心を覗き込む。

 それはまるで、甘い香りを漂わせ虫を誘う花のようで。

 ふわりと、身体の芯を愛撫するような香りが胸いっぱいに――

 

「おい」


 かけられた声に、リリィははっとする。


「なに呆けてやがる。さっさと帰るぞ」


「え、ええ、ごめんなさい」


 周囲を見回すも、先程の女性はもう影も形もない。

 まるで幻、白昼夢でも見たようなふわふわとした心地のまま、リリィは爪先で石畳を叩き、その不機嫌さを隠そうともしないレイリアの元へと急ぐ。


「チッ、余計なことしやがって。クソが」


「そこまで言わなくてもいいじゃない……」


「テメェに言ったんじゃねえよ」


 妙に機嫌の悪いレイリアに怪訝な顔をしながら、リリィたちは帰路につく。

 その背後、陰鬱とした路地の影で美しい毒花が微笑んでいることに気付いたのは、烏の仮面を被る少女ただ一人であった。


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