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高嶺の花

結構ガッツリ目の百合表現があります。

苦手な方はブラウザバックをお勧めします。


 騒動があった日の夜。 

 あれからまたひと悶着があったりと騒がしかったものの、それも生徒たちが夕食を済ませ自室に戻る頃にはもう随分と鳴りを潜め、以前までの穏やかなものへと戻りつつあった。

 そして件の騒動の主といえば、リリィの自室にて部屋の主そっちのけでベッドに腰かけ、意外にも大人しく読み物に耽っていた。

 朝の時とは一変、驚くほど静かな室内にレイリアが項を捲る音と、リリィが授業の予習の為に紙へとペンを走らせる音だけが響く。

 ちなみにベルガラは街の酒場へと出掛けた為に不在である。リリィは護衛の仕事をほっぽりだして酒を飲むなんてと非難したが、彼の事情を知っているレイリアからすれば今日も今日とてご苦労なことだと嘆息するぐらいである。

 

「どうして、あんなことをしたの?」


 そんな、不思議と心地よい静寂を破ったのはリリィだった。

 今朝のあの一件から、彼女の中ではなんとも消化しきれない悶々とした何かが淀みのように胸の底に沈み込んでいた。

 何故、彼女は自分の顔をああまで醜く見せたのか。

 あれが本当の顔な筈がないのはわかる。現に、今もふてぶてしくベッドに寝転がる彼女の顔にはあの見慣れた、女神が創りたもうた美貌が張り付ていいる。

だが、あの自尊心の塊のような彼女がわざわざ自分の面貌をあそこまで歪める理由がわからなかった。

それに、それだけの為にわざわざローズを煽ったとも思えない。

 ローズはああ見えて素直で優しい娘なので、仮面で顔を隠している理由を概ね察して矛を収めてくれたが、あのまま決闘となればまた展開は違っただろう。 

 

「ああ? あんなことってどんなことだよ」


「今朝のことよ。どうしてあんな嘘を……」


「ああ、そんなことか」


 小さく溜息を吐いた後、レイリアは読んでいた詩集を手放して、(おもむろ)にベッドの上に立ち上がった。銀色の髪が舞い、褐色の肌が透けるほど薄い肌着(ネグリジェ)の裾が揺れる。

 彼女はリリィに向き直ると、己の薄い胸に手を当てながら言った。


「どうだ?」


 誇らしげな笑みを浮かべ、胸を張ってそう問いかける美少女(レイリア)

 何が、と、ついそう口に出そうになるのをリリィは寸でのところで堪え、しかしその質問の意味がわからずとりあえず神妙な顔をして彼女の紅い瞳を見つめることしかできなかった。

 溜息。


「美しいだろう。オレ様は」


「……は?」


 今度は我慢できなかった。

 口を突いて出たとはこういうことを言うのだろう。

 確かに、彼女は美しい。それはあの遺跡で初めて出会った時のように、目を奪われる程の美しさである。完成された美と言っても過言ではないと、リリィは思っている。

 宝石のような瞳も、流れるような銀の髪も、瑞々しい肌も、程よく肉の付いた脚も、幼さと妖しさが同居するその立ち振る舞いも含め、爪の先に至るまで目を見張るほど美しいとは思う。

 だが、それをあえて口にする気はさらさらなかった。

 何というか、妙に腹が立つ。

 それを言葉にすれば彼女はますます調子に乗るだろうことは、火を見るよりも明らかだった。それはとても、とても面倒くさい。

 故に、リリィは絶対に彼女の言葉を肯定することはない。

 ただ、正気かこいつ、という訝し気な視線を送るのみである。

 だがしかし、その程度のささやかな抵抗で調子を落とす程レイリアという少女は淑やかではなかった。


「そう、オレ様は美しい。どこぞの下手糞が拵えた天使像なんて、この可憐さ、この美貌を目にすれば道端の石ころに等しい」


 身振り手振りで、まるで役者のように舞う彼女は正しく天使のようであった。

 その台詞さえ聞かなければ。


「そんな美しいオレ様の姿をそのまま直視したとあっては、そいつは今後ありとあらゆるものが色褪せて見えてしまうことだろう。嗚呼、周囲の(いろどり)を守る為にあえて泥を被らなければならないなんて、オレ様ってなんて可哀そうな女」


 手で顔を覆い隠しすすり泣く仕草をするレイリアであるが、隠しきれていない口元の笑みを見てリリィは頭を抱えた。


「つまり、正体を隠す為に顔を変えたのね。でもそれって、仮面だけじゃ駄目だったの?」


「甘ちゃんだな。ただ顔を隠すにしても理由が必要だ。それも連中が納得しやすい上等なやつがな」


 ひらりとベッドから舞い降りたレイリアがその瞳をなぞるように手を振ると、そこから染み出すように変化が現れた。じくじくと、腐った果実のように彼女の美しい(かんばせ)が醜く変わっていく。


「辛い過去を仮面の下に隠し、気丈に振る舞う少女。いかにも貴族のボンボン共が好きそうな、同情を誘うにはうってつけの理由だろう?」


 さっと指先で触れれば、あっと言う間に元通り。傷どころかシミ一つない綺麗な肌だ。

 確かに、レイリアの言う通りその効果は絶大だった。

 同情からこちらを気遣ったり、何かと世話を焼こうとする生徒こそいるものの、その反面彼女の歯に衣着せぬ物言いや乱暴な態度からは考えられない程、その悪評は少ない。

 彼女自身小柄で、幼い外見をしていることも要因の一つではあるのだろう。

 ローズなんかは特にその反応が顕著で、白手袋を投げつけるほど激昂していたにも関わらず午後には傷口に良く効くという軟膏まで用意してくるぐらいだった。

 ローズ自身、年の離れた弟がいるので色々と思うところもあったのだろうけれど、今回はそんな彼女の高潔さとはまた別の力が働いているのではないかと、リリィは直感的にそう察していた。

 

「それだけで、ローズとの決闘を受けるつもりだったと?」


「まあな、頃合いを見計らってアイツの剣先で仮面を外させるつもりだった。そうなればあの糞真面目そうなお嬢様のことだ、少女の傷跡(トラウマ)を抉ってしまったという良心の呵責を利用して、もっと強く味方(こっち)側に縛り付けるつもりだった」


 実際はもっと手軽で扱いやすい位置に収まったが、とレイリアは戸棚から酒瓶を取り出して一息に煽った。


「でも、貴方はそれでよかったの?」


「あん?」


「ほら、そのせいで貴女は、その」


「醜女だと思われるか?」


 酒で湿った唇から熱っぽい息を吐きながら、レイリアは薄く笑う。

 そうして反応に困り、視線を逸らしたリリィの傍に静かに歩み寄ると、椅子に座ったままの彼女の首に腕を回し、正面から抱き着くようにその膝の上に尻を下ろした。

 甘い香りがリリィの鼻先をくすぐる。

 吸い込まれるような瞳が、リリィの心を覗き込むようにまっすぐに彼女を見据えていた。

 かあっと、リリィの頬が朱に染まる。


「安心しろ。その程度で高嶺の花が色褪せることはない。本当の高嶺の花ってのはな、その高嶺に至った者でしか、その姿を見ることもできない花のことを言うのさ。尤も、例外中の例外はあるがな」


 レイリアのしなやかな指先が、リリィの頬を撫でる。

 優しく、慈しむような指先は彼女の唇をなぞり、喉を這い、その豊かな双丘へと落ちていく。

 互いの吐息が混じり合う様な距離。

 すぐそこに、少し身体を傾ければ触れ合ってしまう様な、文字通り目の前にあるその唇に、リリィの目は釘付けになる。

 思い出すのはあの、彼女たちが出会ったあの日。

 目が覚めた彼女と交わした、あの熱い唇の感触。

 心臓が裂けてしまいそうなほど脈打ち、胸が高鳴る。とうとうリリィは耐えられず、ぎゅっと目を閉じる。

 だが彼女が恐れていた、あるいは期待していた感触はいつまで経ってもやってこず、恐る恐る開いたそこにあったのは、勝ち誇ったように自信に溢れた、溢れまくった笑みを浮かべたレイリアの姿だった。


「呵々。高嶺の花を拝むには、お前はちょっと初心過ぎる。この程度でのぼせ上がるようじゃ、花を愛でるにはまだまだだな」


 するりと、彼女の体温が離れる。

 その背中に向け、引き留めるように伸ばした指は空しく空を切った。

 まるで生殺しのような、怒りやら恥ずかしさやらがごった煮になった複雑な胸中のリリィをしり目に、彼女はまた詩集を手にベッドへと戻っていく。

 残ったのは彼女の残り香と、殆ど空になった酒瓶がひとつ。


「まあ、この美しさを傍に置けるだけ、お前は役得ってこった。精々オレ様に相応しい女になれるよう努力――」


 椅子が倒れる。

 ひらりひらりと、羽虫を追い払うように揺れるその手を、その手首を白い指が掴んだ。

 歴戦のレイリアといえども、流石に予想だにしていない背後からの奇襲。それほど信頼されているのか、あるいは万が一もない程に、本当に羽虫程度の警戒しかされていなかったのか。

 ともかく、明星のレイリアに至近距離からの奇襲を成功させ、ベッドに押し倒すという歴史的快挙を成し遂げた少女は、自身の下で反抗的な目を向ける美しい花に怒り狂っていた。

 

「お前、何したっ――」


 故に、その人を食ったような口を、まず塞いだ。


「ふっ、まっ、待てっ、むっ――!」


 甘いなんて、とても言えない。罰するような、貪るように暴力的な口づけ。

 それは歯がぶつかり、唇を切るほどのものだったが、その程度は意に介することもなく、彼女は己の内なる獣が囁くままにその欲を満たそうとしていた。

 赤い糸が引かれ、唇が離れる。


「おいこら、いい加減調子になるな、よ……?」


 やがてその指が胸元を這い、肌着の下に潜り込もうとした時点でとうとう実力行使に打って出ようとしたレイリアであったが、ふと己に跨る少女の顔を見て何かを察する。

 ぐるぐる。ぐるぐる。

 そんな擬音が聞こえてきそうな程、彼女はすっかり目を回してしまっていた。


「……きゅう」


 そして右に、左に。まるで時計の振り子のように頭を揺らしたかと思えば、そのままベッドに身を投げ、気を失ってしまったリリィにレイリアは特大のため息を吐く。

 その傍には、ほんの少し残っていたのだろう、赤い雫でベッドを濡らす酒瓶が転がっていた。


「こんの、ボケナス……」


 二度と彼女の手が届く場所に酒は置くまいと、レイリアは心の奥底からそう決心するのだった。


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