仮面の理由
長らく更新できてませんでしたが、ぽつりぽつりと続けていこうと思います。
大変お待たせしてしまうでしょうが、気を長くしてお付き合い頂ければ幸いです。
聖アウレア学園はどちらかといえば勉学を重んじる気風のある場所であるが、それは学園のトップがかの大司教マーレイ・アルスであり、教師、生徒が彼の影響を過分に受けた結果そうなった、そう捉えられるようになったというだけで、士官学校である限り当然ながら武術についても学び、修めることになる。
食堂での一件の後、レイリアたちが訪れた場所も、そういった訓練を行う為の場所であった。
広い、縦長の空間である。長年生徒たちに踏み均された足場は芝が捲れ茶色い土が露わになっており、壁際には使い古されささくれ立った訓練用の木偶が等間隔に並べられている。
騒ぎを聞きつけた生徒たちがぐるりと囲む中、その中心に件の二人は立っていた。
一人は、美しい金髪を靡かせ、猛禽類のような瞳に強い意志を滾らせる少女、ローズ。
彼女は腰に佩いた細身の剣をすらりと抜き放ち、対面するもう一人の少女へとその切っ先を突き付ける。
「この決闘、わたくしが勝利した暁には先程までの無礼、侮辱に対しての誠意ある謝罪を求めますわ」
鋭く光るその切っ先の先には、ローズよりも一回りは小柄な少女、レイリアが不遜な態度を崩そうともせず、口元に軽薄な笑みを張り付けたまま立っていた。
手にはローズのものと同様の剣が一振り。しかし小柄な彼女が持てば、それも随分と大きく見える。
「ああ、いいぜ。謝罪でもなんでも、やってやるよ。だが、そうだな、じゃあ俺が勝ったら――」
「待ちなさい!」
口元の笑みをさらに歪に歪めるレイリアに待ったをかけたのは、二人を追って訓練場にやってきていたリリィであった。
「こんな決闘、断じて許さないわよ!」
彼女は対峙する二人の間に割り込むと、噛みつかんばかりの勢いでレイリアの肩を力強く掴み、睨みつけた。
曰く、この決闘騒ぎはレイリアの著しく礼節に欠いた言動が原因であり、彼女がローズに対し素直に謝罪すれば丸く収まるところを、決闘などという乱暴な手段にまで頼る必要はないと。
又、レイリアはファルブルム家に雇われた傭兵であり、彼女たちの言動によっては、雇い主であるファルブルム家の品格が問われることにもなり得る。つまり、少しは雇い主の顔を立てろと、その顔に泥を塗るなと、そういうこと話であった。
「ハッ、全く貴族ってのは面倒なことだな。だが、まあ、ここでお前に噛みついて、オレ様の飼い主が手綱も握れない惰弱と侮られるのも癪に障る。ここはお前の顔を立ててやろうじゃないか、ええ?」
この言葉に、リリィは深く安堵し息を吐いた。それは家名に傷が付くのを避けることが出来た、というのもあるが、何よりも友を守ることができたことが何よりも大きかった。
レイリアの強さ、異質さ、異常さは彼女が良く理解している。
普段は傲慢で傍若無人が目立つ彼女であるが、その正体は人々の千年間も語り継がれ、天使として崇められている伝説的な存在だ。文字通り格が違う。
さらに言えば、彼女のその一見すれば小さく華奢に見える身体に尋常ならざる力が秘められていることも実際に目にし、それがどれほど恐ろしいものかも理解している。
だからこそ、リリィはその力が幼馴染に、心を許した友に向くことを恐れた。
何もローズが頼りないだとか、その実力を疑っているわけではない。彼女とてリリィの父、《西方の獅子》と並び立つ《東方の鷲》の娘。その強さは、実際に剣を交わしてわかっている。
しかし今回ばかりは相手が悪い。
どれほど剣の腕が立とうとも、人は吹き荒ぶ嵐には勝てない。
あれは、レイリアとはそういう存在なのだ。
「しかし、まあ」
だが、ようやく騒ぎも収まるかとリリィが胸を撫で下ろした直後、その騒ぎの大本たるレイリアは意味ありげにそう短く零すと、いまだ剣を抜いたまま不満げに構えるローズに向き合い、不敵な笑みを浮かべた。
「朝っぱらから決闘だのなんだの言い出した手前、お前さんもこれでは収まりがつかないだろう。幸いここは人の目も耳も多いし、オレ様としても都合がいい」
そうして、彼女は徐にその顔に張り付けた仮面へ指を這わせる。
何をしようとしているのか、それを察したリリィがあっと声を上げる。それもその筈、彼女の素顔は、その仮面の下に隠されているものはともすれば彼女が秘める武力よりもよほど暴力的だ。伝説にまで謳われるその美貌は、男子はおろか女子の魂まで虜にするだろう。
よもや、瓜二つというだけで誰も伝説にある明星の天使と同一人物とは思わないだろうが、学園全体を巻き込む大騒動になるのは目に見えていた。
だからこそ、彼女は誰よりも早くレイリアの行動を察知し、それを阻止せんと駆けだしたのだが、無常にも烏の仮面はその手が届くより早く外され、露わになったその素顔に周囲の生徒たちは息を呑んだ。
――皆一様に、青褪めた顔をして。
「あ、貴女、その顔……」
「違うのローズ、彼女は……えっ?」
両者とも、声を失う。
ローズに至っては先程まで真っ赤になっていた顔から血の気が失せ、握った剣を取り落としその手で口元を覆う程。
訓練場に風が吹き、レイリアの銀の前髪を巻き上げる。
そこにあったのは傾国の美貌などではなく、目を覆いたくなるような凄惨なもの。
焼け爛れた皮膚。歪に変形した瞼。無数に走る傷跡。
それはまるで焼けた鉄を何度も何度も押し当てたような、あるいは入念に入念に殴打を続けたような、人のものとは思えぬ醜悪な面貌であった。
「昔、色々とあってね。流れ流れてコイツの親父殿に拾われ、傭兵の真似事をやっている」
外した仮面を元に戻しつつ、いつもの軽薄な笑みを浮かべる少女に周囲は何も言えず立ち竦む。傲慢極まりないその笑みも、あの貌を見た後ではどこか自傷染みたものを感じさせた。
尤も、青い顔をした者たちの中でも唯一、リリィだけはその意味合いが異なる。
彼女は、レイリアの素顔を知っている。それは勿論、今の醜いそれではなく、伝説にある通りの尋常ならざるその美しい顔立ちを、彼女は知っている。
「オレ様も昔はよく言ったもんだ、女神様、女神様と。それこそ血反吐を吐きながら何度も何度も」
あまりに衝撃的な出来事に、いまだ口元が震えるローズに冷ややかな視線を送りながら、レイリアが吐き捨てるように語りだす。
「だが救ってくれなかった。誰も、誰も彼もが目を伏せ、耳を塞ぎ、オレ様を道端に転がる犬の糞のように扱った」
風の音すら無くなった訓練場に、陰鬱な声だけが響く。
「テメェら貴族は、いつもそうだ。女神女神と囀り、虫も殺さないような顔をして、己が泥を被らないように、己の身が汚れないようにと、綺麗な場所から見下ろしてわかったような顔をする」
違う。これは違う。
如何にも内に秘めていた陰を吐き出している風なレイリアの姿に、リリィの心中は混乱を極めていた。
彼女が、レイリアが目覚めてからまだひと月も経っていない。それまでは千年もの間、たったの一度も目覚めたことはなかったと以前本人が語っていたのを覚えている。
そんな彼女に、貴族との蟠りなどあろう筈がない。
その、父に拾われたというところから、まず事実無根だ。
結果的にファルブルム家で世話をすることになったものの、まずその出会いからして偶然の産物であった。
一から十まで全て嘘で塗り固めた言。しかしそこに僅かに潜む、たしかにある陰はなんだ。
しかし、リリィにとって最も意外だったのは、どうやったのかは定かではないが、レイリアが自分の美貌を歪めてまで、その嘘に信憑性を持たせたことだった。
彼女は気位が高い。それは普段の言動からも十二分に察することが出来るが、それに相応しい美貌、実力がある為余計に質が悪い。
それは彼女の誇りの高さと比例したものであるとリリィは考えていたのだが、今回彼女はその誇りに傷を付けてまで、周囲を騙した。
リリィはまた、レイリアという少女のことがわからなくなった。
「だからこそ、オレ様はテメェらを認めない。お前らが信じる女神様もな」
日が雲に隠れ、影が差した訓練場で、血のような瞳だけが妖しく光を放っていた。




