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真実


 事件から一週間が過ぎた。

 当時は深い傷跡を残していた辺境伯邸も、街きっての名工たちの手により今は中庭にほんの僅かその面影を残すのみとなっている。

 平穏を取り戻した夜空の下、純白のテーブルクロスが敷かれた長テーブルの上には豪華な、しかし貴族としては少しばかり質素な料理たちが並ぶ。

 そこにはあの時のような剣戟の音も悲鳴も、血の香りもなく、しかし肌を刺すような静寂だけがあった。


「……そんな、そんな馬鹿なことが――」


「ああ、本当に馬鹿みたいな話だ。だが、真実だ」


 肩を震わせるリリィの言葉を、白いワンピース姿のレイリアが遮る。

 ふてぶてしく頬杖をつきながら、しなやかな褐色の脚を組み替えて彼女は自虐的な笑みを浮かべた。

 彼女がこの屋敷で暮らし始めてから一週間。人々の混乱も収まり、レイリアやベルガラがこのファティアでの生活に馴染み始めた矢先、いつも通りの夕食の席で彼女がもたらしたものはリリィの顔色を豹変させるには十分すぎる衝撃を秘めたものであった。

 

「気持ちはわかる。痛い程な」


 しんと静まり返った室内に、レイリアの透き通った声だけが響く。


「特にこの国は(・・・・)随分と、例の与太話に染まり切ってるからな。信じていたものに裏切られる……寄り掛かっていた大木が急に朽ち果てたような気分だろう?」


 そっちは(・・・・)違うだろうがな。

 そう言ってレイリアが視線を投げたのは部屋の奥。そこには手を組み、神妙な面持ちで目を伏せる辺境伯の姿があった。

 その表情を、その瞳を見てリリィは悟る。レイリアの語ったことが真実であるのだと。

 そして自身が今の今まで、与えられた平穏をただ貪るだけの愚者であったということを。


「知っていたのですね。父上は全て……」


「……私とて、全てを知っていたわけではない。それにリリィ、このことはお前にも機を見て伝えるつもりではあったのだ、かつて私がそうであったように」


 それは血を吐くような、喉から絞り出すような声であった。

 そして語る。辺境伯の一族、ファルブルム家は先祖代々、神代より伝わる秘密を守り続けてきた一族であると。

 一族の秘密。それこそが森の奥、遺跡に眠る天使であり、その真実。

 天使とは、悪魔とはなにか。

 彼ら、彼女らはどこからやってきたのか。

 女神とは、魔王とは。

 受け継ぐごとに掠れ、風化し、或いは戦火によって焼かれながらも、リリィの代にまで連綿と受け継がれた秘密のさらに奥にある真実。

 それを受け入れるには彼女はまだ若すぎ、純真すぎた。故に告げられなかったのだと、辺境伯は言う。

 

「そもそも、私自身あの遺跡でレイリア様の姿を目の当たりにするまでは信じられなかった。まさか天使が実在するなどと――」


「いいや違うぞおじさま(・・・・)。天使なんてどこにもいない。ここにいるのはただの亡霊だよ、それも千年程前の、かなりタチが悪い年代物だ」


 杯を煽る。

 溢れんばかりに注がれたぶどう酒を口内でゆっくりと転がした後、レイリアの細い喉が小さく鳴った。


「さて、どこまで話したか――」


 空になった杯へとまたぶどう酒を注ぎながら、少女の口元が歪に歪んだ。


――それは昔々ではじまるような、おとぎ話にも似た物語。


 千年前、古代ヴァンセリアン帝国がいまだ健在だった神話の時代、とあるところに一人の少年がいた。

 帝国のしがない学者の息子として生を受けた彼であったが、その頭脳は正しく天才的であり、悪魔的であった。

 彼はその頭脳をもって様々な技術、道具、兵器を発明し、古代帝国はその力をもって大陸全土を征服するに至る。

 彼は知ってしまったのだ。この世のありとあらゆるものは、目には見えないほど小さな小さな()で形作られているのだということを。

 彼はこれを魔素と名付け、これを自由自在に組み替え、操ることができる技術を生み出した。

 万物魔素理論。そして魔科学、魔素学の誕生である。

 彼がもたらしたこれらの力は、魔道具という超常の力を人類へ与えた。

 それはときに炎を掌で躍らせ、ときには岩を浮かせ、またあるときは大海さえ割ることができた。

 人類には過ぎたる力。それこそが古代帝国を根底から支え、形作ったものであったのだ。

 正しく神にも等しい巨大な力。しかしそれを振るう人間はあまりに脆く、傲慢であった。

 結果として古代帝国は、その大きすぎる力の代償をすぐに支払うことになる。

 きっかけは、とある魔道具の暴走。

 制御を失ったそれは周囲の魔素を次々に吸収し、使用者を醜い化け物へと変えた。

 もはや人としての心すら失った化け物は古代帝国に暮らす民たちを喰らい、森を枯らし、泉を干上がらせた。

 これに対し当時の皇帝はすぐさま化け物の討伐を命じたが、これが更なる悲劇を呼んだ。

 化け物を討たんと挑んだ兵士たちの魔道具が次々と暴走し、化け物へと変じ始めたのだ。

 生まれた化け物たちは姿形は違えど、その習性は概ね同じ物であった。

 ただ喰らう。人を、木々を、水を、大地を。

 そして古代帝国は、その存亡をかけた大戦へと身を投じていく。

 戦いは熾烈を極め、百年続いたその大戦は大陸の半分を命なき砂漠へと変えた。

 だが、帝国は滅びなかった。一人の天才によって、寸でのところで人々は反撃の剣を手に入れたのだ。

 それは一人の少女であり、かつて帝国に魔道具をもたらした()の娘であった。

 毒を以て毒を制す。

 化け物には化け物を。

 彼女は当時の帝国でも選りすぐりの精鋭たちに、化け物の力を完全に制御するための術を授けた。

 そうして化け物を制する力を得た四人の精鋭たちにより化け物たちは討ち果たされたが、帝国に残された傷はあまりにも大きく、繁栄を誇った古代帝国はこの大戦の後、滅亡の道を辿る事となるのだった――


「で、その選りすぐりのクソッタレ連中の一人が俺様ってわけだ」


 語り終えたレイリアは肩を竦め、(わら)ってみせる。

 つまりは、そういうことなのだ。

 その魔道具の暴走によって生み出された始まりの一体こそが伝説に語られる魔王であり、悪魔と呼ばれる存在。

 そしてそれらを滅ぼすために作られた兵士こそ、レイリアをはじめとした天使たちのことなのだと。

 異界からの侵略などではなく、ただの自業自得。

 力におぼれた人間が手痛いしっぺ返しを食らったと、それだけの話。

 それがどういう訳か美談として語り継がれ、伝説となり、信仰にまで至った千年前の真実であった。


「勿論、いきなり俺様たちが仕上がった(・・・・・)わけじゃない。何度も試行錯誤し、実験を繰り返した結果こうなった(・・・・・)んだ。あの色男が使ったのはいわば試作品、失敗作だ。僅かに自我は残るが、見てくれは化け物のまま。俺様ほど芸術的じゃない」


 故に、粗悪品(・・・)

 だからこそ、彼女は豹変したギルバートをそう呼んだ。

 では何故、化け物との戦いは聖戦と呼ばれ、その物語が信仰にまで昇華されたのか。

 そして何故、役目を終えて眠りについたはずの彼女らが、突然現代に蘇ったのか。


「だいたいの目星はついてる。裏でこそこそしてる連中の正体も、連中が千年ぶりに何をやらかそうとしてるのかもな」


 おもむろに彼女がワンピースの胸元から取り出したのは一本の葉巻。それは彼女らがこの席に着く前にレイリアが辺境伯に要求し、用意させたものであった。

 そして彼女は取り出したそれを右手でおもむろに握り込むと、それを口元に寄せて細く息を吹き込んだ。

 するとどうだろう。葉巻が握り込まれた右手から光が漏れだし、辺りを照らし始めたではないか。

 突然のことにリリィと辺境伯が息を呑む中、レイリアがその右手をそっと開く。

 そこにあったのは葉巻を小さく押し固めたような、細長い筒状の何か。それがざっと二十本ほど、彼女の掌に収まっている。

 よくよく見ればそれは葉巻の材料として用いられる煙り草を細かく刻み、滑らかな白い紙で包み込んだものであることがわかった。

 そのうちの一本を咥え、あろうことかテーブル上の燭台で火をつけたレイリアは大きく息を吸い込むと、天井を仰ぎ見ながら細く紫煙を吐き出した。

 そして掌に余ったそれらを数本、二人の元に転がして寄こす。


「これが魔科学の力だ。物質を形作る魔素を解き、同じ構成の、全く別の物に作り替える。これを応用すれば傷を塞ぐことも、切り飛ばされた腕を復元することすら可能になる」


 その言葉を聞き、リリィの脳裏をよぎるのは庭園で彼女が見せたあの驚異的な回復能力。

 たしかに彼女は肩口から腹部に至るまで切り裂かれた傷を即座に塞ぎ、失った右腕すら再生させてみせた。

 そしてあの化け物となったギルバートすら圧倒した戦闘能力。

 もしも彼女が、彼女たちがこの王国に牙を向いたとすれば、果たしてその犠牲はどれほどのものになるのか――


「それだよ」


 震える肩を抱きしめるリリィを見やり、しかし一切の容赦なくレイリアは過酷な現実を突きつける。


「お前が、お前らが今考えた最悪の事態。まさにそれが起こる。それに近しいものが起こされる。俺の勘が正しけりゃ、裏で糸を引いてるのは一級品の糞野郎だ。手段はどうあれ、どう転んでも〝めでたしめでたし〟じゃあ終わらねぇだろう」


 だが――

 レイリアが手にしたそれを握りつぶす。煙をあげ、自身の手が焼かれることすら構わずに、彼女は不敵に笑った。


「お前らはとびきり運が良い。何てったって選りすぐりのクソッタレの中でも、とびっきりのクソがここにいる。あっち(・・・)じゃなく、こっち(・・・)にな。安心しな。骨董品(がらくた)共の下らねえ企みは、この俺様が一切合切ぶっ潰してやるよ」


 天使が嗤う。牙をぎらつかせ、瞳を紅く光らせながら。

 その姿には常人ならばすくみ上がり、身動き一つ取れなくなるであろう覇気があった。

 だがそんな鬼気迫る中にあって尚、それに抗える古強者がこの場にはいた。


「……もしレイリア様の話通りのことが引き起こされるとすれば、それはこの王国だけの問題ではない。周辺国家の、いや、人類全体の脅威になりえるだろう」


 辺境伯の絞り出すような声が室内に響く。

 組まれた手は軋み、その皺だらけの顔には娘のリリィをもってしてもぞっとする程の迫力が宿っていた。

 当時幼かったリリィは知る由もないが、これこそが彼の、東方の獅子とまで呼ばれた将としての顔であった。


「となれば、これをレイリア様お一人に任せる訳には参りません。かの女王陛下に仕える者として、そしてこの地を任された者として、私には民を守る義務がある」


 沈黙。レイリアと辺境伯の視線が交錯する。

 ため息を吐き、レイリアはその真っ白なワンピースが捲れ上がるのも構わずに脚を崩すと、しな垂れるように椅子に身を任せ天井を仰ぎ見た。

 長く美しい銀の髪が、流水のように床に広がる。


「その(こころざし)は立派だがね、おっさん」


 レイリアの呆れたような声。

 彼女は反動をつけて上体を元の場所へ戻すと、テーブルに転がったままの紙巻たばこを拾い上げて火をつけた。


「あんたらじゃ無理だ」


 桜色の唇から、くすぶるように煙がのぼる。


「別に、あんたらが弱いって訳じゃない。単純に、アレは人間がどうこうできる代物じゃないってだけだ。そもそも、ただの人間が束になってどうにかなるなら、俺様たちはこんなざま(・・・・・)にはなってねえ」


 そう、今とは比較にならないほどの文明を、力を手にしていた古代帝国でさえも、悪魔たちの前にはなすすべもなく蹂躙されたのだ。

 戦力的には圧倒的に劣る、あまつさえその古代帝国の遺産を糧にしている者たちがそれに抗うことなど、できるはずもない。

 千年前を、あの伝説の中を戦い抜いたレイリアの言葉であるが故に、辺境伯は返す言葉もなく、ただその両手を握りしめることしかできなかった。


「それに、あんたらには悪いがね、俺様はこの国を信用してない」


「な、なぜですか!?」


 レイリアの言葉に、こんどはリリィが食って掛かった。


「馬鹿が。話聞いてたかテメェ。国民の殆どがそのクソッタレ共を天使と呼んでありがたがったり、そのクソをひり出した元凶を女神様だの言って信仰してるような国、信用できるできるわけねぇだろうが。胡散臭くて仕方ねぇ」


 その言葉にリリィは今度こそ椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、両手をテーブルに叩きつけた。並べられた食器が悲鳴をあげ、真紅と黄金の視線がぶつかり合う。

 数秒の硬直。

 リリィは固く唇を噛むと、レイリアに軽蔑にも似た眼差しを向けて部屋を飛び出していく。

 それはまるでいまだ幼い子どものようで、開け放たれた扉を見ながらレイリアはまたため息を吐いた。


「やれやれ、狂信者ってのは面倒なもんだなあ」


「いえ、そうではないのです」


 紫煙を吐き出しながらそうごちるレイリアの言葉を、辺境伯が即座に否定する。


「あれは幼い頃から、天使たちの物語を気に入っておりましたから。子どもの頃から憧れの存在であったレイリア様にその物語を否定され、悔しかったのでしょう」


 どちらかといえば、あれはそう信仰深い方ではないのです。

 そんな辺境伯の言葉に、レイリアは味気なく扉の方を一瞥し、息を吐く。

 

「それはまた、純粋なこった」


 紫煙が揺れる。

 沈黙。

 煙の奥にある真紅の瞳が、不意に細められた。


「いい娘だな」


「――ええ、自慢の娘でございます」


 細められた瞳のその向こう。真紅の底に宿る光を見て、辺境伯は優しげな笑みを浮かべる。

 僅かに欠けた月の元、子守歌のような虫の音だけが響いていた。


お待たせいたしました。

数々のブックマーク、感想誠にありがとうございます。

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