相談席こと、奇妙な箱
『商店街一奇妙な店 あなたの恋を叶える Cafe 銀-しろがね-』
ポスターにこんなむず痒いフレーズを載せてはいけないか。第一、コーヒーと食事が自慢の店なのに、どうしてこんな店になってしまったんだ。
閉店直前、自宅でもある喫茶店のカウンターの席で、日陰東は頭を悩ませていた。
パソコンのベクター描画ソフトとにらめっこを繰り返していても、ポスターが完成する事など無い。
あれは何なんだ。東はいつもそう思ってしまう。
この店には、一年程前から巨大な扉付きの箱が鎮座していた。
東の姉で、この店の店長でもある日陰翠が設置した物だ。
店の一番奥にあるデッドスペースを席として活用しているといえば聞こえは良いのだが、その箱は分厚いダンボール製の組み立て式防音室に、黒いフェルト生地を張っただけの物で、中には向かい合った椅子二脚と、ソーサーに置かれたティーカップが二つほど辛うじて置けるほどの小さいテーブルが、その間に置かれているという代物だ。
翠はその箱を使い、何故か恋愛相談のような事を始めたのだ。
『……なんでこんな奇妙な物を』
なかなかの存在感を放つ箱が視界に入る度、東はそう嘆かずにはいられなかった。
その謎の箱のことはさておき、東は明日で高校を卒業し、家業を継承すべく調理師専門学校への入学も決まっている。
だが、そんな順風満帆な人生を歩んでいるはずの東の心は、すっかり座礁していた。
自分の背後で、細かい拭き掃除をしているはずだったバイト仲間兼クラスメイト、羽川かすみが憐れむな顔で東のパソコン画面を覗き込んできた。
画面に顔がくっつくのではないかくらい乗り出してくるので、東はいつも戸惑ってしまう。
「……私よりセンス無いね」
同情めいた優しい声で罵られた。
「行き詰まったんなら拭き掃除の点検お願い」
「目立つ汚れが落ちてたら十分だって」
かすみがバイトとして働き始めて、もう一年が過ぎた。東がかすみに対して、何とも御し難い感情を抱かせるには、十分な時間だった。
しかし、そのかすみも、四月が迫る今、もうすぐバイト仲間ではなくなる。
かすみの就職活動は、高卒だからか難航を極めているらしい。日本全国どこもでいいから、寮付きの会社を探しているといっていた。
あまり面接に行くと言ってバイトを休んだ事もないので、書類選考で落とされまくっているんだろう。
かすみも随分と落ち着いているので、もう既に決まっているような雰囲気なのだが、どこのどんな企業に決まったか、東は知らない。それとなく訪ねても、かすみはいつも煙に巻いてしまうからだ。
「卒業式かぁ」
その言葉は、毎回東の心に暗い影を落とす。なんてオーバーな表現だが。
ただの忙しい日。それに尽きるからだ。
そして、翌日。
皆一様に涙を流している中、ただ二人、その後に待っている地獄を想像して憂鬱な顔をしている生徒が二人。日陰東と羽川かすみだ。
卒業式の日だからこそ、喫茶店は忙しいことこの上ない。
当然のことだが、この時期は毎日のようにどこかの学校で卒業式が開かれている。ひと息ついたり、ニコチン補給が出来たりする場所を求める父兄のおかげで、喫茶店は大盛況だ。
そんな状態だから、これから大変だぞ、という気持ちばかりが前に出て、しんみりした卒業式の輪に溶け込めやしなかった。家業で忙殺されている日陰家の家族は祝ってくれるのは玄関先まで。一度として参列してくれた事はない。
理由は知らないが、親が参列していない点は羽川かすみも同じだった。
「東、急ごう」
「うん」
この通学路を歩くのも最後なのに、急いで通過しなくてはならないとは。唯一の良かった点は、気になる女子と一緒だという事か。いや、これは相当ポイントが高いと東は一人納得して走り出した。
ふと誰かに知ってもらいたい事を小説として書きました。
元々は別サイトの投稿用に考えていましたが、どうしてもしっかり書きたいという欲求を抑えきれず、なおかつ長期海外出張の余分な時間を使うべく必死に書き連ねました。
お口に合えば幸いです。