5.宮廷魔術師候補殺害事件1.
「ジャレッド、魔術師協会のデニスさんがいらしたわよ」
アルウェイ公爵が帰ったその日の夕方、魔術師協会から来訪したいという旨の手紙をもらっていた。
なにやら報告をしなければいけない重要案件があるとのことだが、オリヴィエの屋敷に魔術師協会の人間を呼んでいいものだか迷った。
最悪、祖父の家にきてもらえばいいかと思ったのだが、意外なことにオリヴィエが魔術師協会の人間の来訪を受け入れてくれたのだ。
聞けば、彼女の父である公爵が冒険者ギルドはもちろん、魔術師協会にもコルネリア・アルウェイに関する依頼をすべて受けないように通達したこともあるため、お礼を言いたいらしい。
ならば断る理由はなく、すぐに待っていると返事を送った。そして、翌日である今日、ジャレッドの担当であるデニス・ベックマンが現れたのだ。
「ご無沙汰しています、マーフィー様。そして、お初にお目にかかります、オリヴィエ・アルウェイ様。私は魔術師協会の職員であり、ジャレッド・マーフィー様の担当を仰せつかったデニス・ベックマンと申します」
深々とオリヴィエに礼をするデニス。しかし、久しぶりに顔を合わせた彼の顔色は悪い。
これには同席したオリヴィエも驚いた顔をしている。
「ご丁寧にありがとうございます。ジャレッド・マーフィーの婚約者のオリヴィエ・アルウェイです。どうぞよろしくお願い致します」
見るからに調子が悪そうなデニスに微笑を浮かべて挨拶をするオリヴィエが、目配せをする。なんとかしろ、と言われている気がした。
「急に同席をお願いしてしまい、申し訳ございません。ですが、父が魔術師協会へ無理を言ってしまったため謝罪したく、そして感謝の言葉をお伝えしたく同席させていただきました」
「いいえ、お気になさらないでください。私たち協会としても、コルネリア様の依頼を受けることはデメリットでしかありません。あの方は冒険者ギルド寄りでしたので、もともと協会には依頼はありませんでした。ですので、オリヴィエ様が私どもに気遣う必要はありません」
「そう言っていただきますと、助かります」
小さく頭を下げたオリヴィエに、デニスも返す。そこへ紅茶を用意したトレーネが現れ、配膳すると一礼して去っていく。
「今回、こちらのお屋敷に来訪させていただきましたのは、私ども魔術師協会はコルネリア・アルウェイ様に関して、一切の依頼を受けないことをお約束したことを直接お伝えしたかったこともあります」
「重ねて感謝致します」
「協会としましては、マーフィー様とご婚約者のオリヴィエ様とは良好な関係を築いていきたいと思っております。アルウェイ公爵は、協会の味方となってくださる方ですので、私たちには今回の一件を断る理由はありません」
魔術師協会がコルネリアに味方しないことにジャレッドはオリヴィエとともに安堵の息を吐く。
冒険者ギルドと違い、組織が団結している魔術師協会がコルネリアの味方をしていれば、あまりにも大きな障害となっていただろう。
しかし、そうはならなかった。
デニスの言葉を信じれば、アルウェイ公爵が協会と友好な関係であることと、宮廷魔術師候補であるジャレッドとの関係を良好に続けていきたいのであればコルネリアに味方する理由はない。
そもそも魔術師協会は魔術師のための組織だ。
コルネリアは魔術師ではない。彼女の血族に魔術師もいない。ならば、魔術師協会が彼女を庇う理由も、リスクを負って依頼を受けることもしないだろう。
冒険者ギルドが受けていたのか、それとも冒険者が直接依頼を受けていたのか知らないが、公爵家の正室を害しようなどいう依頼は普通なら受けない。それこそ、ヴァールトイフェルのような裏組織か、実際に雇われた冒険者のようにリスクを考えない者たちだろう。
だが、公爵から通達があった以上、冒険者ギルドも今後は依頼を受けないはずだ。今までは秘密裏や、捨て駒の冒険者を使っていたから責任追及はなかったものの、今後は違う。コルネリアの依頼を独断とはいえ冒険者が受ければ、公爵は完全に冒険者ギルドそのものを敵と定めるだろう。
公爵家を敵に回すなど、あまりにもデメリットが大きすぎる。よほどの馬鹿でない限り、今後はおとなしくしているはずだ。
「俺からもお礼を言わせてください。これ以上、ハンネローネさまとオリヴィエさまが危険な目に遭うのは嫌でした。ありがとうございます」
オリヴィエに続いてジャレッドも頭を下げると、デニスは慌てて頭を上げてくれと言う。
一通り、コルネリアに関する話が終わると、一呼吸するために紅茶を口に含んだ。同じように、紅茶を飲むデニスだが、やはり彼の顔色は悪い。口調こそ依然と変わらないが、どこか覇気がなかった。
ジャレッドとしてもデニスの様子が気にならないと言えば嘘になる。
顔色が悪く、目の下には隈を作り、何日も寝ていないのだろう。身だしなみこそ整えているが、そのせいでより不調が目立っていた。
「あの……」
「はい……なんでしょうか?」
「具合が悪いなら別に日に改めましょうか? なんなら、俺がそちらに伺ってもいいですし」
「いいえ、お気遣いありがとうございます。申し訳ない、最近、あまりにも多忙でして。今回、マーフィー様には、コルネリア・アルウェイ様の一件と、もうひとつお伝えしたいことがあります。どれも、現在魔術師協会が抱えている厄介な問題なのです」
「と、いいますと?」
「覚えているでしょうか? 以前、私はマーフィー様にあなた以外にも宮廷魔術師候補がいると言いました」
「もちろん覚えています」
ジャレッドを含めて三人の宮廷魔術師候補がいることは、以前伝えられていた。
他国と繋がりがある候補が増える可能性もあることや、引き抜きなどにも警戒するべきだという話もあった。
ならば、こうもデニスが憔悴しているのは、宮廷魔術師候補にスパイが混じったのか、それとも他国へ誰かが引き抜かれてしまったのか。
正直、ジャレッドは宮廷魔術師候補の件は忘れかけていた。ここ最近、日常が目まぐるしく変化したこともあり、それどころではなかったのだ。
「もしかしなくても、宮廷魔術師候補に関するなにかがありましたか?」
「ありました。そのせいで、魔術師教会も王宮も新たな宮廷魔術師候補を発表したかったのですが、あまりにも予想外の事態が起きてしまったため、対応に追われています」
「他国からの宮廷魔術師候補が増えましたか?」
「増えました。その人物は他国のスパイかもしれなかったのですが、とある貴族の推薦もあって断ることができず、才能だけなら優秀でしたので……」
なら、その人物には警戒しなければならない。
国の厄介事に巻き込まれたくはないが、婚約者が公爵家の令嬢である以上、ジャレッドは国に関する問題に遅かれ早かれ関わることになると思っていた。とくに、戦争などが起きた場合は戦力として。
「ですが、心配する必要はありません。いえ、正確に言うならば、もう心配する必要がなくなってしまったのです」
「口を挟んでしまいすみませんが、どういうことでしょうか?」
歯切れの悪い物言いのデニスに、オリヴィエが疑問を投げる。
すると、彼はどこか緊張した様子で口を開いた。
「すみません、私自身が現在起きていることを信じられずにいるため、はっきりとお伝えできませんでした。実は、ジャレッド様を除く宮廷魔術師候補二人、そして他国から引き抜かれた新たな宮廷魔術師候補がひとりは、すでにいません」
「いない?」
「はい。ジャレッド様以外の宮廷魔術師候補は皆――殺害されてしまったのです」
「――な……」
「……そんな」
デニスの口から明かされた想定外の出来事に、ジャレッドはもちろん、オリヴィエまでも言葉を失うのだった。