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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
二章

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43.ローザ・ローエンとの戦い3.


「下種が……」

「暗殺組織の人間にそんなことを言う資格はねえんだよっ!」


 ローザの侮蔑の声に、剣士が唾を飛ばす。

 さすがのローザも、先ほどとは違い刀身がイェニーに触れているため剣士よりも早く動くのは不可能だ。仮に、剣士よりも早く動き、殺すことができたとしても、その反動で剣がイェニーを間違いなく傷つけるだろう。

 ジャレッドは殺すつもりだが、イェニーを傷つけるつもりがなかったローザも、口にしたことを守るために動くことはできない。

 ジャレッドも同じように、ただイェニーの安全のために抵抗するわけにはいかない。

 実力だけならはるかに下回る冒険者程度にこの場を支配されていることが、ローザには耐えがたい恥辱であった。


「離しなさい」


 ジャレッドもローザも手出しすることができない状況の中、静かに凛とした声が響いた。


「ああん?」

「離しなさい、と言いました。わたくしの体に気安く触れないでください」


 声の主はイェニーだ。

 ローザによって囚われていたときとはまるで別人のように、なにも感じさせない表情を浮かべ、剣士に言葉を放った。


「てめぇ、今自分がどういう状況になってるのかをわかってそんな生意気言ってるのか?」

「存じています。ですが、あなたのような人間に体を触れられることが我慢できません。わたくしの体を離しなさい」

「やめろ、イェニー」

「お前は黙っていろ、ジャレッド・マーフィー」


 突如反抗を始めたイェニーを止めるべく声をかけようとするが、魔術師に体を踏まれてしまう。

 下手なことをすればイェニーの喉を剣が引き裂くかもしれない状況は微塵も変わっていないため、ジャレッドは懇願するように言葉をこぼす。


「頼む、頼むから、なにもしないでくれ」

「お兄さま。わたくしはお兄さまの枷になるくらいなら喜んで死にましょう。このような矮小な人間によって、お兄さまが傷つけられることがわたくしは耐えられません」

「てめぇ!」


 剣士は怒りの声を上げると、剣で喉を斬り裂くのではなく、イェニーの体を突き飛ばした。そして、床に腰を打ちつけてもなお気丈に睨みつける少女の頬を――拳で殴りつけた。


「黙ってろ、クソガキ!」


 倒れ込んだイェニーに苛立ちを隠さず怒鳴りつけた男の姿に、ジャレッドの中でなにかが切れる音が聞こえた。

 うめくイェニーに向かって男が手を伸ばそうとしている。まだ殴るつもりかもしれない。もしかしたら、もっと酷いことをされてしまう可能性だってある。そんなことは許せない。

 幼いころから慕ってくれたかわいい妹が目の前で殴られてもなお、我慢していることなどできない。

 ジャレッドの脳裏で、誰かが「解き放て」とささやいた。

 誰かの声に頷くと、ジャレッドはゆっくりと自分を押さえつける魔術師の足に触れた。


「おい、動くなと言って……な、に?」


 魔術師が体の異変に気づき、声を上げた。

 彼の声に、剣士とローザの視線が集まる。


「おい、なにしてやがる!」


 剣士が怒鳴るが、どうでもよかった。彼がイェニーから離れジャレッドに向けて剣を向けたことに、歓喜の表情をつくる。


「まて、なにをしている? なぜ、なぜだ、わたしの、魔力が……そんな、やめっ……」


 触れられているだけにも関わらず、魔術師がその場に膝を着き助けを求める声を上げた。

 呼吸を荒くしながら、自らの手を見た魔術師が悲鳴を上げる。

 魔術師の体から魔力が抜けていく。それだけではない。まるで生命を引き抜かれたのではないかと思えるほど、目に見えて体から力が抜けていく。

 まだ三十ほどの年齢だったはずの魔術師がみるみるうちに老人のように朽ち果てていく。

 肌が乾き、色素が消えた髪が次々と抜け落ちていく。眼球が白くなり、視界が真っ暗になった。

 助けを求めて伸ばされていた手が、指先から砂となっていく。


「あ、あああ、あああああっ……そんな……どう、して……」


 自分の身になにが起きたのか理解することなく、魔術師は砂となり果て音を立てて崩れた。

 残されたのは衣類と杖、そして大量の砂。


「……なにを、……なにをしやがった!?」


 目の前で起きたことが理解できず、わずかな虚勢を振り絞って怒鳴り声を上げる剣士だが、ジャレッドの表情に感情はなにも宿っていない。

 無表情を張りつけながら、剣の切っ先を向けられてもなお臆することなく立ち上がり、近づいていく。


「よ、寄るんじゃねぇ!」


 震える腕で剣を構える男に、ゆっくりジャレッドが右手を伸ばす。


「やめろ!」


 恐怖に支配された剣士がジャレッドに向けて剣を突き出す。

 防御など一切する素振りがなかったジャレッドの腹部に、剣を突き出した本人が驚くほど容易く刺さった。


「お兄さまっ!」


 ジャレッドが刺された瞬間を目撃したイェニーが悲鳴を上げる。しかし、ジャレッドはなにごともなかったかのように、歩みを止めず剣士へと近づいていく。


「お前は許せないことをした」


 剣を握る両手を掴み、そっと男に囁いた。


「だから、死ね」

「やめろ、やめてください、たのむ。俺はもう降りる、ガキを殴ったことも謝る。金だって払う。お前の欲しいものはなんでも差し出す。なにがいい? 女か? 財宝か? 少し時間さえくれればなんでも用意するから、命だけは、頼むっ……」

「俺がほしいのは――お前の命だ」


 絶望した剣士の腕をゆっくりと動かし、腹部から剣を抜く。刀身には一切血が濡れておらず、本当にジャレッドに刺さっていたのかさえ怪しい。

 恐怖から剣を握っていられなくなった剣士の手から剣が落ち、床へ転がる。

 助けを請おうにも言葉が出てこず、口を開けているだけの剣士が、先ほどの魔術師のように老い干からびていく。

 そして――彼もまた衣類を残し、砂となった。


「なにを、した……なにをしたというのだ、ジャレッド・マーフィー!」


 呆然とジャレッドが行ったことを眺めていたローザが、二人目の死に正気に戻ると困惑した叫びをあげた。

 ローザが事前に調べ上げたジャレッドに関することに、このようなことができるとはなかった。

 プファイルがそうであったようにローザもまた魔術師としての才能を持つ。そんなローザであっても、ジャレッドがなにをしたのか微塵も理解できない。

 いや、そもそもジャレッドが行ったことが魔術なのかどうかさえ判断できなかった。


「覚悟しろ、ローザ・ローエン。よくも俺を、イェニーを、こんなくだらない茶番に巻き込んだな?」


 ジャレッドの声が放たれたと同時に、近くにあった家具が砂と化す。


「大地属性魔術? いや、違う。これはなんだ? こんなものを魔術と呼ぶことはできない……ッ」


 家具だけでは飽き足らず、建物そのものが砂となっていく。

 なにが起きているのかわからないが、ローザの目に映るジャレッドは正気ではなかった。意識があり怒りを向けているのは間違いないが、瞳の焦点が合っておらず足取りも危うい。

 本来ならジャレッドから聞きだすことがあったが、理解できない力を発揮した危険性を考慮して当初の予定通り殺害することを決める。

 半ば砂と化している足場を蹴り、首を刎ねようと剣を振るった。しかし、


「させませんっ!」


 砂と化した剣士が落とした剣を拾っていたイェニーがローザの一撃を難なく受け止めたのだった。




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