42.ローザ・ローエンとの戦い2.
「それは……」
「なにも難しいことを聞いているわけではない。貴様が我らにも調べられない空白の時間に誰かから魔術を学んだことはわかっている。私が知りたいのは、貴様の師が誰で、どこにいるか、だ。答えろ、ジャレッド・マーフィー。かわいい従姉妹が死んでも構わないのか?」
ローザが単なる脅しでイェニーに刃を向けているのではないことがわかっていたため、ジャレッドは観念したように口を開くが、
「お兄さま、わたくしのことなど気にしないでください」
声を出すよりも早く、イェニーが割り込む。
「お前は黙っていると言っただろ!」
「いいえ、黙りません。あなたはお兄さまの師を知ってどうしようというのですか?」
「おそらくジャレッド・マーフィーの師はヴァールトイフェルの関係者だ。ワハシュの許可なく、組織に技術を教えた者を許しておくことはできない」
「従順なのですね」
「それのなにが悪い? 父ワハシュは絶対だ。娘であり、後継者のひとりである以上、従順であるべきだ。だからこそ、私は貴様が、ジャレッド・マーフィーが許せない!」
「俺が? なぜだ?」
疑問の声を上げた瞬間、怒りの形相のローザがイェニーから剣を引き、柄頭でジャレッドを殴打する。
ジャレッドは床に倒れ、イェニーの悲鳴があがった。
「なぜだ、だと?」
「……戦い方が似てるだけで、こんなに目の敵にされる理由がわからねえよ」
「私が貴様に怒りを感じているのは、そこではない!」
「なら、なんだって言うんだ!」
体を起こし、ローザを睨みつける。彼女の瞳には間違いなく、怒りの炎が宿っていた。
ジャレッドは彼女をここまで怒らせる原因に心当たりがない。
怒りに体を震わせるローザだったが、次第になにかに気づくと呆れたように呟いた。
「まさか貴様は、己の出生さえ理解していないのか?」
「だから、なんのことだ!」
「知らないのなら教えてやろう、貴様の母リズ・マーフィーは――」
ジャレッドの髪を掴んだローザだったが、彼女の言葉は乱暴に開かれた扉によって止まってしまう。
「なに、生ぬるいことしてんですか?」
「拷問をしてでもなにか聞きだすことがあると伺っていたが、ずいぶん甘い拷問だ」
部屋の中に現れたのは外で見張っていたはずの冒険者二人だった。
「なんの真似だ、私は外で見張っていろと命じたはずだ。許可なく屋敷の中に入ってくるな」
「おいおい、依頼人だからって偉そうにするなよ。俺たちはアンタが殺そうとしている相手がジャレッド・マーフィーだって知らなかったんだよ! 大事なことはちゃんと伝えてくれねえぇとさ!」
「貴様たちに教える必要などない。黙って外に戻れ、今ならその無礼な態度を見逃してやる」
ローザの忠告に、剣士は剣を抜き、魔術師が杖を構えることで返答した。
「どういうつもりだ?」
「俺たちはジャレッド・マーフィーに恨みがあるんだよ。見れば、都合よく人質までとってるじゃねえか、遊ぶなら仲間にいれてくれよ」
「遊び、だと?」
ローザの声にいっそう険が宿るが、剣士は気づかず下品な笑い声をあげる。
「だってそうじゃねえか。人質とって、好きなだけ嬲れるのに、アンタがしていることは拷問じゃなくて尋問だ。しかもお優しい。所詮は女だな。ほら、どけよ。俺が手本を見せてやる」
剣士はローザに掴まれたままのジャレッドを背後から蹴り飛ばした。
「お兄さまっ!」
「ははっ、笑える。お兄さまっ、だって。そっか、そういえばお前は貴族だったな。男爵様はいいですねぇ。俺たち冒険者が必死こいて日々金を稼いでいるのに、金に困ったことも苦労したこともねえんだろ? それで魔力に恵まれて、公爵家の女を手に入れることができりゃ、まあ、調子に乗りたくはなるわなぁ」
倒れたジャレッドの背を、力任せに何度も踏みつける。
イェニーの悲鳴が響くが、剣士にとってはジャレッドを痛めつけることへのスパイス程度にしか感じらないようだ。イェニーが悲痛な声を出せば出すほど、ジャレッドを足蹴にする力が増していく。
「いい加減にしろっ!」
「おっと、あなたにはおとなしくしてもらいたい」
剣を振りかぶろうとしたローザの動きが止まる。
彼女の視線の先には、無数の火球によって囲まれたイェニーの姿があった。
魔術師が見下すように笑う。
「暗殺組織の人間がずいぶんと優しいとみえる。確か、あなたはこの少女に手を出すことは禁じていたが、本当に傷つけるつもりはないらしい。人質にしたのであれば、始末するのがもっとも楽な解決方法だというのに」
「私はジャレッド・マーフィーがその命を差し出すなら、人質に害を加える気はない」
「だけどよぉ、こいつは俺らに手をだして、その女を取り戻そうとしたじゃねえか! 思いっきり抵抗してんだろっ」
「それを決めるのは私であり、お前たちではない。もういい、貴様らのように見張りどころか囮役も満足にできない冒険者を使おうなどと思った私が愚かだった。金なら約束通りに渡してやる、消え失せろ」
ジャレッドを足蹴にしていた剣士に向かって、札束を頬り投げる。しかし、金を拾った剣士は、いやらしい笑みを浮かべると、再びジャレッドの背を力の限り踏みつけた。
「……私は消えろと言ったのだが、聞こえなかったのか?」
「いいや、聞こえたさ。だけど、従うなんて言ってねえだろ? 俺たちはこいつに恨みがあるんだよ。いやぁ、まさかアンタがジャレッド・マーフィーをこんなにも簡単に捕らえるなんて思ってなかったぜ。おかげで、仕返しできる」
「彼は私たちの仕事を何度も邪魔してくれたのだよ。おかげで、冒険者ギルドからペナルティをもらい、仕事がまともに受けられない。恨むなと言うのが無理だ」
「ふざけるなっ!」
冒険者たちの一方的な言葉に、ジャレッドが怒りの声を上げた。
「依頼人を脅して金を取り、仲間を囮にして魔獣から逃げることのどこが仕事だ! お前らが冒険者ギルドからペナルティを食らったのも、自業自得だ!」
「うるせぇよ」
剣士は躊躇いなくジャレッドの手のひらに、剣を突き立てた。
奥歯が折れるほど強く噛みしめ痛みを堪えたジャレッドの代わりに、イェニーから喉が裂けんばかりの悲鳴を上がる。
「んなこと冒険者ならみんなやってんだよ! 魔術師協会の魔術師はどいつもこいつも綺麗事ばかりだ! 優遇される魔術師に、俺たちの苦労はわからねえんだよ!」
「……わかりたくないね。だれが、わかってやるものか。お前らみたいな人間の屑のことなんて、知るかっ」
「よくほざきやがったっ!」
「――やめろ!」
剣を手のひら抜き、もう一度振りかぶった剣士に向かい、ローザから鋭い声が飛ぶ。
動きを止めた剣士に向かい、ローザが剣を向ける。
「これ以上勝手なことをすれば、容赦なく殺す」
「おいおい、忘れてねえか? 人質のガキが黒こげになるぞ?」
「その瞬間、貴様たちを死んだ方がマシだと思うような目に遭わせてやろう」
睨みあうローサと剣士。
「アンタ、自分の立場わかってんのか?」
「私の立場だと?」
「さっきから平然とヴァールトイフェルだと言ってるけどよ、冒険者ギルドがヴァールトイフェルのメンバーに懸賞金をかけてること知らないとは言わせないぜ。ジャレッド・マーフィーを殺して、アンタをギルドに差し出せば、俺たちは英雄だ!」
「くだらん」
「ああっ!?」
剣士のくだらない野望をローザは切って捨てた。
今、ジャレッドがなすがままにされているのはイェニーという人質がいるからだ。ローザが剣士に手を出さないのも、殺す価値がない人間だからである。しかし、もし剣士がイェニーを傷つければ、ジャレッドはもちろんローザも冒険者二人を生かしておく理由がなくなることに、哀れな男たちは気づいていない。
ローザなら、魔術師が火球を操るよりも早く喉を斬り裂くことなど容易い。いっそ、殺してしまった方が早いと思った彼女の足が掴まれる。
「……なんのつもりだ、ジャレッド・マーフィー」
「頼むから、うかつなことはしないでくれ。俺が死ねば目的は果たされるんだろ? なら、なにもしないで俺がこいつらに殺されるのを黙って見ていてくれ。その代わりに、イェニーだけは頼む、彼女は本当に関係ないんだ、だから助けてやってくれ」
「てめぇに選択権はねぇんだよっ!」
ローザに懇願するジャレッドがまたしても蹴り上げられた。
咳き込むジャレッドを忌々し気に見下ろし、剣士がいいことを思いついたとばかりに笑う。
「おい、この炎を消せ」
「いいのか?」
「ああ、おもしろいことをおもいついたぜ」
剣士の言葉に従い、魔術師がイェニーを取り囲む火球を消していく。
肌を焼く熱が消えたことに息を吐くイェニーを、剣士が掴み立ち上がらせると、背後から腕を回し剣を首筋に当てる。
「イェニーッ!」
「おっと、おかしな真似をするなよ?」
「貴様ッ」
「アンタもだ暗殺者のクソ女! アンタはとりあえず黙って見ていろ!」
剣士はイェニーを抱きかかえたまま、ジャレッドに近づく。
汚い腕はイェニーに触れているのだと思うだけで、ジャレッドの脳が沸騰するのではないかと思うほど怒りに支配される。
それでも刀身がイェニーの首に当てられている以上、下手な真似はできない。
「頼むから、その子にはなにもしないでくれ。もし、彼女になにかあれば、俺は俺を制御できなくなる……」
「意味わかんねえこと言ってるんじゃねえよ。これから少しだけ遊んでやるよ。俺たちが二人がかりでお前を痛めつけてやる。飽きるまでお前が堪えたら、このガキは解放してやる。ただし、少しでも抵抗してみろ、どっかの変態商人に高値で売りつけるぞ!」