39.エミーリア・アルウェイの心情2.
エミーリアの指摘に、ローザは目に見えて怒りの形相を浮かべた。
「馬鹿にしているのか?」
「馬鹿にはしていないわ」
「あの程度の魔術しか使えない魔術師に私が負けるはずがないっ。部下は足手まといだから帰しただけだ。冒険者を雇ったのも、ヴァールトイフェルの関わりを明らかにしないためだ」
なるほど、とエミーリアは頷く。
冒険者が貴族に雇われることは決して珍しくない。こうして屋敷の外で見張りをしていても、誰も疑問に思わないだろう。もっとも、王都の外れの別宅であるため周囲に人はいないが、念には念を入れているのがよくわかる。
「もしかして、あなたの部下をジャレッド・マーフィーのいない屋敷に向かわせているの?」
「いや、お前の母親はそうするべきだとうるさかったが、まずはジャレッド・マーフィーからだ」
「そう」
数日ローザと接したので彼女が慎重であることは知っていた。ローザがジャレッドから倒すというのならその通りなのだろう。しかし、コルネリアがどう行動するか不明だ。
エミーリアは母親の性格をよくわかっている。なにごとも自分の思い通りにならなければすぐに癇癪を起こす悪癖がある母なら、ローザに断られたとしてもジャレッドがいない間の屋敷へ襲撃をするかもしれない。
ジャレッドがいなくとも今までトレーネが守っていたことを考えると、現在母が雇える程度の冒険者なら心配はないかもしれないが、万が一ということもある。
エミーリアはプファイルと利害が一致したためイェニーの誘拐とこの場所を伝えるように頼んだが、彼に屋敷を守ることも頼んでおくべきだったと悔やむ。
「どうした、なにか心配事か?」
「ええ、十四歳の女の子が囚われの身になっているのだから、不安でしょうねと思っただけよ」
「ふん。顔を見られてもいいと言うなら会えばいい。お前のせいで母親もろとも破滅しても私は関知しない。好きにしろ」
「もちろん。好きにさせてもらうわ」
睨むローザに背を向けてエミーリアは階段を昇っていく。この屋敷はまだ幼いころに連れられてきたこともあるのでよく知っている。
イェニーが囚われの身になっている部屋の前に立つと、大きく深呼吸をする。
扉を開ければ、母はもちろん自分は破滅するだろう。怖くないと言えば嘘になる。しかし、暴走している母を放置し、父の権力で好き勝手にやった責任を取るべき時がきたのだ。
覚悟を決めてノックをする。もちろん返事がないことは承知していた。
扉を開けるとエミーリアを目にして驚いた顔をしているイェニーと対面する。
ベッドの上で、両手両足を縛られ、布を口に巻かれたせいで声を発することもできない少女の姿痛々しい。
「おとなしくしていて。今、拘束を解いてあげるわ。でも、決して声を上げないで、いいわね?」
イェニーが頷くことを確認すると、隠し持っていた折り畳みナイフを取り出し手足の縄を切っていく。口から布も外すと、呼吸がしにくかったのかイェニーが酸素を求めて大きく息を吸う。
「こんなことになってごめんなさい」
「エミーリアさま……どうしてですか?」
言葉こそ交わしたのは挨拶程度でしかないが、二人は顔見知りだった。
イェニーもまさか知人が誘拐に関わっているとは思っていなかったのか、声が動揺して震えている。
「あなたを巻き込むつもりはなかったのよ。言い訳になってしまけど、母が雇った者がジャレッド様に対してあなたを人質にとることが有効だと判断したの。本当にごめんなさい」
「――っ。もしかして、お兄さまはもう……」
「いいえ、まだ現れていないわ。わたくしは母にはもうついていけないの。それに、ジャレッド様に死んでほしくないのよ」
エミーリアが極力安心させるように優しい声で説明すると、イェニーは強張らせていた体から力を抜く。囚われの状況でありながら、自分の身ではなくジャレッドを案じる姿を見て、彼女の想いの深さを察した。
「よく聞いて。不自由な思いをさせたくないから拘束は解いたけど、ここから逃がすことはわたくしにはできないわ。もうしばらくすればジャレッド様がくるはずだから、そのときに逃げるの。いいわね?」
「エミーリアさまは?」
「わたくしは警戒されているようだから、このまま屋敷に戻ってお父様に母の真実をすべて話すわ。ジャレッド様が倒されてしまう前に助けを呼んでくるから待っていて」
「お兄さまは負けたりしないので、ご安心ください」
ジャレッドに対して全幅の信頼を置いているイェニーが羨ましいと思う。
エミーリアは彼女のように無条件でジャレッドを信じることができない。ジャレッドを想っているのは同じかもしれないが、エミーリアとイェニーでは想いの大きさがまるで違うのだと自覚させられた。
ローザと同じ立場にいるプファイルを退けたジャレッドなら、まともに戦えば敗北しないとエミーリアも思っている。だが、人質がいるのだ。ローザはジャレッドを観察した上で、親しい人間を人質にとることで身動きできないようにしようとしている。実に効率がいいが残酷だ。
自分でも同じようなことは考えつくことはできるが、いくら公爵家の権力を振りかざしても実際にはできない。権力がどうこうではなく、行動するための覚悟がないのだ。エミーリアにできるのはせいぜい権力を使って脅かすことくらいだ。
「なら、ジャレッド様を待っていなさい。わたくしはすぐに助けを呼んでくるから、逃げようとせずに、じっとしているのよ」
イェニーが頷くことを確認すると、エミーリアは彼女から離れる。
「あのっ」
「なに?」
背を向けて部屋からでていこうとしたエミーリアに、イェニーから声がかけられる。
「気をつけてください、エミーリアさま」
「……ありがとう。あなたは本当にいい子ね。巻き込んでしまってごめんなさい」
エミーリアが誘拐に関わっていると知りながら案じてくれるイェニーは本当に優しい子なのだとわかる。自分にはできないことを平然とされてしまい、恥ずかしくなった。
彼女に振り返ることなく返事をすると、そっと扉を閉めた。
「お前はこれからどうするつもりだ?」
階段をおりたエミーリアにローザが問う。
「あなたはこれからジャレッド様と戦うのでしょう?」
「違う。一方的に殺すのだ」
「それを阻止するために、わたくしはお母様のもとへ向かうわ」
「お前の母親が今さら意見を変えるとは思わないが、もし成功したら急いで連絡しろ。私は奴を倒すことに躊躇いはない」
なぜかローザには私的な感情があるように思えたが、今は一分一秒が惜しい。
「覚えておくわ。言っておくけれど、イェニー・ダウムには一切危害を加えないでよ。お母様の立場が間違いなく悪くなるのだから」
「彼女はあくまでも人質だ。目的を果たせば丁重に送り返す」
「その言葉を信じていいのね?」
「ヴァールトイフェルと我が父ワハシュの名にかけて」
イェニーへ危害を加えないように念を押す。ローザがここまで言うのなら本当に手を出さないはずだ。プライドの高い彼女が約束を違えるとは思えない。
問題があるとするなら、ジャレッドが現れたときに感情的になったローザがどう行動するか不安が残る。
しかし、今は一刻も早く父に母のことを打ち明けなければいけない。
「間違っても冒険者をイェニー・ダウムに近づけないように気をつけなさい」
「わかっている。奴らは建物の中には足を踏み入れないように言いつけてある」
ローザの言葉に満足すると、エミーリアは建物から出ていく。
外で待機している冒険者が剣士と魔術師がひとりずつであることを確認する。下品な笑みといやらしい視線が向けられるが、無視して彼らの横を素通りした。
舌打ちが聞こえ、なぜこの程度の冒険者をローザが用意したのか疑問に思う。
「お嬢様、お待ちしておりました。ご無事でなによりです」
待たせていた馬車の前で幼いころから仕えてくれている老執事がエミーリアの無事を確認して安堵を浮かべていた。
彼はたとえコルネリアが雇ったとはいえ、暗殺組織の人間と一対一で会おうとするエミーリアに反対していたのだ。
だが、ジャレッドと母のために反対を押し切りローザと会った。そして、その甲斐はあった。
「急いで屋敷に戻るわよ」
「かしこまりました。ですが、よろしいのですか?」
「いいのよ。ずっと好き勝手にしてきたのだから、最後くらい自分でけじめをつけるわ。それに――初めて好きになった人のためになにかができることが、少し嬉しいのよ」
おそらく父から厳しい罰を受けるだろう。甘い父だから家から追い出されることはないだろうが、母のおかげで防がれていた政略結婚の話が進むだろう。しかし、その程度ですめば御の字だ。
好きでもない男と結婚するのは正直嫌だ。ジャレッドに好意を抱いてしまった今だからこそ、なおさらそう感じてしまう。だが、それが罰だ。
初恋を経験できただけでも幸せに思おう。
「ジャレッド様に大切にされているオリヴィエが羨ましいわ。わたくしもとは言わないけど、せめて友達になることくらいはしたかったわ」
だが、自分の招いた結果なので受け入れるしかない。
「お父様のもとへいきましょう」