37.攫われたイェニー4.
アルウェイ公爵を頼るため、手紙を書きに屋敷に戻ってしまったオリヴィエ。
残されたのはジャレッドとプファイルは、どちらも口を開かない。
ジャレッドは、オリヴィエの願いに頷いてしまった。つまり、大切なオリヴィエたちをプファイルに託すことになったのだ。
未だにその選択が正しかったかどうかわからず、不安が胸の内に渦巻いている。
「ジャレッド・マーフィー」
「なんだ、今は話したくない」
「大切な話がある」
「なんだよ?」
できることならプファイルとの会話を避けたかったのだが、真剣な表情を浮かべている彼に、つい応じてしまった。
「私はお前のことを一通り調べてある」
「知ってるよ」
「だから言おう。――私に呪をかけろ」
「……そこまで知ってるのかよ。まさかヴァールトイフェルに俺のことは全部、筒抜けなのか?」
「知っているのは私だけだ。口外はしない。だが、今はその話はどうでもいい。私はお前に信用してもらうために毒を用意したが、自分で用意した毒で信用を得ようとしたのはいささか都合のいい話だったと反省している。だからこそ、呪を受けよう」
「死ぬぞ?」
「承知の上だ」
覚悟を決めているとばかりに断言するプファイルに、ジャレッドは呆れる。
自分もどこかおかしいことを自覚しているが、プフアィルもそうとうおかしい。
仮にも殺し合った相手の味方になるために命をかける必要などどこにもない。しかし、プファイルは違うらしい。それは呪という普通ではない方法で、だ。
ジャレッドは地属性、火属性、水属性の複合属性である大地属性の魔術師であるが、師が呪術を得意としていたため手ほどきを受けている。
才能はなかったため、使える呪術は極わずかではあるが、相手を呪殺する程度なら使うことができた。
「俺が呪術をかければお前には制約がつく。特に時間だ。どれだけ呪術に対する抵抗力を持っているのか知らないけど、俺の呪術は俺にしか解けない。もし、ローザに俺が殺されればお前も道連れになるんだぞ?」
「構わない、やれ」
「義理堅いのも度が過ぎると異常だな」
諦めたようにジャレッドが大きく息を吐きだすと、プファイルが苦笑する。
「会ったばかりの母子を命がけで守ろうとしているお前に言われたくはない」
「どっちもどっちか」
「そうらしいな」
二人がそろって声をあげて笑う。
お互いがお互いをどこかおかしい人間だと呆れたように、同類を見つけたように笑い続ける。
「ヴァールトイフェルを裏切ることにならないか?」
「この屋敷からでなければローザにはわからないだろう。仮にヴァールトイフェルがこの屋敷を襲ったとしても全員殺せば問題ない。今の私はただのプファイルなのだから」
「なら、はじめよう。これからお前に呪術をかける。約二時間後に魔力と体力が減衰して息絶えることになるけど、呪術に対する抵抗力や、魔力量が多ければ時間は変わってくる。最初こそ、たいしたことはないと思うが、三十分を切れば辛くなるぞ?」
プファイルが頷くことを確認すると、ジャレッドは彼に服のボタンを外させる。
ナイフで手のひらを斬り、流れ出た血を指ですくうと、指と血でプファイルの肌に呪印を描いていく。
血液には魔力が込められている。体内を血流が循環するのと同じように、魔力も循環している。血液は魔力を持つ媒体として多種多様に使われる。
聖なる儀式から、邪悪なものまで共通して必要とされるものなのだ。
呪印を描ききり呪詛を唱えると、血で描かれた呪印があざとなっていく。痛みを伴うはずが、プファイルは平然としていた。本来ならのたうち回ってもおかしくないはずだ。
やはり想像していた通り、プファイルには魔術だけではなく呪術にも抵抗力があった。約二時間後に呪術が発動するようにしたが、実際はもっとかかるだろう。
ジャレッドの意志さえあれば、今この瞬間にプファイルを呪殺することもできる。
あくまでも保険だが、念入りにしておくことで少しでも不安要素を減らしておきたかった。
「終わったぞ。これで、お前の命はあと二時間ほどだ。ただし、オリヴィエさまに俺が呪術を使えることを言ってみろ、殺すからな」
「承知した。他言はしない。だが、不思議だな。呪術を使えるものは大地属性よりも稀なはずだ。なぜ隠す?」
「人を呪うようなことを自慢できるかよ。それに、俺はこうして直接呪印を描かなければ対象に呪術を施すこともできない落ちこぼれだ。呪術師を名乗るのはおこがましい」
そもそもジャレッドは呪術を使うつもりはなかった。
プファイルが呪術を使えることを知っていたから使ったものの、呪術にはリスクが大きい。今回プファイルに施した呪殺の呪印も、失敗すれば反動でジャレッドに返ってくる。
魔術と違い、媒体を利用することにより行うのが呪術であるが、代償は魔術よりも大きく、危険なのだ。
「とにかく、お前の命は俺が握っていることを忘れるな。オリヴィエさまとハンネローネ、そしてトレーネを必ず守れ。裏切れば殺す。守れなくても殺す。わかったな?」
「わかっている。約束は果たす。だから、お前も私と約束しろ――必ず、ローザ・ローエンに勝利してくると」
「当たり前だ。俺は。イェニーと一緒に生きて帰ってくる」
一度は命を差し出すべきかと迷った。だが、ジャレッドが死ねばオリヴィエたちが危険になる。しかし、オリヴィエたちを優先すればイェニーがどうなるかわからない。
なにが正しい判断なのかわからず、誰も犠牲にしない方法を見つけたかったが、見つからなかった。
もしプファイルが現れなければ、結果はどうあれジャレッドの死は確定していただろう。
だが、戦うチャンスを得た。
プファイルに大切な人たちを託すことに抵抗はある。だが、オリヴィエが信じたプファイルを信じたいと思う。
「プファイル、俺の大切な人たちを守ってくれ」
ジャレッドは願うように手を差し出した。
「任せてほしい。この命に代えて、ジャレッド・マーフィーの守りたい人たちを守ろう」
プファイルはジャレッドの手を取り、握りしめる。
一度は殺し合った二人が、組んだ瞬間だった。